旧型人類の敗北
結局のところ、人類は敗北した。
べつに殺されたわけじゃない。一日中探し回ったのに、まったく見つけられなかっただけだ。キャンセラーで位置を特定できるはずだったのに。
よって俺たちは、いま大統領の管理するN通路に集合している。温めてもいないレトルトを、パックから直接すすりながら。
これは普段の支給とは別だから、予定より一食多くレトルトがもらえたことになる。なのにちっとも嬉しくない。
「クソ、やってらんねーぜ」
青村放哉が空の袋を投げ捨てた。
仮にも大統領管轄エリアなのに、とんでもない暴挙だ。あとで怒られるぞ。というか、すでに鐘捲雛子が眉をひそめている。
誰かが苦情を口にする前に、俺は話を転がした。
「ひとまず、交代で見張りをしながら、ここに籠城するって感じかな」
「ンなこと分かってんだよ。問題は、俺サマがいまとてつもなくクソ眠ぃって事実と、いっぺん寝たらなかなか起きねぇってことだ」
「ワガママぶっこいてる場合じゃないでしょ」
「九時には寝ろってママから教わらなかったのか?」
「『うちはうち、よそはよそ』。俺が習ったのはこれだけだよ」
「じゃーオメーが起きてろ」
いいよ。分かった。好きなだけ寝てろ。真っ先にモンスターの餌にしてやるから。
すると座禅を組んで瞑想しているとおぼしき忍者が、こくりこくりと船を漕ぎ始めた。
もう寝ているとは。
アテにならねーなこいつも……。
ふと、通路の奥から大統領が顔を覗かせた。
「すみませんが、私は先に寝させてもらいます。皆さんもムリだけはしないよう。ではおやすみなさい」
一方的な宣言とともにドアが閉まった。
お前、クソみたいなこと言ってると永眠するハメになるぞ。
とはいえ俺も、今日の探検を終えてから、ほとんど休息を取れていない。いつでも寝オチできる自信がある。
まるでブラック企業みたいな働きぶりだ。気晴らしのためにツアーに参加したはずなのに、なぜこんなことになっているのだ。
*
カクッと前のめりになって、俺は目を覚ました。
いつの間にか眠りに落ちていた。
ハッとして周囲を確認すると、みんな平然と寝ていた。誰も見張りなんかしちゃいない。さいわい、人数は減っていないが。餅野郎が寝込みを襲うようなマナーの悪いヤツだったら全滅していたところだ。
俺は溜め息のような深呼吸をし、立ち上がって軽く手足をぶらぶらさせた。なにかあったときに動けないと困る。せめて俺だけでも起きていないと。
などと意気込んでいると、突如、悲鳴があがった。
大統領の部屋だ。信じられないような金切り声。各務珠璃であろうか。絞め殺されるカラスみたいな声を出し、ドタドタ物音を立てている。
通路で寝ていた何名かが、さすがに目を覚ました。
俺は彼らを待たず、銃を構えて執務室へ突入した。
信じられない光景だった。
餅野郎がだらしない体を広げ、大統領を半分ほど飲み込み、床まで広がっていたのだ。各務珠璃は半狂乱で足をバタつかせている。
「に、二宮さっ! たしゅ、助けてっ! くださっ!」
しかし餅の身体は、ソファで眠る大統領をほとんど覆ってしまっている。いま撃てば大統領をも傷つけてしまうだろう。狙うなら、床に広がっている部分を撃つしかない。
が、大統領がパチリと目を開いた。
「撃たないでください」
「ええ、できるだけ配慮しますよ」
すると彼女は、さらにこう続けた。
「そうではありません。この子を撃たないでください」
「この子? どの子です? まさか、この餅のことですか?」
「そうです」
そうです?
