ジ・エンド
充実した装備を手に、カルト教団「進化の祝祭」を壊滅させた俺たちは、戦闘には勝利したが、本当に取り返したかったものを失った。
勝者であり、敗者でもあったのだ。
カメラのないところで戦ったから、世間に存在を知られることもなかった。
ただ夏の終わりとともに、俺たちはひっそりと解散した。
姉妹たちは自治らしきものを得ることができた。
機械の姉妹が趣味で増やしていた資金力と、五代大のPCから回収した詳細なデータが、政府の横っ面をひっぱたいたのだ。
なかば強引に第三セクターを設立させ、彼女たちはそこで暮らすことになった。姉妹は勝手に「自由同盟」を名乗っているが、正式名称は「進化ダイバーシティ研究センター」である。なんだか分からない。
ともあれ、島田高志や赤羽義晴など、例の問題の当事者がちゃっかり主要ポストを締めているのだから、「たいして反省しない」のが俺たちの社会なのだと再認識させられる。センター長を務める各務珠璃が、この両名を見張ってくれるのを期待するのみだ。
*
涼しさが肌寒さに変わってきた秋の中ごろ、都内のファミレスで、俺たちは久々に集まった。
未成年者もいるから深い時間ではない。
「円陣さん、友達の借金どうなったの? 一億だっけ?」
俺はドリンクバーの烏龍茶をひとくちやり、彼女に尋ねた。
円陣薫子は今日も地味な服を着ている。たぶんわざとそうしているのだろう。目立ちたくないのだ。しかしこの質問を投げた瞬間、目つきが鋭くなった。
「どうもこうもないわ。あいつ、借金増やしてて」
「ええっ?」
「一億一千万だって。バカだわホント。死んだほうがいい」
それでも生きていけるんだから凄い。まあプロの取り立て屋は、相手が死んだら借金が返ってこないことを知っているから、最低限の生活費までは取らないらしいが。
白坂太一も苦笑している。
「弁護士に依頼したら?」
もう再就職できたのか、彼はスーツ姿だ。
「だから、そういうんじゃないんだって。バカみたいに金もってるバカ女がいて、そいつにハメられた金遣いの荒いバカ女がいて、そのふたりのバカに挟まれてるのが私のポジションなの。えーと、簡単に言えば、三角関係ってヤツよ」
登場人物が女しかいないんだが。
まあいい。彼女の問題だ。深入りはするまい。
青村放哉は小田桐花子と同棲しているらしい。
きっと幸せなんだと思うが、しかし青村放哉は浮かない顔だ。大統領のことを思い出しているのかもしれない。
気を使ったのか、ジョン・グッドマンが満面の笑みで話題を変えた。
「ところで、街を襲っていたオメガたちは、なぜか引き返しているようでござるな。これで各地に平和が戻れば万々歳でござる」
当初は、獣のように人家を襲っていたオメガたちであったが、なにかを学習したのか、徐々に社会性を身につけ始めたようだった。
まずは仲間内で助け合うようになり、道具も分け合うようになった。日が暮れると巣に戻って仲良く眠るのだとか。徐々に寒くなってきたから、そうでもしないと死んでしまうからという説もあるが。
無闇に拡大しても意味がないことを悟ったのか、徐々に愛知へ戻ろうとしているらしい。愛知県民にとってはいい迷惑かもしれないが、それでも他の都道府県の住民は安堵していた。
ジョン・グッドマンはこう続けた。
「南どのも、安心して大学へ行けるでござるな」
「師匠が勉強教えてくれたおかげだよ」
「ニンニン」
このふたりは本当に仲がいい。互いによき理解者といった関係か。
ともあれ、大学へ行けるなら行ったほうがいいだろう。せっかく平和になったんだから、平和じゃないとできないようなことをしたほうがいい。
四人用のテーブルをふたつくっつけている。
鐘捲雛子は俺たちのテーブルにいた。
「鐘捲さんはどうしてるの?」
ずっと愛想笑いをしていた彼女に、俺は話を振った。
彼女はごまかすような笑みだ。
「なにもしてない。する気が起きなくて」
「ま、貯金もあるだろうし、しばらくはそれでいいんじゃないかな」
「二宮さんは? なにしてるの?」
「就職活動中だよ」
「そう」
話はおしまいとばかりに、彼女はストローからオレンジジュースを吸った。
*
匿名の暴露本が出た。
