126話「ウタの大切な人のための歌」
侵入者騒ぎは終わり、私は再び床につく。アナシエアは去っていって、ウィクトルはまだ眠っている——そんな静かな状況だから、私はさほど苦労することなく眠りにつくことができた。
そして、次に目覚めると朝。
日差しは射し込まない場所だが、皆が活動を始めている様子からそれを理解した。
「起きたか、ウタくん」
「あ。ウィクトルはもう起きてたのね」
途中で起きなかったからか、ウィクトルは既に体を縦にしていた。意識もはっきりしている。
一方、私はまだ眠い。
再び寝たにもかかわらず、ほぼ寝られなかったかのような眠さがある。
「あぁ」
「そうだ! 昨夜リベルテが来たのよ」
「……なに?」
昨夜のことを思い出して述べると、ウィクトルは怪訝な顔をした。
「リベルテが……?」
「そうなの!」
私はその一件について説明する。
夜中に侵入者があったこと。その侵入者がリベルテであったこと。そして、リベルテは死罪を何とか免れ、牢へ連れて行かれたということ。
「そうか、そんなことが……しかし思いきったな。ここへ侵入するとは。しかも、一人で」
私の説明を聞いたウィクトルは、驚きに満ちた表情で感想を呟く。らしくなく、目を大きく開いていた。
だが、驚くのも無理はあるまい。
自分が眠っている間に色々なことが起こっていたら、誰だって驚く——それは当たり前の反応だ。
「リベルテも帝国を脱出できたのなら良かった。それは喜ぶべきことだろう。だがしかし、牢へ連れて行かれたというのが引っかかる。何もされていなければ良いのだが」
ウィクトルが言うことも頷ける。
リベルテは可愛らしい容姿であっても男性だ、性的な意味での危険性はないだろう。しかし、だからといって「絶対に安全」という保証があるわけではない。ラブブラブブラブラ族の者たちを疑うわけではないけれど、暴力的なことをされる可能性がゼロでない以上、完全に安心することはできないと言えるだろう。
「それにしても……会えず残念だ。帝国の様子を少し聞いてみたいと考えていたのだが」
「私が聞けば良かったわね、ごめんなさい」
「いや、君が気にすることはない。私が起きられなかったことが問題だっただけだ」
彼の代わりに何か一つでも尋ねられれば良かった。そうすれば、少しでも帝国の現状に関する情報が得られたかもしれなかったのだ。せっかくの機会を逃してしまった。
「リベルテのことだ、上手くやっていずれ解放されるだろう。話はそれから聞けば良い」
「信頼しているのね」
「あぁ。リベルテは器用な男だ、大抵自力で上手くやる」
「……そうね」
リベルテが器用な質であることは、私もよく知っている。
彼はとにかく愛想良く、丁寧で、素朴な可愛らしさがある人間。それゆえ、皆から嫌われるような質の人間ではない。
でも、その器用さがラブブラブブラブラ族に通用するかどうかは不明。独特の文化を持つラブブラブブラブラ族が相手だ、一筋縄ではいかない確率も高い。
それから三日ほど、リベルテには会えなかった。
私とウィクトルはそれまでと変わらない生活。果物を食べ、水を飲み、風呂に入って。そうやって静かな時間を過ごす。朝にはアナシエアに誘われて体操会に参加することもあったが、それ以外のほとんどの時間はウィクトルと二人で過ごした。
正直、ここまでずっと二人で過ごすことになるとは思わなかった。
彼と共に穏やかな暮らしをしたい——そういう思いはあったから、今の状況は、ある意味では願いが叶ったとも言える。
けれど、思っていた以上に二人きりだ。
ここまでずっと二人だと、話題も段々なくなってくる。
「リベルテ……大丈夫かしら……」
「心配してくれているのか?」
「えぇ。って、この話、もう五回以上したわね」
「そうだな。だが仕方あるまい。話すことがないのだから、同じ話になってしまうのも仕方のないことだろう」
リベルテはいつか解放されるだろうか?
今のところ動きはないが、本当に、いずれは自由の身になれるのだろうか?
彼が解放されて合流してくれれば、私たちの生きる時は再び動き出すだろう。これといった根拠はないが、私はそんな気がしている。彼の手を借りれば、ここを出て、もっと自由な形で生きてゆけるかもしれない。
「そうだ、ウタくん。歌を聴かせてくれないか」
リベルテのことについて一人ぼんやりと考えていたら、ウィクトルがそんな言葉をかけてきた。
「え、えぇ。構わないけれど……今ここで?」
「可能ならば頼みたい。君の歌が聴きたくなってきた」
歌か。それも悪くないかもしれない。
何もすることのないこのような環境の下では、することを自ら生み出さなくては退屈で死んでしまいそうだ。暇過ぎて命を落とす、なんて病は聞いたことがないけれど、静寂と退屈の中ではころりと逝ってしまいそうな気すらする。
「分かったわ」
「頼もう」
「そうね、じゃあ……最初から」
もう二度と、あの明るい舞台の上に立つことはないかもしれない。人々の前で歌い、賞賛の雨を浴びることも、叶わないかもしれない。あれらはイヴァンの下にいたからこそ可能だったこと。イヴァンに従わず、道を外れた私には、あそこはきっと、もう戻れない場所。
だが、それで私の中の歌が消えるわけではない。
生きていれば歌える。必要としてくれる者が一人いれば、なおさら良い。
豪華な舞台も派手な衣装も、本当は必要ないのだ。それらはあくまで外観を良くするためのものであって、歌を磨き上げるものではないから。
「響く歌、遠くから聴こえてくる、希望の声」
そこまで歌った時、ウィクトルが驚いたように口を挟んでくる。
「そっちか」
気に入らなかっただろうか? と少し不安に。
「……嫌?」
「いや、そんなことはない。少し意外だっただけだ」
「そう……なら良いのだけれど」
この歌こそ、私を表す歌。
そして、その歌はまた、母親との記憶でもある。
「何にせよ君の歌は見事だからな」
「……ありがとう、ウィクトル」
もう客はいない。舞台も客席もなくて、視界に入るのは石や岩のみ。
それでも私は歌う。
この歌を必要としてくれる人のため。
そして、大切な人のために。