特定事案対策本部
ベースへ戻った俺は、そこらのオフィスに落ちていたタブレット端末を回収し、部屋でインターネットにアクセスした。
ほとんどはマネキンによる被害を伝えるものばかりだったが、少し毛色の異なるニュースも見つかった。
今回の暴動に対し、内閣は「特定事案対策本部」なるものを設置したようだ。主要メンバーは大臣クラス。その下には官僚の名前も並んでいた。こちらとしては「誰だよ?」という感じだったのだが、ただひとり、記憶にある名前を見つけた。
五代大。
じつの娘を水槽へ沈めた例のアイツだ。
栄転したのか尻拭いなのかは不明だが、どさくさにまぎれて役職をゲットしたようだ。
こいつをどうしたいのか、あとで十三階の少女に問い合わせたほうがいいかもしれない。ご希望とあらば、代理で地獄に送ってやってもいい。
*
翌日、俺は餅とともに三十三階を訪れた。
約束をすっぽかしたら、彼女も困惑するだろう。
今回は防護服も武器もナシ。ただ散歩のついでのように、キャンセラーだけ持ってきた。
「というわけで、答えを聞きに来たぜ」
また例のオフィスだ。
対面には赤羽義晴が腰をおろし、後ろには少女が保護者のように控えている。
また初手から怒鳴り散らかしてくるのかと思ったが、今日は違った。赤羽義晴は目をパチクリさせ、こちらと背後を交互に見比べた。
「なんで? ママがふたり……」
おっと。
おとなしくしてろって言ったのに、餅が参加してしまったか。
とりあえず説明せねばと思い、俺は口を開いた。
「えーと、こっちは俺の……」
「ママよ」
餅が堂々たる態度で告げた。
黒のドレスを身にまとい、少し浮遊しながら、我らを見下ろすように。
訂正せねば。
「別の水槽から出てきたのを拾ったんですよ」
「いいえ、ママよ」
「少し静かにしていてくれ」
「ふん」
赤羽義晴はしばし目を見開いていたが、背もたれに身を預け、ふっと溜め息をついた。
「そうか。水槽から……。ではやはり、あのときなんらかの事故が起きた、と考えるべきだな」
「気づいてたんですか?」
「そう。そして気づかないフリをしていた。実験ミスでプロジェクトが壊滅したなんてことは、認めたくもなかったからな。少女の命を奪っておいて、やっぱりダメでした、などと……」
こいつ、ハナから正気だったのか。
それにしては露骨にバブバブしていた気もするが。まあ分かってくれたならいい。
「あなたの力を貸して欲しいんです」
「分かってる。まずは状況を説明してくれ」
「衛星から飛んできた波の影響で、オメガたちが外へ飛び出しました。いま愛知県で暴動を起こしています」
すると彼は「ふむ」と息を吐いた。
「すでに住宅街にまで入り込んでいるんだな? となると、仕事は格段に難しくなる。たしかにオメガは感受性が強い。表向き、彼女たちだけを誘導するのは不可能ではあるまい。しかしサイキック・ウェーブは、人体へも影響を及ぼす。君もそうなんだろう? それこそがオメガ・プロジェクトの目的だからな。君は成功例。しかし失敗すれば人格破壊のおそれがある。というより、基本的には破壊されるものなのだ。人格感染というものだ。ここまでは理解できるか?」
「はい」
正直、なかば理解できていない気がするが、俺はとりあえず話の続き促した。
「サイキック・ウェーブで他者をコントロールするためには、ふたつの条件がいる。ひとつはセンシビリティ・ハーモナイザー。これはそこらに転がってるから、回収して勝手に使ってくれ。問題は、もうひとつの条件。情報を含んだ波。メッセージそのものだ。こいつを生成するのが難しい。本当にそうしたいと考えている人物の精神から波を抽出せねばならんからな」
マネキンに向かって「こうしろ」と念じるだけじゃダメなのか。
俺が首をかしげていると、赤羽義晴は「ふん」と鼻で笑った。
