きもち
最下層へ戻り、俺たちは報告のため大統領執務室へ入った。といっても青村放哉はついてこなかったが。
室内には、無表情のテオと、手錠をされて壁につながれた各務珠璃が同居していた。
「お帰りなさい。対話に成功したようですね」
すると後ろからついてきた餅が、ズルズルと部屋の奥へ消えた。
俺は構わず大統領に応じた。
「はい。残念ながら、パーツは回収できませんでしたが」
「構いませんよ。よければ状況を教えていただけませんか?」
「赤羽義晴に遭遇しました」
「お元気でしたか?」
「どうでしょうね。アレを元気と言っていいものかどうか」
この淡々とした感じ。赤羽義晴が生きていることも知っていたか。
彼女はほんの少しだけカクリと首を斜めにした。
「どんな話を?」
「プロジェクトについて質問しました。政府についてやたら怒ってましたね。なんだかずっと怒鳴ってまして、正直少し疲れました……」
「それは大変でしたね」
「ま、めげずに別のターゲットにも接触してみます。キャンセラーさえあれば、対話できることが分かりましたし。俺からは以上です」
これに鐘捲雛子もうなずいた。
会話の最中、餅はずっともぞもぞとカーテンをゆすっていた。大統領もそれに気づいたらしく、一度そちらを見てから、今度は俺を見つめてきた。
「彼女、またあなたと対話したいようですね」
「あらら。できれば応じたいんですが、今日はちょっと脳を休ませたいかな……」
「その判断を尊重します。彼女には私から伝えておきましょう。今日はぜひゆっくりしてください」
*
通路を抜け、広間へ出たところで、鐘捲雛子がこちらを見た。
「二宮さん、少し時間ある?」
「なにか?」
「相談があるの。部屋まで来て」
「いいけど……」
いったいなんの用だ。
大統領の前で言わなかったということは、俺が警戒していることに気づいているのだろうか。
*
彼女の部屋に入った俺は、妹の遺品に手を合わせ、勧められるまま椅子へ腰をおろした。
「相談って?」
「うん……。大統領のこと」
鐘捲雛子はベッドに腰をおろし、せわしなく手を揉み合わせた。
大統領については俺も思うところがある。しかしそれだけに、こちらから積極的に話題を振るわけにはいかなかった。喋れば喋るほど退路を失う。
彼女はこう切り出した。
「大統領って、なにを考えてると思う?」
「えっ?」
「ええと、その……ここのこととか、みんなのこととか、いろいろ……」
その件については、先日も話題に出た。
「いつだったか、ちょっと話す機会があってさ。そのとき聞いた感じだと、俺たちが脱出することに関しては、賛成でも反対でもないって感じだったよ。まあ好きにしろってことかな。でも大統領自身は脱出する気ないって」
「姉妹がいるから?」
「そう。そう言ってた。みんなでここを出たところで、世間は受け入れないだろうしさ。だったらここにいたほうがいいって」
すると鐘捲雛子は前かがみになり、自分の膝の上に頬杖をついた。
「やっぱりそうなんだ……」
「気になるなら直接聞いたら? 意外と話に乗ってくれると思うよ」
「そうかもしれないけど……」
歯切れが悪い。
きっとまだ本題に入っていない。
彼女は顔をあげた。
「どうしたら大統領も一緒に来てくれると思う?」
「どうって……。上のオメガたちも一緒に暮らせるなら、たぶん来るんだろうけど」
「可能だと思う?」
残酷な質問だな。
少数なら面白がって受け入れるかもしれない。
しかし俺の知ってる日本人は、いや、仮に日本人でなくとも、あらゆる地球人は、大量のオメガを受け入れないだろう。自分たちより進化した存在だ。彼女たちが勢力を伸ばせば、人類はパイを奪われることになる。
おそらく受け入れたとしても、場所を限定し、この範囲内で生きろと命令するだろう。そうなれば、ここにいるのとあまり変わらない。
俺は率直に答えた。
「ムリだね」
「なんでそんなこと言うの?」
「もちろん俺の想像上の話でしかない。だからこの回答が気に食わないのなら、君自身が答えを出せばいいと思う。あるいは大統領自身に答えを聞いてみてもいいんじゃないかな」
きっと俺と同じことを言うと思うが。
彼女は怒ったような顔を見せた。
「そうじゃないの。どうしたらうまくいくか考えて欲しいの」
「人類の意識を改革しないとムリだよ。それこそ、権力者が金ぶっこんで事前に宣伝工作するとかさ。ああいうの、けっこう有効みたいだし」
