171話「ウタのリンクする物語」
ホーションの郊外に位置する小劇場。
そこが、初回の公演の舞台となった。
客席の数は百ほど。小屋のような、隙間風の吹き込むその場所で、物語が始まる。
舞台袖に立つのは初めてではない。規模は違えど舞台袖は舞台袖だ、そういうところで待機した経験はある。が、今まで舞台袖に行く時というのは、歌を披露する直前だった。いつだって、そこにいる目的は「歌を聴いてもらうため」だったのだ。
けれど、今日は初めてそうでない。
もうじき始まるのは、歌ではなく物語——いまだに、そこに違和感を抱かずにはいられないのだが。
身にまとうのは、地味なワンピース。ベージュに近い白色のワンピースで、ところどころに汚れを思わせるペイントが施してある。そのため、泥で汚れた犬の体色のような色に仕上がっている。
ちなみに、これは、リベルテが短時間で制作してくれたものだ。
リベルテが作ってくれた衣装はこの一枚だけではない。もっと煌びやかで美しいものもある。が、個人的には、このワンピースが一番気に入っている。汚いようで慎ましい美を感じさせるデザインが見事だと思うのだ。
開幕三十秒前の鐘が鳴る。
ここに至るまで数多の苦労があった。ふとそんなことを思い出して、何とも言えない気分になる。
それから数秒、まだ暗い舞台へと歩き出す。
素足に床の冷たさを感じながら。
——気づいた時には、終わっていた。
予定通り進んだはずなので、経過した時間は恐らく一時間程度だろう。けれども、その時間を確かに感じることはできなくて。長いような、短いような、不思議な時間だった。
今はすべて終わり、拍手を浴びている。
一度何もかもを失った主人公は、その才によって光を取り戻し、輝かしい世界へと飛び立った。
ほんの少し前まで素人だった人間にしては、まだまともだった方ではないだろうか。動作での演技は正直上手いとは言えない内容だったかもしれないけれど。でも、ミソカニと共に積み上げてきたものは、ひとかけらくらいは表現できたはず。
舞台上には、朗読役のフリュイと私しかいない。
私は、客席にいるはずのウィクトルとリベルテを密かに探そうとしたが、人が多くて見つけられなかった。
「なかなか良い仕上がりだったわネ!」
小劇場での公演を終え、ミソカニは喜びの声を発する。
彼はとにかくこだわりが強い。舞台に関しては。きっといろんな舞台を見てきたのだろう、作品を作り出した直後から彼の脳内には出来上がった図が存在しているようだった。
その彼が納得してくれたというのは、大きな成果と言えるだろう。
「フリュイくん! さすがだったわネ!」
「いやいや、普通ですよ。あのくらい」
フリュイはテンションが低く、ミソカニに褒められてもあまり嬉しそうな顔をしない。ぼんやりした目つきであっさりとした返事を述べるだけだ。
とはいえ、彼の読み上げは見事なものだった。
朗読するのを耳にしたら、彼の印象が百八十度変わった。
「ホントニ!? プロフェッショナル感がスーパー漂ってたわヨ!?」
「そんなことないですよ」
「予想以上の出来だったワ! 最高ヨ!」
「褒めても何も出ませんけど」
小説の地の文にあたるような部分は静かに。重厚感を漂わせながら。
セリフは感情を込めて。ただし、演技臭くならないよう心掛けつつ。
そうやって読み進めるフリュイは、天才という単語の似合う人。朗読を本業にしないのだとしたらそれはなぜなのか、不思議で仕方ないくらいの能力を確かに持っている人だった。
「褒めても何も出なイ? 面白いことを言うわネ! 魅力が出てるじゃなイ!」
「はぁ……」
フリュイはとにかくテンションが低かった。しかも、早く帰りたいと訴えているかのような顔つきをしている。彼は人と関わることが好きでないのかもしれない、と考えたりしつつ、私はその場に身を置き続ける。
「ウタさん!」
「……は、はい」
話に入ることができる時なんて当分来ないだろう、と思っていたところだった。それだけに、咄嗟に反応することができず、曖昧な返事になってしまう。だが、ミソカニはそんなことはちっとも気にしていない様子だ。
「なーかなか良かったワ! 特に歌は完璧ネ!」
「ありがとうございます……」
歌は完璧。それはつまり、動作はいまいちということだろうか。——そんな風に捉えてしまうのは、私が根暗な人間だからなのか否か。
「魅了してたわヨ!」
「……動作はあまりかもしれませんが」
「ううん! 良かったと思うワ! ただ、もう少し詰められるところはありそうネ。ま、何事も一歩ずつだもノ。気にしなくて良いわヨ!」
ご機嫌なミソカニはウインクしてくれる。
動作の方もダメダメではなかったということだろうか? そうなら救われるのだけれど。
「最初の出てくるところは上手かったと思いますよ」
「同感だワ! 何もかも失って荒んだ感じが見事だったわネ!」
……喜んで良いのだろうか?
少々疑問はある。
ただ、良かった点が一つでも存在したなら、及第点は取れたと言っても問題ないかもしれない。
……何せ、動作は元々下手だから。
「あそこが得意なのは、やっぱり、経験したことがある状況だからかしラ?」
「えっと……その、自分でもよく分かりません」
「そうなのネ! ということは、自然とああなっているのかしラ。だとしたら、それは一つの才能だワ!」
才能なんて私にはない。けれど、薄暗い闇の中を絶望と共に歩く気持ちは、分からないでもない。雰囲気を出せていることに理由があるとしたら、きっと、未経験ではないことなのだろう。
唯一の肉親であった母親を亡くした時、私の中の時計は歪んで停止した。
冒頭の主人公もまた、すべてを失ったことに絶望して、時の流れのない道を歩く。
暗い幕開きに、私と主人公がリンクする。
「そうダ! 言っておかなくちゃならないわネ! この作品、次の公演もあるノ」
「え!? そうなんですか!?」
「そうなのヨ。一週間後、決まったノ」
「急すぎません!?」
想定外の話の展開についてゆけず、思わず気が抜けたような声を発してしまった。