海
階段をあがっているさなか、先頭を行くジョン・グッドマンが膝から崩れ落ちた。
いきなりだ。
敵襲かと思い、とっさに身構えた。
しかし違った。さきほどの銃撃戦で足をやられていたらしい。
「ぐ、無念。拙者はここまでのようでござる……」
装甲のない足を撃たれたらしい。
彼の靴に血液が付着しているのは気づいていた。敵の血液だと思っていたが、そうではなかったのだ。
このまま置き去りにはできない。
かといって担いで行くこともできない。
俺はホルスターからCz75を抜き、各務珠璃へ押し付けた。
「彼を頼む。使い方は分かる?」
「はい、一通りは」
「じゃあ任せたよ。そのうち青村さんが来ると思うから、それまで持ちこたえて」
「はい」
*
そして俺たちは最上階へ。
廊下には、マネキンの姿も、私兵の姿もない。
案内板を見て、五代大がいると思われる執務室を目指した。
伏兵がいる可能性もあったが、俺も鐘捲雛子も、そして姉妹たちも、もう身構えてはいなかった。あまりに静かだった。
窓からは、真夏の日差しが強烈に差し込み、白い床や壁をさらに眩しく輝かせた。
肌に触れる光はとても熱く、エネルギーに満ちているのに、まるで時間が切り取られて静止した空間のように感じられた。
施錠されていなかった。
重厚な木製のドアを開くと、絨毯の敷かれた広めのフロアに、五代大と大統領が待っていた。
「やっと来たか。ずいぶんかかったな」
冷徹そうなメガネの男だ。こんな現場だというのに、プレスの効いた細身のスーツを着て、まるでいっぱしのビジネスマンのようだ。よく磨かれた木製のデスクに寄りかかり、両手を広げて武器のないことをアピールしている。
鐘捲雛子がいまにも抜刀しそうだったので、俺は手で制した。
「道が混んでたもんでな」
「二宮渋壱か。君のところの社長には世話になったよ。なかなか協力的な男でね。もっとも、金が好きな連中は、みんな私に協力的だったが」
「好きにしてくれ。そいつは俺のビジネスじゃない。それに、もうあの会社は辞めたんだ」
俺は会話をしながらも、鐘捲雛子に対して「まだ斬るな」と祈るような気持ちでいた。
彼が死体になる前に、聞くべきことを聞いておかなければ。
「あんたの娘さんと話をしたよ」
すると五代大は、「ほう」と片眉をつりあげた。
「なんと言っていたんだ?」
「殺したいってよ」
「ふん。それが君の個人的な意見でなければいいが」
「もしくは、人格を上書きされたクローンの個人的な意見って可能性もあるけどな」
後ろで見守っている姉妹たちはなにも言わない。
ただ成り行きを見守ってくれている。
餅もズルズルとおりて、床へ落ち着いた。
「下のオメガたちはなんなんだ?」
「ビルの地下に培養ポッドがある。そこで養殖したものだ」
「アメリカの協力で?」
「詳しいな。指摘の通り、アメリカの衛星からメッセージを受け取っていた。もっとも、最近は彼らとも手が切れてしまってね。君たちが下のフロアで遭遇したのは、それ以前に養殖していたものだ」
そして、あれだけいるのに、完成品はひとつもないのだろう。だから大統領を連れ去った。
鐘捲雛子が身をかがめ、柄を握る手に力を込めた。
「もういい。終わらせよう」
もし始まれば、五代大は一秒で死体になるだろう。
俺は慌てて制した。
「待った。まだ話が終わってない」
「なに話って? まだ聞くことがあるの? いつまでかかるの?」
「それは……」
俺が口ごもっていると、五代大がふっと笑った。
「計画書なら私のPCに保存されている。関係省庁や、米軍とのやりとりの記録についてもね。君たちの知りたいことは、すべてそこにある。好きにしてくれ」
「なぜ娘を差し出した?」
「分からないか? あの子は、次世代の母となる存在なんだ。やがて全人類があの子の子供たちということになる。これ以上の名誉があるのか?」
演技なのか本気なのかは分からないが、いっさい動揺がないように見える。カルトをビジネスに利用していただけでなく、こいつ自身も実際にイカレていたのかもしれない。
俺が納得していないことに気づいたのか、彼はこう続けた。
「きっと君は、私が自己の利益のためだけに行動していると思っているんだろう。政治家や官僚は残らず腐敗していると考えているクチだ。実務も知らずに」
「知らないね。教えてもらえるか?」
「この国は災害が多い。サイキック・ウェーブ技術は、そんな場面にも応用できる。もしどこかへ閉じ込められたとき、声を発したところで障害物に遮られてしまう。しかしサイキック・ウェーブならどうだ? 障害物を通過し、救助隊へ届く。生存者の発見に貢献できるというわけだ」
「欺瞞だろう」
