ディール
次の二十三階さえ片付けてしまえば、ようやく十三階へ到達する。そこには核心を知る少女がいる。
だからとっとと探検を進めたい。
なのだが、現場の状況は俺の希望だけではどうしようもない。
地上から客人が来た。
島田高志。
肩書は部長だ。この重責をひとりで担うくらいだから、ただの鉄砲玉ではあるまい。顔立ちは若くも見えるが、頭髪は白く、年齢が分からない。地味なスーツに地味なネクタイ。表情も冴えない。あまり外見には頓着しないタイプらしい。
彼は執務室へ案内されると、まず各務珠璃の存在に気づいたようだ。
「おや、無事でしたか」
「し、島田部長! お願いです! 助けてください! 私、ここでひどい目に遭っていて……」
ここぞとばかりに本性を現す各務珠璃。
どうあっても逃げ出したいのだろう。気持ちは分かる。だが、失敗したときのリスクも考えて欲しいものだ。
その島田高志は、困惑したように苦笑を浮かべた。
「でもね、各務さん。あなた、もう弊社の社員でもありませんし、私にそんなことを言われても困るんですよ。まさか生きてるとも思いませんでしたし」
「えっ」
すると彼は、大統領へ向き直った。
「まさか彼女も同席させるおつもりで?」
「ご希望であれば外させます」
「ではそのようにお願いします。進行のさまたげになりますから」
自分のビジネスだけしに来たというわけだ。冷静というか冷徹というか。感情論の通用しないタイプだ。おそらく自分たちのプランをいっさい曲げずゴリゴリ押してくるだろう。
各務珠璃だけでなく、餅やアッシュも部屋を出た。
話し合いは大統領と島田高志でやる。
俺、鐘捲雛子、青村放哉は、ボディーガード兼見届人といったところだ。ただの見学とも言う。
「ではテオさん、さっそく本題に入りましょう。事前にお渡しした資料はお読みただけたことと思います。あなたには、その内容に同意していただきたい」
資料のやりとりはオンラインでおこなわれる。
てっきりローカル・エリア・ネットワークなのかと思っていたが、運営とはつながっていたらしい。さすがにインターネットまではつながらないが。互いにアクセス制限をかけ合っていて、ごく限られた通信だけを許可している、という状況のようだ。
大統領は首を縦に振らない。
「結論から申します。提示された条件をそのまま飲むことはできません」
運営から提示された内容はこうだ。
1.ツアー客の扱いについて
行方不明になっていたツアー客を、即時運営へ引き渡すこと。
そして今後、同様のケースが発生した場合、すみやかに運営へ連絡し、引き渡すよう努力すること。
2.備品の扱いについて
研究所内の機材は、すべて運営の所有物であるため、不当に入手したものは即時返却すること。
そして今後、二度と勝手に使用しないこと。
これはジェネレーターやハーモナイザーのことを言っている。
3.個体「45-NN」「27-NN」の扱いについて
彼女たちは実験ミスによって発生した異常な個体であるため、適切に処理すること。
つまり餅やアッシュを殺せと言っている。あるいは、お前たちがやらないのなら、自分たちが代行してやるとも。
4.研究所内のログの扱いについて
大統領が各端末から集めたログを、運営へ「返却」すること。
運営はここのバックアップを取る前に、サーバーへのアクセス制限をかけられてしまったらしい。だから研究結果や、事件発生時の記録などが欲しいという。
5.その他
上記の四条件が承諾され、実行されたことが確認された場合、運営はしばらくの間ツアーの開催を見合わせる。
俺なりに、これらを総合的に考えてみると、運営どもはやっぱりクソだという結論へ至る。
自分たちは四つも条件を出して来やがるくせに、たったの一つしか譲歩して来ない。しかもその譲歩だって、譲歩と言えるような内容ではない。これはどう考えてもクソだ。
島田高志は「ふむ」と唸った。
「では具体的な交渉に入りましょう。どこをどう修正すれば受け入れていただけますか?」
「まず三番目の条件、私の姉妹を殺害すること。これは全文削除していただかないと話になりません」
「考慮しましょう。ほかは?」
おっとこれは。
その都度反論せず、各論は保留にしておきながら、相手に一通り喋らせるパターンで来た。
人間、喋っているとヒートアップしてあれもこれもと要求しがちになる。すると相手が割りを食っているような構図となり、大きな揺り戻しが発生する。結果、最終的になぜか妥協を強いられることがあるのだ。
のみならず、おそらくだが、この島田高志という男、そもそも条件の半分も通す気はないのであろう。いくつかの条件を飲んだ上で、自分たちがこんなに譲歩したのだから、あたなたちも少しは譲歩しろと言ってくるに違いない。
