179話「ウィクトルの見慣れない野菜への印象」
ビタリーの言葉を得たカマカニが現職の警備隊長のところへ赴く。カマカニが到着した時には既に、警備隊長の男のところにも、不満を言いに来た民衆が建物の外に溜まっていることは伝わっていた。ここのところ、建物の入り口には警備隊の者が一人二人常に待機している状態になっている。恐らくはその見張りの者が警備隊長に現状を報告したのだろう。それからカマカニは警備隊長を連れて皇帝の間へと戻るのだった。
「戻ったっすよぅ! 旦那ぁ!」
カマカニが入室してきた瞬間、ビタリーは顔つきを真剣なものに戻す。
その後、カマカニの後ろを歩いてきていた警備隊長も部屋に入ってきた。
「お呼びでしょうか」
「あぁ、来てくれてありがとう。助かったよ」
カマカニは何も言わないまま動作だけで警備隊長を導き、ビタリーの前へ立たせる。がっしりとした体型の警備隊長は、静かに一礼した。
「早速だけど、文句を言う輩が集まっているそうだね」
ビタリーは自ら話し始める。
その声は暗い雰囲気ではない。が、少々面倒臭そうな雰囲気をはらんでいた。
「はい。部下よりそう聞いておりました」
「騒がしいのは嫌いなんだ。彼らを追い払ってくれるかな? 頼めるかい?」
命令を受けた警備隊長は、暫し思考する。即座に承知することはできなかったようだ。普通なら「皇帝の命令を拒否することはできない。即座に返事せよ」とでも言われそうなものである。しかしビタリーはそんなことは言わず、警備隊長が頷くのを待っていた。
「はい。できる限りのことを致します」
長い思考の末、警備隊長は述べる。
それを聞いたビタリーは「良かったよ、拒まれなくて」と口の端を歪めた。
「それでは失礼します」
「あぁ。わざわざ呼んですまなかったね」
「いえ。呼ばれればいつでも参ります」
「助かるよ。頼りにしている」
警備隊長はゆっくりと一回礼をする。そして、くるりを体を反転させ、扉に向かって歩き出した。カマカニもまた、警備隊長に付き添おうと足を出す。が、それはビタリーに止められた。カマカニが足を踏み出した瞬間、ビタリーが「カマカニはここに残っておいてくれるかな」と言ったのだった。
やがて、警備隊長が皇帝の間から出ていくと、室内にはビタリーとカマカニだけが残った。
いつもの空気だ。
「ご苦労。カマカニ」
ビタリーはほんの僅かに頬を緩めながら労いの言葉をかける。
「ふぅー! 上手くいったすねぇ!」
カマカニは手の甲で額を拭くような動作をする。ただし、汗はかいていない。あくまで動作だけ。
「予定通り。順調、かな」
「ところで旦那ぁ。さっき拒否されたらどうするつもりだったんすかぁ?」
意外な問いに驚いた顔をするビタリー。
「どうしてそんなことを聞くんだい?」
「い、いや……何となくすよぅ。ただ、『良かったよ、拒まれなくて』と言った時の表情が、ちょっぴり怪しかったもんっすから」
皇帝の機嫌を損ねることは死に直結しかねない。そのため、何を言うにしても、様子を窺いつつ述べる必要がある。それは当然カマカニにだって当てはまる。
ビタリーがカマカニの首を落とすことはないだろう。
カマカニはビタリーにとって、唯一に近い親しい存在だから。
だからカマカニは、他の者に比べれば、まだ気楽にビタリーと言葉を交わすことができる。カマカニも、お世辞ばかり言うのではなく、時にははっきり意見を述べることもある。ビタリーもそれを基本的には受け入れる。
とはいえ、ビタリーが絶対怒らない保証はない。
そこは少し難しいところだろうか。
「拒否されたら、か。……考えてもみなかった、そんなことは」
「え。本当すか?」
「本当だよ。そんな嘘をついてどうするんだい」
「そ、そうすよね!」
◆
今日の晩御飯は、ホーション中央部の弁当屋で購入したお弁当。
リベルテが買い出しのついでに買ってきてくれたものだ。
真四角のトレイに、色々な食べ物が入っている。入っているのは、卵を四角く焼いて固めたものや肉料理、茹でた野菜など。色鮮やかなものが多く、真上から見ると子どもが描いた絵のようだ。
「リベルテ、これは何だ? 珍しいな」
透明な蓋を開けつつウィクトルは尋ねた。
だがそれにも理由がある。というのも、キエル帝国ではあまり見かけなかった物があったのだ。
「お弁当でございます!」
「……そうでなく。この野菜のことだ」
キエル帝国にいた頃も色々な食べ物を口にした。地球では食べたことがなかったような物もあり、帝国の食事文化はなかなか独特なものだった。が、そこで暮らしてきたウィクトルであっても正体が掴めない物体もあるらしい。
「その黄色の物体でございますか?」
「あぁ。そこそこ硬いが、水分は含まれているようだ。奇妙だ」
ウィクトルが示していたのは野菜炒めに入っている具の一つだった。厚みのある長方形に切られたもので、皮は濃い黄色。皮以外の身の部分はほんの少し透き通ったような黄色。フォークの先端で突くと多少は引っ込みはするが、汁が噴き出すことはない。
「それはパペリカでございますよ! 野菜の一種でございます」
リベルテはウィクトルの問いにさらりと答えた。
「パペリカ?」
聞き慣れない単語に、ウィクトルは怪訝な顔をする。
だがそれは私も同じだった。怪訝な顔になるところまではいかなかったけれど。ただ、パペリカという名称は私も聞いたことがない。
「はい! 赤とか黄色とか色々ございます」
「カラフルなのだな」
「はい! これは黄色のものでございますね。ぜひ食べてみて下さいませ」
「ほう……」
説明を受けてもまだウィクトルは怪訝な顔をしている。目にしたことのない物体を口に入れる気にはなれないようだ。とはいえ、それは分からないではない。私だって、見たことのない物体を積極的に口に突っ込むわけにはいかない。たとえそれが野菜だったとしても。
「ウタくんは食べたことがあるか? パペリカとやら」
「え。ないわよ」
地球にいた頃も野菜を口にすることはあった。だが、その中にパペリカというものは存在していなかった。透き通っていところは美しいと思うが、正体が謎で仕方ない。