ハイド・アンド・シーク
単細胞生物でさえ波を発しているという。
つまり、もし餅野郎が分裂したとすれば、それらすべてのパーツから波が発せられるというわけだ。波の総量は変わらないだろうから、センサーだけ見ていても変化には気づけない。
まるで電磁波に似ている。
むかし気になって調べたことがある。体が発光する動物というのは、いったい俺たちとなにが違うのかと。
分かったことは、どんな細胞も活動によって電磁波を発しているということだ。そして光も電磁波であるから、発光すること自体はそれほど異常なことではないらしい。どんな生き物もうっすら発光しているようなものだ。違いは視認できるかどうかだけ。
ともあれ、ここの研究者によれば、あらゆる生命体が例のサイキック・ウェーブとやらを出していると主張している。中でもマネキンから特に強く発せられているから、手持ちのセンサーで感知できるというだけだ。
通信用インカムがないから、餅が分裂している可能性をいますぐ仲間たちに伝えることはできない。いや、ここは中央管理室に近い。放送を使って周知できないだろうか。
「ひとまず管理室に行こう」
「はい」
鍵はかかっていない。かかっていたとして、どうせここのエリアで管理するはずだが。ここのセキュリティーはガバガバだ。PCのモニタに付箋でパスワードを貼っているようなものだ。
マウスを手早く操作して、このフロアの映像をモニターに映した。中央広場にはもう誰もいない。留置所前には円陣薫子が立っている。N通路前には鐘捲雛子。あとの連中はどこにいるのか見つからない。
例の電球が出たので、俺はヘッドセットを装着した。
『無事でなによりです』
大統領の声だ。まったく焦っていないらしく、じつに冷静な声だった。
「同感ですよ。ところで、ちょっとヤバいことになったかも。敵は分裂してるかもしれない。また放送でみんなに注意を呼びかけてもらえませんか?」
『それは大変ですね。分かりました。引き受けましょう』
まるで他人事だな。
自分が死んだら、俺たちが埋められるだけでなく、姉妹たちまで処分されることを理解しているのだろうか。いや、死んだあとのことまで責任を取るつもりはない、か。
「頼みましたからね」
俺はそれだけ告げると、ヘッドセットを外して部屋を出た。
放送はすぐに来た。
『追加の情報があります。侵入者は分裂している可能性あり。まだ推測の段階ですが、じゅうぶん注意してください』
これでひとまずは安心だ。
あとは留置所の鍵を開け、みんなで固まって行動していれば、最悪の事態は避けられるかもしれない。怖いのは、敵が持久戦で来た場合だ。あいつはじっとしているのが得意そうだが、俺たちはメシを食わなければすぐに死ぬ。いまのうち食料を確保しておくか。
いや待て。
もっと悪いアイデアが浮かんだぞ。あいつが先に冷蔵庫をあさっていたらどうだ? パワーアップして分裂しまくるんじゃないか。
「白坂さん、この鍵で各務さんのこと頼めないかな」
「えっ?」
「俺、ちょっと厨房見てくるんで」
「ひとりで? 危ないですよ! 一緒にいましょうよ!」
「そうしたいのは山々なんだけど、時間がないからさ」
「本気ですか? じゃあ行きますけど……。僕たちもすぐ応援に行きますから」
「ありがとう」
中央広場へ出たところで二手に別れた。
ホラー映画なんかだと、こうしてひとりになったところを襲われるものだが。こっちは銃を持っているのだ。警戒していれば大丈夫だろう。
中央広場はオレンジのライトだが、通路や個室だけは白色の蛍光灯が使われている。だから通路に入ると明るくてほっとする。
食堂には先客がいた。
青村放哉と小田桐花子だ。座って水を飲んでいる。
「おう、宮川。オメーも休憩か? まあ座れよ。疲れただろ」
かなりの大物だなこいつ。
「さっきの放送聞きませんでした?」
「あの餅野郎が分裂してるってハナシか? なかなか笑えたぜ。大統領もジョークを言うんだな」
「俺が広めてくれって頼んだんですよ」
「オメーのジョークか。なんだよ。笑って損したぜ」
俺は肩をすくめ、キッチンの様子を確認した。
が、特に異変はない。念のため冷蔵庫も開けてみたが、肉が食い荒らされているということもなかった。レトルトも無事。
このまま留置所へ戻って入れ違いになるのもイヤだったので、俺は食堂で腰をおろした。
「隠れんぼなんてガキのころ以来だぜ、まったくよ」
青村放哉の悪態に、俺も思わずうなずいた。
「どこにいると思います?」
「ホラー映画なんかだと、あの手の連中は排水溝から入ってきたりするんだよな。あとはトイレとかさ」
すると小田桐花子が顔をしかめた。
「ちょっとやめてよ。トイレ行けなくなるじゃん」
「オメーさっき大丈夫だっただろ」
「バカじゃないの」
もっと危機感を持ったほうがいいと思うが。
しかし待てど暮らせど白坂太一は来ない。間違った鍵を持ってしまったか。あるいは留置所へ向かう途中でなにかあったか。
俺は水をひとくちやり、喉をうるおした。緊張している体に水が染み込む。しかしあまり飲みすぎると、あとでトイレに行くことになる。いまはちょっと避けたい。
ジングルが鳴った。
『本部より緊急。J通路にて、各務さんが銃を奪い、白坂さんを人質にとっている模様。付近のかたは注意してください』
