三番目の客人
ようやく地下二十三階の探検が始まった。
俺にとってはセミファイナル。ラスボスの一歩手前といったところだ。
メンバーは俺、青村放哉、鐘捲雛子、そして餅。オペレーターは小田桐花子となった。
ホルスターにはCz75という馴染みのない銃を突っ込んでいる。ロクに試射さえしていないから、使い勝手もよく分からない。いや、ほかの銃だってさして詳しいわけではないが。トリガーを引けば弾が出る。それは間違いない。あとは使用感がしっくり来るかどうか。
青村放哉は無口だった。怒っているわけでも、疲れているわけでもない。ただ無気力のようだった。モチベーションがない、というやつなんだろう。なにせジェネレーターもハーモナイザーも、どうしても必要なものではなかったのだ。
とはいえ、ハーモナイザーはキャンセラーに改造できるから、拾えばかなり有効に使えるのだが。あまりやりすぎると、あとでシリアルナンバーをチェックされたときに問題になりそうだ。
「こちら鐘捲。念のため聞くけど、内部の様子は見えないのよね?」
『んー、なんかつながんない』
画面には「NO SIGNAL」と表示されているはずだ。
鐘捲雛子は溜め息混じりに抜刀した。
青村放哉が気だるそうにボタンを押し、「23-A」のシャッターを開く。
内部はガランとしていた。
特に気配はない。
もし通路の奥に潜んでいるにしても、なんとなく分かるものなのだが。マネキンたちの生活臭というか、かすかに生臭くて湿気った空気が漂っているものだ。
これは「いない」と判断していいかもしれない。
しかし大統領がログを解析した限りでは、奥に要注意個体がいるのだという。
薄暗い空間に、オレンジ色のライト。
床には血痕もない。コンクリートの硬質な床が、そのまま見える。かすかにホコリが積もっている程度で。
このフロアでは、特に大きなトラブルは起きなかったものと思われる。
餅の出番はなさそうだ。
ふと、本部の小田桐花子から『あっ』と声があがった。
『なんかつながった! 急に! 見えるよ!』
ネットワーク障害が直ったのか。それともただの接触不良だったのが、シャッターをあげた衝撃で直ったとか。見ていないので実際のところは分からないが。
鐘捲雛子が眉をひそめた。
「見えるの? 全部?」
『うん。全部。N通路の奥に水槽も見えるよ。中身までは分からないけど。このエリアには、ほかになにもないみたい』
いくらなんでも奇妙だ。
罠かもしれない。
しかし罠であろうと進むしかない。
「23-N」と書かれたシャッターを開き、今度は蛍光灯で照らされた通路を進む。
じつに静かだ。
自分たちの足音だけでなく、蛍光灯のジージー鳴く音さえ聞こえてくる。それに、奥で機材のブーン、ブーンとうなる音も。
青村放哉が先頭に立ち、躊躇なくドアを開け放った。
水槽がある。
あとは機材やデスクがある。
ほぼそれだけだ。
荒らされた形跡はない。
クリアな水槽には赤ん坊が浮いている。
まだ育っていない段階の個体のようだ。
俺はキャンセラーを取り出し、紫の波形をチェックした。微弱。というか、ほぼ直線だ。スイッチを入れるまでもない。人体には無害なレベルだろう。
三名で奥まで入った。
「すげーな。フル稼働だぞ」
青村放哉の言う通り、ジェネレーターもハーモナイザーも稼働しており、他のすべての機材も黙々と自分の役割を継続していた。
鐘捲雛子は水槽へ近づき、指先でコツコツ叩いた。
「まだ赤ん坊」
赤ん坊なら三十三階でも見た。あっちはだいぶ育った赤ん坊だったが。
さて、どうしたものか。
たぶんまだ生きている。
もし機材をいじったら死なせてしまうかもしれない。そう考えると、まったく手がつけられなかった。
通信が来た。
『ハーモナイザーのレベルをあげてください』
大統領だ。またハッキングしやがったのか。
俺は溜め息を飲み込み、静かに応じた。
「それで対話できるんですか?」
『おそらく。見た目は幼いままですが、言語は獲得しているはずです』
「了解」
俺は仲間たちを下がらせ、キャンセラーの波形を見ながら徐々にハーモナイザーの出力をあげた。脳になにかがまとわりついてくる感覚。
ふと気がつくと、まっしろな世界の中、やはり白い雲の上に、俺と少女だけが対峙していた。
「待ちわびたぞ、人の子」
ずいぶん大仰な物言いだ。
外見はいつもの少女のようだが、輪郭はぼんやりして見える。これが彼女の自己認識なのだろうか。
「君は?」
「我か? 我は自己を規定する言葉を持たぬ。汝はどうか」
「名前はあるよ。二宮渋壱。けどたしかに、自分が何者なのかを説明するのは難しいね」
「じつに」
実際は乳幼児なのに、なぜか仙人みたいな口ぶりだ。どうして彼女たちはこうもオリジナルとは異なる人格を有しているのだろう。
「ここで起きたことについて調べてるんだけど、なにか知ってる?」
「知っていると言えば知っている。しかして、知らぬと言えば知らぬ」
「禅問答は苦手なんだが」
「ただの事実。とはいえ、汝が興味を持ちそうな話をしてやろう。三番目の客人に帰られては寂しいからな」
三番目の客人――。
そう聞いた瞬間、俺は正体不明の恐怖に襲われた。俺より先に、ふたりの人物が彼女と接触していたことになる。誰だろうか。聞いても大丈夫だろうか。
彼女はふっと笑った。
「どうした? 先客が誰か気になるか? 一番目は、ほれ、上の姉妹よ。例の大爆発の折にな。オメガ・プロジェクトがどうとか言っておった。しかし残念ながら二番目は分からぬ。名乗りもせんかったからな」
「その、二番目の人物とは、どんな話を?」
「話? さてな。人の言葉ではなかった。ただ大きな波が伝わってきたのみ。理由もなき破壊衝動よ。しかして怒りにあらず。エネルギーの慟哭とでもいうべきか。まるで赤子の産声のような」
「それはいつごろ?」
「我は日時など把握しておらぬ。ここにはおそらくログというものがあろう。それを見ればよい」
ログを見れば、彼女になにかが接触したことが分かる?