「君の頭でも分かるよう、簡単に言うぞ。言語で命令したところで、彼女たちはそのメッセージを理解しない。本人になりきって衝動を喚起せねばな。アメリカはこれを生成するためのスパコンを持ってる。しかしうちにはそのスパコンがない。どこかの本部が予算をケチったおかげでな」
「たとえば俺が波を飛ばして、帰りたくなるようなイメージを彼女たちと共有するんじゃダメですか?」
「方向性はそれでいい。ただし、心の底からオメガの気持ちにならねばダメだ。それも、まともな教育も受けておらず、ただ食うことにしか興味のないオメガの気持ちにな。その上で、君自信がこの薄暗い穴に戻りたいという気持ちを強く持ち、彼女たちと共有する。できるかな?」
「ムリですね!」
俺はこんな穴にはいたくないのだ。ムリに決まっている。
盲点だったよ。波を飛ばすためのハードウェアはあるのに、その波に相当するソフトウェアを用意できないとは。
いや、待った。
波を送るのが俺じゃなくていいのなら、適任がいる。
「もしかすると、大統領なら……」
「大統領?」
「運営が成功例って呼んでたオメガのことですよ。彼女、自分のこと大統領って呼んでて……」
「例の『50-NN』か。ふむ。アレなら可能かもしれんな。まだ生きていたとは思わなかったが」
「えっ、それはどういう……」
「気にしなくていい。代謝が早いから、ヒトより寿命が短いというだけの話だ。しかし波を発射するなら覚悟することだ。その力が強ければ強いほど、人体へも強い影響を与える」
「予期せぬ進化を促す可能性があると?」
「ふん、簡単に言う。そもそも、アレが『進化』かどうか、我々も判断しかねている段階だ。いたずらに染色体を傷つけているだけ、という説もある。そういう意味では放射線と変わらんよ」
そう言われてしまうと、街へ向けて発射するのは大問題のように思われる。
だというのにアメリカは、そんなヤバいものを平然と日本へ撃ち込んできやがったわけだ。バレないと思って好き放題している。
「危険なのでは?」
「最初からそう言ってるだろう。外へ出たオメガは、おそらく日本政府が対処する。君たちは手を出さないほうがいい」
彼の意見は正しい。俺たちのような民間人が、あんな大規模な事件の収拾にあたろうとすれば、むしろプロの邪魔となる。
だが問題はこれだけじゃない。
「じつはもうひとつ問題が。運営が撤退したせいで、電力の供給が途絶えまして……」
「んっ?」
「いろいろ調整したんですが、あと三週間ほどで発電機が止まるらしく……」
すると赤羽義晴は、みるみる青白い顔になり小刻みに震え始めた。
「あ、あの……それさ……それ最初に言ってよ! 電気! 電気がないと大変なことになるじゃない!」
「ですので、この問題にもご助力いただければと」
「なに呑気なこと言ってんの! いますぐ政府に連絡するの! こういうときの政府でしょ?」
「はぁ。けど政府に連絡ったって、どの省庁へ……」
「そんなことも知らないの? あの官僚! 五代さんしかいないでしょ! 早くして! アドレスは……とにかく調べて!」
例の「特定事案対策本部」へ送れば大丈夫か。職員のアカウントから送れば、虚偽のメールでないことは伝わるだろう。
*
かくして自室へ戻った俺は、さっそく公式サイトからメールを送った。
返事はすぐにきた。
内容はこうだ。
電力の供給を検討する
その代わり、すみやかに以下の行動を実行すること
抵抗せず施設を明け渡すこと
不法に居座っている民間人は、即座に退去すること
施設内の備品は一切持ち出さないこと
施設内の生物も一切持ち出さないこと
製造した水素爆弾を提出すること
署名には「五代大」とある。
ヤベーことになった。
水素爆弾なんてないのに、ちょいとフカしてしまったばかりに、えらいことになってしまった。
俺は慌ててメールを送った。
安全性が保証されない限り退去できない
施設内の生物を持ち出したい
ここには水素爆弾などない
しばらく待ったが返事はなかった。
