腕章ゲットだぜ!
それから五日かけ、レベルを6まであげた。
発煙筒やガスマスクが貸し出されるようになったが、特典はそれだけではない。貸し出される装備数は、レベルごとにひとつずつ増えてゆく。だからいまの俺たちは六個まで装備をレンタルできるというわけだ。
そのほとんどは予備マガジンに当てられるのだが。
とはいえ、レベルを上げるのもそろそろ限界だろう。
次のレベルに要求されるポイントは100。マネキン一体あたり1ポイントしか稼げないし、クイーンでも10ポイントだ。まともにやっていたら、レベルをあげている間に期日を迎える。
だから今日は計画を変えた。
例の巣をさらって腕章を回収する。
マジックハンドは貸し出していないようだったから、トイレの掃除用具入れからゴム手袋を拝借した。マスクの代わりにタオルも。
ホテルの備品はレベルに関係なく持ち込める。あくまで衣服ということにして。これは運営も容認している。
というわけで、朝からフルメンバーでダンジョンへ踏み込んだ。
右担当のリーダーが俺、左が白坂太一、控えが円陣薫子。これをローテーションで回す。
入ってすぐのところを三体ほどがうろついていたので、俺たちは三点バーストで撃ち殺した。弾数に余裕が出てきたので、節約するのはヤメた。見つけたらみんなで撃つ。弾をケチって死ぬより何倍もマシだ。
見慣れたオレンジ色のダンジョンを進む。
ここへ来てまだ二週間と少しだが、もう何年も過ごしたような気がする。あまりにいろいろなことが起きたせいで、記憶が濃縮されているせいかもしれない。
殺戮に躊躇がなくなっていた。
そいつがヒトかどうかなんて、いまはどうでもいい。とにかくマネキンを殺して俺たちが生き延びる。それ以上に大事なことはない。
やがて地下三階サブ通路へ到達し、腐臭のキツい巣までやってきた。
マネキンどもの姿はない。だが匂いは相変わらずだ。とんでもなくツンと来る。タオルなんかじゃ防げない。素直にガスマスクを借りるんだった。
「じゃあ俺が探るから、ふたりは周囲の警戒をお願い」
そう告げると、彼らは気の毒そうな顔でうなずいた。
俺だって自分からこんな作業を志願したわけではない。じゃんけんで負けたのだ。あんな運頼みの選出方法はクソとしか言いようがない。もし神がいるならぶち殺してやりたい。
通路の一区画に、まるまるヘドロが堆積しているような状況だ。
そこには……詳述したくないが、まあとにかくいろいろなものが埋まっていた。人骨などまだマシなほうだ。きっとこのヘドロは腐肉ではなく、おもにマネキンどもの排泄物なのだろう。匂いがキツいだけでなく、目まで染みる。
ゴム手袋を突っ込んでまさぐっていると、パーカー男が握っていたと思われる拳銃も見つかった。が、俺はそっと脇へ置いた。運営だって、こんなの返却されても困るだけだろう。俺も彼らを怒らせたくはない。
腕章は三個も見つかった。
パーカー男と、あと二名の犠牲者のものだろうか。つまりは中年男以外のすべてが見つかったことになる。
「凄いぞ……三個も……大収穫だ……帰ろう……」
俺は可能な限りのハイテンションで、最大限の喜びを伝えた。だが臭すぎて呼吸さえしたくなかった。悪い感染症にかかっていなければいいが。
ふたりは返事さえしない。
俺はゴム手袋をその場に捨て、アサルトライフルを拾い上げた。もう二度とこの通路へは来たくない。
*
心は死んだが、それ以外は特に被害もなく撤収できた。
シャワールームに持ち込んでヘドロを洗い流すと、うっすら「参加者」という文字が見えた。間違いない。だいぶ腐食してボロボロになっているが、間違いなく腕章だ。
俺が談話スペースへ戻ると、ふたりは警戒するような目で待っていた。
「なに?」
「ちゃんと洗った?」
円陣薫子が寄るなとばかりに眉をひそめた。
