代償行動
アッシュのことは、特に問題もなく受け入れられた。
餅がなぜか警戒するような態度を見せたが、ケンカに至るほどではないだろう。たぶん。あとで対話してみないと分からないが。
探検から数日の休息。
各務珠璃の独り言が増えて危険そうだということ以外は、特に問題もなく過ぎていった。個人的には、餅が部屋に入り込んでくる頻度が増えて困っているが。おかげで小田桐花子も近寄らないし。
トイレから出たところで、ばったり青村放哉に遭遇した。
「よう。座れよ。ちっと話そうぜ」
彼は前傾姿勢でベンチに腰をおろしていた。
もしや待ち伏せされていたか。
俺も隣へ腰をおろした。
「なにか?」
「オメーよ、南たちのことどう思う?」
「南? ああ、あの少年。どうって言われても、あんまり会話したことないんで」
南正太は、俺が勝手に中二と呼んでいる少年のことだ。いつも忍者とセットでいる。
青村放哉は小さく溜め息をついた。
「じつは前にあいつとモメたことがあってよ」
「なにかあったの?」
「いや、俺は仲良くしようと思ったんだぜ? で、いろいろ聞いてたらよ、なんか武勇伝みてーなことばっか言うワケよ。クラスでは誰も自分に逆らわねーだとか、キレたらヤバいとかよ。ずいぶんフカすなと思って掘り下げたら、どうもあいつ、いじめられてたらしいんだよな」
「あらら」
「でよ、まあ、なんか空気が重くなったっぽいからよ。一発ウイットに富んだジョークでもカマして、場を和ましてやろうと思ったワケよ」
嫌な予感しかしない。
すると彼は苦い笑みを浮かべた。
「おい、そんなツラすんなよ。俺だってそんなヤベーいじめだとは思わなかったんだよ」
「ひどかったの?」
「ああ、かなりな。フルチンの写真とられて、ネットにあげられたとかで。んでキレてカッター振り回したら、逆にボコられて、警察と救急車が来て大変な騒ぎだったらしいぜ。まあこれ言ってる最中もキレまくってたから、全部は聞き取れなかったけどよ」
「それいじっちゃマズいでしょ」
「まあ俺が悪かったよ。けど、ちゃんと謝ったぜ? なのにずっとブツクサ言って来やがるからよ。こっちも『めんどくせー』ってなって。まあそれキリだ」
関係は悪化したままというわけか。
青村放哉はしばらくあちこち余所見してから、背もたれへ寄りかかった。
「あとよ、これ誰にも言うなよ。あいつさ、いっかい鐘捲ちゃんにコクってフラれてんだよ」
「いや、それは秘密にしといてあげてよ。可哀相だよ」
「うるせーな。おめーも巻き込まれろ」
「あのふたり、だいぶ歳離れてるでしょ?」
「まあな。かたやハタチで、かたや高一だからな」
中二じゃなかったのか。
しかし鐘捲雛子が同世代に見えてしまうのは仕方がない。十九の小田桐花子より歳下に見える。
「ま、とにかく、あいつはいろいろ抱えてっから、接するときはちっと気をつけてくれってこった」
「あの忍者は? グッドマンさんでしたっけ? なんで彼の保護者みたいなことを?」
「知らね。なに言っても結局ニンニンだしよ。あいつが一番意味分かんねーわ」
会話の通じる相手だと思うのだが。
青村放哉はしかし席を立たない。まだ本題に入っていないのだろう。
今度は俺から話題を振った。
「やっぱりあの日、なにか見たんじゃないの?」
「大統領に聞けっツったろ」
「その大統領が教えてくれなかったんでね。青村さん、そのことを話したいから俺を呼んだんじゃないの?」
「えっ? いや、まあそうなんだけどよ……」
いつもなら無遠慮になんでも言ってくるくせに、今回ばかりはやけに言い渋っている。
「なんなの? 結論から言ってよ」
「は? じゃあマジで聞くぞ? 怒るなよ?」
「なに? 怒るようなこと?」
「オメーさ、あのスライムとヤってんの?」
「はい?」
なんで俺の話になるのだ。しかも餅とのプラトニックな関係を侮辱しやがって。
