夜警
執務室へ戻ると、ソファに寝かせていた島田高志がぐったりしていたので、ジョン・グッドマンが慌てて袋をとった。素顔が現れると、各務珠璃と主任が同時に「えっ」と目を見開いた。
「島田部長、なぜここへ?」
「私が知りたいですよ。急に拉致されたんだもの。ああそれと、もう部長じゃありませんよ。あなたの上司でもありませんし」
憔悴した白髪の男は、心底うんざりした表情で溜め息をついた。
すると主任も詰め寄った。
「困りますよ、元運営の人間がここへ来るなんて」
「同感ですね。私も好きで来たわけじゃないんです。帰していただけます?」
「いや、そう言われても移動の手段が……」
「なら黙認してください」
「はぁ、なんでこう次から次へと問題が……」
主任は髪をかきむしった。
顔見知りということは、この主任という男、以前から運営とやり取りしていたということになる。
ともあれ、感動の再会を邪魔しては悪いので、俺は「少し休みますね」と告げて部屋を出た。
現在、この施設は日本政府の管轄下にある。
その利権を取り返そうと、「進化の祝祭」なるカルト教団が襲撃を計画している。
アメリカは動きを見せていない。
いつなにが起きてもおかしくない状況だ。
俺たちは、こうなるのを避けたくて頑張ってきたはずだが、まったく力が及ばなかった。しょせんは個人だ。国家に勝てるわけがない。
居住エリアは新たな職員たちが使っているとかで、俺たちには仮設の生活エリアが割り当てられていた。
ただ広いだけで、なにもない空間。
俺は壁際に寝袋を広げ、中へは入らず、上に寝転がった。
食事は業者が作るから、俺たちは自分で食材を切り刻む必要はない。所定の時間に食堂へ行けば、好きなだけ食うことができる。ちゃんとしたメシだ。
ふらりと青村放哉が入ってきた。
「お、来てたのか。意外と早かったな」
「青村さん……」
「オメーは来ると思ってたぜ。ここの主任には会ったか? なんかパッとしねー野郎だよな」
「たしかに」
思うさま悪口を言ってやりたかったが、その気力さえ湧いてこなかった。
「そっちはひとり?」
「おう。けど、ハナが向かってるらしいぜ」
意外だな。せっかく平和な生活を手に入れたのに。俺たち同様、金に釣られたか。
ともあれ、消息がまだ明らかでないのは、あとは鐘捲雛子と白坂太一だけになった。まあ不明なままのほうが幸せなんだろう。ここへ戻ってきたところで、つらい現実に直面するだけだ。
彼は近くの壁を背にし、腰をおろした。
「浮かねーツラだな。なにを見たんだ?」
「ちょっと監禁エリアをね……」
「ほかは?」
「ほか?」
俺は思わず身を起こした。
まだクソみたいな事象が存在するのか。クソの伏魔殿じゃないか。
青村放哉は肩をすくめた。
「オメーが対話してた上の連中だよ。山ほどキャンセラーに囲まれて、もう対話どころじゃねーみてーだぜ」
「……」
例のガイドラインとやらを作ったクソは、いったいどこのクソなんだ。いますぐ眉間に銃弾をぶち込んでやりたい。
彼女たちは水槽の中で育てられ、外に出たことがない。波を使って対話するしかないのだ。それなのに、声をかき消すだなんて、生きている人間の口を塞ぐようなものだ。
いや、それだけならまだいい。人格を上書きされている可能性だってある。
頼むからこれ以上、なにも壊さないで欲しい。
「あ、いたいた」
ふと、なつかしい声が聞こえた。
部屋に入ってきたのは、リュックを背負った白坂太一だった。まるで登山客のようだ。人懐こい笑みを浮かべている。
「どうもどうも、お久しぶりです」
「白田じゃねーか! 元気だったか?」
「白坂です」
「どっちでもいいよ。ひとりか?」
「ええ」
彼はやや苦笑気味にメガネを押し上げた。
白坂太一にしても、きっと表社会でまっとうな生活を送れたはずなのに。なぜこんなところへ戻ってきてしまったのだろうか。