たかがじゃんけんで勝ったくらいで、この俺の多大な貢献を評価しないというわけか。
「洗ったよ。これから事務所に持っていくから」
「……」
きっと自分では分からないほど臭いんだろう。しかし仕方がない。俺の個人的な趣味でこうなったんじゃない。ツアーのルールに従っていたらこうなったのだ。
事務所の受付で呼び出すと、すぐにツアーガイドが来た。
先日あんなことがあったばかりだというのに、彼女は天使のような笑顔で出迎えてくれた。まあ匂いは気になるようだったが。
俺はそのまま渡さず、きちんとビニール袋に入れて渡してやった。
「これ、腕章です。三人ぶん。あと一個あればいいんですよね?」
「ええ。ありがとうございます。大変でしたね」
「死ぬかと思いましたよ」
「もしご気分が優れないようでしたら、医務室へご案内しますが」
「大丈夫。そのときになったらお願いします」
「はい、いつでも」
目を細くして、はにかむような、本当に癒やされる笑顔だ。きっと彼女も、自分が愛らしい顔だということを自覚しているのだろう。その素材をフルに活かした笑みを見せてくれる。
ま、それでもお近づきになるつもりはないが。
ホテルのロビーへ戻ると、ふたりが地図を見ながら作戦を立てているところだった。
「おかえりなさい。受け取ってもらえました?」
そう気さくに声をかけてくれたのは白坂太一。円陣薫子は茶をすすって無言のままだ。よほど匂いがキツいらしい。
だが俺は構わず椅子へ腰をおろした。
「受け取ってくれたよ。イヤな顔もせずにね。まあ少しは引いてたみたいだったけど」
「素敵ですよね、見た目は」
「うん、見た目はね……」
すると円陣薫子が咳払いをし、身を乗り出した。
「最後の腕章は、例のジオフロントにあると思うんです。またいつものように血痕をたどって捜索しましょう。背後からの奇襲を防ぐためにも、発煙筒を一個か二個持ち込むのはどうかと思うんですが」
とにかく用件だけ済ませたいといった態度だ。
いや、決して非難したいわけではない。余計な感傷を見せないのは、この状態では逆に信用できる。臭いからあまり会話したくないだけかもしれないが。
俺は手短に「異議なし」と応じた。
白坂太一もうなずいた。
「いいアイデアだと思います。それで行きましょう」
*
鼻がやられていたせいで、夕飯の味はよく分からなかった。というより、自分でもよくメシなんて食えたと思う。どんなに気鬱だろうと腹は減るものだ。
もう打ち合わせをする必要もないから、誰も談話スペースには寄らなかった。俺も部屋へ直行。とにかく一日の疲れを癒やしたかった。
ベッドにダイブし、脳裏に去来する不快な映像をどこかへ追いやり、とにかく心身の回復につとめた。まだ俺の体は臭いのだろうか。自分では分からない。
溜め息ばかりが出た。
ふと、ドアがノックされた。
「はい?」
俺は出迎えてやる気分にもなれず、声だけで応じた。どうせたいした用じゃないんだろう。
「各務です。いま大丈夫ですか?」
「えっ? あ、はい、どうぞ」
白坂太一か円陣薫子かと予想していたが、そのどちらでもなかった。
立ち上がってドアを開くと、ボトルを手にしたガイドが立っていた。
「お休みのところすみません。あの、これ、うちのメンテナンス部が使ってるボディーソープなんですが……よろしければお使いください」
「えっ? いいんですか?」
「はい。あ、ちゃんと未開封ですよ。なんだか大変だったようですので……」
「まだ匂います?」
「少しだけ」
それでも笑みを絶やさない。
とはいえ感情が存在することは先日分かった。本当にヤバくなったら笑顔が消える。だからこの匂いも、きっと我慢できる範囲なんだろう。
シャワールームにも共用のボディーソープはあるのだが、あくまで日常品だ。しかしメンテナンス部が使っているものなら、しつこい油汚れも落ちやすいかもしれない。