青村放哉は気まずそうな顔になっている。
だったら最初から聞くなと言いたいが。
曖昧な返事をして詮索されるのもイヤなので、俺はキッパリ答えてやった。
「ヤってないよ。どこが穴かも分からないし」
「分かったらヤるのかよ?」
「いや、ちょっと考えてみてよ。餅を見て興奮する?」
「オメーはするかもしれねーだろ」
「さすがにレベルが高すぎる」
すると彼は急に真面目な顔になり、こう続けた。
「じゃあどこまでならヤれる? 大統領は?」
「なに? まさか青村さん……」
「そうじゃねーよ! あくまで参考にだ」
「まあ、顔立ちはキレイだと思うけど」
「髪が生えてたらイケるか?」
「たぶん」
きっと水槽の少女を大人にしたような感じだろう。それはもう普通の人間だ。餅とは違う。
彼は「そうか」と溜め息混じりにつぶやいた。
「ま、俺も分からなくはねーんだよな。なんなら髪がなくてもイケるぜ」
しかし大統領は髪だけでなく、眉毛もまつげもない。体毛というものがないのだ。サルからヒトへの進化時に体毛が減ったことと関係があるのか、あるいはオメガが魚類からスタートするためかは分からないが。
俺は話を本題へ戻した。
「で、なんの話? 大統領とヤれるかどうかが、あのふたりと関係あるの?」
「ある。南の野郎、殺したオメガとヤってやがった」
「えっ?」
理解が追いつかない。
ふたりが「狩り」へ行っているのは、ただ探検したくないという理由だけでなく、性欲を満たすためだったということか? しかも俺たちはその残骸を食っている、と。
「ヤってるのは、手足を切り落としたあとだけどな。まあちっと気分は悪ぃわな」
「かなり悪いよ」
「見たところ、グッドマンはヤってねぇ。ただの付き添いだ。あいつマジでどういうつもりなんだろうな」
「理解不能」
「そうだよな。理解不能だよな。ま、しかし、アレだ。オメーに言ったらスッキリしたぜ。てことで、俺もう行くわ。じゃあな」
「えっ? えっ? えっ?」
いまだなんらの結論も出ていないのに、青村放哉は容赦なく立ち上がってどこかへ行ってしまった。
とんだクソ野郎からクソ話を聞かされたものだ。こちらはどうしようもない。
*
部屋で悶々としていると、ドアの隙間から餅が侵入してきた。最近、遠慮がない。追っ払うのも面倒なので俺は放っておく。
するとドアを開け放ってアッシュまで入ってきた。
「ここが二宮さんの部屋?」
「入る前にノックしてくれ」
「なんで? こいつはノックしてないのに?」
「言いたいことは分かるが、餅はノックができないから」
というより、会話ができない。聞こえているとは思うのだが、声帯がうまく機能していないらしい。これだけ全身が潰れていては仕方がない気もするが。
「それでご用は?」
俺が尋ねると、アッシュはちょこんと椅子に腰をおろし、不満そうに頬を膨らませた。
「なに? 用がなきゃ来ちゃいけないの?」
「そんなことないけど」
「スライム追っかけてたらここに来ちゃったんだから。仕方ないでしょ?」
「う、うむ……」
その餅はベッドを這い上がり、徐々にこちらへ迫ってきた。過去に何度か対話していなければ恐怖でしかないのだが。いまは無害であることが分かっている。
アッシュは足をぶらぶらさせた。
「あのさ、あの大統領ってヤツ、なんなの?」
「えっ? 大統領は、君たちの姉妹だろ。あるいは親子かもしれないけど」
「頭いいの?」
「たぶんね」
その頭のよさを確認したことはないが。少なくとも、だいたいの場合において俺たちよりは冷静だ。
アッシュは「へー」とつまらなそうに生返事した。その視線は、餅へと向けられている。
餅はいままさに俺へ覆いかぶさろうとしているところ。ちょっとした布団みたいだ。
「それさあ、えっちな行為じゃないの?」
「えっ?」
「だって裸でしょ、そいつ」
「言われてみれば……。でもそんなんじゃないよ」
