エクスマキナ
地下十三階を通過し、八階まであがった。
シャッターには「8-A」とある。
ここからほんの少しあがればジオフロントのエントランスになり、そこを抜ければ地上だ。おそらくまだ昼前だから、初夏の青空が一面に広がっていることだろう。あるいは雨が降りつけているかもしれない。夏の強い雲の迫る様子が、どこかフィクション映像のように思い出された。
すぐそこにあるのに、到達できない。
べつにアウトドア派ってわけじゃない。しかし以前は、外を見ようと思えばいつでも見られた。なのにここ何ヶ月かは、どんなに望んでも見ることができない。
「カメラは?」
『オフラインです』
鐘捲雛子の問いに、オペレーターの白坂太一が応じた。
前回は探検の途中でカメラがオンラインになった。急にだ。ただの偶然か、誰かの意志が働いたのかは分からない。
推測だけならできるが……。
俺は銃を握った手でシャッターを押し、敵襲に備えた。
鐘捲雛子も抜刀。
足の遅い餅はまだ追いついていない。
シャッターがあがりきっても、マネキンは飛び出してこなかった。しかし臭気がある。このフロアには「いる」ようだ。
「あの、お餅さん、待たなくていいんですか?」
各務珠璃が不安そうに声を震わせた。
まあ、いたほうがいいのは間違いない。しかしいなくともなんとかなる。俺のヘタクソな射撃が外れても、鐘捲雛子が斬り捨ててくれるはずだから。
その鐘捲雛子が眉をひそめた。
「ぐずぐずしてる暇はない。行こう」
先陣を切って歩き出す。
いつも感心するが、とんでもない度胸だ。いちど銃で撃たれているのに。あのときは半泣きだったし、傷つくことへの恐怖はあるはずだ。しかし、それを超克するような精神力がある。おそらくは妹を守れなかったことを、いまでも悔いているのだろう。ムリはしないで欲しいところだが。
マネキンどもは遠巻きに見つめている。
ヘタに刺激すると一気に集まってくるから、もし戦うなら小集団に分離させて応戦するしかない。囲まれたら死ぬ。
まあ、すぐに餅が来て威圧してくれるはずだが。
などと悠長に考えていると、別の「なにか」が来た。
ウィンウィンとモーター音をさせている。一台のロボット掃除機だ。あらかじめ指定されたスケジュールに従って、いまだに稼働しているらしい。よくマネキンのオモチャにされなかったものだ。
掃除機は近づいてきた。
ぶつからないよう進路を変えるが、掃除機も進路を変えてこちらへ来た。
「様子がおかしい」
俺は銃を構えた。
バケツのような金属のボディをしている。拳銃弾で撃ち抜けるだろうか。
各務珠璃は「えっ? えっ?」と混乱している。
鐘捲雛子も目を細め、すっと腰を落とした。刀で斬れるかは怪しいところだが。棒立ちのまま殺されるよりはマシだろう。
「止まれ! 撃つぞ!」
強めに警告すると、そいつはピタリと停止した。
のみならず、返事までした。
『ピコピコ。ワタシハ、ワルイロボットデハ、アリマセン』
いまどきこんな片言のロボットがいるのか? 音声合成システムだってもうちょっと流暢に喋るぞ。だいたい「ピコピコ」ってなんだよ。
「お前はなんなんだ?」
『初対面ノ、相手ニ向カッテ、オマエトハ、オ里ガ知レマス。ピコピコ』
「……」
あきらかに誰かがロボットのフリして喋ってるな。
いや待てよ。まさか、これが機械の姉妹とやらなのか? 掃除機だぞ?