「ではありがたく頂戴します」
「内緒ですよ」
いたずらっぽく笑って、彼女は「失礼します」と行ってしまった。
性格がまともならいますぐ求婚したいレベルだ。きっと俺なんて相手にもされないだろうが。無自覚に誰にでも優しい女というのはいる。
俺はドアを閉め、ボトルをサイドテーブルへ置いた。
今日はもうシャワーを浴びたし、体も疲れているから、明日の朝にでも使うことにした。どうせ早く寝るから、早く起きる。
*
日の出とともに起きた。
時刻はほぼ五時。朝食まで一時間以上ある。
ガイドからもらったボディーソープで体を洗い流し、俺はロビーの談話スペースで茶を飲んだ。新聞も雑誌もないから、ただ外の景色を眺めることしかできない。
硬質な黄色の日差しがアスファルトを照らし、その向こうには木々が生い茂るばかり。朝焼けの空に、うっすらと雲がかかっている。
こんな異様な場所なのに、スズメたちは変わらずチュンチュンと鳴いている。
俺はロビーを出て、港へ向かってみた。
穏やかな海がゆったりと水面を揺すりながら、日の光を受けてキラキラと輝いている。与謝蕪村の「春の海ひねもすのたりのたりかな」を思い出した。
錆びついたアーチへ近づき、海側へ回り込んでみた。
「ようこそ、祝祭の島へ!」
白いプレートに赤字でそう書かれているのが見えた。
いったいどこがどう祝祭だというのか。いまのところ殺人以外になにも起きていない。悪魔のやるサバトって意味ならその通りだろう。しかしそんな呪術めいたツアーだろうか。
あのダンジョンは、あきらかに科学の産物だ。人が手を突っ込んで、なにかを掘り出そうとしていた。
なにか――。
俺はふと、ひとつの推測を得た。あのマネキンどもは「地底人」なのではなかろうか。
この土地を開発している最中、運営は地底人と遭遇してしまったのだ。それで対処しきれなくなり、ツアー客を戦いに投入した。
いや違う。それならわざわざツアー客を使う必要がない。運営は俺たちより何倍も強いのだから。ただ殺したいだけならとっくにそうしているはず。
地底人でないとするなら、人体実験だろうか。被験者に新たな能力を付加しようとして、あんなことになってしまった可能性がある。
いや、これもどうだろうな。ツアー客を投入する理由にはならない。
逆に考えてみよう。どんなときにツアー客が必要になるのか。ここでいう「ツアー客」とは、つまり「外部から来た死んでもいい人間」のことだ。
きっとエサにするつもりではなかろう。コストに見合わない。ただ食わせるだけならウシやブタのほうがはるかに安い。家畜ならホテルを用意する必要もないし、武器を貸してやる必要もない。
ほかに考えられるのは、マネキンどもが俺たちの遺伝子を食って取り込んでいる説……。ヒトを食えばヒトになり、イヌを食えばイヌになる、というわけだ。しかしどうであろう。これだけの大自然に囲まれているのだ。入り込んだ動物を食う機会はいくらでもあろう。となれば、ヘビやネズミのようなマネキンがいないとおかしい。
やはりただのアトラクションだろうか。
合法かどうかは別にして、これは本当の本当に冒険ツアーであり、参加者が死ぬのは運営にとっても歓迎すべきことではなく、モンスターを倒してスッキリして帰ることだけが目的のもの。
しかし運営は、こんなツアーでコストを回収できているのだろうか。
俺たちの苦しむ姿を、大富豪たちがどこかで見て楽しんでいる、という可能性もなくはないが……。
過去に多数の死者を出している。
生還者はゼロ。
わざわざそんなことをする必要が?
奥に行けばなにか分かるかもしれない。
しかし腕章をあとひとつ回収すれば帰還できるのだ。わざわざ踏み込む必要はない。ないのだ。好奇心はネコをも殺す。余計なことはするべきじゃない。
(続く)