「もっと私にもできるようなことはないの?」
「いまこの場で核ミサイル作れって言われてるようなもんだぜ。残念だけど、できることはほとんどないよ」
「ハッキリ言い過ぎだと思う……」
「それは申し訳ないと思うけど。こういうの、最終的に物量がモノを言うからさ。もし俺たちがやるとして、結局は権力者を動かすって方向しかないと思う」
「どうすれば動くの?」
まるで、なんでも質問してくる子供みたいだ。
俺はそれでもなんとか知恵を絞った。
「この地下施設の秘密を握って、運営やそこにつながってる政治家を脅す、とかかな」
「分かった」
「いや、分かったじゃないよ。現実的じゃないんだ。脅したところで逆につぶされる。それよりも、大統領に、君の率直な気持ちを伝えてやったほうがはるかに建設的だ。きっと喜んでくれると思うから」
「私、大統領にもしあわせになって欲しいの」
「俺だってそう思うけどさ」
すると彼女は、妹の遺品へ目をやった。
「私、ここに来たばかりのころ、大統領にひどいこと言っちゃって……」
「ひどいこと?」
「私の妹を殺したヤツの仲間だから、私の敵だって……。でも大統領、そのとき言ったんだ。私の姉妹もあなたたちに殺されましたが、恨んではいませんって。私、それで自分のことしか考えてないって気づいて……。しかも大統領、私のことかくまってくれて、ご飯まで分けてくれて……」
感情が押し寄せてきたのか、鐘捲雛子は涙ぐんできた。かと思うと勢いよくティッシュをたぐり、チーンと豪快に鼻をかんだ。
「ごめん。ちょっと思い出しちゃった。とにかく、大統領は私の命の恩人なの。あなたの命の恩人でもある。だから、なにかしなきゃって思うの。あなたも協力して」
「そりゃできる限り協力したいとは思うけど……。あ、そうだ。そういう意味で言えば、今日みたいな対話を続けるのは、意義のある行為だと思う。大統領も、自分の仲間がどうしてるのか気にしてるみたいだから」
すると彼女は、この話に乗ってくるかと思いきや、やや表情を暗くしてしまった。
「その話……」
「なに? お気に召さない?」
「違うの。なんか、ぜんぶ二宮さんに押し付けてる感じがして」
奇遇だな。俺もぜんぶ押し付けられてる気がしてたんだ。
「次は鐘捲さんがやる?」
この問いに、彼女はぎょっとした表情を見せた。
「あ、ええと、でも……」
「いいよ。俺がやるから」
「違うの。なんか、私、あの子に嫌われてるみたいで」
「そうなの?」
「人殺しって言われたの……」
そんなことまで言うのか。少女も少女で、相手によって態度を変えているらしいな。
とはいえ、実際のところ、鐘捲雛子の戦闘スタイルは刀で敵を切り刻むというものだ。銃と違って必ず接近戦になる。誰がやったか記憶に残ってしまうのであろう。もっとも、顔を見たものは絶命するわけだから、苦情を言っているのとは別人のはずだが。
マネキンたちの間で、記憶の共有でもなされているのであろうか。
「私、きっとあなたほど上手に対話できないから……」
「ま、戦闘を君らに任せてるぶん、俺は対話で貢献するよ」
「それに、こないだの各務さんのこと、あなたに判断を押し付けたのに、あとからいろいろ言っちゃった。謝るね。ごめん」
えーと、俺が土下座したときのことか。あのときはこっちもどうかしていた。
「いや、俺も君の感情をまるで考慮に入れてなかった。だいぶ反省したよ。ま、とにかく水に流そう。大統領の件は、俺ももう少し考えてみる」
「ありがと。お願いね」
*
鐘捲雛子の部屋を出た俺は、白坂太一にキャンセラーを返却し、シャワーを浴びて自室へ戻った。
みんなそれぞれ考えている。
個人がやりたいことというのは、そのままではまず実行されない。いま実際におこなわれていること、あるいは実現可能なこと、そういうものとのすり合わせで未来が決まる。
俺だって、とっとと十三階の調査に行きたい。しかし慣例との妥協で、下から順に片付けることを受け入れざるをえなかった。それでもフロアを大幅に飛ばし、要注意個体のいるフロアを優先して調査できているのだから、まだマシなほうであろう。今日だって収穫はあった。
次は二十七階、その次は二十三階、その後ようやく十三階の調査となる。八階にもなにかいるらしいが、調査することになるかは分からない。
俺はベッドに寝転がり、もうひとつの懸念に思いを馳せた。
餅のことだ。
彼女は俺になついている。
俺も、なんとなく置き去りにしたくないという気持ちになっている。