「通信技術への応用や、各種サービスへの応用も考えられる。スクリーンや音響装置を使わずに、映画を配信することだってできる。新しい未来、新しい産業を切り開くためのテクノロジーだ。もし日本が傍観していたら、世界に先を越されることになる。君はこの国が技術後進国になるのを黙って見てられるのか?」
「人を殺してまでやることじゃない」
俺がそう応じると、彼はもう興味をなくしたとばかりに黙り込んでしまった。
もしかしたら彼の言う通り、これは国のためになるのかもしれない。
ただし俺は、綺麗事ではなく、本気で、人を殺してまでやることじゃないと考えている。
昔の俺なら、どこかの誰かが犠牲になったところで、「ま、そういうこともあるかもしれないな」くらいに思ったかもしれない。だが当事者になってみて、その考えはなくなった。愚者は経験に学ぶ、というわけだ。
刃が一閃し、五代大の手首が宙を舞った。
「あがあッ」
慌てふためいた彼がその傷口を抑えようとすると、その手首もスパッと切断された。
ふたつの手首が床へ転がった。
両手を失った五代大は、もはやどうしようもできず、激痛に身を震わせている。
こいつは悪人だから、俺だって苦しめた末にぶっ殺してやりたいと思っていた。しかし、いざこうして血を流して震えている姿を見ると、一思いに殺してやりたくなる。
俺が銃口を向けると、鐘捲雛子はその前に立った。
「鐘捲さん!」
「すぐには殺さない……」
「なんで……」
「妹は、もっと苦しんで死んだ……。オメガたちに捕まって、手足を引き千切られて。私は見ていることしかできなかった。妹はずっと『お姉ちゃん助けて』って叫んでた。その声がいまも耳の奥に残ってる。腹を引き裂かれて、内臓を引きずり出されて、すぐに人間ではなくなってしまった。毎晩、毎晩、同じ夢を見るの。目の前で妹が殺されているのに、いつも助けられないの」
言いながら、彼女は五代大の足に刀を突き立てた。
俺はほぼ初対面のパーカー男を見殺しにした。それでも気分はよくなかった。いまでもたまに思い出す。髪を洗っているときや、トイレでじっと黙っているとき、あるいは寝る直前。
被害に遭ったのが、もし初対面ではなく親しい人物だったら……。
俺の予想に反し、五代大は一秒では死体になれなかった。
刀で切り刻まれた挙げ句、虫の息になって放置された。たぶんまだ死んでいない。鐘捲雛子の怒りはそれほど激しいものだった。
彼女が失ったのは、妹だけではなかったのだ。
大統領は、壁を覆い尽くすほどの肉塊になっていた。呼吸をしているのかさえ分からない。サイキック・ウェーブだってほとんど発していない。すでに死んでいるか、あるいは死ぬ寸前だった。
機械の姉妹がそちらへ歩み出ると、アッシュと餅も続いた。
三人は白い壁の前で目をつむり、祈るように沈黙した。
状況を完全に把握できたわけではないが、これがハーモナイザーでどうにかなるレベルでないことは理解できた。きっと彼女は寿命を迎えたのだ。赤羽義晴の言った通り、代謝の早さが影響したのだろう。
しかし俺は、このやりきれない状況の中にも、ひと欠片の希望が落ちていることに気づいた。
捕まったら死ぬと宣言していた大統領が、こうして天寿をまっとうしたのだ。頑固だった考えを変えて、生き続けることを選択してくれた。みんながうるさくお願いをしてきたのは、ムダではなかったのだ。結果として彼女が幸福だったかどうかは、俺には判断できないが。
鐘捲雛子は刀を手放すと、後ろの壁にどっと背を預け、そのまま崩れ落ちてしまった。涙はない。放心しているようにも見える。
姉妹が戻ってきた。
一様に哀しそうな表情をしているが、なんとか笑顔を作っていた。
「きちんとお別れできたよ」
アッシュは気丈にそう教えてくれた。
機械の姉妹も溜め息混じりだが、絶望はしていない。
「姉妹で選挙をして、大統領を選びなさいと言われました。それにどんな意味があるのか理解できませんが……。まあ、のちほど検討することとします」
選挙、か。
大統領の説明によれば、彼女は俺たちの大統領ではないのだという。
ただし、オメガの大統領ではあったのだろう。
あの時点で、対話可能なオメガは彼女ひとりだった。だから彼女が立候補して、彼女が投票し、彼女が当選した。仲間が集ったら、また選挙をするつもりだったのかもしれない。
独立して自分たちの国を作りたかった、ということなんだろう。
けれども、それがなにを意味するのかまでは分からない。もし国を作るとなると、地球上へさらに線を引くこととなる。既存の人類と対立しかねない。そんなのが彼女の希望とは思えないのだが。
大統領の意図は理解できないままだ。
足音が近づいてきて、青村放哉が入ってきた。
「よう、遅くなったな」
手ぶらだ。武器はない。
彼は室内を一瞥して状況を察したらしく、まっすぐ大統領のもとへ向かった。
「待たせたな、大統領。会いたかったろ? いや、いいんだ。なにも言うな。俺は、まあ、そのぅ……アレだ……」
