ドライヴ
昼を少し過ぎたころ、船は静岡の港へついた。
そこからワゴン車に乗り換え、市街地へ。
自動車はほとんど走っておらず、歩行者の姿もなかった。たまにいると思えばマネキンだ。街は壊滅状態。そのマネキンも、照りつける太陽にやられてだいぶぐったりしている。
やがて雑居ビルに到着。
オフィスは三階にあった。
さほど広くはない。中央にドンとデスクが据えられており、周囲に「そんなに必要か?」と聞きたくなるほどの椅子が並べられていた。
青村放哉と南正太はその一角に腰をおろし、雑談をしていた。
「あれ? 宮川じゃねーか! 生きてたのかよ。相変わらずしぶてーな、オメーはよ」
「この人が死ぬわけないよ」
「おう、言えてんな」
このふたりが会話してるのを初めて見た。少しは仲良くなったのか。
南正太はまだ腕にギプスをしている。
なにか小粋な挨拶でもカマしてやろうと思ったのだが、俺の脇をすっと機械の姉妹が通り過ぎた。
「LANを借りても構いませんか?」
「お、おう……」
体からケーブルの生えた半裸の女の登場に、ふたりとも固まっている。
他の姉妹もぞろぞろ入ってくる。
「椅子がいっぱいあるよ!」
はしゃぐアッシュの脇を、餅がずるずると這い回った。
椅子で轢かないよう頼むぞ。
俺も手近な椅子へ腰をおろした。
「で、これはなんの集まりなの?」
すると背後を通過しながら各務珠璃が応じた。
「これですか? 大統領を救出するための正義の部隊です」
「救出? 政府と戦うって?」
正気じゃない。
各務珠璃は苦い笑みを浮かべている。
「あ、違うんですよ。じつはあの研究所、私たちが撤収してから、また襲われたみたいで」
「えっ?」
「それで大統領だけ連れ去られてしまったんです。なのでいま、身柄は『進化の祝祭』に拘束されている最中でして」
なるほど。それで政府も撤収したのか。十三階の少女は死亡し、大統領も誘拐された。となれば、あの研究所にこもっている理由はないというわけだ。維持費もかかるだろうしな。
俺はお決まりの質問をした。
「警察は?」
「手いっぱいだそうです」
まあそうだろう。
街をまるまる放棄して退避しているくらいだ。警察どころか自衛隊の姿もなかった。はたして、ここらにひとりでも人間が住んでいるのやら。
赤羽義晴を抱えていたジョン・グッドマンが、「こちらが赤羽博士でござる」と椅子へ座らせた。
「もっと丁寧に扱って。私、見ての通り天才博士なんだから」
「面目ないでござる」
ママにオギャオギャしてた事実をみんなに知らしめてやりたいな。
ややすると、白坂太一、鐘捲雛子、小田桐花子らも入ってきた。パンパンに詰まったスーパーの袋を手にしている。この辺で営業してる店でもあるのだろうか。
しかし配布されたのはレーション。いわゆるミリ飯だ。それもアメリカの。
「お帰り。無事でよかった」
配るとき、鐘捲雛子はそう声をかけてくれた。
「ありがとう」
ともあれ、またフルメンバーだ。
大統領を助けたいという思いはみんな一緒らしい。巻き込まれただけの島田高志はともかくとして。
各務珠璃は「おほん」とわざとらしい咳払いをした。
「遠慮なく召し上がってください。アメリカ軍からの差し入れです」
「よく分からないな。アメリカは例のカルトと組んでるんじゃないの?」
「一時的にはそうだったみたいです。けど、もう組む理由もなくなったとかで、あらためて日本政府と仲直りしたいんだとか」
「へえ」
あくまで推測だが、あそこでハッスルしていたのは「アメリカ政府」ではなく、「在日アメリカ軍の一部」だった可能性がある。一部の連中が、金のために一線を越えた。アメリカとしては、こんな形で日本に介入するのは本意ではなかったのだろう。
ともあれ、アメリカが敵に回らないのならそれでいい。カルトだけぶっ潰せばいいのだから。
俺はハサミで袋を開け、中を取り出しながら尋ねた。
「プランは?」
「米軍が極秘裏に装備を貸してくれることになりました。これはもともと存在しないはずの装備なので、返却しなくていいとのことです」