そういう疑問は、正直あった。
しかしほっとしたのも事実。
こうなると、また全員で集まりたい。
鐘捲雛子はどう判断したのだろうか。
*
その後、俺たちはあらためて「すべきこと」を再確認し、装備品の点検を始めた。
すべきことは、カルト教団の襲撃から、この施設を守ること。もし襲撃がないのならそれでもいい。とにかく守るのだ。
装備品の点検をしていると、南国への旅行客のような服装の小田桐花子がやってきた。大きなカートを引きずっての登場だ。
「もー、なんでこんな階段ばっかなの。信じらんないんだけど」
急ににぎやかになった。
しかしこうしている間も、餅は釘で板に固定されており、アッシュたちは人格感染を受けている。俺は素直にはしゃぐ気になれなかった。
*
当初の意気込みに比べ、しかし現場での生活は想像以上に地味だった。
なにもすることがない。
ネットはできるが、それだけだ。
他フロアへ移動するためには申請をしなければいけないし、たとえ同フロアでも、共同スペース以外への立ち入りは禁止されていた。それもこれも「機密保持のため」だそうだ。
こうしてみると、なぜ俺たちに仕事の依頼が来たのか、少し理解できた。
一点目、建造物の構造を把握していること。いざというときに道に迷うことがない。
二点目、実際にここで生き延びていたこと。そこそこの経験値がある。
三点目、すでにある程度の情報を持っているから、うかれて好奇心で探りまわらないこと。なにが機密で、なにがそうでないのか理解している。
もちろん主任は、警察さえ来てくれるなら、とっとと俺たちを追い出したいことだろう。しかし来てくれないのだ。「8-NN」が手配した俺たちに頼むしかない。
*
三日目、事件が起きた。
俺たちのいるジオフロントで、ではない。地上でだ。
謎の武装集団が東京拘置所を襲撃し、五代大の身柄を奪っていったらしい。警察発表によれば、いまだ犯人の特定に至っていないとのことだが、どう考えてもカルト教団「進化の祝祭」の仕業であろう。
主任は震え上がっている。
次のターゲットは間違いなくここだ。
さて、ニュースそのものも衝撃的だったが、この事件には不可解なオマケもついていた。
武装集団による襲撃の直前、野良マネキンどもが、大挙して拘置所へ押し寄せたという。
つまりはサイキック・ウェーブによるコントロールが働いたということだ。
コントロールに必要な条件は二点ある。
その一、ハードウェアとしてのセンシビリティ・ハーモナイザー。
その二、ソフトウェアとしてのサイキック・ウェーブ。
サイキック・ウェーブを生成するためには、ちょっとお高めのスパコンが必要となる。もちろんこの研究所にはない。持っているのはアメリカだ。
よって、アメリカがカルト教団を支援していることが分かる。ただの推測に過ぎないが。
かといって俺は、アメリカがカルト思想に賛同したと主張したいわけじゃない。そもそもこのカルト教団にしたって、おそらくは偽装のために作られた団体だ。
真の目的は「進化」を使ったビジネス。
教団が最初からアメリカとつながっていたのか、あるいは日本政府と手が切れてからビジネスパートナーを変更したのかは分からないが。
ともあれ、五代大はビジネスのために娘さえ差し出すような男だ。金になれば相手がどの国であろうと関係ないのだろう。
*
その晩、鐘捲雛子が到着した。
もう来ないと思っていたから、俺たちはついポカーンとしてしまった。
彼女は憔悴した様子で言った。
「刀を持ち歩いてたせいで、警察に事情聴取されてたの。大変だったんだから。言われた通りに腕章見せたのに、まったく理解してもらえなくて」
災難だったな。「8-NN」は、どういうわけか武器を宅配で送りつけてきた。こっちはただの民間人だというのに。おかげで警察を見かけるたびにビクビクしたものだ。