地上へは連れて行けない。もし一緒に行くのだとしたら、それこそ鐘捲雛子の希望に沿い、地球人の意識を変えなければならない。弱味を握ってでも権力者を動かすのだ。
あるいは、おとなしくここに留まり続けるか、だ……。
*
それから数日が経過したが、探検は始まらなかった。
いや、俺が勝手に人を集めて、勝手に探検を始めてもいい。餅だってついてくるだろう。しかし青村放哉はなんだかやる気をなくしていたし、鐘捲雛子もなにか予定があるのか調整がつかなかった。かといって他のメンバーと組むのは戦力的に不安だ。忍者と中二は探検には参加しない。
なので暇であった。
こういうときは、大統領と交流を深めるチャンスかもしれない。交流というより、探り合いという気もするが。
執務室へ行くと、餅が足元にまとわりついてきたので、手でそっとよけた。鬱陶しいわけではない。踏んでしまわないよう、あえて遠ざけたのだ。
「大統領、少しお話ししませんか?」
「歓迎します。そちらの椅子へどうぞ」
室内には各務珠璃もいるのだが、もはや無気力状態になっており、鎖で繋がれたままうなだれていた。
気の毒だが自業自得だ。彼女は俺や鐘捲雛子に向けて発砲しただけでなく、白坂太一にまで銃を突きつけた。もはや擁護できない。
しかしこの部屋に置いているのは、ある種の温情であった。大統領の監視下であれば、誰も彼女に報復できない。苦肉の策だ。
俺は椅子へ腰をおろし、こう切り出した。
「これから探検が続けば、たぶん、難しい判断を迫られる局面が出てくると思います。そのときに、取り返しのつかない判断をしないよう、大統領のお気持ちをうかがっておきたくて」
この問いに、俺の勘違いでなければ、大統領はかすかにつまらなそうな表情を見せた。
「私の気持ちですか」
「たとえば十三階の少女は、大統領の娘さんですよね? もし対話がこじれて戦闘になったとして、可能な限り彼女の命を優先すべきか、あるいはこちらの安全を優先すべきか、その判断材料が欲しいのです」
彼女の回答はこうだ。
「判断はすべてあなたにお任せします」
「その判断の材料をいただきにきたのですが」
「ええ。しかしお任せします」
「だとしたら、殺しますよ。たぶん。人間はエゴイストだ。俺たちは自分の命を差し出すことはできない」
「構いません。安心してください。恨むことはありません」
しかしもう分かっている。これは寛容の精神から出た言葉ではない。彼女は、そもそも俺たちになんらの期待もしていない。たとえば俺が、チンパンジーになんらの期待もしていないように。
これはさすがに俺の思い込みか。
いや、これまでの行動を見れば、間違いなく、人はオメガを殺す傾向にある。大統領も分かっているから止めもしない。どうせ殺すのだ。諦めという感情でさえなかろう。これはシンプルに、予想可能な未来像なのだ。樹からリンゴが落ちるがごとく。ほぼ必ずそうなる。
とはいえ、ここまでドライだと、俺の配慮などむしろ邪魔に感じているかもしれない。
「すみません。出過ぎたマネをしたかもしれません」
「いいえ。私たちは、あなたたちに比べれば感情が希薄なほうですが、それでも嬉しいという気持ちは感じていますよ。ただし、私は自分の感情をあなたたちに押し付けたくありません。あなたたちは、あなたたちの思うように行動してください」
まるで動物学者のような態度だ。目の前に瀕死の動物がいても、彼らは助けない。生態系に影響を及ぼしかねないからだ。
だからこれは、上位者が、下位の存在に対して取る態度だ。しかし侮辱ではない。尊重から出てきたものだ。
大統領は、俺たちの生を尊重している。
人によっては「バカにするな」と怒るかもしれないが、俺は肯定的に受け入れることにした。
「じつは話ってのはこれだけです。どうしても確認しておきたくて」
「そうでしたか」
俺が席を立つと、大統領は「もう帰るのですか」と呼び止めた。
「まだなにか?」
「たまには餅さんと対話しませんか? 彼女、あなたが来るたびそわそわしていますよ」
餅は忠犬のようにじっとこちらを見つめていた。犬というか、まあ、餅なのだが。
「分かりました。準備お願いします」
とはいえ、彼女と対話するのは少し苦手だった。餅のときはペットと遊んでいるような気持ちになるのだが、人の姿で出てこられると妙な生々しさをおぼえてしまう。中身は同じなのに。なんだかおかしな話だ。
(続く)