「誰を味方につけるべきか、きちんと理解してくれたらしいな」
「これもアメリカからの情報ですが、敵のアジトも特定できています。ここからそう遠くありませんよ」
一から十までお膳立てしてくれている。
彼らとしても、「自分たちの手を汚さずに」この一件を片付けたいのだろう。直接手を出せば泥沼化する。日本の警察が「忙しい」と言っているのも、じつは同じ理由かもしれない。ばったり居合わせて互いに「誤射」したくないだろうしな。
各務珠璃の話によれば、街のインフラは完全に停止しているらしい。電気も水道も来ていない。
その代わり、ビルの屋上に設置された発電機と、米軍からの給水でもろもろまかなっているのだとか。
このオフィスも誰から借りているのか分かったもんじゃない。
やがて青村放哉が立ち上がり、PCのディスプレイを俺たちのほうへ向けた。
「見ろよ。そろそろ始まるらしいぜ」
説明もナシにそんなことを言う。
いったいなんの話だろうか。
画面には、のどかな景色が映し出されていた。小山から眺めるキラキラとした夏の海。ふもとにはぽつぽつと建造物も見える。
しばらく眺めたが、それがどこの景色なのか、俺は本気で分からなかった。
なにせ俺たちがフェリーで出入りするときは、海側からしか眺めない。祝祭の島「阿毘須」として案内されたあの港だ。
画面内の映像は、港とは逆方向の、山側から撮影されたものだった。
となると、あれがホテルで、あれが事務所で、ダンジョンはこの辺か……。などと懐かしんで見ていると、ふと、ダンジョン周辺にドーナツ状の煙が湧き出した。かと思うと、その中心へ向けてあらゆるものが吸い込まれていった。
穴が爆破されたのだ。
あと数時間でも脱出が遅れていたら、俺もあそこに埋められていたことになる。いまの日本では、基本的に土葬はしない方針のはずだ。政府は自治体のルールを守れと言いたい。
青村放哉はポンポンとディスプレイを叩いた。
「これで証拠隠滅が完了だ」
赤羽義晴はふんと鼻を鳴らした。
「ついでに、スポンサーどもが葬りたがっていた黒歴史もだ。一連の行政文書や証拠品、それに放射性物質。連中は、埋めたいものを好き放題に持ち込んで、私の研究所をゴミ箱に変えたというわけだ」
なるほど。一部の連中が穴を埋めたがっていた理由が分かった。俺がフカシた水素爆弾のネタを、アメリカが信じてしまった理由も。水素爆弾を作るための材料が、あそこには存在していたというわけだ。
俺たちの生活していたエリアのすぐ近くにあったとは信じたくもないが。おそらく床を開いていくらか掘れば、そこに黒歴史を見つけることができたんだろう。
各務珠璃が「というわけで」と話を切り出した。
「明日、さっそく敵のアジトを攻撃したいと思います! 皆さん、今日はゆっくり体を休めてくださいね!」
ずいぶん急だな。
こっちは穴の中から這い出してきたばかりだってのに。
*
その晩、誰がどこの場所で寝るかでひと悶着があった。
他のフロアに寝袋を並べ、そこで雑魚寝することになったのだが、まずは餅がまとわりついてきた。すると、その餅のすべすべを求めてアッシュと機械の姉妹がやってきて、俺は押しつぶされた。
赤羽義晴はママと一緒に寝ようとしたが、そのママは赤ん坊を優先している。
ほとんど子供しかいない。
エアコンのおかげで暑さは凌げているが、さすがに寝苦しい。
「ちょっと、この紐なに? さっきから邪魔なんだけど」
「ひっぱらないでください。神経に接続されているのですから」
「せめて内側にしまってよ」
「できたら最初からそうしています。しかし、そうしていないということは、そもそもできないということです。分かります?」
「こいつムカつく」
体から生えているケーブルの件で、アッシュと機械の姉妹が口論を始めた。
眠れるわけがない。
俺は寝袋から這い出した。
「ちょっとトイレ行きたいんだけど、いいかな?」
すると彼女たちは、素直に俺を解放してくれた。
廊下のトイレでチョロチョロと出して、俺はしかし寝床へは戻らなかった。
向かったのは屋上。