「どうやって出たの?」
「分からない。急に『もういい』って言われて。たぶん今朝起きた襲撃に集中したかったんだと思う。護衛のために武器持ち歩いてる人なんていっぱいいるし」
実際、武器を持ち歩く民間人は増えた。
マネキンどもはいつどこから出てくるか分からない。いまや買い物に出かける老人でさえ武装している。さすがに日本刀を持ち歩くようなのはいないが。
すると青村放哉が、いつになくシリアスな表情で告げた。
「大統領のとこ案内するぜ。会いたいだろ? その前に、荷物置いてってくれ」
「えっ? うん……」
まだなにも知らぬ鐘捲雛子は、言われるままに刀を置いた。
主任が死体にならないための配慮というわけだ。
*
当然、彼女は憤慨した。おかげで俺たちは、ピリピリした空気の中でメシを食うハメになった。彼女は「みんなで抗議しよう」などと言っていたが、そんなことをしたところで、おそらくはなにも変わるまい。
もっと根本的な部分を変えなければ。
夜、みんなで雑魚寝をしているときも、鐘捲雛子はずっと不機嫌だった。もちろん俺たちも同じ気持ちではあるのだが。
俺たちを受け入れてくれた大統領が、監禁されて、ただ置物のようになっている。
許せることじゃない。
しかし主任は上から言われてやっているだけだ。変えるならその上。つまりは特定事案対策本部と、それを設置した政治家だ。
俺だって全員を処分しろとは言わない。言わないが、問題を引き起こした連中はせめて裁かれるべきだと思う。
溜め息とともに寝袋の中で寝返りを打った瞬間、かすかに波を感じた。上からだ。マネキンたちの旅する映像。
俺はすかさず寝袋を飛び出し、ハーモナイザーを確認した。これは機械の姉妹が改造したもので、スイッチを切り替えることでキャンセラーにもなる。
ともあれ、確認したかったのは波形だ。
しかしほぼ直線のままで、なにも検出できない。
するとヤマビコのように、今度は下から来た。内容は理解できないが、とにかく強い衝動。波形が一瞬だけ、かすかに震えた。
これは注意深く観察しないと分からないわけだ……。
俺が飛び起きたせいで、となりの円陣薫子が「なんなの?」とつぶやいた。
「波が来た」
「波? まさか、また餅みたいなやつ?」
「いや、上空だよ。衛星から。そのあと地下からも」
「そうなの?」
じつに不審そうだ。
俺が妙な幻覚症状に襲われているとでも思っているのかもしれない。しかし間違いない。俺の感覚と、ハーモナイザーの波形が一致した。
「東京で起きた襲撃みたいに、先にオメガを突っ込ませる作戦かもしれない。たぶん戦闘になる。みんなも準備したほうがいい」
「は?」
だが返事を待っている余裕はない。俺は生活エリアを飛び出し、ロッカールームへ向かった。
*
防護服に着替え、腕章をし、ホルスターへ銃を突っ込む。
俺は歩きながら、ヘッドセットに尋ねた。
「機械の姉妹、聞こえるか? 外部の状況を教えてくれ」
『波形はこちらでも検出しました。しかし侵入者の存在は確認できません。夜間ですから、カメラによる監視にも限界がありますが。映像の解析も同時におこなっていますので、なにか分かったら連絡します』
「了解」
広場へ出ると、仲間たちが眠たげな顔でやってきた。
「おい、宮川。オメーはいったいなにと戦ってるんだ?」
「衛星から波が来たんだよ。ホントに。ちゃんと上でも検出されてる。みんな準備して」
「夜ふかしは体によくねーって婆さんも言ってたぜ……」
ぶつくさ言いながらも、彼らはロッカールームへ入っていった。
なんだか俺、ひとりで張り切ってる危ないやつみたいだな。しかし波を検出してしまったのだから仕方がない。
眠っていたいのは俺だって同じだ。
しかし客人が来る。安眠妨害をするような連中には、銃弾でおもてなしするのがここでのマナーというものだ。
(続く)