俺の聞き間違えじゃないのか。
「いやいや、大統領、正気ですか? あなた、半分食われてるんですよ?」
もう助からないと察し、せめて同族の命だけでも守ろうとしているのか。もし彼女に死なれたら、俺たちの命も危ないのだが。
すると大統領は、餅の下から腕を引き抜いた。
「食べられてはいません。上に乗られているだけです。おそらくは添い寝というものでしょう」
「はっ?」
餅オメガはじっとこちらを見つめている。
エイみたいなモンスターが、大統領を襲っているようにしか見えないのだが。
「ずっと孤独を感じていたようですね。人恋しかったのでしょう。かなりの甘えん坊のようです」
これを真顔で言う。
精一杯のジョークなのか、死に瀕してイカレているのか、まるで判断できない。いや、あるいは言葉通りなのだろう。
俺は銃をおろした。
「本当に? 安全なんですか?」
「見ての通りです」
「……」
その見た目がヤバいんだよ。
しかしいい加減、俺も理解した。
この騒動が始まった当初から、大統領には緊張感というものがなかった。あるいは性格のせいかとも思ったが。ハナからこういう事情であると察していたのだろう。だから彼女は、これを「侵入者」や「対象」と表現したが、決して「敵」とは言わなかった。
俺たちがカジュアルにぶっ放すかどうか、また試していたに違いない。しかしその判断を迫られる前に、愚かな人類は仲良く眠りに落ちてしまったというわけだ。青村放哉が起きていたら、視界に入った瞬間に蜂の巣にしていたことだろう。きっと俺だってそうした。
状況を理解してみると、俺も反撃したくなってきた。
銃を構え直し、こう告げた。
「いえ、大統領。危険かもしれません。射殺しましょう」
すると各務珠璃も乗ってきた。
「そうですよ! 殺しましょう!」
こいつ、ホント自分のことしか考えてねーな。粗相までしてみっともない。まあ俺だって両手を拘束された上でいきなりこの光景を見せられたら、少しはピュルッとなったかもしれないが。
大統領はガラス玉のような瞳でこちらを見ている。
「本気なのですか?」
さてどうだろうな。
俺は親指で安全装置のレバーをもてあそびつつ、こう応じた。
「もしこの餅野郎が安全なんだとしたら、なぜ大統領は事前に教えてくれなかったんです?」
「ムリを言いますね。私もこうなって初めて安全だと分かったのです。事前に分かっていれば教えていました」
「信用できない、と言ったら」
「そのときはお手上げですね」
「諦めが早いのでは?」
「あなたと敵対するよりはベターであると判断しました」
まるで心が読めない。
俺は思わず鼻で笑い、安全装置をかけて銃をおろした。
「もちろん撃ちませんよ。銃口を向けた非礼をお詫びします」
「いえ、理解が得られてなにより」
この様子を覗き込んでいた仲間たちからも、安堵の溜め息が漏れた。
大統領は、無表情のまま餅をなでた。
「しかし、もし心の底では信用できない、というのであれば、彼女と直接対話するという手もあるのですが」
「対話?」
キャンセラーの充電はとっくに切れているのに、現在、映像は来ていない。つまりナマの状態では対話できないということだ。対話をするなら、ジェネレーターだかハーモナイザーだかを使うことになる。
すると廊下から声が聞こえてきた。
「もちろん俺は信用してるぜ。だって見ろよあのつぶらな瞳をよ。あれは悪人の目じゃねぇ。夢見る少女の目だ」
青村放哉だ。初対面でぶっ放したクセに、よくもそんなことを言う。
だが彼に続いて、自分は対話なんかしたくないとばかりにみんなが視線をそらした。
彼らは無言のうちにこう言っている。話をこじらせたお前が対話しろよ、と。
この世界はクソだ。
まっさきに目を覚まし、まっさきに悲鳴を聞いて駆けつけた結果、俺だけがこのような目に遭うのだ。可能な限りぐうたらして他人に押し付けるヤツが得をする。いや、今回は俺のスタンドプレーもやり過ぎだったとは思うが。
大統領は餅をどかして立ち上がり、部屋を仕切っているカーテンを大きくスライドさせた。
てっきり大統領のベッドでも置かれているのかと思ったが、そうではなかった。現れたのは中身のない水槽だ。両脇にはパーツが取り付けられている。
「対話のための機材なら揃っています。あなたさえよければいつでも」
「いや、待ってくださいよ。俺だって信じてますから。だってあの瞳……」
なにを考えているのか分からない目だ。だいたい、そこらをズリズリ這い回り、オメガどもを食い尽くし、いきなり大統領に添い寝するようなヤツだぞ。常識が通じるのか?
きっと廃人にされる。
俺が断ったのに、大統領は淡々と準備を始めた。餅を水槽の近くへ誘導し、なにやら細い管をその皮膚へ突き立てた。ずいぶん細い管らしく、出血はなかった。
「スイッチを入れれば対話が始まります。各務さんは退室してください。意識が混じってしまいますから」
「は、はいっ!」
脱兎のごとく退室。
後ろ手に拘束されているから、ニワトリのようだった。
大統領は「さて」とこちらを見た。
「出力は控えめにしておきましょう。大丈夫です。私も同席しますから。ただし、身に危険が及ぶまでは干渉しません。ふたりきりで対話を楽しんでください」
「え、いや、俺はやるなんて一言も……」
バタリとドアが閉まった。
あいつら、マジかよ。もし俺の頭がアレになったら、責任取ってもらうからな。
溜め息をつき、向き直ったときには景色が一変していた。
