162話「ビタリーの受け取る意見書」
皇帝の間には、ビタリーとシャルティエラの侍女、二人だけ。その前はビタリーとカマカニの二人きりだったわけだが、その時より空気は冷たくなりつつある。同じ二人きりであっても空気が違うのは、積極的に交流するタイプのカマカニと控えめで静かなシャルティエラの侍女では性格が大きく異なっているからなのだろう。
「シャロは僕の妻だからね、無理をしろと言う気はないよ」
ビタリーは不機嫌ではなかった。なので、対応も棘のあるものではなかった。もしこの話が不機嫌な時に行われていたとしたら、ビタリーの態度は百八十度違っていたかもしれない。
「復讐を諦めたのは、正直意外だったけどね」
「それは……同感です。シャロお嬢様は長い間両親の仇を討つため歩んできていた、それなのに、急に止められた。傍にいる者として驚きました」
侍女はシャルティエラのことを昔から知っている。ただのお嬢様だったシャルティエラが復讐心を抱き変わっていく過程も、近くで見守ってきたのだ。そして、シャルティエラが悲願を達成するために助力してきたこともまた、一つの事実である。
だからこそ、シャルティエラが復讐を諦めた際には驚きがあっただろう。
「正直、シャロお嬢様には復讐心など捨てていただきたかったのです。ただ、この思いが届くことはないだろうと、そう思っていました。しかし、あのウタという女性の言葉でお嬢様は変わった……」
侍女の言葉を聞いたビタリーは、微かな笑みを口もとに滲ませつつ「なるほどね」と述べる。
「そうだ。僕もまた近いうちに彼女に会いに行くよ」
ビタリーの発言に、侍女は驚いた顔をした。
目を開き、口を丸く開けて。かなり想定外だったのだろう。
「シャロお嬢様に、ですか?」
「あぁ、そうだよ。交流は少なくとも、夫婦ではあるからね」
「ですが、お忙しいのでは……」
「何だい? その言い方。まるで、僕が彼女に会いに行くのが嫌みたいじゃないか」
ビタリーの発する声が僅かに不機嫌に傾いたのを感じ取った侍女は、顔の筋肉を少しばかり強張らせる。表情に警戒心が滲み出てきた。
だがビタリーはそこに触れはしない。
侍女の心情の変化を確かに感じていたことは確かだろう。それでも、敢えてそこを掘り起こすことはしなかった。
「いえ。そのようなことは」
「……ふ。冗談だよ。気にすることはない」
ビタリーは、侍女に怒りの感情を向けることはしなかった。
「シャロの居場所について教えてもらえるかい?」
「それは……構いませんが」
「助かるよ。そうすれば会いに行ける」
その時、誰かが扉をノックした。
ビタリーとシャルティエラの侍女は同時にそちらへ視線を向ける。
「誰だい?」
扉は開けず、ビタリーは何者かを確認する行動に出る。
「国民からの不満の声をお届けに参りました」
ビタリーの確認に対して返ってきたのは、「何者か」ではなく「何の用か」への答えだった。つまり、厳密にはビタリーが発した問いへの答えではなかったのだ。ただ、それはあくまでほんの少しの小さな間違い。ビタリーは「答えになっていない」と突っ込むことはせず、さらに問いを放つ。
「どういうつもりだい? それは」
「書類があるのです。それと、お話も。どうか、聞いていただけませんか」
皇帝の間にいるビタリーと侍女は顔を見合わせる。視線が重なった数秒後、侍女は「そちらを優先して下さい。こちらのことは後で問題ありません」と落ち着いた声で述べた。ビタリーは若干悩んでいるようだったが、十秒ほどの思考の果てに、扉の向こう側にいる者に対して「入っていいよ」と入室許可を出した。
遠慮がちに扉は開き、現れたのは一人の少年。
十代後半に見えるどことなくあどけなさの残る顔立ちが印象的な男子。その手には、大量の書類。一枚一枚は薄いただの紙でも、枚数が増えるとかなりの厚みになるものだ。
「急にすみません! 意見書をお持ちしました」
話の邪魔にならないようにと配慮しての行動か、侍女はさりげなくその場から離れていく。その結果、少年とビタリーが向き合うような状態になる。
「意見書? 何が書かれている?」
「そうですね……例えば『貴方の愚かな作戦のせいで兄が無駄死にしました! 許せません!』というものがありますね!」
たくさんの意見書のうちの一枚を、少年はハキハキと読み上げた。
「他には『うちの畑を鳥が荒らしに来て困ります! 対策して下さい!』とか、『びたりーさんのおかあさんはびじんだとききましたが、ほんとうですか?』という子どもが書いたと思われるものなども、存在しています」
それを聞いたビタリーは、額に手を当てつつ溜め息を漏らしていた。
届いている意見書の内容が、あまりに統一感のないものだったからだろう。
「……はぁ。何だか滅茶苦茶な内容だね。もうちょっとまとめられないものかな」
「すみません! 先輩に言われてそのまま持ってきただけなのでよく分かってないです!」
意見書の束を持ってきた少年は、罪悪感など欠片ほども抱いていないような顔をしながら、はっきりと返した。
その言葉は嘘ではないのだろう。ただ、普通それなりに経験のある人間ならば、多少は「本当のことをはっきりとは言いづらい」と思いそうなものだ。けれど、少年にはそのような遠慮はなかった。躊躇せず本当のことを言ってしまえるのは、無垢であるがゆえだろうか。
「ま、いいよ。ご苦労。書類は渡していってくれるかな」
「はい!」
少年は生き生きとした足取りでビタリーに接近。やや雑めに一礼した後、分厚い紙の束を、直接ビタリーに手渡す。ビタリーは両手を差し出して紙束を受け取った。
「ではこれで失礼します!」
「また何かあれば」
「……は、はい! そうします!」
少年はそそくさと部屋から出ていく。その素早さといったら、かなりのものだった。
「終わったようですね」
「あぁ、そうだね。待たせてすまなかったね」
「いえ。気になさらないで下さい」