秘密
地下二十七階の探検が始まった。
参加者は俺、鐘捲雛子、そして餅だ。青村放哉は都合がつかなかった。まあ餅がいればマネキンどもはおとなしくなる。
オペレーターは白坂太一。
のそのそと遅い餅を置き去りにして、俺たちは階段を進んだ。
今回のエリアもカメラがオフになっているから、オペレーターからの支援は期待できない。餅を使って可能な限り戦闘を回避し、N通路奥にいる個体と接触、可能ならば対話するという流れだ。
途中、本部から通信が来た。
『あ、青村さんだ』
「えっ?」
『上から来てる。そのうちすれ違うよ』
「……」
まさか、ひとりで探検しているのか?
だとすれば、なぜ?
はたして、四十階付近で青村放哉に遭遇した。
「お、探検か? まあ頑張れ」
愛銃はホルスターに納まっている。発砲したかどうかは分からない。黒の防護服に緑の腕章。
そのまま立ち去ろうとする彼を、鐘捲雛子が呼び止めた。
「ちょっと待って。上でなにしてたの?」
「なんでもいいだろ」
「言えないようなこと?」
刀に手をかけた。
が、青村放哉はふっと不敵な笑みだ。
「そうカッカすんなよ。もしヤベーことなら、いまごろ大統領が黙っちゃいねーよ。どうしても知りてーなら大統領に聞いてくれ。それでいいだろ」
彼はそう告げると、さよならとばかりに手をヒラヒラさせて行ってしまった。
実際、なにか致命的な問題を引き起こそうとしているならば、監視カメラを常に覗いている大統領が手を打っているはずだ。それが黙っているということは、たいしたことではないということなのだろう。
鐘捲雛子はしかし納得しなかったらしい。ヘッドセットのマイクにこう告げた。
「白坂さん、悪いんだけど、大統領に問い合わせてもらえない?」
『えっ? 青村さんのことを?』
「そう。なにをしてたのか。こっちのことはいいから、最優先でお願い」
『分かった』
用心深いというのか、なんというか。
しかし俺は、この件に関して、あまり口を挟む気になれなかった。
ここにはここの歴史がある。
研究所が機能しなくなるほどの事件が起きて、大統領が立てこもり、やがてツアー客が送り込まれるようになった。第一回目のツアー客は全滅。第二回の生き残りが青村放哉。第三回が鐘捲雛子だ。
この両名は、かなり早い段階で大統領と行動をともにしている。
多くの苦難を乗り越えてきたのだろう。
俺には分からない事情もあるに違いない。
目的の二十七階へ到達。
しかしすぐには突入せず、俺たちは餅の到着を待った。
その間、特にすることもない。世間話をするにも、ここにはニュースがなさすぎた。あるのは答えの出ない疑惑だけ。
白坂太一からの報告でもあれば話のネタになったのだろう。しかし彼は、いま大統領との会話中だ。たぶん。
ふと、物音が近づいてきた。上からだ。足音だけでなく、ガタ、ガタ、と、なにか重たいものを引きずる音がする。
俺はホルスターの銃へ手をかけた。が、鐘捲雛子は壁に寄りかかったまま、興味のなさそうな顔だ。
「おや、ふたりとも。奇遇でござるな」
姿を現したのは忍者と中二だった。「狩り」に出かけていたらしく、クーラーボックスを引きずっている。中にはマネキンどもの手足が詰め込まれていることであろう。
鐘捲雛子は「お疲れさま」と言ったきり、特に言葉を続けようとしない。
代わりに俺が口を挟んだ。
「狩りですか? ずいぶん上でやってるんですね」
「よい狩り場があるのでござるよ。ニンニン」
すると中二が「いいから行こうぜ」と無愛想に告げ、そのまま行ってしまった。忍者も「しからば御免」と追従。
下で餅と遭遇したとき、問題を起こさなければいいが。
ふたりが去った後、しばらくして鐘捲雛子が溜め息をついた。
「嫌な感じ」
「あのふたり、ちょっと距離を感じるよね」
「まあそれもあるけど……。もっとなにかあると思う」
「なにかって?」
すると彼女は肩をすくめた。
「分かんない。きっと青村さんも、それを探ってたんだと思う。こんな上のほうで狩りなんて、あきらかに怪しいもの」
忍者と中二は、ともに第五回ツアーの参加者だ。関係性で言えば、俺と白坂太一、円陣薫子なんかと似ている。同じツアーに参加していたもの同士、仲間意識みたいなものがあるのだ。
なんにせよ、大統領が監視している。青村放哉の言う通り、もし問題があるのなら、なにかしら手を打っているはずだ。
白坂太一から通信が来た。
『いま大丈夫?』
「こちら鐘捲。大丈夫です。なにか分かった?」
『それが……個人のプライバシーに関わることだから、自分の口からは言えないって』
「えっ?」
俺もこの回答は予想外だった。
しかしひとつだけハッキリしているのは、青村放哉はなにかを見たし、大統領も把握している、ということだ。分かった上で問題にしないのだから、これ以上探るべきではないのだろう。
餅がのたのた階段をあがって来たので、俺は銃を抜き、そのケツでボタンを押した。
シャッターがあがり、フロアの様子が徐々に見えてくる。
異様だった。
まず、むせ返るような血のにおいがした。
そして串刺しにされたマネキンの死骸。それは四肢や頭部が切り落とされ、トルソのように配置されていた。それもひとつやふたつじゃない。ズラリと並べられている。
どうやらここは、サイコパスがお住まいのエリアらしい。