まあ大統領なら余計なことを口走らないと思うが。
「一番目の条件。ツアー客の引き渡しですが、あなたがたがツアー客を人道的に扱うとはとても思えません。信用のない状態で、この条件を飲むことは難しいと思います」
「メモしておきます。ご提案は以上でしょうか?」
「二番目の備品について。これも現実的に難しいと思います。なにせ私はこの施設を違法に占拠している立場ですから、備品の使用もその違法行為に含まれることになります。よって私がここから退去しない限り、避けがたく発生する事態であると考えます」
「これで三つ目の修正案が出ました。四番目はどうでしょう?」
「ログを提供する用意はあります」
大統領は、四条件のうち、三条件に注文をつけた格好だ。数だけ見れば、だいぶ自分の都合を押し付けたように見える。
島田高志は「結構です」とうなずいた。
「ひとつ確認しておきますが、あなたは、ご自身がここを違法に占拠しているという自覚はあるのですね?」
「ええ。しかし追い詰められてやむをえず、という前提をお忘れなく」
生存のためであれば、違法性が阻却されることがある。正当防衛や緊急避難がこれにあたる。
たとえば暴力的に追い詰められて、命からがら逃げたのであれば、住居侵入罪は問われない、ということだ。しかもこの場合、追い詰めているのは運営自身だ。なんなら運営どもの監禁罪を指摘できるくらいだろう。
そもそも法を破りまくっている運営にゴチャゴチャ言われる筋合いはないのだが。
島田高志はわざとらしく目を細めた。
「しかし困りましたね。話の半分もご理解いただけないとは。こちらとしては、事態を前へ進めるための建設的なご提案だったのですが。ここまで非協力的となると、今後の供給も削減せざるをえないと感じます」
まあそうだ。すべてのライフラインはこいつらが握っている。大統領に死なれたら困るかもしれないが、しかし弱っていてもいいのであれば、徐々に絞ればいいだけの話だ。食料だけでなく、電力の供給だって止めたいくらいだろう。
大統領は表情を変えない。
「今回の提案は、白紙に戻すしかないようですね」
「おや? いまの話を聞いていませんでしたか? 供給を削減すると言ったのです。それでも構わないと?」
「白紙です。供給の削減は協定違反でしょう。また話が変わってきます」
「どちらか選んでいただきたい。条件を飲むか、供給の削減か」
「協定を違反すればどうなるか、理解していないわけではありませんね?」
「もちろんです。さ、選んでください。選択肢はふたつにひとつ」
態度だけは互いにイッパシかもしれないが、おおむねガキのケンカと変わりない。運営の主張は「俺の言うことを聞け」で、大統領の返事は「嫌だ」。
ただそれだけのことを、ちょっとややこしくやっている。
すると青村放哉が、銃をいじくりはじめた。
「なあ、いいアイデアがあるぜ。こいつでおっさんの頭をぶち抜いて、風通しをよくするんだ。ぜんぶ解決する」
ぜんぶ解決というよりは、ぜんぶを台無しにするアイデアだ。
大統領もすっと向きを変えた。
「青村さん、許可があるまで発言しないようお願いします」
すると青村放哉は口で返事をせず、ぐっと親指を見せた。
島田高志は、もちろんこんな茶番に動じたりしない。
「絶対に譲れない条件はどれですか?」
「一番と三番です」
「おかしいですね。あなたはツアー客がここに迷い込むことを歓迎していなかったはず。彼らを送り返すことは、あなたにとってもプラスなのでは?」
「理由は先程も述べました」
「彼らがどうなろうと、あなたが傷つくわけではないでしょう」
「傷つきますよ。心がありますから。少々希薄かもしれませんが」
正直、俺はここを出たい。しかし運営の指定した方法では、必ず口封じのためになにかされる。あるいは命を奪われるかもしれない。だから大統領の選択には感謝の気持ちしかない。
島田高志は「なるほど」と不遜に溜め息をついた。
「あなたがどうしてもというのであれば、この二条件は譲歩しましょう。しかしそうなると、残りの二条件は絶対です」
「備品の返却も応じかねます。生活に必要なものまで奪われては、殺されるのと同じですから」
「分かりました。最低限、ジェネレーターとハーモナイザーだけご返却いただければ、今回は目をつむることとしましょう」
となると、彼らが本当に欲しかったのはログか。
大統領は各フロアから大量のデータを集めている。その中にはオメガ・プロジェクトに関する情報もあるのだろう。政府に押し切られてプロジェクトを曲げた運営としては、その真意を知りたいはずだ。
大統領がうなずいたので、俺は部屋の奥に溜め込まれたパーツ類を目の前に出してやった。カゴにわんさと機材が詰め込まれている。すべて稼働品。探検隊の血と汗の結晶だ。
