逆ギレ合戦
夕飯のとき、食堂が少しざわついた。参加者がひとり足りないことに、みんな気づいたのだ。しかし俺は誰にも事情を説明せず、ただ食事を済ませた。
食後もみんな残った。絶妙なタイミングでツアーガイドが入ってきたからだ。
「ご報告がございます。皆さま、少々そのままでお願いいたします」
これに中年男性は「なんだよ」と悪態をついたが、それでも席を立ちはしなかった。
「本日、ダンジョンへチャレンジされたお客さまが一名、命を落とされました」
すると今度こそハッキリとしたざわめきが起き、何名かが俺を見た。一緒に出かけたのを目撃したのだろう。
ガイドはこう続けた。
「お客さまのご遺体は、腕章をつけたまま、いまなおダンジョンのどこかに放置されている状態です。パンフレットのQ&Aにも記載されております通り、腕章の遺失はペナルティとなります。具体的に申しますと、フェリーが来なくなります」
これに中年男性が立ち上がった。
「おい、ちょっと待ってくれよ。フェリーが来ない? なんでだよ? そいつが勝手に死んだだけだろ? 俺たちに関係あるのかよ」
「そういう決まりですので」
「は? ふざけんなよ。運営上の死亡事故だろ? つまりあんたらの責任だ。それでもまだ続けんのかよ? おかしいだろ!」
俺とほぼ同じリアクションだ。
しかしガイドの返事もまた同じ。
「とはいえ決まりですので……。お客さまの署名した契約書にも、ルールに従うと記載されておりますし」
「こんなバカげたことには合意してない! 無効だろ、そんなの! 分かってんのか? あんたの言ってることはおかしいんだよ! 警察呼ぶぞ!」
「警察? それは構いませんが……」
彼女が反論しないのには理由がある。通報の手段が存在しないのだ。スマホもつながらない。固定電話もない。ネットもない。だから警察など呼ぶことができない。
中年男性も次第に青ざめてきた。
「いいから警察だ! 電話貸せよ!」
「申し訳ありません。規則により、電話などをお貸しすることはできないことになっております」
「はぁ? そんなの通用するかよ? あるだろ、電話くらいよ」
「運営に関する内容につきましては、すでに開示されている以上のことを申しあげることができません」
「ふざけんな!」
ダンとテーブルを叩いた拍子に、食器が少し浮き上がった。
この光景も、少し前なら、うるさい中年クレーマーと、職務上反論できない気の毒なガイドというふうに見ることができた。しかしいまは違う。このガイドは俺たちの命をなんとも思っていない。敵とまでは言わないが、少なくとも味方ではない。
メガネが挙手をした。
「あの、契約書のことはよくおぼえてます。ちゃんと読みましたから。たしかに、ツアーのルールに従うって書いてありましたよね。まさか、こんな酷い内容だとは思いませんでしたけど。それともう一点。こちらから契約を破棄した場合、ツアー側の設備をいっさい使用できなくなるという記載もありました。つまり、ホテルからも追い出されるってことですよね?」
この男、ちゃんと書面を読むタイプのようだな。それでも行間の悪意には気づけなかった。流し読みした俺よりはマシだが。
ガイドは笑顔でうなずいた。
「ホテルだけでなく、フェリーのご利用もお断りさせていただくことになります」
「ああ、そっちも。まあそうなりますかね。けど、腕章さえ回収すれば問題ないと?」
「はい。すべての腕章が揃えば、フェリーは予定通りに到着いたします」
「分かりました。質問は以上です」
するとガイドはにこりと笑みを浮かべ、俺たちに尋ねた。
「ほかになにか質問はございませんか?」
すると参加者の女が「どうしても帰りたい場合、どうすればいいんですか?」と質問を投げたが、ガイドの答えは「フェリーの到着をお待ちください」であった。
つまりは腕章がないとどうしようもないのだ。
ガイドが去ると、俺たちはそのまま談話スペースへ移動した。
中心にいるのは中年とメガネだ。
「ともかく、誰かが行って腕章を取ってこなきゃならんてことだよね? 死体が腐る前に行ったほうがいいと思いますねぇ」
まるで自分は行かないかのような口ぶりだ。
メガネは苦い表情をしている。
「みんなで行ったほうがいいんじゃないでしょうか? ひとりで行ってなにかあったら、失う腕章が増えますし」
「そんなの、行くとき腕章外してけばいいじゃん」
「いえ、腕章がないとゲートが開かないんです。パンフレット読みました?」