餅が食欲を刺激されてうずうずし始めたので、俺は「待て」と制した。
「ちょっと異常だな。準備して出直したほうがいいかもしれない」
俺がそう告げると、彼女はどういうつもりかエリアへ踏み込んだ。
「怖いの? こんなのコケオドシでしょ」
「蛮勇は評価できない」
「いるよね、そうやって自分の臆病さを正当化する人」
ずいぶんカマして来やがる。
俺はしかしうなずいた。
「そう。俺は自分の臆病さを正当化したい。そしてできれば、君にもそうして欲しい」
すると彼女はくるりと向きを変え、こちらへ詰め寄ってきた。
「私は臆病じゃない!」
「ときには引くのも勇気だよ」
「勇気? あなたのそれが? まだ中がどうなってるのか、見てもいないのに?」
「調査をするにも準備がいるって言ってるんだ」
「それでも私は行くから」
「なにをそんなにムキになってるんだ……」
「うるさい」
頑固過ぎる。
ここで置き去りにすれば、被害者を出してしまうだろう。まさか自殺願望があるとは思えないが。
彼女が中へ入っていったので、俺も後ろから続いた。
マネキンどもの姿は見えない。しかし気配はする。また餅の存在に恐れをなしているのであろうか。あるいはもっと別の原因か。
N通路へは問題なく到達できた。
シャッターも開放されている。
波は感じられない。念のためキャンセラーを低レベルで起動してみるが、ほぼ反応がない。なんらかの個体がいるとは思うのだが……。ハーモナイザーが機能していないのであろうか。
通路の壁には、おそらく血液でよく分からない渦巻きが描かれていた。
「鐘捲さん、警戒して」
「分かってる」
突き当りの部屋は、ドアが開け放たれているように見えるのだが、暗くてよく見えない。が、かすかになにか声が聞こえる。笑っているような声だ。
「ねえ、早くしなよ。なにをそんなにビクビクしてるの? そんなにボクが怖い?」
例の少女だ。たぶん。
「いま行く」
鐘捲雛子も強がってそんなことを言った。
俺はいつでも銃を撃てるよう、しっかりと握り直した。
室内には、ソファを玉座のようにして、人形のように着飾った少女がくつろいでいた。髪はショートカットで、やや中性的な印象を受ける。
「ようこそ、ボクの領域へ。歓迎するよ、旧型の人類たち。それに、醜い姉妹も」
ずいぶん芝居がかった少女だ。というより、普通に水槽の外に出ている。大統領以外にも完成品がいたってことか。
彼女はにぃと勝ち誇った笑みを浮かべた。
「どうしたの? まずは自己紹介しなよ。ボクはこの世界の支配者なんだから」
「鐘捲雛子」
「二宮渋壱です」
俺たちが名乗ると、彼女はなぜか不快そうな表情を浮かべた。
「ねえ、少しは頭使って考えたら? このあと串刺しにされるようなヤツの名前なんて、聞いても面白くないでしょ? なんの目的でここへ来たのか言いなよ」
殺すつもりか。
ま、後ろの通路からマネキンが殺到してきたら危ないだろうな。
鐘捲雛子がそっとドアを閉めた。
「あなた、強いの?」
「待って。なんでドア閉めたの?」
「余計なのが入ってきたら面倒だから」
「……」
少女は顔面蒼白になった。
まさかとは思うが、ドアを閉められたら封殺されるような作戦しか持っていないにも関わらず、こんなに偉そうにふんぞり返っていたのか。
鐘捲雛子は刀を抜き、少女へ突きつけた。
「目的が知りたいんだっけ? 教えてあげる。私たちはね、使えそうなものを集めて回ってるの。そして邪魔するヤツは殺す。それだけ」
「待って。それより、なんか頭が……」
ドアが閉まったせいで、キャンセラーが脳に膜を張るような感覚が強まっている。おそらくはそのことを言っているのだろう。
俺はレッグバッグからキャンセラーを出した。
「これが原因かな」
すると彼女は目を見開き、猫のように飛び上がってソファの後ろへ身を隠した。
「待って! なんでそんなもの持ち歩いてるの!? またボクの人格を上書きするつもり!? やめてよ! 絶対にヤダ!」
半狂乱になってしまった。
メッセージ・キャンセラーには人格を上書きするような機能はないはずだ。ハーモナイザーと勘違いしているのかもしれない。
俺はスイッチを切った。
「べつにそういうつもりじゃなかった。安全に対話するために持ち歩いてるだけで」
「ウソだ! みんなそうやってウソつくんだ! ボクの成績がよくないから、また上書きするんだ! なにがオメガ・プロジェクトだよ! ボクはずっと出来損ないのままじゃないか!」
ふと、鐘捲雛子は刀をソファに突き立てた。
「喚くのをやめて。さっきまでの威勢はどうしたの?」
「だ、だって……そっちはふたりでズルいじゃないか! なんかスライムみたいのもいるし!」
「串刺しにするんじゃなかったの?」
「ち、違うの! 誰にも入ってきて欲しくなかったから、脅かしてるだけ!」
あまり知能の高くない個体なのかもしれない。
俺は銃をホルスターへ戻し、向かいの席へ腰をおろした。
「俺たちは、君に危害を加えるために来たんじゃない。さっきも言った通り、使えそうな機材を集めてるだけで。ついでに、対話できそうな相手が見つかれば、対話してる」
「ボクのものを奪っていくの?」
「いや、君のものは奪わない。争いに来たわけじゃないからさ」
「対話ってなに? ボク、男の人を相手にしたことないから、きっと上手にできないよ……」
なにを言っているんだ?
