143話「ウタの訴えの果て」
シャルティエラは黙る。一言も発することなく、こちらをじっと見ていた。その瞳に揺らぎはない。その目つきを見たら、彼女の決意を崩すことなんてできないのかもしれない、と思えてくる。それほどに静かな目をしている。
「そのような生温い言葉でわたくしの決意を崩せるつもりでいますの? なら、その考えは改めるべきですわ。残念ですけれど、そのような言葉、ちっとも響きませんの」
やがて口を開いた彼女は冷静だった。
決意もまだ揺らいではいない。
「誰が何と言おうが関係ない。わたくしの願いはわたくしだけのもの。たとえ理解されずとも、構いませんの」
一旦言葉を切り、数秒経ってから続ける。
「けれど、わたくし、貴女のことは嫌いではありませんわ。ウタ、貴女がわたくしたちを選んでくれたなら……良かったのに、と、思いはしますのよ」
長い文章を述べた後、彼女は改めて槍を構え直した。
その先端は容赦なくこちらを向いている。
このまま突撃してこられれば、抵抗する術を持たぬ私にできることはない。けれども、ここを退いたら、シャルティエラとウィクトルの戦いが再開してしまう。
「では、さようなら」
殴り捨てるように述べ、次の瞬間シャルティエラは突っ込んでくる。
異様な風を感じた。
——刹那。
「……っ!」
シャルティエラの槍とウィクトルの細い剣が目前で交わった。
ウィクトルは私と彼女の間に入ってくれたのだ。
それにしても、至近距離で両者がぶつかる迫力といったら、凄まじい。
「え」
「何をしている!」
「……ウィクトル、駄目よ、無意味な戦いは」
「いいから下がれ」
両者の武器はまだぶつかり合っている。
互いに一歩も引かない。それゆえ、硬直状態に陥ってしまっている。
「前に出るべきではない」
「でも……!」
「ウタくんの訴えこそ、無駄だ」
「そ、そんな言い方!」
「復讐心に呑まれた者には——何を言っても届かない」
どうしてそんなことを言うの。そう言おうとした。でも、ウィクトルの表情を目にしたら、何も言えなくなって。私は、口から出かけていた言葉を飲み込んだ。
復讐に駆られ生きる者を幾人も見てきたのであろうウィクトルが述べる言葉には説得力があった。
だが、だからといってどちらかの死を受け入れられるわけではない。
「ウィクトル! 貴方だけはこの手で!」
「一方的に恨まれても困る」
「黙ってくたばりなさい!」
「……断る」
冷ややかに言い放ち、ウィクトルは剣を振る。
硬直状態から抜け出すための一撃。
レイピアの先が、シャルティエラの脇腹を薙ぐ。
ウィクトルの攻撃によって右脇腹に傷を負ったシャルティエラは、片手で傷を押さえながら、数歩後退する。詰まるような息を小さく漏らし、顔をしかめている。
「お嬢様!」
シャルティエラに駆け寄るのは侍女。
無表情だった彼女の顔が始めて崩れた。
「シャロお嬢様、お怪我を」
「……下がっていて下さるかしら」
「しかし!」
「戦いはまだ終わっていませんわ!」
心配する侍女に対し、シャルティエラは厳しい態度を取る。
彼女の復讐心はまだ消えていない。傷を負ってもなお、黒い炎は胸の内で燃えたぎっている。
「終わりませんのよ……あの男の首を取るまでは」
シャルティエラはシーグリーンの瞳でウィクトルを睨む。
そんな彼女に向けて、侍女は述べる。
「もう止めましょう、お嬢様」
いきなり制止するようなことを言われ、シャルティエラは言葉を失う。愕然としたような目で侍女を見ていた。反対するようなことを言われたことに驚きを隠せなかったのだろう。
「貴女まで……貴女まで、わたくしの復讐を邪魔するんですの……?」
「お嬢様まで命を落としては、何にもなりません」
「なんてこと! 貴女のことだけは信じていましたのに!」
シャルティエラは声を荒らげる。
彼女は泣き出しそうだった。
付き合いが長く、最も信頼している部下でもある侍女に反対意見を言われ、心が保てなくなってしまったのかもしれない。
「シャロお嬢様の身を大切に思っているからこそ、です」
「大人しくしていて!」
「いいえ。もはや黙って見ていることはできません。聞いて下さい、シャロお嬢様。貴女が傷つくことで一番悲しむのは、ご両親なのですよ」
侍女はシャルティエラを大切に思っている。それは伝わってきた。
でも、大切に思っているならなおさら、なぜもっと早い段階で止めなかったのだろう。
侍女には侍女の立場があったのだろうから、彼女を責めるというのは筋違いだが、「彼女がもう少し早くシャルティエラを制止していれば」と思わずにはいられない。
無論、共に復讐の道を行くなら、それは構わない。それもまた一つの選択だから。だが、今になって止めようとするのなら、もっと早く止めていれば良かったのだ。そうすれば、シャルティエラの人生も変わっただろうに。
ただ、今は侍女に乗らせてもらおう。
「その方の言う通りです。シャロさんはこんなことを続けるべきではない」
「ウタ……」
「二度目になりますが、それでも言わせて下さい。今あるものを大切にすべきだと」
ウィクトルはレイピアを構えたまま「まだ説得するのか?」と言いおかしなものを見たような顔をする。
そんな顔をされるのを不快だと言う気はない。
なんせ、私にだってよく分からないのだ——なぜここまで説得しようとしてしまうのか。
「シャロさん、もう戦いは止めましょう。貴女には貴女の命を大切に思う人がいるのです。だからこそ、その身を大切にしなければなりません。貴女が傷つくことを悲しむ人は、間違いなく存在するのですから」
私の発言を最後に、静寂が訪れる。
やがて、何一つ音のない世界の中に、一つの音が生まれた。それは、シャルティエラが槍を落とす音だった。俯いた彼女は、一言も発さぬまま、じっとしている。
「……殺しなさい」
長い沈黙の果て、彼女の口から出たのはそんな言葉だった。
傍にいた侍女は信じられないような顔でシャルティエラを見つめている。
「敵討ちも成せず生き延びることに……意味などありませんわ……」