意地
執務室へ戻った俺たちは、大統領と面会した。
「順調だったようですね」
スーツを着たマネキンが、今日も無表情で出迎える。
彼女は以前からログをあさっていたわけだから、上空から波が来ていたことも把握していたはず。なのに俺たちには黙っていた。
俺はあらゆる疑問を飲み込み、こう尋ねた。
「大統領の所見は?」
「順調だと思います」
「まるでガキの答案に花丸でもつけるような感想ですね。俺が聞きたいのはそんなことじゃありませんよ。大統領、あなた、上から波が来てたこと把握してたはずですよね? なぜ教えてくれなかったんです?」
「優先順位の高い情報とは思えませんでしたから。聞く準備のできていない状態で教えても、逆に混乱を与えるだけでしょう」
「ええ、混乱する自信はありますがね」
いきなり「上から波が来てる」などと言われても、俺は「なんだそれ」としか思わなかったことだろう。しかし十三階の少女と接触してからは、こちらもいくつか疑問を投げたはずだ。その流れで教えてくれればよかったのに。
彼女はこう続けた。
「あなたがいまもっとも知りたいのは、私の娘が脱出のためにどう機能するのか、ということではありませんか?」
「まるでエスパーですね。おっしゃる通り。教えてくれるんですか?」
「娘は、衛星とアクセスできます。このオフラインの空間からでもね。そして衛星の所有者はアメリカ。ですので、私たちはアメリカに救助を求めることができます」
待てよ。
衛星が飛んでいた事実だけでなく、そいつがどこの国のモノかまで把握してたってたってことか?
なんでも分かってるんだな。しかもずっと言わずに黙ってやがる。
俺はつい力を入れて念を押した。
「アメリカに? 本気で言ってるんですか?」
「ええ。ほかに日本政府を抑え込める組織があるのでしたら、そちらに頼むのでも構いませんが」
「……」
最大級の溜め息が出た。
なにも反論できない。
そりゃそうだ。俺たちが相手にしようとしてるのは日本政府だ。そいつを抑えようと思ったら、もっとデカいヤツを使うしかない。
アメリカは日本の同盟国だが、しかし経済面においては一人勝ちしていたいと考えるタイプだ。この研究所の存在も快く思っていないだろう。だからこそ衛星で攻撃もしたわけだ。
そのアメリカを頼るというのは、いいアイデアかもしれない。彼らにしたって、研究所へ介入する口実を得ることになる。日米地位協定があるから、アメリカはヘリさえ「不時着」させれば、日本人がその一帯へ踏み入ることを拒否できる。あとは気の済むまで探検すればいい。
しかしずいぶんと大袈裟な作戦だ。
俺たちは助かるかもしれないが、研究成果を全部持っていかれることになるだろう。
ま、人の命を粗末にするような運営が、アメリカになにを奪われようが知ったこっちゃないが。
「けど大統領、そんなにうまく行きますかね」
「もし不安でしたら第二の案がありますが」
「えっ?」
あるの? かなりスッと代替案を出してきたぞ。まともな内容ならいいが。
彼女は表情を変えず、こう続けた。
「娘の水槽にありったけのハーモナイザーを接続し、最高レベルで出力するのです」
「それをやると……どうなるんです?」
「分かりませんが、きっと大変なことが起こるでしょう。運営もこの研究所を管理する余裕を失うはずです。副次的な効果として、地上に人が住めなくなる可能性がありますが」
「分かりましたよ。素直にアメリカさんを頼ることにします」
地上から人類が消滅すれば、人類の悩みもすべて消えてなくなる、というワケだ。あまりにバカげている。
すると大統領はなにか感情をにじませそうになりながも、静かにこう続けた。
「しかし時間をかけすぎれば、最悪の結果を迎えることになるでしょう。運営はここから手を引こうとしているように見えます。ツアーの無期延期もその影響でしょう」
「なぜ?」
