10話「ウタの伝説」
舞台袖は暗闇。幕の隙間からこぼれる微かな光だけが、視界を照らしてくれる。が、それ以外に光らしきものはほとんどなく、ほぼ何も見えない状態に近い。
今、私のいくつ前の順番の人が舞台に出ているのか、それすら見当がつかない。
でも出番が近づいてきていることは確かだ。
独特の緊張感が支配するこの場所で、私は何をすれば良いのだろう。そんなことを考えてみるけれど、答えは出ない。
思えば、この国へ来てからは、ほとんどの時間誰かが近くにいてくれていた。ウィクトルだったり、リベルテだったり、フーシェだったり、人は変わっていたけれど、いつも誰かが傍にいてくれていたように感じる。
しかし、今は一人。
係の人は付近を彷徨いているものの、私についていてくれているわけではない。
緊張感に加え、襲い来る孤独。
どう対処すべきなのかも分からず、ただじっと佇むことしかできない。
「それでは、舞台へどうぞ」
流れていた曲が終わった。舞台は暗転。その瞬間、係の人が声をかけてくれた。
ついに出番。
「ありがとうございます」
お互いの顔つきも見えぬような闇の中、私は笑顔で係の人に礼を述べる。
そして、舞台へと歩み出す。
舞台上に一人立つ。ライトがつく。網膜まで焼くような光が降り注ぐ。
『本日最後の出場者は、地球出身の歌姫ウタさんです』
整然と並んだ客席には多くの人が座っていて、皆、こちらを熱心に見つめている。たくさんの視線が一斉にこちらへ向かってきていることに戸惑いながらも、私は「落ち着け」と己に言い聞かせる。
誰も私を知らない。
期待もしていない。
それはある意味幸運なことだ、期待外れだったと責められることはないのだから。
私はあくまで幼鳥。まだ誰も知らず、好きとも嫌いとも思われていない。しかし、だからこそ、どんな姿にも成れるのだ。好きな翼を選び身につけ、好きな空を自由に飛べる。
簡単な紹介の後、静寂が訪れる。
曲をかけながら歌っている者もいたようだが、私が歌う曲の音源はない。母親に習った歌だから。そのため、曲をかけつつ歌唱することはできない。
静寂を揺らすのは、私の声だけ。
でもそれでいい。
緊張は既に峠を越えた。
大丈夫、歌える。
出場した者全員が舞台上に並ぶ。結果発表を待っているのである。
聞いた話によれば、審査員数名による評価と観客の投票により結果は決まるらしい。ちなみに、観客の投票一票よりかは審査員一名の評価の方が、持つ力は大きいみたいだ。だが観客は数が多い。それゆえ、観客に人気があれば、審査員による評価がそれなりでも、上位に食い込むことは可能だとか。
『それでは、結果発表です!』
客席がざわめく。
『努力賞! プリチータ・マチアン、パパス、マキコ!』
またもや客席がざわめく。
『優秀賞! パパピタ・ポポポ!』
客席のざわめきがさらに膨らむ。場内の盛り上がりは最高潮に達しつつある。
『そして、最優秀賞……ウタ!』
湧き上がる歓声。
しかし私は「え」としか発せない。
『入賞なさった方々、おめでとうございます! 今から表彰を開始します!』
努力賞の三人がまず前へ出る。
パパスは踊り子のようなイメージのセクシーな紫の衣装。マキコは腰より下まで伸びた長い金髪が美しい中年女性。そして、プリチータ・マチアンは、途中でぶつかってしみった際に嫌みを言ってきた女性だった。
努力賞三名の表彰が終わると、優秀賞の表彰に移る。
優秀賞に選ばれたのは、パパピタ・ポポポ。
頭の上に大樹のような飾りを乗せ、元の顔が分からぬほど濃い化粧を施した、白人風の女性だ。年齢は四十代くらいかと思われる。派手なピンクのドレスに包まれた肉感的な体が逞しい。
『では。最優秀賞のウタさん、前へどうぞ!』
言われるままに列の前へ進む。
すると、審査員のうちの一人が、大きなトロフィーを運んできてくれているのが視界に入った。
「おめでとう。素晴らしかったよ」
「あ……ありがとう、ございます……」
黄金に輝く高さ五十センチはありそうなトロフィーを渡される。私は両手でそれを受け取り、その重みに驚く。精神的な重みという表現ではない、物理的な意味だ。持ち上げられないほどではないが、重かった。
「さすがだ、ウタくん。見事だった」
最優秀賞を貰い、楽屋へ戻ると、ウィクトルが祝福してくれた。
「これで君も勝者だな」
「まだ……実感が湧かないわ」
全力で歌おうとは決意していたけれど、賞に入るのは不可能だと思っていた。それなのにこの結果。戸惑わずにいられるわけがない。
「飛び込み出場で最優秀賞。皆驚いたことだろう」
「そ、そうかしら……」
「間違いない。素晴らしい成果だ」
成果って。言い方。
でも、ウィクトルはウィクトルなりに喜んでくれているということなのだろう。
「おめでとうございますっ! ウタ様!」
流れのままに最優秀賞をいただき、『歌姫祭』は終了した。
まだ理解が追いつかないまま、私とウィクトルは楽屋を出て。建物の外でリベルテたちと合流する。
「……やっと終わった」
お祝いしてくれるリベルテとは対照的に、フーシェは渋い顔。
任務でもないことに長時間拘束されて疲れたのかもしれない。
「コラ! フーシェ! そのようなことを言ってはなりません」
「……本心」
「本心でも駄目です!」
躊躇いなく本心を漏らすフーシェを、リベルテは注意していた。
「しかしウタ様、素晴らしい歌でございましたね」
「そう言ってもらえると救われるわ」
「異星からやって来た歌姫。これから人気になりそうでございますね」