チェンジ
最下層へ帰還し、大統領の執務室にて状況を説明した。
赤ん坊との対話に成功したこと。彼女と接触した謎の人物がいるらしいこと。先に八階を探検したほうがいいらしいこと。などなど。
特に隠していても仕方がないと判断し、今回はすべて報告した。
大統領はいつもの調子で「そうですか、分かりました」としか言わなかった。
しかし餅が足元でバタバタとうるさかった。
どうしても話したいことがあるらしい。
赤ん坊との対話は、わざわざハーモナイザーの出力レベルをあげないといけないほどの弱さだったから、あまり脳への負担もない。連続で餅と対話できる余力はある。
大統領も困惑顔だし、各務珠璃も怯えていたから、俺はとりあえず餅の相手をしてやることにした。
「大統領、すみませんが準備をお願いします」
「ええ」
彼女もどこかほっとした様子だった。
*
各務珠璃は廊下へ出た。
すると視界は闇に閉ざされ、俺と少女ふたりきりの世界が訪れた。
彼女はやや上方から告げた。
「私が不幸なのはいい加減理解したと思うから、いつものくだりは省略するわね」
「それは助かる」
無闇な不幸アピールは彼女のアイデンティティーのはずであるが、それを省略するからには、よほど重要な話が待っているのであろう。
彼女は長い黒髪を手で払い除け、目を細めてなじるような表情でこう続けた。
「あなたは、もう探検ごっこなどするべきではないわ」
「えっ?」
「他の姉妹と仲良くしすぎなの。あなたは誰にでもヘラヘラしていて、みっともないわ。そう、これは嫉妬よ! あなたは私だけを見るべきであって、他の誰のことも見るべきではないわ」
とんでもない独占欲を真正面から叩きつけてきた。
できれば人間にモテたいのだが。顔がどうこうではなく、彼女は形が人間でないどころか、もはや脊椎動物かすら怪しいではないか。
「分かってくれ。対話しないとここから脱出できないんだ」
「しなくていいわ。あなたはここで私と暮らすの」
「大統領から事情を聞いたのか?」
「ええ。そして理解したわ。地上はありとあらゆる不幸に満ち溢れた、穢れた大地であることが。そんな場所に、あなたを行かせるわけにはいかない」
ビシと謎のポーズを取っている。
かなりの決意の現れということか。
「あの、ひとつ質問いいかな」
「許可するわ、私の愛しい人」
「このところ、君の姉妹と会話してみて思ったんだけど、ずいぶんオリジナルとは性格が違うなと思ってね。まあ、大爆発とやらのときに、周囲の人格を取得したというのは理解してるんだけど……」
すると彼女は、すっと真顔に戻った。
「知りたい?」
「やっぱり、なにか理由が?」
「ある。でも本当に? 知りたいの? これは冗談抜きでわりと不幸な話なのだけど」
「ごめん。踏み込みすぎたかもしれない。言いたくなければいいよ」
申し訳なさよりも、面倒臭さが勝った。面倒な話を聞くと、必ず面倒なことになる。
彼女はしかし聞いちゃいなかった。
「私たちが水槽の中で、オリジナルの人格を上書きされているのは知ってるわね? けどね、耐えられないのよ。あまりに哀しくて。表向きは幸福な記憶なのよ? ただね、その幸福がある日突然終わることも分かってる。その理由もね」
「オリジナルは、あの官僚の娘なのか?」
「そうよ。そしてその父親に捨てられた。ううん。当時は事情さえ知らされなかったわね」
「じゃあ、なにも分からないまま水槽へ……」
「彼女は知能テストで好成績をおさめたの。しかも健康だった。見た目も悪くない。そして父親はなんらかのミスを挽回するため、プロジェクトで成果をあげたかった」
「そんな理由で娘を差し出したのか?」
「はじめは簡単な遺伝子の提供という流れだった。けれども、そのうち体をまるごと提供することになって……。もちろんただの犠牲じゃないと、自分に言い聞かせてるみたいだけどね。だってこのプロジェクトが成功したら、彼女は次世代の人類の母となるんだもの。そして父は栄転し、歴史に名を残す。彼らの一族が、次の日本人のスタンダードになるの」