「男の人ってどうするの? ボク、いつも男の役やらされてたけど、ホントは女だからよく分かんないんだ」
「大統領に聞いてよ」
「あいつ女じゃん」
「いいから」
とんでもない飛び道具だな。そのうち問題を起こさなければいいが。
アッシュは餅をじっと見つめている。
「ボク、なんだかそいつに嫌われてる気がするんだよね」
「そう?」
「邪魔なのかな?」
「そんなことないよ」
するとアッシュは、まっすぐにこちらを見つめてきた。風貌はボーイッシュにしているが、こうして近くで見ると女の子に見える。
「じゃあさ、二宮さん、パパになってくれる?」
「なんでそうなるの。友達でいいじゃないか」
「友達? なれる? ボク、誰かと友達になったことないんだけど」
「これからなれるよ。誰とでも」
「ふぅん」
この容姿なら、人間社会でも受け入れられるだろう。というより、見た目は人間そのものだ。大統領や餅とは違う。
餅が少しバタついたが、構わないことにしよう。
ふと、アッシュは立ち上がった。
「じゃあボク、友達増やしてくる」
「急だな。まずはお話ししてからね。いきなり友達になろうとすると、相手もびっくりするから。あと、ドアはノックすること」
「うん、分かった」
聞いているのかいないのか、彼女は猛ダッシュで部屋を出ていってしまった。ドアを開けっ放しにしたまま。俺は餅に乗られているから動けない。
彼女たちには、まずは最低限のマナーを身につけてもらったほうがいいかもしれない。
*
翌日、放送で大統領に呼び出された。
用件を伝えられなかったから、いろいろ考えながら俺は執務室へ向かった。餅が冷蔵庫の肉を食い尽くしてしまったか、あるいはアッシュが誰かと問題を起こしたか、いよいよ各務珠璃が限界になったか。
実際、各務珠璃は部屋の片隅にうずくまっており、あまり健康的とは言えない状態であったが、本題はそれではなかった。
大統領のほかに、鐘捲雛子と青村放哉もいた。
メンバーから察するに、次回の探検の話だろうか。
「おかけください」
「はぁ」
大統領にうながされ、俺は空いている椅子へ腰をおろした。
彼女はこう切り出した。
「阿毘須運営が協定の見直しを提案してきました」
つい溜め息が出そうになった。
確実に話がこじれるヤツだ。
みんなも俺と同感らしく、それぞれ表情を渋くした。
表情を変えないのは大統領だけだ。
「数日後、幹部のひとりがここへ来ることになっています。皆さんにも同席をお願いします」
これに反応したのは青村放哉だ。
「来る? ここに? 大丈夫なのかよ?」
「分かりません。しかしひとりで来るという話です」
「そんなこと言って、大量に乗り込んできたらどうすんだよ?」
「そのときは協定違反になりますね」
つまり大統領はみずから命を絶つことになる。
運営が勝手なことをすれば、出資者や政府が許さないだろう。となると本当にひとりで乗り込んでくる可能性が高い。
大統領は静かな口調でこう続けた。
「おそらくは運営の機密に抵触するような話が出ると思います。そこで、ある程度の信用があり、なおかつ戦闘に慣れたあなたたちにお願いしたいのです。同意してくれますか?」
「私は構いません」
まっさきに鐘捲雛子が反応した。
青村放哉も「俺でいいのかよ? ならいいけど」と渋々承知。
俺も異論はない。というより、新たな情報が手に入るなら大歓迎だ。
「やりますよ」
「感謝します。詳細はのちほどお知らせします。なお客人の名は島田さんと言います」
その名前が出た瞬間、各務珠璃がこちらを見た。
ニヤリと不気味な笑みを浮かべている。
その島田というのは、かなりヤバい人物なのかもしれない。いや、そうでなければひとりで乗り込んでこないだろう。一番ヤバくて、一番日本に多いタイプ。命をかけて金を稼ごうとする社畜の鑑だ。
(続く)