「断定はできませんが、おそらく資金が尽きたのでしょうね。リソースは無限ではありませんから。スポンサーも、回収できるかどうか分からないものに、いつまでも資金を投入したりしません」
最後にモノを言うのは金か……。
「だったら、運営が手を引いてから堂々と脱出するって手もあるのでは」
「電力の供給が途絶えた瞬間、予測を超える事態が発生しますよ。暴走した姉妹が地上を目指す可能性もあります。それを阻止する運営がいなければ、姉妹はすぐにでも山を超えて人家へ到達することになるでしょう。地上から秩序が失われます」
なんてことだ。
もしこの膠着が長引けば、資金が尽き、電力の供給が止まり、大惨事を引き起こす。
もし資金が尽きる前に大統領が降参すれば、問題が起こる前に穴は埋め立てられる。地上はマネキンに襲われずに済むが、ついでに俺たちも口を封じられる。
アメリカに助けを求めれば、俺たちはたぶん助かる。マネキンも適切に処分してくれるかもしれない。しかし餅やアッシュがどうなるかは分からない。大統領もアメリカに回収されるだろう。
「大統領、ここにアメリカを入れて大丈夫なんですか? 彼ら、きっとここの研究成果に興味を持ちますよ?」
「あなたは、あなたの心配だけをしていてください。私は、歴史の流れにこの身を委ねます」
「……」
全員が無事に助かる方法はないのか。
餅をここに置いて出るだけならいい。しかしその後、アメリカの実験台にされるというのであれば、俺には許容できない。
*
答えが出ないまま解散となった。
各務珠璃は自由行動が許され、部屋も与えられることとなった。首輪はついたままだが。
俺たちは食堂に入り、一緒に食事をとることにした。餅も一緒だ。
餅は狂喜乱舞でビタビタ跳ねながら、生のまま手足を貪る。喜んでいるのはなによりだが、これでは地上に連れ出せない。
こっちは手軽にレトルトだ。今日は疲れた。
ふと、各務珠璃がスプーンを持つ手を止めた。
「さっきは言いませんでしたけど、運営の資金繰りが苦しくなっているのは事実なんです。強行突入を検討する声もありました。私は下っ端でしたから、あくまで漏れてくる情報しか手に入りませんでしたけど……」
電力の供給を止められる、というのは、さほど大袈裟な話ではないのか。
思えば、ここへ交渉に来た島田高志は、話の流れを無視していきなり供給の削減について言及してきた。ただ脅したかっただけではなく、予算がキツいという背景があったのかもしれない。
*
部屋へ戻るや、俺はベッドにダイブした。
来客はないだろう。このままそっとしておいてくれると嬉しい。
今日の探検もハードだった。
戦闘はなかったし、脳へ映像を食らったわけでもないのに、やたらと疲れた。
そもそも、地下五十階から地下八階まで移動して戻ってくるだけで重労働なのだ。足腰だけでなく、背中までヤバい。あの防護服は重すぎる。
機械の姉妹は、本当に機械に接続されていた。あれも進化なのか、みずから望んで接続したのかは分からない。あるいは偶発的な事故か。
これまで見てきたところ、完全に溶けている餅は例外として、水槽の少女たちは毛髪を有していた。見た目は人間だ。大統領やマネキンとは違う。
なぜかは分からない。
ここでは、サイキック・ウェーブという未知のテクノロジーで遺伝子を変化させている。よく分からないまま使っているから、変化の度合いもなかばランダムなのかもしれない。
大統領以外は「失敗作」という話だ。
ランダムだから、失敗の度合いもそれぞれ異なるのだろう。人間の遺伝子をそのまま使えば、普通は人間が生まれる。あまりに歪ませすぎると餅になる。
俺が気になったのはもう一点。
遺伝子を操作するためのサイキック・ウェーブが、人格の上書きにも応用されているということだ。
サイキック・ウェーブは、あるいは「メッセージ」とも言われている。
つまりは精神の発するメッセージが、進化へも影響を及ぼしているということだ。
俺だって「そんなバカな」とは思うのだが、ここで起きている現象を見る限りでは、そう判断するしかない。