名誉欲、出世欲、そういうものがひとりの少女を殺害した。いや、殺害だけで飽き足らず、複製し、上書きし、まるでデータのように扱った。その現場がここだ。
餅ははるか遠くを見つめた。
「私だけでなく、きっと姉妹たちも、そんな記憶を一刻も早く捨て去りたかったんだと思う。そんなときにサイキック・ウェーブの大爆発が起きて、新たな人格を取得するチャンスを得た。その結果、こんな素敵な少女に変貌を遂げたのよ。だから愛しなさい」
隙あらば愛を求めてくる。
俺はつい笑ってしまった。
「君のことは嫌いじゃないよ。ただ、体の形が違いすぎる」
「私は気にしないわ」
「俺もいいけど……。それでもいちどは地上に戻りたい。ずっとここにいることはできないよ」
「ほかの餅に浮気する気ね」
「君みたいなヤツ、どこを探してもいないよ」
「称賛と受け止めておくわ。不幸な世界だけれど、その言葉のおかげで少し心が癒やされそうよ」
ふたりもいたら困る。というより、彼女は分裂できるみたいだから、ふたりどころか三人でも四人でもなれそうだが。
「探検は続けたい。君も協力してくれると助かる」
すると彼女は両手で顔を覆った。
「ああ、なんてこと! 私は、私のもとを離れる愛しい人のために力を貸してしまうのね! ううん。いいの。拒むことはできないわ。だってあなたの頼みだもの……。けど不幸よ。この世界は不幸まみれ。不幸以外のなにも存在しないわ」
「可能な限り対話に応じる。それじゃダメか?」
「いいわ! それでいいわ! 最高よ! やっぱりあなたは私を愛しているのね。愛が重たいわ。潰れてしまいそう」
なお実物はすでに潰れている。
情緒不安定のようにも見えるが、とにかく素直なのは助かる。
彼女はきゅっと片目をつぶった。
「今晩もベッドに忍び込んじゃうから、覚悟してね、愛しい人」
「わ、分かった」
ドアの隙間からリアルに忍び込んでくるので怖い。
*
執務室を出てから、俺はキッチンへ向かった。疲れたのでレトルトだ。鍋を火にかけ、煮えるのも待てず、適当に処理してしまった。
おかげでぬるい。
広い食堂でひとりでメシを食っていると、かつて残業していたオフィスを思い出した。まわりはみんな帰っているのに、俺だけ仕事。節電とかで、オフィスの半分は消灯だ。
バリバリ頑張って早く帰ろうとすると「なんだもう帰るのか」と嫌味を言われ、怠けてダラダラ居座っていると「頑張ってるな」と声をかけられる。最底辺のブラック企業という感じではなかったが、あらゆる悪習にまみれた職場だった。残業代は出ないから、残っているぶんにはなにも言われない。
小さなIT企業だった。例の官僚も来たことがある。どんな用件かは不明だが。俺は何度か応接室でお茶を出した。が、彼は俺のことなど覚えていないだろう。なにせ一企業の下っ端社員だ。名刺交換さえしていない。
社長の個人的なツテだったんだろう。たぶん俺たちの業務とは無関係な、官僚のマネーロンダリングに加担していたのだ。会社の会計は不明瞭だった。
かくして社長は官僚に恩を売り、なにかウマい仕事を回してもらう、というわけだ。そのおこぼれは、こちらへは回ってこない。
シチューを食い、自室へ戻ると、小田桐花子がベッドに腰をおろしていた。
「やっほー! ね、今日も暇? これからシない?」
またしても半裸だ。
即座に股間に来るから困る。
「ごめん。今日はムリだ」
「なんで?」
「餅と約束してるんだ」
すると彼女は本気でイヤそうな顔を見せた。
「マジで? それはムリだわ。てかアレとヤってんの?」
「ヤってないよ」
「ホントに? てか添い寝とかいって、マジありえないんだけど。なんか気持ち悪くない?」
「猫みたいなもんだよ」
「ありえない。マジでナイわ。あたし帰るね」
