141話「ウィクトルの望まぬ争い」
何の前触れもなく、ウィクトルは扉を開け放った。
視界に入ったのはリベルテと彼に絡んでいる男。二人とも、扉が開くや否や、こちらへ目を向けた。唐突に扉が開いたことに戸惑いと驚きを抱えているようだ。そんな顔をしている。
「こんなところで、何をしている」
ウィクトルは男に冷ややかな視線を向けつつ述べた。
「テメェ! まさかあの黒い男か!」
「……心当たりは、ないが」
リベルテに掴みかかっていた男は、彼の服から手を離し、攻撃対象をウィクトルに切り替える。殺すことすら厭わない、というような勢いで、こちらへ進んでくる。一歩一歩が大きい。
「来てもらうぞ!」
男が片腕を伸ばした——刹那、ウィクトルはその手首を握り投げ技をかけた。
手首を起点に男の体は宙を舞う。そして、背中から床に落ちた。素人であっても見ただけで「痛かっただろうな」と想像できるような落ち方。予想通り、投げ落とされた男は呻く。掴まれていない方の手で腰から背にかけてを摩り、目を苦痛に細めている。
「なっ……何者だ! いきなり投げやがって!」
「騒ぐな」
ウィクトルは片腕を強く握ったまま、男の足を踏み付け押さえる。
「テメェ! ふざけんなよ! 暴力に訴えやがって!」
「先に手を出したのはそちらではないのか」
男は威勢が良いだけで、戦闘能力自体はそれほど高くないようだ。
腕力もウィクトルが抑え込める程度。
「うるさいッ!!」
抵抗する術を失った男は、臭そうな口を大きく開け、ウィクトルの手に噛み付こうとした。だが、ウィクトルの反応の方が一瞬早い。彼は腕を掴んでいるのとは違う方の手で男の首を握った。首を固定されてはみ付けない。男は今度こそ本当に為す術を失った。
「所属は」
「言うわけねぇだろ!」
リベルテは慕う主人に不安げな眼差しを向けている。ただし、ウィクトルの方に意識を完全に奪われてしまうのではなく、時折扉の外へも意識を向けていた。周囲への警戒を怠らない辺り、凡人ではない、と思わせてくれる。
「キエル帝国の者か」
「はぁ!? 何で答えなくちゃなんねーんだ!」
「理由など必要ない。答えろと言っている。でなければ……」
ウィクトルは目を細め、首を握る手に力を込める。
瞬間、男は慌てた様子で「待て! 待ってくれ!」と大きな声を発した。
「キエル帝国軍! キエル帝国軍の民間人部隊に所属してんだよ!」
所属を吐いた男の瞳は、既に、恐怖の色に染め上げられていた。彼は「答えるから殺さないでくれ」とでも言いたげな顔をしながら、無表情なウィクトルを凝視している。
「……民間人部隊?」
「そ、そうだ! 志願者を集めた、寄せ集め部隊!」
ウィクトルはまだ男を自由にしない。
怪訝な顔をしつつ、問いを重ねる。
「最近編成された部隊だな?」
「あぁ! そう、その通りだ! 頼む、もう、離してくれぇ」
刹那、別の男性が開いていた扉を通過してきた。
リベルテは警戒心を剥き出しにして立ち塞がる。
「何がどうなってる!?」
ウィクトルに素手でねじ伏せられている男を見て、今現れたばかりの男性は愕然とする。
「おぅーい、助けてくれぇー」
「なっ……!」
「頼む、救出してくれぇー」
「すぐに報告を……!」
「うぉーい、助けてはくれないのかー」
男性はすぐに進行方向を変え、家から出ていった。ウィクトルが拘束している男は放置。ただ切り捨てられたのか、また迎えに来るのか、そこははっきりしない。ただ、いずれにせよ、次の波が迫ってくることは確かだ。それまでに対処を考えなくては。
……なんて考えていたのだが、それは呑気過ぎる考えだった。
ものの数分で現れたのだ——シャルティエラが。
「お久しぶり、ですわね」
玄関口に立っていたのは、長い槍を手にしたシャルティエラ。
その少し後ろには、以前目にしたことがある、侍女の姿があった。
ウィクトルへの復讐に心を燃やすシャルティエラも脅威ではあるが、侍女は侍女で恐ろしさがある。というのも、彼女は表情から心理状態を読み取れないのだ。冷静沈着と言うにしても、あまりに表情がない。彼女は、実はロボットなのではと思えてくるような機械的な顔つきをしている。
「どこに逃げたのかと思ったら……こんなところまで来ていましたのね」
「……シャルティエラ」
リベルテは何も発さないが、狼狽えていることが丸分かりな動作を繰り返していた。
「決着をつけにわざわざ来たのか」
「えぇ。わたくしのターゲット、残るは貴方一人ですもの」
まるでウィクトル以外にもターゲットがいたかのような言い方だ。もしかしたら、敢えて直接的な述べ方はせずほのめかしているのかもしれない。
「私には戦う気はない」
「では、大人しく死んで下さる?」
「断る。それはできない」
「ですわよね。なら、たとえ貴方が望まずとも、戦わぬわけにはいきませんわ」
前回シャルティエラに会ったのは、イヴァンに逆らい脱走しているその最中で。あの時の私たちは帝国領内から逃げ出すことに必死で、シャルティエラの相手をする余裕なんてなかった。倒す倒さないの問題ではなかったのだ。上手くかわせれば、それで良かった。
「待って下さい! シャロさん」
でも、今はあの時とは状況が違う。
ここまま話が進めば、恐らく、戦いは避けられない。
「……久しいですわね」
シャルティエラは私を一瞥する。
「ウィクトルを殺すのは止めて下さい!」
「残念ながら無理ですわ」
「戦いは何も生みません! こんな無意味なこと、止めて下さい」
戦いの運命を変えたくて、私は言葉を発した。けれども、その言葉は、シャルティエラの心には微塵も響かない。彼女はもはや、他者の意見を聞き入れられるような段階ではなかったのかもしれない。今や彼女は己の目的しか見ていないのだ。
「ウィクトル、外へ出なさい。そして、決着をつけましょう」
ウィクトルのことは護らねばならない。でも、個人的には、シャルティエラのことも嫌いではない。彼女は本当は悪人ではない、そのはずなのだ。彼女は復讐心に心を穢されているだけ。それさえ消し去れば、きっと、本当の優しさが溢れてくるはず。
「本当に、やるつもりなのだな」
「えぇ。当然ですわ」
無意味なことだ、ウィクトルとシャルティエラが殺し合うなんて。
「そうか……ならば仕方ない。受けよう」
「安心しましたわ。では外へ」
結局私には何もできないのだろうか。
力を持たない私に、戦いを止めることはできないのだろうか。
……否、それは違う。
良い身分も腕力もないけれど、だからといって何も成せないわけではないはず。少なくとも、私はそう信じている。それに、貧しさの中に生まれながら偉人と呼ばれるに至った人だっているのだから、私にだって何か一つくらい成せるだろう。