149話「ウタの安寧の祈り」
「ねぇ、ウタお姉ちゃん! 今日も歌ってくれるの?」
「えぇ。もちろんよ」
「今日はどんなお歌?」
「私が作った歌よ」
家からしばらく歩くことでたどり着ける、ホーションの中央部。
私は今そこにいる。
路上で子どもに話しかけられているところだ。
ファルシエラはキエル帝国領ではないが、そこに暮らす者たちが使用している言語はキエル帝国内で使用されている言語とほぼ一致している。一方、私が話しているのは地球の言語。
それなのに、なぜ意志疎通できているのか?
実は、先日、非常に便利な道具をリベルテが調達してくれたのだ。
それは小型のラジオのような形をした機械。片手で持てるサイズだが、それを使うことで、自動翻訳を行えるのだ。
もちろん、これまで私たちが使ってきた小型の自動翻訳機も、便利ではあった。かさばらないし、高性能だし。だが、難点が一つあったのだ。それは、着用している人一人しか翻訳効果を使えない点。
その難点を解決に導くよう作られているのが、このラジオ型翻訳機だ。
それを使うことによって、使用言語の違う人とも交流できるようになった。
「では今から歌います。もし興味があれば、聞いていって下さいねー」
今私がいるホーションの広場に集まっているのは、その多くが子どもだ。というのも、大人は色々な作業に駆り出されているのである。街の復興だとか、店の営業だとか、そういったいろんなことを大人はせねばならない。だから、広場で呑気に歌を聴こうとしている者というのは大概子どもたちなのである。
「まだ幼い頃に、いつも見上げてた、空はただ青く、透き通り」
でも、子ども相手というのも時には悪くない。
彼らはいつも、その無垢な表情や声で、私の心に癒やしを与えてくれる。
「私のこの心、希望で満たして、夢みせてくれた、空飛ぶ夢」
これまでしばらく、ウィクトルの近くでいろんな戦いを見てきたけれど、それはどれも美しいものではなかった。負けようが勝とうが同じ。血を散らす行為は、心を元気にしてはくれない。
だからもう、そんな痛みしかない世界には行きたくない。
今のように純真な子どもと向き合える世界にいる方が、ずっと幸せだ。
「けれどもね、大人になるにつれ、そんな夢はみれなくなった」
ここは天井がないから、晴れた日にしか歌えないけれど、それでもいい。何も求められず、何も強要されず、ただひたすらに生きていく。それが一番。
「忘れてしまっていったの……」
穏やかな暮らしこそが至高なのだと、今は分かる。
「現実は厳しく、夢との狭間に、立ち塞がっては、邪魔をする」
噴水の美しいこの街が、いつまでも穏やかでありますように。
私はただ、そう願いたい。
「それでも鳥は飛ぶ、白い羽広げ、いつか夢みてた、大空へ」
本当は戦う必要なんてない。誰も不幸を望んでなどいないのだから、皆で協力して穏やかにやっていくべきで。傷つけ合うことに意味なんてないのだ。
それでも、人は戦いと争いを止められない。
地球の歴史もそれらに満ちていた。この星の歴史もまた、決して、穢れなきものではなかった。結局、それが人の性なのだろう。己の意思のために他者を傷つけ、力で抑え込み、支配する——人という生き物がその鎖から解き放たれる時はまだ訪れない。
「荒んだ世界には、光などなくて、そこにあるものは、涙だけ」
ところで、ラジオ型翻訳機はきちんと動いているのだろうか。
ふと思った。
「悲しみと憎しみ、それだけはびこる、そんな時代など、変えてしまおう」
ラジオ型翻訳機が仕事してくれなければ、私の歌っているこの歌の歌詞は誰にも届かない。異星の言語の歌を聴くだけということになってしまう。それでは面白くないだろうし、理解不能の言語の歌を子どもたちに聞かせるというのは少々申し訳なくも思う。
「欲しいもの、何か一つ手にした瞬間、何か消えてしまうと知っていても」
高い空へ手を伸ばす。
ちょうどその時だ、半分壊れた噴水の脇にいた白い鳥が飛んだのは。
「世界が求むのは、悲劇ではなくて、きっと想像を越えた未来」
番の白い鳥は遥か彼方へと舞い上がる。
「だからこそ歌おう、幸せな歌を、この広い空に響かせて」
集中力が長続きしないことが大きな特徴、とも言える子どもたちだが、幸い今日はじっとこの歌を聴いてくれていた。
「遠きあの日に憧れたあの空は、手の届きそうな距離にあったのだけど、思っていたより遠くて……」
ワンフレーズが長い部分は、ぼんやりしていると酸素が足りなくなりそうでもある。
「闇はいつか消えて、空は晴れわたり、幸せな光、降り注ぐ」
長く伸びるようなフレーズから、静かなフレーズへと繋がり、やがて、最後のひとかたまりへと流れ込む。
「現実は厳しく、夢との狭間に、立ち塞がっては、邪魔をする」
私の歌はそろそろ終わりが近づいている。
終了まで子どもたちの集中力が保たれれば良いのだが。
「それでも鳥は飛ぶ、白い羽広げ、いつか夢みてた、大空へ」
ラストの音まで発し、無事歌が終わる。
歌い終えた時の気分はとにかく晴れやかだ。
その後、耳に入ってくるのは、子どもたちのあどけない拍手。音量は小さく、連続性も欠いていて、大人の拍手とは別物のようだが、懸命さが伝わってくるので貰えると嬉しい。
「ありがとうございました」
私は周囲の子どもたちに向けて礼をする。
温かい拍手を受け、全身が温もるのを感じた。
ホーションの人々は温かい人が多い。それゆえ、余所者の私のことも受け入れてくれ、異物扱いせずに歌も聴いてくれる。子どもたちはもちろんだが、心が広いのは大人もだ。大人も、勝手に歌っている私を見かけても嫌そうな顔はしない。そこに優しさを感じる。
「面白い歌だね!」
歌い終えてホッとしていると、一人の少女が声をかけてきた。
「そ、そう?」
面白い、と言われることは予想していなかったため、妙な返し方になってしまった。
「うん! 何だか懐かしい感じ!」
「懐かしい……そっか、ありがとう」
正直なところ『面白い』という評価は意外だった。でも『懐かしい』は嬉しい言葉だ。
「あれ? 何だか寂しそう?」
「え。そうかしら、普通よ」
「ホントに?」
「もちろん。寂しくなんてないわ、皆がいるから」