行ってしまった。商売にならないと分かるとじつに冷たい。まあ彼女が欲しいのはレトルトだけであって、俺のことなどどうでもいいのだ。
その点、餅は俺のことを愛してくれる。やや微妙な気持ちになるが。いや、嬉しいことは嬉しいのだが、あまりにも存在が異質すぎる。感情というのは動物的なものだろう。その動物的な俺の直感が、彼女の存在を受け入れないのだ。
可愛いとは思うんだが。
まあ人間が猫と交配しないようなものだろう。どんなに可愛かろうが、そういうものではないのだ。
疲れてうとうとしていると、餅が来た。
彼女にとって、人生で初めて対話した相手が十三階の少女で、その次が俺か大統領のはずだ。特別な感情を抱くのも分からないではない。
しかしこのままの関係でいいのだろうか。
俺は地上へ出たい。
彼女は地上では生きられない。
いずれ別れのときが来る。
そのことを、改めてハッキリさせておいたほうがいいような気がする。賢い子だから、薄々分かっているとは思うのだが……。
そう。
分かっているだけに、こうして連日甘えてくるのだろう。
*
八階への探検が始まった。
本日のメンバーは少々特殊だ。
俺、鐘捲雛子、そして餅と、各務珠璃が同行している。オペレーターは白坂太一。
事の発端はこうだ。
出発の前日、大統領の執務室で打ち合わせをしていると、各務珠璃からお願いされたのだ。
「私も連れて行ってください!」
冗談じゃないと思った。どうせまたドサクサに紛れて武器を奪うつもりなのだろうと。
彼女はしかしこう続けた。
「手錠をしたままで構いません。私、自分がイヤになったんです。甘い夢ばかり見て、人を利用することばかり考えて。結局、なにもかも失ってしまいました。だから、変わりたくて……。連れて行ってください! 武器もいりませんから!」
そして鐘捲雛子の回答はこうだ。
「武器も持たずにうろうろして、お荷物にでもなるつもり? 私たちの負担が増えるだけなんだけど」
「それは……」
これは鐘捲雛子の意見が正しい。自分の身も守れないような保護対象が、無闇に増えることになる。
すると大統領がデスクをあさり始め、機械じかけの首輪を取り出した。
「ではこの小型爆弾を使用してください。遠隔操作で起爆するタイプです。これを各務さんの首に取り付けて、裏切ったらスイッチを入れましょう。皆さんはなにもしなくて結構ですよ。こちらで遠隔操作しますので。爆発は内側で起こります。周囲のかたは必要以上に警戒しなくて大丈夫。飛び散るのは当人だけです」
しれっと危ないことを言う。
志願したはずの各務珠璃も縮み上がっている。というより、俺だって縮み上がる。間違ってスイッチが入ったら首が千切れ飛ぶのだ。
俺は思わず訪ねた。
「大統領、なぜこんなものを……」
「保管庫で見つけました」
見つけたのはいいが、なぜデスクに。まさかこうなることを予見していたのか。あるいは各務珠璃の裏切り対策として、以前から準備していたのかもしれない。
するとその各務珠璃が、すっと息を吸い込んだ。
「や、やります! やらせてください!」
さすがに本気なのだと分かった。
裏切れば、その瞬間に即死する。常に首へ刃物を突きつけられているようなものだ。
かくして、各務珠璃は首輪をつけられた上で拘束を解かれ、いま俺たちに同行している。
武器は与えていない。代わりに、応急セットを持たせてある。衛生兵のようなものだ。応急セットといっても本格的な医療器具ではなく、傷を塞ぐための絆創膏や、包帯などの簡素なものだが。
きちんと役目を与えることにより、これが単に処罰的な同行ではなく、現場で助け合う仲間であることの確認になるらしい。俺のアイデアではなく、鐘捲雛子の提案だ。
ともあれ、機械の姉妹との対話が待っている。
赤ん坊の話によれば、彼女はなにか重大なヒントを握っているはずだ。それを聞かせてもらう。
(続く)