じゃあ、大統領は二番目の人物の存在に気づいているのか? 誰だ? 十三階の姉妹以外に、そんな強烈な波を起こせる存在がいるのか?
「上にいる少女が、どんな存在なのか教えてくれないか?」
俺が尋ねると、彼女は思案するように虚空を見上げた。
「アレか……。もはや人ではなかろう。別のなにかに思考を委ねておる。大きな波との調和。歌には歌で応じるがごとく」
いやまさかとは思うが、人間を超えた存在と対話してるなんて言わないでくれよ。それは手に負えない。
俺は遠回しに訪ねた。
「その相手って、もしかして地球だったりして」
「土くれがモノを言うとな……。いや、あるかもしれぬが。しかし姉妹が通じているのは、いわば世界であろう。地表に張り付くあらゆる生命の合唱。それはもはやなにものでもない。大気の流れゆくがごとく。しかし無にあらず」
「ええと、集合的無意識とかいうアレのこと?」
「もっと簡単に片付けてよかろう。あらゆる生命の、ただ生きるための呼吸が波となる。その波どもの無意味な重なりを、姉妹はなんらかのメッセージとして受け取っているのだろう。よって無意味なのだ。少なくとも我らにとってはな」
ダメだ。ぜんぜん分からん。
十三階の少女は、本来ならば無意味なモノに意味を見出して、そいつに意識を委ねているということなのか。
木の模様が顔に見えたからといって、普通なら話しかけたりしないが、彼女は人だと思って接している。おそらくそんなところだろう。
周囲に対話可能な人物がいない状況下では、彼女がとりあえずそれらしいものにシンパシーを感じてしまうのは仕方がないかもしれない。ひとりでいる子供が、人形に話しかけるようなものだ。
まあどんな思想を持とうが自由にしてくれていい。
問題は、そんな人物に、かなりの能力が備わってしまっているということだ。
大統領は、彼女と協力すれば脱出できるかもしれないと言っていた。だから俺は協力したいと思っている。しかしそんな滅茶苦茶な人物が、はたして頼りになるのだろうか。
不安だ。
目の前のぼんやりとした少女は、こちらを見た。
「もし彼女に会うのなら、その前に、さらに上階の姉妹に会ったほうがいいと思うが」
「上階の?」
たしか八階にも要注意個体がいたはずだ。
彼女はゆるりとうなずき、こう続けた。
「機械の姉妹がいる。人の言葉を理解するかは保証できんがな」
「機械って、サイボーグ?」
「仔細は分からぬ」
「分かった。会ってみる」
なんだか分からないが、この人物の言うことには従ったほうがいいような気がした。まあ気がするだけだけど。なにせ仙人みたいな口ぶりだからな。こういうのに逆らうとロクなことがない。信じてもロクなことがなさそうだが。
当たるも八卦、当たらぬも八卦だ。
「無事を祈るぞ、人の子よ。またいつでも来るがよい。歓迎する」
「いろいろありがとう。助かったよ」
ふっと映像が消え去り、俺の意識はガランとした部屋に戻っていた。
水槽の中では、うつろな目の赤ん坊が浮いている。俺はハーモナイザーのレベルをさげ、静かに部屋を出た。
*
青村放哉が渋い顔で立っていた。
「おい、ちっと出力あげすぎだろ。こっちまで飛んできたぜ」
「ごめんごめん」
「なんか天国みてーな場所だったな。みんな仲良く死んじまったのかと思ったぜ。ま、こっちは一瞬で終わったけどな」
いちおう彼も「見た」というわけだ。
近くにいた鐘捲雛子も、餅も、あの映像を見たかもしれない。おかげでみんなちょっと困惑気味だ。
ともあれ、このフロアの探検は終了した。
赤ん坊をどうするかはそのうち考えるとして。次は本丸の十三階ではなく、八階に挑む必要がありそうだ。手っ取り早く十三階に乗り込んでもいいのだが、なにか見落としがあってもイヤだしな。
核心へ近づいているかは分からないが、少なくとも上階へは近づいている。
(続く)