大統領は、自然界で進化に影響を与えているのは、地球の発する波だと推測した。
となると、生命の進化は、地球の意思にコントロールされていることになる。
いや、影響を与えているとして、なにか考えがあってやっているとは限らない。なにも考えずに波を発していたら、意図せず影響を与えてしまった可能性だってある。あるいは地球の発している波が進化にとって都合がよかったから、生命の側が積極的に利用し始めたとも考えられる。
まあ分からない。
たぶん学者にしか分からないだろう。
ヒトは「幼形成熟」だという説がある。幼形のままサイズだけが成長する種、ということだ。まあそれでも毛が生えたり抜けたりはするのだが。
オメガとはあきらかに成長過程が異なる。
彼女たちは、魚類から二足歩行まで一気に変化する。俺は専門家ではないから、それを進化と呼んでいいのか、あるいは変態と呼ぶべきかは分からないが。少なくとも彼女たちは「幼形成熟」ではない。
あきらかに外見が異なる。
しかして水槽にいたのは、どれもほとんどがヒトだった。いわゆるオメガではない。
魚類から進化したのでもない。赤ん坊の状態から成長している。彼女たちは、どれだけ待ってもオメガにならないのだ。まあ便宜上、俺たちはオメガと呼んでいるが。実際にはヒトとオメガの中間的な存在なのだろう。
しかし中間にしてはだいぶヒトに寄っている。
ぼんやりとそう考えてみて、俺はふと、余計な疑問にぶち当たった。
大統領のことだ。
彼女は成功例と呼ばれている。だが、はたして事実なのだろうか?
おそらく知能テストには合格したのだろう。しかし本当にヒトの進化した姿なのか? 衛星の発した波のせいで、想定外のものに変化していないか?
衛星が定期的に波を出していたのなら、影響を受けたのが十三階の少女だけとは考えづらい。
もしも、だが……。
ここらに溢れているオメガ種が、じつは研究者の技術によって誕生したのではないとしたらどうだろう。もし外部からの波によって初めて誕生したのだとしたら? あらゆる前提が崩れることにならないだろうか。
研究は失敗していたのだ。
なのに外部の誰かが研究に乗じて波を発し、ここへオメガを紛れ込ませた。研究者は自分の手柄だと勘違いした。進化した次世代の「ヒト」を誕生させたと思い込まされたのだ。
それがじつはヒトでないとしたら……。
犯人はアメリカかもしれない。あるいは別の第三者かもしれない。
考え出すとキリがない。
しかし!
俺は安心していい。必ずしもこれらの謎を解明する必要はない。
十三階の少女が衛星にアクセスし、アメリカが乗り込んできてくれれば、俺たちは助かるのだ。正確には「俺たちは」ではなく「俺たちヒトだけは」だが。
本当にそれでいいのだろうか……。
大統領は自由を奪われるだろう。
自由は死に、俺を迎え入れてくれた自由同盟は機能を停止する。
仲間を見捨て、自分だけ助かっておいて、「めでたしめでたし」などと言えるだろうか。
俺は俺を許せるのか?
まあたぶん、ほとんど許せるだろう。俺はたいして立派な人間じゃない。しかし日常に戻ってから、あるいは茶を飲んで空を見上げたとき、あるいは風呂場で頭を洗っているとき、ふとした拍子に思い出す気がする。
誰かを犠牲にして生き延びたのだということを。
もっと自分が利己的なクソ野郎だったらと思う。謙虚すぎて、余計なことを考えすぎて、面倒臭いことこの上ない。人格者であるばかりに悩むことになる。
いや、悩んでいるというのもウソだな。
答えは出ている。
俺は彼女たちを見捨てない。
命を救われたのだ。その恩を仇で返すなんて、人として恥ずかしすぎる。仮に生き延びたとして、死んでいるのと一緒だ。断じて肯定できない。今度は俺が恩を返す番だ。
大統領のヤツ、俺を見下して好きにしろなんて言うが、そんなご高説まっぴらだ。旧型人類の意地を見せてやる。俺の英雄的な決断を、監視カメラにかぶりついて見ているがいい。
(続く)