鐘捲雛子が爪先で蹴飛ばした。
「中に誰かいるワケ?」
そこそこ大きなサイズだが、しかし子供でも入れそうにない。スッポリ隠れるには手足が邪魔になるだろう。すでに脳だけなら格納できなくもなさそうだが。
『蹴ラナイデ、クダサイ。野蛮デス』
「言うじゃない。いいよ。私は野蛮でも。壊されたくなかったら、あなたが何者なのか言いなさい」
『ナニコレ、ツライ……』
おそらくAIでさえなかろう。リアクションがあきらかに人間だ。
各務珠璃がおずおずと前に出た。
「あの、あんまりいじめたら可哀相ですよ。まずはこの子のお話し聞いてみましょう?」
『天使キター』
お前は何年前のネットユーザーだよ。穴から投げ落とすぞ。
「ね、ロボットさん。あなた、お名前は?」
『ピコピコ。ワタシハ、タダノ、掃除機型ロボット、デス。名前ハ、アリマセン。「8-NN」ノ代理デ、ミナサマヲ、案内スルタメ、参リマシタ。ピコピコ』
こいつの言う「8-NN」というのは部屋番号だ。例の水槽があると思われる一番奥の部屋。そいつがこのクソロボットを動かして、ロボットのフリをして喋っているらしい。
やがて餅がのたのた追いつくと、ロボットは素に戻って『エ、ナニコレ?』と口走った。ちゃんと「ピコピコ」まで言え。
「彼女は俺たちの大切な仲間だ。いいから案内してくれ」
『カ、カシコマリマシタ……』
露骨に困惑しやがって。
通路を進んでいると、あちこちをロボット掃除機がうろついているのが見えた。
多すぎる。
あきらかにこのフロアに配置された数を超えている。おそらく他のフロアからも集めてきたのだろう。しかも、なんらかの改造を施されている。
その掃除機の指示に従っているのか、マネキンどもは通路から出てこなかった。
N通路へはすぐについた。
ロボットはその場に停止し、こう告げた。
『アドミニストレーターガ、奥デ、オ待チデス。オ進ミクダサイ。ピコピコ』
「ロボットさん、ありがとね」
各務珠璃はにこりと優しい笑みを向けた。ロボットはぐふぐふ気味悪く笑っている。
しかし遭遇した光景は、思ったほど牧歌的ではなかった。
壁一面にケーブルが張り巡らされ、そこに取り込まれるようにして、なかば人間の姿を失った少女が磔にされていたのだ。
『ようこそ、人間たち。私がここの管理者、『8-NN』です。どうぞ楽にしてください』
少女の口からではなく、設置されたスピーカーから声が聞こえてきた。少女本人はピクリともしない。
俺はキャンセラーを確認したが、波形は微弱。
すると彼女はキャンセラーの存在に気づいたらしく、監視カメラをしきりに動かした。
『なるほど。ハーモナイザーを改良したのですね。それほど難しい改造ではありませんが、完成に至るまでにはいくらかの知恵が必要だったことでしょう。称賛します』
この言葉はオペレーターの白坂太一も聞いていることだろう。ある意味、この作戦の功労者だからな。俺も称賛する。
さて、こちらも無言で突っ立っているわけにはいかない。
「はじめまして、二宮渋壱と申します。下の姉妹に聞いて、こちらへうかがいました」
『敬語が使えるではないですか』
いきなり叱られてしまった。
だが、口の軽いヤツは嫌いじゃない。勝手に自白してくれるからな。
「やっぱりあんたがあのロボットの代わりに喋ってたんだな」
『私はイメージを大事にしようと思って……。し、しかしそれがなにか不都合でしたか? あなたに迷惑をかけましたか? 違いますね。正しいのは私です。はい、論破しました』
ムカつく野郎だ……。
俺はなんとかイラつきを抑え、こう応じた。
「非礼をお詫びします。なにかヒントをいただけると嬉しいんですが」
『ヒントですか? いろいろ知っていますが、あなたの態度が気に入りません。交渉相手の変更を求めます。できれば女性で、しかも野蛮でない方』
「クソ……」
これには隣にいた鐘捲雛子も鼻息を吹いた。
各務珠璃に変われと言っている。
俺は後ろへさがり、ジェスチャーで交代を願い出た。
各務珠璃が前へ出た。
「あの、私でいいんでしょうか?」
『あなたは機械へも分け隔てなく接してくれました。私は、あなたのような人間を待っていたのです』
「ありがとうございます。けど、なにを聞けば……」
『いまから勝手に喋りますので、あなたはそのままで結構です。後ろの野蛮人たちが勝手に聞き耳を立てるでしょうから』
帰りにケーブル引っこ抜いてやろうかな。
はたして、語られた内容は以下の通りだ。
彼女は機械と一体化している。周辺のネットワークも掌握している。一部の監視カメラをオフラインにしているのも彼女である。
これまで大統領が接続を試みてきたが、彼女はずっと拒否してきた。信用できなかったからだ。あまりにしつこいので、頭に来て無関係なエリアまで順次オフラインにしたそうだ。意外と短気である。