ここは威勢よく水をぶーっと吹き出すところかもしれないが、本当にうんざりしていると、そのようにさえならない。俺は口の中に水を溜めたまま、飲み込むこともできずに固まってしまった。
やはり彼女は「ダメ」だったようだな。
で、なんだ。白坂太一は銃を奪われ、人質にとられたと? お人好しも程々にしていただきたいものだ。
青村放哉がゆらりと立ち上がった。
「つまり、どこをぶち抜いてもいいってことだよな? ま、顔だけは勘弁してやるか。せっかくの美人だしよ」
これに小田桐花子は目を丸くした。
「え、マジで? 殺しちゃうの?」
「知るかよ」
「待って。あたしも行くから」
待ってくれ。俺も行くぞ。ふたりでイチャつきやがって。
現場はよくある光景になっていた。
追い詰められた逃亡犯が、人質に銃を突きつけて呼吸を荒げている。そして、それを囲む俺たち。全員集合ではないが、戦力差は明らかだ。
鐘捲雛子が抜刀もせず前へ出た。
「もうやめて。今度こそ命の保証はできないから」
「ち、近寄らないでくださいっ! 本当に撃ちますからっ! 本当にっ! う、撃ちますからっ!」
いまは誰も防護服を着用していない。撃たれたら即致命傷となる。
鐘捲雛子は足を止めた。
「逃げ切れると思うの?」
「あの、だから……逃がしてくれれば……それで……」
「誰かを傷つけたら、きっとあなたの命も助からない」
「でも……あの……撃ちませんから……だから……」
勢いだけで行動したって感じか。彼女にとっては、またとないチャンスに思えたんだろう。しかし予想より早く囲まれてしまった、と。
なにせここにはカメラの監視を趣味にしてるヤツがいるからな。気づかれないほうがおかしい。
鐘捲雛子が溜め息をつき、各務珠璃が短く呼吸を繰り返し、白坂太一はうずくまるように身をちぢこめている。
膠着状態ってヤツだ。
このタイミングで餅野郎が出てこなければいいが。
などと周囲を確認した瞬間、パァンと発砲音がした。誰が撃って、誰が撃たれたのか分からない。分かるのは、少なくとも自分がそのどちらでもないということだけ。
みんなキョロキョロしている。
特にキョロキョロしているのは各務珠璃だ。手を見つめている。銃は所持していない。ちゃんと握っていなかったばかりに、反動で銃を取り落したか。つまり、撃たれたのは白坂太一……。
いや、そうではなかった。
「クソ、心臓狙ったのによ。間違って銃を撃ち抜いちまった」
撃ったのは青村放哉だった。撃ち抜かれたのは各務珠璃の拳銃のみ。
「おっと動くなよ。まだ弾は残ってるぜ。俺は一発屋じゃねーからな。何発だってイケる。特にオメーにはぶち込みたくてぶち込みたくて仕方なかったんだ。なあ、各務ちゃんよ」
「ひっ」
へたり込んでしまった。
まあ武器さえなければこんなもんだな。ついでに白坂太一までへたり込んでいるのは意味不明だが。せめて取り押さえるなり逃げるなりして欲しいものだ。
青村放哉はぐんぐん歩を進め、銃口を各務珠璃へ向けた。
「こ、殺さないで! なんでもしますから?」
「なんでも? ホントか?」
「はい! なんでもします! 青村さんの望むこと、なんでも!」
「じゃあ咥えろ」
「えっ?」
「口を開けて、この銃を咥えろ。いつも男たちにやってるみたいにな。できるだろ?」
「あの……殺さないで……」
「あ? 俺の命令に逆らうのか? 言うこと聞いてくんねーヤツは、殺したくなっちまうかもな」
「咥えます! 咥えますから!」
手を伸ばしてきたところを、青村放哉は蹴り倒した。
「ま、いまのはちょっとしたジョークだ。セクハラで訴えられたらたまんねーからな。ハナ、こいつを縛れ」
「縛るの? 紐で?」
「紐ねーか? じゃあ宮川、ロッカーから手錠持ってきてくれ」
またひとりでお使いか。俺だってひとりじゃ寂しいっつーんだよ。
すると円陣薫子が立候補してくれた。
「私も行く」
*
かくして俺たちはロッカーで手錠を回収し、現場へ戻った。餅オメガには遭遇しなかった。
いま各務珠璃は、後ろ手に拘束されている。
「これでいいだろ。おい、大統領! 終わったぞ! 放送しろ!」
青村放哉の態度で察したのか、放送はすぐに来た。
『各務さんの件は無事片付きました。引き続き、皆さんには侵入者への対応をお願いします』
怖いのはモンスターではなく、人間のほうだったようだな。
ともかく、死者が出なくてさいわいだった。
しかし真の問題は解決していない。
あの餅野郎は、まだどこかに潜伏しているはずだ。
各通路のシャッターをおろしたところで無意味。となると俺たちは、逃げ場もなくただ消耗することになるわけだ。早いところ手を打たないと。
火炎放射器で焼き払えるならそれが一番なのだが。
各務珠璃の身柄は、このあと鐘捲雛子が責任をもって大統領執務室へ放り込むことになっている。
だから俺たちは自由に探検をすることができるのだが、肝心のプランが皆無だった。
俺はまだへたり込んでいる白坂太一に手を貸した。
「立てそう」
「あ、ありがとう。たぶん大丈夫」
銃がオシャカになったから、彼は素手のままだ。大統領から新しいのを貸与されるまでは、モップでも振り回すしかない。
不毛な隠れんぼの再開だ。
あまりに範囲が広すぎる気もするが。
(続く)