今度という今度こそやっちまったか。
いきなり特殊部隊を送り込んできたりはしないだろうけれど。
部外者が入ってきたら、大統領は死ぬと宣言している。
五代大としても、彼女に死なれたら困るはず。なにせ大統領は、娘の遺伝子を進化させた次世代の人類なのだ。実際のところ、人類かどうかは怪しいが。ともかくそういうことになっている。
*
俺が執務室でこの失態を報告すると、大統領は平然と受け入れてくれた。
「なるほど。事態が込み入っていますね」
「ええ。だいぶ込み入ってます。大統領、お願いですから、もし侵入者が来ても死なないでくださいね」
すると彼女は無表情のままこう応じた。
「それは約束できませんね」
「なぜ? 協定は破棄されたはずでしょう?」
「もし生きたまま捕まれば、政府の横暴を許すことになります。私としても、彼らに捕まって実験材料にされるのは愉快ではありませんしね。ましてやヒトと交わって子を生むなど」
「徹底抗戦しましょう」
「勝算があるとは思えませんが」
「……」
たしかに勝算はない。
乗り込んでくるとすれば、それはバキバキに訓練したプロフェッショナルだ。ちょっと射撃訓練をしただけの、まともな装備もない俺たちが勝てるわけがない。旧型の人間だけで戦うならば、だが。
「十三階の少女に頼んで、侵入者を廃人にしてもらうのは?」
「おそらく有効ですが、あくまで一時的な勝利にしかなりませんよ。電力の供給が再開されなければ、いずれ水槽も活動を停止します。その後はどうするのです?」
「ムリですね……」
はい。俺のおつむではここらが限界のようです。
最初からムリな戦いだった。
いや、ここまで粘れただけでも十分だろう。俺は自分を称賛していい。よくやった。三週間ほどゆっくり過ごしたっていい。あとは行政が保護してくれる。きちんと働いて税金納めてたんだから、最低限それくらいしてくれるよな。
一部の仲間を見殺しにすることになるが……。
いや、それだって電力の供給が再開されればクリアされる問題だ。行政がなんとかしてくれる。
*
やる気をなくして部屋で寝ていると、餅が侵入してきた。
「このドアの隙間、狭くていつも眼球がひっかかるのよね……」
ぶつくさ文句を言いながら、じわじわと這い寄ってくる。
「よっこいしょっと。愛しい人、元気がないわね。この私が添い寝してあげるから元気出しなさい。あなたの不幸は私が引き受けてあげる」
「ありがとう。気持ちだけでも嬉しいよ」
無遠慮に乗り上げてきたので、俺は表面をなでてやった。
彼女は「ふふん」と笑った。
「男の人ってえっちよね。すぐお尻触ってくるんだから」
「はっ? ここケツなの?」
「ほぼお尻よ」
しかし眼球のすぐ脇だぞ。頭かと思ってなでてたのに。
「ほぼってなに?」
「実際は腰だから。お尻はもっと向こう側」
「頭は?」
「逆側」
これは動物学者でも理解を放棄するのではなかろうか。
仕方がないので、俺は頭と思われる部分をなでた。
「なんだか子供扱いされてるみたい」
「そもそも人間扱いしてないかも」
「失礼ね。あんまり言うと噛み付いちゃうんだから」
「やめてくれ」
普段、彼女は姉妹の手足を骨ごと食っている。俺なんぞが噛まれたら、即座に絶命するだろう。
彼女はしかし噛み付いてこない。ただすりすりと肌をこすりつけてくる。
「こうして肌を触れ合わせるのって幸せね。せっかくの不幸が消えちゃうわ」
「いいじゃないか」
むかし祖父母が猫を飼っていたのを思い出した。少し仲が良くなると、こんな感じですぐに体をこすりつけてくる人懐こい猫だった。
やはり俺は、この子を置き去りにして去ることはできない。
なにかないのだろうか。
外をうろつくマネキンどもがこの穴へ戻ってきて、なおかつ安定的に電力が供給され、俺たちが好きなときに出たり入ったりできるようになる都合のいいアイデアが……。
(続く)