一連の事件の内情を暴き立てる内容だ。著者は不明だったが、例の主任ではないかという噂もあった。
五代大が政府の金を使い込み、ひそかに人体実験を推し進めた結果、ヒトの変異種が大量発生し、外部へ流出してしまったのだという。そして彼は、なんとカルト教団「進化の祝祭」の幹部であったと。
なんだか政府のミスを彼ひとりに押し付けたような内容だったが、世間はそれで満足したらしい。俺も別にいい。終わったことだ。いまは責任の押し付け合いをしている場合ではない。マネキンたちへ対処し、街を復興させるべきだ。
*
数日後、秋の寂しさを感じる静岡へ、俺は姉妹のもとを訪れた。
行けばいつでも受け入れてくれることになっている。
生活スペースに檻はない。外出には許可がいるらしいが、彼女たちは基本的に自由行動できるようになっている。
だだっ広いエリアに、仕切りもなく五人の姉妹が住んでいる。
「あ、二宮さん! また来てくれたんだ!」
アッシュがまっさきに抱きついてきた。
餅ものたのた這い寄ってくる。
「ちょ、ちょっと待ちなさい! 一番乗りは私! くっ、足のない体が恨めしいわ……。世界はいつでも私にだけ不幸を与えるのよ」
しかし人間の体を得たいと言い出さないあたり、彼女はこの形状を気に入っているのかもしれない。
「みんな、元気にしてた?」
「してたよ! お土産は? チョコ買ってきてくれた?」
「あるよ」
アッシュはいつもチョコをせがんでくる。そしてチョコを与えるとさっさといなくなる。
「やった! ありがとね、二宮さん!」
「一日で全部食べるんじゃないぞ」
「はーい!」
アッシュが去ると、ようやく餅がこちらへ到着した。
「ふぅ、私たちの間には途方もない距離があるようね。動いたらお腹が空いてしまったわ。動物の死体は持ってきたの? かなり大量に処理できる自信があるわ。私の不幸を減らしたいのなら、どうすればいいか分かってるわよね? ね?」
彼女に要求されるのは味よりも量だ。しかし、もし俺が個人でまかなおうと思ったら、畜産業者から家畜を買い付けねばらない。
俺はしゃがみ込み、餅の表面をなでた。
「悪いけど、君にお土産はないんだ」
チョコを与えれば箱ごと食べて「少ない」と苦情を言い、花を与えればその場で貪って「少ない」と苦情を言ってくる。頭をなでているだけで喜んでくれるので、お土産は買ってこない。
「あら、えっちね。そこはお尻よ?」
「いや、頭だ。ちゃんとおぼえてるからな」
「手強いわね……」
そうは言うものの、彼女は仰向けになったりうつ伏せになったり、とにかく猫のようにせわしく動き回る。
ここは屋内だが、例の花園を彷彿とさせる。
機械の姉妹はずっとPCを操作しているし、赤ん坊はママに優しく抱かれている。みんな思い思いに過ごしている。
*
少し会話をしてから、オフィスを訪れた。
もしここを訪れた場合、帰る前に必ず寄ってくれと各務珠璃に言われている。
「どうでした?」
応接用のソファはあるが、簡素なオフィスだ。
彼女はコーヒーを出してくれた。
「いいんじゃないかな。みんな自由を満喫してる感じがするよ。ここをもっと広く開放できればいいんだろうけど、まだオメガたちが暴れてる最中だしね」
この静岡にも残っている。寒くなるにつれて、あまり姿を見せないようになっていたが。それでもちょっとした山中などに集団で潜んでいる。育てた野菜を勝手に食われて農家はカンカンだ。
さて、顔を見せたはいいが、特に話すようなこともない。
俺はわざとらしく時計を見て、彼女へ告げた。
「そろそろ行こうかな」
「なにかご用でも?」
「いや、そういうわけじゃないけど、家まで帰らないといけないし」
「もう少しいられませんか?」
「……」
なんだろう。
個人的に用があるのだろうか。こちらはべつに構わない。無職だから時間も腐るほどある。帰ったところで、待ってる人間もいやしない。
すると彼女は、やや困惑気味にこう続けた。
「あ、違うんです。このあと、鐘捲さんも来ることになってて」
「えっ?」
「愛知へ行く前に、ちょっと寄るかもって」
「愛知? なにしに?」
「妹さんのために、花を供えたいって」
「そう」