「……」
呆れたことに、この中年男はパンフレットも読まずに喚き散らしていたらしい。
奇遇なことに、俺もその部分は記憶にないが……。あとで読み直す必要がありそうだ。
俺が壁際で茶をすすっていると、例の女が近づいてきた。同じく茶を手にしている。
「言わないんですか?」
それが第一声だった。
なにかを知っている口ぶりだ。
俺は動揺を悟られないよう、静かに応じた。
「なにをです?」
「例の犠牲者と一緒にいましたよね、腕章つけて。そこでなにが起きたのか、見たんじゃないですか?」
「……」
あんなことになるとは思わなかったから、俺は人目なんてまったく気にしていなかった。目撃者はほかにもいるはずだ。
俺は茶をすすり、長めの呼吸をしてからこう応じた。
「あとで説明します。まだ心の整理がつかなくて」
「早めに済ませたほうがいいと思いますよ。取り返しがつかなくなりますから」
そう言いながら、彼女はすっと場所を移動した。
たしかに、隠していてもいいことはないだろう。あとから発覚すれば、なぜその場で言わなかったんだ、ということになる。隠し通せるならまだしも、すでに一部にはバレている。
しかし、俺は人を見殺しにして逃げたのだ。そのせいでフェリーが来ないことになり、みんなもイライラしている。いまの状況で言えるわけがない。
胃がムカついて夕飯を吐き戻しそうだ。
*
部屋へ戻り、バッグからパンフレットを取り出した。みんなの言った通りのことが記載されている。腕章は大事。ゲートに入るときは着用が義務。なくしたらダメ。
ベッドに放っておいた腕章を拾い上げ、なにかヒントがないか確認してみた。ビニール製。マジックテープで固定するタイプ。蛍光の緑地に黒で「参加者」とある。それだけ。
どこからどう見ても貴重なものではない。
溜め息ばかりが出た。
こんなもののために、俺たちは命を危険にさらすハメになってしまった。じつにバカげている。明日なんて来なければいいのに。
枕に顔をうずめて現実逃避していた俺は、しかし大事なことを思い出した。
ランドリーに服を突っ込んだままだ。
*
ランドリールームには誰もいなかった。きっとみんな部屋で暇をもてあましていることだろう。
俺はフタも開けず、また洗濯を開始した。
ジャーと水の流れ込む音がする。
俺はボロボロの丸椅子に腰をおろし、小窓から衣服の踊るのを眺めた。ほかにすることもなかった。
今日はとても疲れた。日の出を眺めて、モンスターを撃ち殺して、パーカー男を見殺しにして……。
あいつらは裸足だから、ほとんど足音を立てない。においもほとんどない。接近するまでは、そこにいることさえ察知できないのだ。声をあげるのも、こちらを発見してからだ。
つかまれたパーカー男は体をへし折られていた。きっとマネキンはおそろしく握力が強い。接近戦を挑むのは得策ではない。となれば、戦うなら遠距離がベスト。しかし銃はいつか弾が切れる。
いざというときのために、刃物はあったほうがいいかもしれない。火を試してみるのもいい。防具を用意するという手もある。
できることをしないと……。
*
洗濯を終えた俺は、また自室でパンフレットに目を通した。
モンスターを駆除するたび、参加者にポイントがたまる。そしてもっともポイントを稼いだものが「英雄」と認定され、表彰とともに豪華賞品を受け取ることになっている。
つまり、運営はダンジョンを監視しているのだ。そうでなければポイントなど判定できない。
次、ポイントがたまるとレベルがあがる。装備品のグレードもアップする。レベル1では拳銃かナイフしか貸し出してくれないが、レベル2では追加でマガジンや無線機などもオーダーできる。レベル10ならグレネードランチャーまで貸し出してくれるという。そもそもそこまで行くヤツがいるのかは不明だが。グレネードなんか撃ち込んだら、設備だって壊れてしまうだろう。
自分のレベルは、ガイドに直接尋ねるか、あるいは緩衝地帯で武器をオーダーする際にも確認できる。
*
翌日、全員参加でダンジョンへ。
みんなきちんと腕章をつけている。自作のダンボールアーマーで完全武装しているものもいる。まあ努力は認めたい。なにもしないよりはマシだ。
金網のゲートを抜け、緩衝地帯へ入った。ボックスについた液晶には「二宮渋壱さま レベル2」とあった。最初はレベルが上がりやすいらしい。俺はP226と予備のマガジンを受け取った。
ふと、ダンボールのおじさんが、含みのある笑みで近づいてきた。