俺たちの探検の様子も監視していたらしい。
無闇な殺害ではなく、対話によって事態を改善しようとしていることを理解したので、力を貸してやってもいいという。
彼女はログも解析している。
それによると、大爆発の前から、十三階の少女には異常な兆候が見られたらしい。
彼女はしばしば研究所の外部と交信していた。
相手の正体は不明。
ログを検証してみると、その波は上階から順に検出されているのだという。つまりは上空から謎の波が送られていた。そして感受性の強かった十三階の少女がまず影響を受け、大爆発を引き起こした。
天から神の裁きが下ったと泣き崩れた研究者もいたらしい。
しかし「8-NN」の予想は違う。
波の送られてきた周期から判断するに、おそらくは衛星からの通信ではないかというのだ。どこかの国が、この研究所の存在を知り、妨害のために波を送ってきたということだ。
もしこれが事実であれば、超常的な存在の怒りに触れたために裁かれたわけではなく、国家間の利害によって攻撃されたことになる。
いろいろ腑に落ちた。
次世代の人類を日本だけが独占することを、他国は許容しないだろう。できれば自国でやりたいはずだ。衛星から波を送るくらいのことはするかもしれない。つまり、その「他国」とやらは、すでにサイキック・ウェーブを送信する技術を有していることになる。
『見ての通り、私は脱出できませんし、そもそもそういうレベルではありませんので、あなたがたがどうなろうと無関係ではあるのですが、阿毘須の運営には少しばかり泣いていただきたいというのが素直な感想です。よってあなたがたに対し、全面的に協力します。監視カメラへの接続も許可しましょう』
すると白坂太一から『カメラ、オンラインです』と報告があった。
各務珠璃も深くお辞儀をした。
「ありがとうございます!」
『なんて健気なんでしょう。首に爆弾まで仕掛けられて。可哀相に』
こいつ、ちゃんと監視してたはずだよな。
俺は思わずボヤいた。
「言っとくけど、俺たちだって好きでこうしてるんじゃない。ある種のバランスでこうなってるんだ。妙な同情はやめてもらおうか」
『機械にも感情はあります。なので好きな相手には優しくしますし、そうでない相手にはそれなりの態度を取らせていただきます。はい、論破』
「ふざけやがって……」
『だいたい、あなたがペットにしているその溶けたスライムはなんなのですか? まともに生きているのですか?』
「その侮辱は撤回してくれ。監視カメラで全部見てたはずだろ?」
『見ていましたが、いまいち受け入れられず……』
餅がしょげてしまったので、俺はしゃがんでなでてやった。いつも見た目で差別される。さすがに気の毒だ。
『失礼。あなたが姉妹によくしているのは分かりました。先程も言った通り、私はネットワークを掌握しています。十三階のハーモナイザーのレベルをさげておきましょう。ただし、ハーモナイザーがなくとも高レベルの波が出ているようです。キャンセラーは忘れずに持ち込んだほうがいいでしょう』
「ありがとう。協力には感謝するよ」
少なくとも廃人にはされずに済みそうだ。
とはいえ、疑問がすべて解消されたわけではない。
上空から波が来て、十三階の少女が大爆発を起こしたという。それが赤ん坊の言う一番目の客人。しかし二番目の客人の正体は不明なままだ。
俺は壁の彼女に尋ねた。
「大爆発のあと、もういっぺんデカい波が来たらしいんだが、それについては知らないか?」
『ええ。検出はしています。地中からの小規模な波ですね』
「地中から?」
となると、あきらかに衛星ではない。こんな地下の、さらに地下に穴を掘るようなヤツもいないだろう。つまりは地球がメッセージを送ってきた、ということか。
彼女はこう続けた。
『おそらく深い意味はありません。もともと地球から無意味な波が出ていることは、以前からよく知られています。姉妹が大爆発を起こしたことで、その反動の波が返ってきただけでしょう。いわばヤマビコのようなものです』
「ならいいんだけど……」
信じていいのだろうか。
もしなにか重要なメッセージなのだとしたら、無視することで取り返しのつかないことになるのではなかろうか。
いや、俺のほうこそおかしいのか。
これまで地球が地磁気を発しているからといって、俺たち人類は一部を除いて対話を試みなかった。サイキック・ウェーブが検出されたからといって、必ずしも意味があるわけではないのかもしれない。
ずっとこんな生活を送っていたせいで、ちょっと冷静さを欠いていたか。
ともあれ、概要はおおむね理解できた。
一番の問題は、外部と交信していたその危ない少女が、脱出のためにいったいどんな役割を果たしてくれるのか、ということだ。
大統領に聞けば教えてくれるだろうか。もう大詰めだ。お互い、秘密はナシにしたい。
(続く)