誰とも会いたくないから時間をズラした可能性があるが、待てと言われれば待たないこともない。ひとりであの現場に行くというのも心配だ。
ややすると、鐘捲雛子が来た。
彼女は俺の姿を見ると、意外そうな顔はしたものの、不快そうな態度はとらなかった。
「奇遇だね」
「君が来るから待っててくれって、各務さんに言われて」
「そう」
ここへ来る前、俺は機械の姉妹と連絡を取り合っていた。餅たちが会いたがっているから、ぜひ来てくれと言われたのだ。俺が「そのうちな」と応じると、彼女はもう新幹線のチケットを取ったという。
彼女は、おそらく鐘捲雛子が来ることを知っていて、同日に俺を誘導したのだろう。
*
各務珠璃の手配してくれたヘリに乗り、一緒に飛び立った。
大地が遠ざかると、市街地の様子が見渡せた。まだ通行止めの道路などがある。しかしいくらか自動車は走っているし、行き交う人々の姿もあった。復興は進んでいる。
山を超え、愛知へ入った。
まわりをC字型に囲まれた小さな湾が見える。ツアーの現場だ。マネキンたちが集まっている。
このまま降りれば、普通は食い物にされる。だが、俺はメッセージを送って敵でないことを告げた。彼女たちはただじっとヘリの着陸を受け入れてくれた。
山々は紅葉し始めている。
道を歩くと、風に吹かれて落ち葉が流れてくる。その様子を、マネキンたちもただ見つめている。
各務珠璃はビクビクしているが、俺は違った。大丈夫だという確証がある。
鐘捲雛子がふっと笑った。
「二宮さんのその能力、便利ね」
「ほかに使い道がないけどね」
人に浴びせるわけにはいかない。もしそんなことをすれば、どう思われるか分かったものではないからだ。俺のこの能力は、ほとんどの人に知られていない。
ホテルや事務所を抜け、ダンジョンへ向かった。
タレットは停止しているし、金網ゲートも開きっぱなしだ。ただし、先にダンジョンはない。完全に埋没している。
鐘捲雛子はしゃがみ込み、花と菓子箱を置いて手を合わせた。
俺たちもそうした。
冥福を祈っていると、バリバリと音がした。慌てて様子を確認すると、鐘捲雛子が菓子箱を開封しているところだった。のみならず、中から饅頭を取り出してもそもそと食い始めた。
「ふたりもどうぞ」
「いいの? お供え物でしょ?」
「普通、食べるでしょ?」
「そうだっけ? でも早すぎない?」
「置いといても腐っちゃうから。ほら」
彼女はこちらへ箱を突き出してくる。
なので、俺も各務珠璃も饅頭を食った。
奇妙な雰囲気だった。
マネキンどもが見守る中、三人で饅頭を立ち食いしている。
食っていると、鐘捲雛子がポロポロと涙をこぼし始めた。いままでずっと、気を強くもって戦ってきた。それがようやく終わったと感じたのだろう。
俺は声をかけなかった。代わりに、もうひとつ饅頭を食った。
埋め立てられたジオフロントの底からは、かすかに波を感じた。マネキンたちを呼ぶメッセージ。正体は分からない。生まれるには早すぎたオメガたちの存在を、哀しんでいるようにも感じられた。
マネキンたちも、ただ哀しげに穴を見つめている。
*
オフィスへ戻るころには、すでに夜になっていた。
だから餅たちのフロアを借りて、一緒に寝ることになった。なつかしの寝袋だ。俺の上に餅が寝て、その上にアッシュと機械の姉妹が乗るという、ちょっと寝苦しい状態まで再現されてしまった。
横にいた鐘捲雛子がふっと笑った。
「鏡餅みたい」
「めでたくていいでしょ?」
「そうだね」
圧死するほどではない。呼吸もできる。
彼女は寝返りを打ち、こちらに背を向けた。
「私、みんなのぶんまで生きるって決めた」
「そう」
「それだけ。おやすみ」
「おやすみ」
聞きたかった言葉が聞けて、俺もほっとした。
彼女はジオフロントから帰ってこないつもりだったのかもしれない。そう思っていたからだ。しかし実際は、そうならなかった。
餅がビチビチ叩いて来たが、俺は手で押し返した。
夢を見た。
懐かしの花園。
みんながそれぞれに暮らす場所。
明るくて、穏やかで、平和な楽園だ。
しかし前回と同じ景色ではなかった。周囲に、青々とした海がどこまでも広がっていた。
大統領は誇らしげに出迎えてくれた。
いい場所だと褒めると、彼女もそっとうなずいた。
(終わり)