「へぇ、あなたレベルあがったの? 凄いじゃない。やっぱり昨日のアレで?」
「すみません……」
こいつも目撃者か。
謝ってやり過ごすしかない自分にも腹が立つが、このおじさんのねっとりした感じも気に食わない。ムヤミに嫌味ったらしいというか。
五十代であろうか。得意顔でダンボールアーマーを見せつけている。しかし銃を受け取ったのち、アーマーの上にホルスターを装着できないことに気づき、散々キョロキョロしてから手で持つことに決めたようである。ニューナンブだ。警察ごっこでもするつもりだろうか。
「準備できました? じゃあ気をつけて行きましょう。押さない、駆けない、喋らない。これ徹底お願いします」
なぜか中年男性が仕切っている。
これにはねっとりおじさんも不快らしく、苦々しい表情だ。
まあ異論があるなら自分から提案すべきだが。彼の場合、誰かが不満を口にしてから同調するタイプかもしれない。
すると、さっそく意見を出すものがいた。
三白眼をした痩せた若者だ。
「あの、ちょっといいすか? 俺、きのう見たんすけど」
露骨にこちらを見ている。
中年男性が「なに?」と促すと、三白眼はこう続けた。
「この人、あの死んだって男と一緒にいましたよ。なんか知ってんじゃないっすかね」
おいおい、公開裁判でもするつもりか? いま仲間内で争っていても仕方がないというのに。
忠犬が権力者にしっぽを振っているんでなければいいが。
ともあれ、みんなの視線が俺に集中してしまった。
例の彼女は「だから言ったのに」という顔だ。素晴らしい助言をくれたのに、俺はまったく活かせなかった。
中年男性は顔をしかめ、こちらへ詰め寄ってきた。
「は? それホントなの? なんで言わないの?」
お互い、銃を手にしているということを思い出して欲しいな。
俺はなるべく相手を刺激しないよう、下手に出た。
「言おうとは思ってましたよ。ただ、適切なタイミングを見計らってただけで……」
「遅い。そういうの普通、朝の時点で言うよね? だっていまから入るんだよ? みんなが命かけて行くの。なんでいまそんなこと言うの? 遅いだろ」
ボス面しやがって。
俺は知っている。この手のヤツは、こちらが頭をさげると、その頭上に平気で足を置く。だから俺はじつに不本意だが、銃をいじりながら強めに応じた。
「俺は適切なタイミングと言ったんだよ」
「だからなんだ」
「いまじゃない。あとで言う。なにか意見でもあるの? まさか命令じゃないよな? あんた、いつから俺らの上司になったの?」
「なんだその言い方ァ! 誰かがまとめる必要があるから矢面に立ってんだろ。文句があるならお前がやれよ」
「分かった。じゃあ俺がやるよ」
こういうヤツはすぐに口を滑らせてくれるから助かる。
唖然としている中年男性を差し置き、俺は告げた。
「推薦を受けた二宮です。いまから現場へ案内しますので、皆さんついてきてください」
誰もが困惑している。さながらビュリダンのロバだ。どちらのエサを選ぶべきか判断できず、立ち往生している。
中年男性が抗議を口にした。
「あんたねぇ! 場を乱してるんだよ! 場を! 逃げてないで、昨日ここでなにがあったか言えよ! 人がひとり死んでんのに、なんで自分だけ無事なんだ? 説明をしろよ! 説明を!」
「説明ならするって言ったばかりだろ。歩きながらする。ついてきてくれ。レベル2のこの俺が案内するからさ」
「ふざけるな! 説明できないならひとりで行けよ! さっきからなんだ偉そうに!」
「ひとりで? へえ。それで、俺が死んだらどうするの? あんたが死体を回収してくれるのか? それだけ言っといて、まさか人にやらせたりしないよね?」
ま、ムリだろうな。
俺は構わず歩を進めた。
なんなら誰もついてこなくていい。俺だってどうしてもリーダーになりたいわけじゃない。この中年に仕切らせたくないだけだ。こいつは誰かを攻撃して地位を確保するタイプなのだ。きっと昨日の件を追求するついでに、俺という個人をみんなの標的にしておいて、自分の存在感を高めるつもりだろう。それを回避したかった。
するとダンボールおじさんが小走りでついてきた。
「あ、待ってよ。私も行くから」
ひとりが行動を始めると、次から次へと追従が始まった。
あの中年は口だけだ。まだ一発も発砲していない。自分の手を汚さないヤツが、人に命令できると思わないで欲しいものだ。俺たちは互いに上司でも部下でもない。
(続く)