ひとりになりたかった。
なのだが、外気に触れた瞬間、俺はすぐに後悔した。
むっと蒸し暑い空気が全身に襲いかかり、まとわりつくような不快感をもたらした。発電機もブルンブルンとうるさいし、四隅のライトには小さな虫がたかっている。
夏の夜だというのに、微塵も風情が感じられない。
だがまあ、これが現実というものだろう。日常生活は、必ずしも美しいものばかりではない。
街に明かりはない。
ただ星々に囲まれて月が浮いており、遠方に青黒い海の広がっているばかりだ。
風はない。波の音も届かない。聞こえるのは発電機の駆動音と、照明のジージー鳴る音だけ。
とはいえ、そんなものでさえ、考えようによってはかけがえのないものなんだろう。
いま、街は機能を停止している。
以前は明かりが溢れていた。人々が行き交っていた。店もあった。電気や水道も使いたいときに使えた。
俺は都会の人間ではない。親もド田舎の出身で、いつまでもモノを捨てずに使い回す風習を引きずっていた。当時の俺は、こういう貧乏臭さにうんざりしていた。
しかし都会へ出て、過剰な消費社会に直面すると、それにも違和感をおぼえた。豊かさと使い捨ては表裏一体だった。消費のために消費している。サイクルが早すぎて、逆に人間が後ろから追い回されている。そして、生きるだけなら便利で快適だった。
どちらがいいとは言わない。悪いとも言わない。いや、言っているようなものだが。しかしほどほどであればとは思う。
そして、そのいずれを好むにせよ、まずは選択肢があった上での話だ。
眼下には、その選択肢さえ存在しない。マネキンどもが目的もなくうろつき、人の住めなくなった廃墟がどこまでも闇に飲まれて沈黙している。ひとつも機能していない。半壊したコンクリートが、ただ自然物の代わりに置かれているのみ。
未来人の発見する古代遺跡は、ちょうどこんな感じなのかもしれない。
実際、まだ存在しないはずの未来人が、人類の街を占拠している格好だ。しかし、そうなるにはまだ時代が早かろう。いまは俺たちに任せてもらう。
*
翌朝、オフィスを出発。
二台のワゴンに分乗し、敵のアジトとやらを目指す。
こちらの車は、俺が運転している。免許は自宅に置きっぱなしだから、道交法違反だ。警察に止められたらパクられる。その警察はすでに県内から退去しているようだが。
久々の運転だから、我ながらクラッチの操作が怪しい。
乗車しているのは、ほとんどが姉妹たちだ。夏休みに集まってきた親戚の姪っ子たちを、プールへ送り込むおじさんになった気分だ。
助手席では餅が空腹を訴えている。
「ねえ、お腹がすきすぎて死にそうなの。あなたの腕、囓ってもいい?」
「ちょっと静かにしてくれ。運転の邪魔だ」
「邪魔? なにそれ! 私が邪魔? ええ、分かってる。分かってるの。私はこの世界の余剰物。誰からも愛されない不幸な贅肉。だけど、あなただけは愛してくれていると思ったのに。きゃっ」
悪気はない。しかし急ブレーキを踏んでしまい、ついでにエンストまでしてしまった。
道路に瓦礫が転がっている上に、マネキンどもがちょくちょく進路妨害してくるのだ。たった十数分の間に、三回はハネた。いまので四回目だ。
「ごめんごめん。危ないから、みんなちゃんとシートベルトしといてくれよ」
「このシートベルト、体に食い込むんだけど」
「君は座席に密着してれば大丈夫だろう」
「もっと優しく言って!」
「分かってる。あとで腹いっぱい食わせてやるから。君の食べたいものを可能な限り用意するよ」
「私、タピオカがいい。飲んでいると、世界中の寵愛を一身に受けることができるんでしょ? SNSとやらにも投稿してみたいわ。みんな指が折れるほどイイネするはずよ」
どこでそんな知識を得たんだ。
彼女は消費社会にも適応しそうだな。
ともあれ、早くついて来いとばかりに前の車からクラクションを鳴らされてしまったため、俺は急いでエンジンをかけ直した。
この調子じゃ、俺の運転のクソさのせいでランチタイムがなくなってしまう。
(続く)