誰かの指先で脳を直接揉み込まれているような感覚。そして視界は真っ暗。いや、ひとりの少女がぼんやりと浮いている。
「ああ、なんて悲劇的な境遇なのかしら……私は誰にも理解されず、ひとりきり……」
演技じみた態度で彼女は告げた。
悲壮な表情にも見えるが、長いまつげの奥の瞳は笑っている。
「助けて……誰か……助けて……」
しらじらしいセリフだ。
放っておくといつまでも芝居が続きそうだったので、俺は思い切って口を挟んだ。
「君は?」
すると彼女はふわりと浮遊し、俺の正面の、やや上へ来た。まっしろなワンピースを着た、まっしろな少女だ。水槽の中にいた少女と瓜二つ。
「私? 私って誰なのかしら……」
「例の餅じゃないのか」
「お餅? それがレディーに対してかける言葉?」
「失礼。けど、ホントに? もとはこんな見た目だったってこと?」
「そうよ。いろんな大人に体をまさぐられて、どろどろに溶けてしまったけれど。いいえ、溶ける前はもっと違う姿だった。ある日、どこか遠くから声がして、それで体が溶けてしまったの。ああ、可哀相な私……。誰か助けてはくれないかしら」
しかし心の底から哀しんでいるようには見えない。
あの餅みたいなモンスターが、こんなふざけた少女だったとは。
「目的はなんなんだ?」
「あなたって本当に失礼ね。まずは自己紹介したら?」
「二宮渋壱です」
「そうなの。私は紹介する自己さえ持たないから、特に自己紹介しないわね。だって研究者たちの実験材料でしかないもの。あ、けれども共有できる情報はあるわ」
「情報?」
「痛みを教えてあげる」
急に視点が切り替わった。
薄暗い部屋で、俺は誰かを見上げている。そいつはニタニタ笑いながら銃を構えている。そして閃光。体に激痛が走り、穴から血液が抜けるのを感じた。
なぜこんな仕打ちをうけているのか分からない。
ただそこにいただけなのに、いきなり体内に弾丸を撃ち込まれた。それも一発ではない。二発、三発と来た。
その後、男は俺を踏み越えて、なにやら作業を開始した。
こっちはずっと全身に激痛が走っているというのに。
「あの青村という人、私は嫌い。だっていきなり暴力で来るんだもの。まずは挨拶から始めるのがマナーでしょ?」
痛みは引いた。
いま俺は、闇の中で少女と対話している。
「ごめん。アレはたしかにひどかった。ただ、こうして対話できるとは思わなかったから」
「なぜ対話できないと決めつけたの?」
「きっと俺たちが愚かだったから……」
思えば、彼女は俺たちに対してなにか攻撃してきたわけではなかった。なのに邪魔だったから、いつもの流れでなんとなく撃ち殺した。
「素直に反省できる人は好きよ? もっとお話ししましょ?」
「話って、なにを……」
「あなた、さっき私の目的を聞いたわね? 目的は、そんなにたいしたことじゃなの。お腹いっぱいになるまで食べて、大好きな人と一緒に眠るの。それだけ。いいでしょ?」
「うん」
なんだか哀しくなってきた。こんな無垢で無害な少女を、俺たちはみんなで殺そうとしていたのだ。人間とはいったいなんなのだ。バカなのか。異質なら殺すのか。いや、人間というより、俺たちがせっかちだっただけかもしれない。しかしこれで万物の霊長とは。
やってることは、ここの研究者と同じじゃないか。
彼女はまっすぐにこちらを見た。
「ねえ、今度はあなたの目的を教えて?」
「目的……。なんだろうな……。とりあえず、ここを出ることかな」
「そのあとは?」
「分からない」
「分からないの? 自分のことなのに? じゃあ仕方がないから、私のマネをしてもいいわ。お腹いっぱい食べて、好きな人と一緒に寝るの。きっとしあわせよ? あなたもそうしたら?」
「そうだな。そうしよう」
そうだ。それでじゅうぶんなはずだ。俺はこれまで、いったいなにを求めて生きてきたのだろう。金か。いや、ただ生きるのに必死だった。寝たり起きたり食べたりするのは、すべて仕事のため。実際、それれ以外に生きようがなかった。けれども、その中に小さなしあわせを見つけることも可能だったはずだ。
彼女は目を細め、ふっと微笑を浮かべた。
愛らしい笑顔だ。
すると景色がもとに戻り、俺は執務室にいた。
目の前には誰もいない。
足元には餅。そして横では大統領が椅子に腰をおろし、くつろいでいる。
「あの、いまのが彼女の……」
餅は返事をしない。
大統領だけがうなずいた。
「善良な個体のようです。声帯は機能していませんが、このようにしてコミュニケーションが可能です」
「もしかして、上のみんなも……」
「誰かが言葉を教えてあげたなら、可能だったかもしれませんね」
もし彼女たちが本当にオメガであるのなら、人類よりも高い知能を有しているはずだ。教育さえ与えれば、あんな野蛮な生き方はしなくなるのかもしれない。
とはいえ、あの社会性のなさはなんなのであろうか。脳が発達した結果、本能が鈍くなってしまったのか。いまはただ殺して食うだけの人形になっている。
「大統領、俺にできることは……」
「あなたたちに負担を強いることはしたくありません。あなたはどうぞ脱出のことだけを考えてください」
「……」
旧型の人類にはなにも期待していない、ということか。
実際、この状況を引き起こしたのは俺たちの同類だ。彼女にしてみれば、そんな連中の手を借りたくないということなのかもしれない。
俺たちは敗北している、あらゆる面で。
(続く)