鐘捲雛子もソファから刀を抜き、鞘へ納めた。
「あなたはここでなにをしていたの?」
「な、なにって……ボクを飼ってたママが死んじゃったから、ボクの支配する世界を作ったんだ」
「ママって?」
「ここを担当してた研究者の人……女の人だった……」
「じゃあそのあとは? ずっとひとりでいたの?」
「ひとりじゃないよ。姉妹がいる。いつもは通路の奥に隠れてるけど、ボクが呼んだら出てくるよ。でもあんたがドアを閉めちゃったから……」
「運営に助けを求めなかったの?」
すると少女はぐっと眉間にしわを寄せた。
「やめてよ。あんなヤツら大嫌い。ボクのこといらないって言うんだ。出来損ないだから」
「なによ出来損ないって」
「知能テストだよ! あんな難しいの解けるわけないよ! なのにあいつら、ボクのこと失敗作って言うんだ! 旧型の人間より劣ってるって! ボク、いっぱい頑張ったのに! あの日もそうだよ! みんなが進化できたのに、ボクだけオメガになれなくて……」
あの日というのは、十三階の少女がサイキック・ウェーブの大爆発を引き起こした日のことだろうか。例の現象は、彼女の身にはなんらの変化ももたらさなかったようだ。
黙り込んだ鐘捲雛子に代わり、俺はこう尋ねた。
「オメガってのはなんなんだ?」
「知らないの? 完成品のことだよ」
「君はそうじゃないのか?」
「何度も言わせないで! ラムダまでしか行かなかったんだ! 頑張ったのに! 優しくしてくれたのはママだけだよ! ママはボクにひどいこともするけど、ボクにはママしかいなかったんだ! なのに勝手に死んじゃうから!」
ちょっと闇が深そうだな。
俺の記憶によれば、二足歩行できればゼータと呼ばれ、あとは知能テストの結果によって呼び名が変わる。オメガはその頂点。ラムダはだいぶ手前だ。
とはいえ、上で徘徊している連中はオメガと呼ばれているが、おそらく知能テスト以前のレベルだろう。それこそゼータとかその辺りの生き物だ。彼女たちは、なにを基準にオメガと認定されているのであろうか。
ともあれ、これ以上対話しても追い詰めるだけかもしれない。あまり怖がらせても可哀相だ。
俺は立ち上がった。
「対話に応じてくれてありがとう。ここは君のフロアだから、なにも持っていかない」
「えっ?」
彼女はずっとソファの後ろに隠れている。
「もう帰るけど、できれば後ろから襲いかからないでくれると嬉しいな」
「待って! もう帰っちゃうの? ボク、まだ服着たままだけど……」
「服? べつに着てていいよ」
「でもママは、いつもボクの服を脱がして、それで……」
そのママとやらは、彼女を個人的に「飼ってた」わけか。どうしようもないのがいたみたいだな。
「俺たちにそんなことをする必要はない」
「アッシュだよ」
「えっ?」
「ボクの名前。そう呼ばれてたの。みんなはどこに帰るの?」
もしかして、一緒に来たいのだろうか。
俺は構わない。みんなだって構わないだろう。餅だって受け入れられた。かといって勝手に返事をしては……。いや、大統領に問い合わせたところで、現場の判断に任せるとしか言わないだろう。
すると俺が口を開くより先に、鐘捲雛子が応じた。
「最下層よ。そこが私たちの家。あなたも来る?」
「いいの?」
「みんなと仲良くできるって約束できるならね。部屋はあまってるから、来たければご勝手に」
「みんなはボクのこと、バカにしない?」
「安心して。そんなことするヤツがいたら、私が怒るから」
「じゃあ行く」
基本的に、みんな互いに干渉しないから、まず衝突は起こらないだろう。各務珠璃のように自分から起こそうとしない限りは。
しかしちょっと境遇が特殊だったようだし、彼女のことは誰かがケアしたほうがいいかもしれない。俺は餅の相手をするので手一杯だから、できれば俺以外の誰かが。
(続く)