島田高志は目を細めた。
「これですべてですか?」
「いいえ。残りは、のちほどリフトで上階まで返却します」
「数をごまかそうとしないでください。内部にシリアルナンバーが刻まれていますから」
「分かっています。しかし故障品はそもそも回収していませんから、欠番が出ても苦情は受け付けかねます」
「それはのちほど調査するのでご心配なく」
これだけの新技術だ。盗難防止用にシリアルナンバーを振るのは当然であろう。
しかし調査といったって、彼らにはしようがないだろう。なにせ運営はジオフロントへ入り込めないのだ。故障品の回収さえできやしない。監視カメラにもアクセスできない。だからこれは、ただのハッタリだ。
やはり彼らが欲しいのはログだ。
*
なかば押し切られる形で、しかし相手の譲歩を引き出す形で、新たな協定が結ばれた。
こちらはジェネレーターとハーモナイザーを返却するし、もう二度と手を出さない。そしてログを提出する。あくまで表向きは。
運営はツアーの開催を無期延期とする。
かくして島田高志は、パーツを満載にしたカゴとともに、リフトをあがって行った。
その後、俺たちはふたたび執務室へ集められた。
「よかったのかよ? なんか胡散臭ぇ感じだったぜ」
青村放哉は不満顔だ。まさか本当に発砲したかったわけではないと思うのだが。
彼の言い分はもっともらしく聞こえる。
こちらは、せっかく集めたパーツ類をほとんど持っていかれてしまった。ログも提供となる。
もちろん、いくつかちょろまかしてもいい。パーツもログも「これで全部です」みたいな顔をして、一部を隠し持っておくことはできる。相手には検証のしようがないから、こちらの言い分を信じるしかない。
島田高志は、そういう曖昧な条件だけを飲んで帰っていった。
運営はどこか結論をあせっているようにも感じられた。
いや、そもそも相手側の提示した条件も怪しいのだ。「ツアーの無期延期」なんて、彼らにとっては痛くも痒くもあるまい。
運営としては、大統領が降参したくなるような嫌がらせをできればそれでいいのだ。ツアー形式にこだわる必要はない。それに、ツアーを開催すればするほど大統領の味方が増える。なにせ第六回は、俺含めて三名もの行方不明者が出た。
きっとこの交渉に臨む前から、ツアーなんぞは延期する方向だったのであろう。
どうせ延期するのだから、交渉の材料に使ってやろうという魂胆だ。たぶん。
大統領は、すると平然と言ってのけた。
「ただの茶番でしたね。しかしお互い、ほぼノーダメージでした」
「いや、ノーダメージってこたないだろ。パーツぶん取られたんだぜ?」
「パーツ? それがなにか重要でしょうか?」
「は?」
間の抜けた返事をしたのは青村放哉だけだったが、俺も同じ気持ちだった。
当然、重要なはずだ。
なにせそのパーツのために危険をおかし、俺たちは探検を繰り返してきたのだ。
大統領は表情を変えない。
「きっと彼らが欲しがると思って集めていただけで、私にとっては無用の品でした。メッセージ・キャンセラーに応用できたのも想定外でしたし」
「……」
つまり、こういう交渉があることを予見して、あらかじめ集めてただけってワケだ。本人は特に使うつもりもないのに。
「言語を獲得した私には必要のないものです。餅との対話には必要かもしれませんが、なければないでなんとかなったでしょう。ともあれ、在庫はまだいくつか隠してありますし、いずれ必要になったらそれを使えばいい話です」
敵をあざむくにはまずは味方から、というわけだ。ヤキモキして損したぜ。いままでの探検はなんだったんだ。たしかにここは頭がどうにかなりそうなほど暇だし、アトラクションとしてはまあまあだったけれども。
青村放哉も落胆した表情だ。
「いや、待ってくれよ。じゃあなにか? もうパーツは集めて来なくていいってか?」
「いえ。また交渉の材料に使えるはずです。見かけたら集めてきてください」
「オーケー。堂々と協定を破るわけだな」
命をかけて集めてきたのだ。ガックリする気持ちも分かる。
しかし気になるのはログだ。
こういう研究所では、機材などが稼働すると、その稼働状況が記録として蓄積される。問題が発生したときに、なにが原因だったのかを探るためだ。
計器類のログは特に重要だ。おそらくサイキック・ウェーブとやらの強度も観測しているはず。どこでどんな大爆発が起こり、どのフロアに影響したか。その結果、水槽内部がどう変化したか。
あるいは大爆発の直前に、どの機材でどんな調整がおこなわれていたか。
そういうことが、あとから検証できる。
大統領は、きっとログからなにかを掴んでいる。だからそのログを運営にくれてやれば、彼らもなにかを掴むだろう。出し抜かれなければいいが。
(続く)