珍しく言葉を選んでいる。
俺たちは口を挟めなかった。空調のくぐもった音がかすかに響くだけ。
すると青村放哉は、南側の窓へ目を向けた。
「そういやあんた、海が見たいって言ってたな。俺たち人間はあそこから来たんだ。いや、人間だけじゃねぇな。みんなだ。会ったばっかのころ、そんな話ししたよな? ちょうど海があるぜ、あっちによ……」
窓からは、なんとか駿河湾が見渡せた。いや、ただの蜃気楼かもしれない。青空の下に、景色がゆらめいて見える。
彼はそれだけ告げると、気の抜けたような顔つきで部屋を出ていってしまった。
*
データを回収してビルを出た。
口数は少なかった。
昼を過ぎても太陽はギラギラと輝いて、街を焦がし続けていた。
ワゴンはボロボロ。タイヤがパンクしていなかったことだけが救いだった。
オフィスへ戻ると、みんなが出迎えてくれた。
ジョン・グッドマンも無事。
出発したメンバーはひとりも減っていない。
俺たちはデスクにつき、紙コップの水で祝杯をあげた。シャンパンなんて気の利いたものはここにはない。
みんな思い思いの場所へ移動し始めたので、俺は仲間のところへ移動した。
「さっきはありがとう。助かったよ」
「いえ、二宮さんが行ったほうがいいのは間違いなかったんで」
白坂太一は人懐こい笑みを浮かべている。
すると円陣薫子もふっと笑った。
「私たちの活躍、見せたかったわ。超強かったんだから。アサルトライフルって凄いよね。きっとあいつらチビってたよ。間違いないわ」
彼女はトラウマにも負けずよく戦ってくれた。二度も撃たれたのに。
ともあれ、今回ばかりは米軍に助けられた格好だ。こうして水をがぶ飲みできるのも彼らのおかげと言える。
PCをいじくっていた機械の姉妹が、ふと、目でなにかを訴えてきた。
「どうした?」
「ビルから回収したデータを解析していたら、興味深い資料を見つけました。この図を見てください」
「ん?」
なにかが枝分かれしているツリーのような図だ。
「進化の系統樹です。まあ全体像はどうでもいいのですが、ここに注目してみてください。ヒトです」
「ヒトだね。でも、なんかバラバラに分裂してない?」
枝が無数に別れている。
彼女はふっと笑った。
「これらは、ヒトの進化の未来予想図です。大統領の系統、あるいは私たち姉妹の系統、あるいはもっと別の進化の系統でしょう。研究者がプレゼンのために作った資料のようですから、事実かどうかは分かりませんが。しかしヒトの進化すべき方向は、ひとつだけではないということです」
考えたこともなかった。
サルからヒトが進化したことを踏まえれば、未来人は、その二点を結んだ延長線上に現れるものだと思い込んでいた。しかし可能性はひとつきりではないのだ。多様であっていい。
島田高志に車椅子を押され、赤羽義晴も近づいてきた。
「その通り。ヒトが進化のゴールでないのは事実だし、その先もどうなるか分からん。ところで、大統領は君たちに選挙をしろと言ったそうだな?」
この問いに、機械の姉妹はうなずいた。
「みんなで相談して誰かを選びなさいと」
「おそらくだが、彼女はオメガの社会を、ヒトの社会と並行に存在させたかったのだろう。進化しているから上位種ということではなく、進化していようがいまいが、既存の人類と同じように国を営むのだ。選挙をし、選び、選ばれる。親の五代がそういう考えだったからな。娘もそれにならったんだろう」
あの五代大が、そんなことまで?
いや、しかし驚くようなことではないのかもしれない。
もし上下の関係をつくれば、下に不満が蓄積してゆき、いずれ制御不能となって爆発する。王は断頭台へ送られ、結局は市民の社会となる。オメガをヒトの上に置いたとて、いつか排除されるだけだ。
五代大としても、進化後の娘が暴動で殺される姿を見たくなかったのだろう。だからこそ、オメガたちが既存の人類と等しく存在できる社会構造を夢想した。
機械の姉妹は、しかし苦い笑みを浮かべた。
「あの五代大という男、そんな人道主義者には見えませんでしたが」
赤羽義晴も肩をすくめた。
「人道主義じゃない。群れが生き延びようと思えば、自然とそうなる。一箇所に荷重を寄せれば、世界はいずれ姿勢を崩す。なるべく水平に置いたほうが安定する。それだけだ。歴史が証明している」
かといって国家の樹立は大袈裟な気もするが。
あるいはいますぐ独立するというのでなくとも、せめて準備運動だけはしておこうという計画かもしれない。もし彼女たちが政府に保護されるということになれば、それはやはり下の存在ということになろうし。そんな状況下でも、選挙の予行演習はしておこうというわけだ。
あくまで等しい立場になろうとしたのだ。どんな形の進化をしていようとも、あるいは進化していなくとも。
(続く)




