142話「シャルティエラの復讐」
一旦、外へ出ることになった。
気が遠のくほど長期にわたって降り続いていた雨が止んだ。空を埋め尽くしていた灰色が押し流され、徐々に青緑の部分が露わになる。運命の瞬間を彩ろうとしてくれているかのようだ。
ほんの少し、地上に光が射し込む。
自然が雰囲気を演出してくれるその下で、シャルティエラとウィクトルは対峙することとなった。
シャルティエラの傍には侍女が、ウィクトルの傍にはリベルテが、それぞれ待機している。が、それらの二人は、今から始まる決闘に手を出す気はないようだ。特に武装はせず、ただ、決闘の行方を静かに見守っている。
対峙する二人は、両者共に、静寂のような表情で大地に立つ。
シャルティエラは槍を。
ウィクトルはレイピアを。
それぞれ手にしながら、向き合い、様子を窺い合う。
「貴方の命はわたくしの手で。それが夢でしたの」
瞼を一度そっと閉じ、数秒後、再びゆっくりと開く。
「貴方個人に恨みがあるわけではないのですけれど、でも、フリント人である貴方が生きている限り、わたくしに安らぎの時は訪れませんわ」
ウィクトルは何も返さなかった。
無言のまま、目の前の復讐に燃える娘をじっと見ている。
「だから、ここで殺してしまいますの!」
シャルティエラは直進を選択。ウィクトルとの距離を一気に詰める。彼女の槍はウィクトルの剣より長い。それゆえ、攻撃可能範囲も彼女の方が広い。どうやら彼女は、攻撃できて反撃されないぎりぎりのところまで接近するつもりのようだ。
槍の大振り。一撃目をウィクトルはあっさりと回避した。
彼は軽く飛び跳ねるようにして一歩半分ほど交代。右手に持っているレイピアの先端をシャルティエラへ向け、間合いを詰められ過ぎないよう牽制する。
だがシャルティエラは動きを止めない。
両手を使って、女性には重いであろう長槍を回転させ、流れるような連続攻撃を繰り出す。
槍を回転させる攻撃にはウィクトルはまともに応対しない。彼は、槍の尖った先を食らわぬよう少しずつ後退しもって、反撃に出る機会を探る。
「ウィクトル……」
シャルティエラと一対一で交戦するウィクトルの背を見つめていたら、無意識のうちにそんな声が漏れてしまっていた。
「ウタ様、どうか心配なさらないで下さい」
「あ。ごめんなさい、気を遣わせてしまったわね」
「主は決して弱い方ではございません」
「そうよね……励ましてくれてありがとう、リベルテ」
私の心を気にかけてくれる親切なリベルテと言葉を交わしているうちに、シャルティエラとウィクトルの戦いは益々激しくなってきていた。
シャルティエラはお淑やかなお嬢様だと思い込んでいたけれど、どうやらそれだけではないようだ。その容姿や言動には品があるが、抱えている闇は大きく、ただのお嬢様ではない。
姿はお嬢様であっても、心は戦士——そんなことをふと思ったりした。
「過去も! 記憶も! すべてここで断ち切ってみせますわ!」
「感情に飲まれるな」
「おだまりなさい! フリントの悪魔!」
「冷静さを欠けば死ぬ」
見ていて思ったのは、二人の戦い方は正反対だということ。
いや、正しくは『戦闘中の精神状態』かもしれないが。
シャルティエラは感情の高ぶりを力に変えるタイプ。
憎しみ、敵を仕留めることへの執念、そういった背負っているものを力とし、その爆発力によって身体能力以上の力を出す。いわば、感情の波のうねりを起爆剤としているのだ。
ウィクトルは逆に感情を消し去ってしまうタイプ。
脳内を掻き乱すものを極力排除し、戦いのための一挙一動に全神経を集中させる。見えるもの、聞こえるもの、それらから今最も相応しい動き方を導き出し、確実に動くという形。
「……っ!」
刹那、誰かが詰まるような声を漏らした。
一瞬どちらの声か判断できなかったが、声の主は、どうやらシャルティエラのようだ。
どうやら、ウィクトルが槍に対して蹴りを入れたらしい。
シャルティエラは柄で防御したが、衝撃の大きさによってバランスを崩してしまっている。
そこへ、ウィクトルの剣技が命中。
もちろんシャルティエラも反応しなかったわけではない。が、突き出されたレイピアをよけきれず、彼女は鎖骨の辺りに傷を負った。
だが、彼女は下がらない。
その場で大きく一歩踏み込み、力任せに槍を振る。
今度は槍がウィクトルの左肩を掠めた。
「さすがに……大人しく死んではくれませんわね……」
「殺られる気はない」
互いに一撃ずつ入ったところで、二人の距離が開く。
体勢を立て直す間だ。
「シャロさん!」
聞いてもらえるとしたら今。
思いきって口を開く。
「お願いです! もう戦うのは止めて下さい!」
どんな言葉も彼女には届かないのだろうけど、それでも黙っていたくはない。可能性がゼロでないなら、私は行動する。
「こんな殺し合いに意味はありません!」
ウィクトルの前にまで足を進め、思いを述べてみることにした。
「ウタくん、何を……?」
「お願いです。シャロさん、もう止めて下さい。こんなことしても、傷つくだけです」
シャルティエラは肩で息をしているが、それでも戦いを止める気はないようで、はっきりと「いいえ。もはやわたくしを止めることなどできませんわ」と返してきた。彼女の決意は鋼鉄よりも固い。
「復讐のために生きるなんて、苦しいだけでしょう!」
「……邪魔をしないでほしいですわ」
「ご両親を失ったことが辛かったのは分かります。でも、ウィクトルを殺したからといって、何かが変わるわけではありません。ご両親が戻ってくるわけでもない。残るのは空しさだけです」
するとシャルティエラは不快そうに俯いて、「知ったような口を……」と愚痴のように呟いた。
彼女の言うこともあながち間違いではないのかもしれない。
胸の痛みなんて、本人以外には分かりようのないことだから。
「シャロさんはもっと、今在るものに目を向けるべきです」
「ふざけないで! 何も知らないくせに!」
「えぇ、私には貴女の苦しみは分かりません。それは貴女だけのものだから。けれども、大切な人を失った経験なら、私にもあります」
間を空けて、続ける。
「だからこそ言っているのです。失ったものに目を向けるのではなく、まだ失われていないものに目を向けた方が、人は幸せになるのだと」