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奇跡の歌姫  作者: 四季
幸福の章
208/211

205話「カマカニの迎え」

 約束の日の朝、まだ外が明るくならないうちに、帝都の牢に一人の男性がやって来る。その人物は薄い生地のコートを着用していた。が、両の襟の間からはレースがあしらわれた丸めの襟と紺のリボンが覗いている。明らかに、首もとが男性のそれではない。


 男性は四角い帽子を被ったまま、牢の見張りに会釈。

 それから、厚みのある茶封筒を差し出す。

 その動作を目にした瞬間、見張りは察したようで。自然な手つきで茶封筒を受け取り、一本の鍵を渡して、訪問者を中へ入れた。


「来たっすよ。旦那ぁ」


 帽子を被りコートを着た男性——カマカニの手には、先ほど見張りから受け取った鍵。錆びかけた細い鍵が、暗闇の中で、電灯の光を不気味に照り返している。


「今日は約束の日かい」


 牢に入れられてだいぶになるビタリーは、「日付が思い出せない」とでも言いたげに手の甲で額を拭う。


「え。分からないんすか?」


 前もって指定していた日に訪問したのに妙なことを尋ねられたものだから、カマカニはきょとんとした顔をした。


「ここにはカレンダーも時計もない……」

「そ、そうすよね! 分かるすよぅ!」

「それで。本当に僕をここから出せそうなのかい」

「もちろんすよぅ」


 格子の一部分に四角いところがあり、その中央に小さな穴がある。名称で説明できないような形の穴だが、カマカニはそこが鍵穴なのだとすぐに理解した。というのも、見張りから渡された鍵の先の形と穴の形が似ていたのである。


「これで開けられるすよぅ」


 カマカニは鍵を穴に突っ込む。そして時計回りに回す。すると、ガチンと硬く重苦しい音が響いた。そして、格子の一部分が開く。


「開いたね」

「旦那ぁ。今からそっちも外すっすぅ」


 カマカニはビタリーの方へと歩いていく。

 十分に近づくと、床にしゃがみ、彼の手足を拘束しているものを外した。


「しばらく歩いていないんじゃ? 大丈夫そうすかぁ?」

「……試しに動いてみた方が良さそうだね」


 この牢に放り込まれてからというもの、ビタリーはほとんどの時間を座って過ごしてきた。食事の時には手を自由にしてもらえるが、完全に拘束が解かれるのは数日に一回の入浴の時だけだ。それゆえ、立つ歩くといった基礎的な動作にもあまり慣れていない。


 ようやく自由の身となったビタリーは、恐る恐る立ち上がる。


「どうすかぁ?」


 ビタリーは特に問題なく立てた。

 当然と言えば当然なのだが。


「問題なさそうだね」

「次は歩いてみるすか?」

「……そうだね」


 右足を動かす。一歩前へと踏み出した。バランスは整っている。不自然なことにはなっていないし、難なく歩けそうな雰囲気だ。


「どうすか? 旦那ぁ」

「問題なさそう、かな」

「良かったっすぅ! じゃ、出発できそうすねぇ」


 カマカニはコートの内側から虹色のレインコートのようなものを取り出す。そして、広げてからビタリーに差し出して、「これを羽織ってほしいっす!」と頼んだ。今から逃亡する者に差し出すものとは到底思えないようなレインコートを渡され、ビタリーは困惑したような顔をする。


「こ、これを着るのかい……?」

「そうす。よろしくお願いするすぅ」

「さすがにこれは……」

「取り敢えず着て! それだけが言いたいっす!」


 ビタリーは押し付けられる。

 非常に派手なレインボーカラーのレインコートを。


「わ、分かった分かった……着るよ……」


 できれば着たくない、というような顔をしていたビタリーも、押し付けられるとさすがに抵抗できない。拘束を解いてもらった恩があるからなおさら。


 結局、ビタリーは虹色のレインコートを着た。


 そして、カマカニと共に牢から脱出する。


「……朝日」


 裏口から牢を出た瞬間、ビタリーはそう漏らした。


 彼の瞳が捉えていたのは光。暁、その輝き。生命の芽生えと言っても過言ではないような明るさに、彼は感動しているようだった。


「旦那ぁ?」

「こんなに……美しかったかな」


 なぜ朝日が美しく見えるのか、ビタリー自身にも分からなかったようだ。

 きちんと見つめたことがなかったからなのか。それとも、旅立つ日だからなのか。理由は誰にも分からない。分かりようがないのだ。


 今日の朝日が美しい——確かなのは、それだけ。



 帝都を脱出したカマカニとビタリーは、とある港町へ向かう。


 二人がそこに到着した時、既に陽が昇り始めていた。

 時刻的にはまだ朝と言える時間帯だろう。けれども、皆が眠りから覚める前の時間ではない。市場には人が徐々に増えてきている頃だった。


「あなたが、ビタリーさん?」


 港町で二人を待っていたのは、カマカニの妻と十二人の子ども。


「……あ、あぁ」


 カマカニの妻は上品な女性だった。茶色い髪を肩甲骨辺りまで伸ばしていて、一本のカチューシャで前髪を完全に持ち上げている。


「話は夫から聞いています」


 家族愛を持つカマカニは、妻と子を残して他国へ行くことはできなかった。そこで、妻子もろとも出国することにしたのだ。それならビタリーを国外に連れていくことが可能だと考えて。


「そうかい。よろしく……よろしくお願いします」


 ビタリーはカマカニの妻との関わり方が掴めていない。どのように話せば良いのかさえ分からず、戸惑っている。喋り方も安定しない。


「ふふ。意外と初々しいお方ですね」

「そ、そうかな……」

「あぁ、気軽に話して下さいね。遠慮は必要ありませんので」

「……ありがとう」


 朝のまだ早い時間に、十五人で船に乗り込んだ。


 ビタリーは去る。

 生まれ育ったキエル帝国から。



 決して大きな規模の船ではなかったが一応客室はあった。ただし、カマカニたちが確保していたのは、客船のような個室ではない。十五人なので狭めの広間だ。ベッドもない。寝るための布団だけは存在しているけれど。


「ここで寝るのかい? カマカニ」

「そうすよぅ! あ、もしかして、こういう寝方は慣れてないっすか?」

「ベッドがないようだけど」

「布団を敷くんすよぅ! ほら、これを!」


 カマカニは部屋の端に置かれていた布団を片手で掴み上げる。何も知らないビタリーに、寝方を教えようとしていたのだ。


「布団を敷いて寝るのは、わたしの祖先がいた国の文化なんですよ」

「な、なるほど」


 十二人の子どもは室内を走り回っている。

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