2話「ウタの初披露」
「髪はほのかに茶色、瞳は橙、雰囲気は少女——ふむふむ、なかなか興味深いお方です」
リベルテは斜め掛けにしていたポシェットからメモ帳とペンを取り出すと、私を珍しいもののようにまじまじと見つめ、何かを書き始める。その様子は、まるで、植物を熱心に観察する人。
「あの……これは一体何を?」
「情報を記録させていただいております! もうしばらくお待ちくださいませ」
「は、はぁ……」
凝視されてしかも外見情報を記録されるなんて、なんだか恥ずかしい。十数年生きてきたが、初めての経験だ。
「ほどほどにしろ、リベルテ」
「もう少しだけお待ち下さい! 主」
ウィクトルが気を遣って注意してくれたが、リベルテはちっとも聞いていないようだった。彼は完全に、情報を書くことに夢中になってしまっている。
何が楽しいのだろう、他人の外見について記録なんかして。
その時。
「……ボナ様」
それまでほとんど口を開いていなかったフーシェが、何の前触れもなくウィクトルに話しかけた。
「どうした、フーシェ」
「……星まで残り二十二時間」
「そうか。進行は予想より若干早いようだな」
フーシェは口を開いてもなお物静かだった。
声のボリュームは小さく、落ち着いた声で、淡々とした調子。女性になる直前の少女が話しているとは思えない、大人びた喋り方だ。
「そうだ、ウタくん」
リベルテに状態を記録されながらフーシェの話し方について考えていた私に、ウィクトルは急に話しかけてきた。
「ここで歌うというのはどうだろうか」
「う、歌を……?」
旋律に声を乗せる行為自体は好きだが、人前で披露できるほどの仕上がりではない。それに、数年練習していなかったから、美しい声もでない。
そんな状態で歌を披露しろというのか。
しかも、今さっき出会ったばかりの人たちの前で。
「歌!? それは一体!?」
あぁ……。
リベルテはすっかり食いついてきてしまっている。
「どうだ、ウタくん。二人にも聴かせてやってくれないか」
「待って。私そんな、人前で歌えるほど上手くないわ」
「私がこう頼んでいるのは、君の歌を私が気に入ったから。それだけ。謙遜は必要ない」
自信はない。上手くもない。ただ歌うことが好きなだけ。歌うだけなら誰でもできる。だから私でも歌える。けれど、上手か否かとなれば、絶対に話は別。
上手な歌は人の心を揺さぶる。
そして、聴いた者の耳に永遠に焼き付く。
——でも、下手な歌なんて、げんなりするだけ。
「こんなところで歌なんて……」
右を見ると、リベルテが瞳を輝かせながらこちらを凝視していた。
「それに私上手くないし……」
正面へ目をやると、ウィクトルが痛いくらいの視線を突き刺してきていた。
「……わ、分かった! 歌う! 歌うから!」
こんなに期待の眼差しを向けられたら、断ることなんてできない。
「よし」
いやいや! よし、じゃないわよ! ……と言いたい気分。
でも、不思議だ。
何も分からぬうちに、見知らぬ人の手で地球の外につれだされたというのに、恐怖も違和感もそこまでない。
「このリベルテ、ウタ様の歌を凄く楽しみにしております!」
それは顔を見れば分かる。
「じゃあ、一曲」
人前で歌を披露するのは初めて。母親と家で歌を楽しむことはあっても、他の誰かがいるところで歌ったことはない。
だから、緊張で手のひらが汗ばむ。胸の鼓動も心なしか速まってるようだ。
——でも。
瞼を閉じれば、すべてが静まる。
空気を吸えば、私だけの世界が幕開ける。
——そこに『緊張』の居場所はない。
歌が終わった瞬間、訪れる沈黙。私は何かやらかしたかと少しばかり焦る。私が一人焦っていた数秒後、リベルテが大きな拍手を送ってくれた。
「す、素晴らしいです! 美しい歌声でございますね!」
そんな風に感想を述べてくれるリベルテは、やや興奮気味で。
水色の瞳は輝き、やや早口になっている。
「主がお勧めするだけはございますね!」
妙にハイテンションになっているリベルテの横で、ウィクトルは満足げに頷いていた。しかし、ウィクトルの傍にいるフーシェは、じっとこちらを見つめているだけ。何も言わない。
「こんな感じで良かったのかしら……」
「それでいい」
ウィクトルは即座に返してくれた。
「キエルにはまだ娯楽が少ない。君の歌は恐らく、キエルで人気になるだろう」
いや、今後も人前で歌うつもりでいるわけではないのだが。
「ではリベルテ」
「はっ、はい! ウタ様をお部屋の方へ案内致します!」
双眸に純真無垢な輝きをまとわせていた少年リベルテが、こちらに向かって数歩進んできた。正面から顔を合わせる形になる。
「ウタ様、ご案内致します!」
「ありがとう」
……なのかしら。
私はもうずっとここで暮らしていくことになるの?
たどり着いたのは、狭い個室。
すぐ近くにあるパネルに特定の操作をすることで自動的に開くシステムの扉を通過すると、中へ入ることができた。
そう規模の大きくない宿の客室よりもこじんまりとした一室だ。
入って突き当たりには、一人用の簡易ベッド。右には灰色の扉。右には一辺一メートルもなさそうなテーブル。
「この扉は何?」
「そちらはお手洗いになっております!」
「便利ね」
「狭い部屋で申し訳ございません」
「いえ。ありがとう」
一応そう言いはしたが、お世辞にも良い環境とは言えない。ここにあるのは生活に最低限必要となるものだけだ。豪華さは微塵も感じられないし、娯楽もなさそうな雰囲気である。
「華のない部屋ですが、どうか、ゆっくりなさって下さいませ。……あ、何か飲む物をお持ちしますね?」
そんなことを言いながらリベルテは出ていった。扉は一瞬にして閉まる。私は薄暗い個室に閉じ込められる形となった。何から始めれば良いのか不明だ、取り敢えずベッドに腰掛けてみる。
「お待たせ致しました!」
十五分ほどが経っただろうか、元気な声が帰ってきた。
リベルテの手には陶器製のお盆。その上には、カップとソーサー、小ぶりのポットが乗っている。
「お茶をお持ち致しました、いかがでございましょうか」
「ありがとう……」
敬語をいくつも重ねるような口調が珍妙である。
翻訳の問題なのかもしれないが。
「こちらに置いておきますね!」
なぜか楽しげなリベルテは、持っていたお盆をテーブルの上にそっと置いてくれた。
既に甘い香りが漂ってくる。
「いい匂いね」
「安物ですが、ある程度のお味は保証致します」
リベルテは当たり前のようにポットを手に取ると、お茶をカップへ注ぎ込んでくれた。
こんなことを言っては怒られるかもしれないけれど、意外と上手い。いつもはいろんなことに興味津々の子どもというような印象なのに、お茶を注ぐ時だけは落ち着いている。
「主のお気に入りのお茶なのでございます。ですから、地球の方にも気に入っていただけるかと」
「そうなのね。楽しみだわ」
「もう飲んでいただけます! どうぞ!」
「ありがとう」
「では……飲んでいただいている間に。少し、お話を聞かせていただいても構いませんか?」