餅
各務珠璃の問題もまあまあ落ち着いてきたころ、今度は協定で決められた供給日がやってきた。
食料や生活必需品が、運営によって上階から運び込まれるのだ。
とはいえ、運営が最下層まで直接乗り込んでくるわけではない。彼らは地下四階まで入ってきて、リフトに荷物を載せる。すると大統領がリフトを操作し、地下五十階までおろす。
ジオフロントのネットワークを掌握しているのは大統領だ。彼女は監視カメラの映像を見ながら、荷物だけが載せられていることを確認し、リフトを下降させる。
リフトはドーナツの中央部へ来る。
普段、リフトはどこかのフロアへ退避させられているが、この日だけは地下四階と地下五十階を往復する。用が済んだらまたどこかのフロアへ退避させられる。
このリフトは、上からの侵入を防ぐフタの役目も果たしているというわけだ。
食品類は大統領も口にするから、毒物は混入していないと思われる。もし大統領が命を落とせば、運営は金をドブに捨てることになるからだ。
かくして無事に荷物を受け取り、配分されることとなった。レトルトはひとりあたり三十食分。その他の生活用品は共同で使用する。
しかし俺は、この三十食のレトルトのうち、五食でも食えればいいほうだった。青村放哉などは一食も口にできないだろう。なぜなら俺たちはあまり頭が賢くないからだ。こればかりは仕方ない。
各務珠璃は、円陣薫子の提案を飲んだが、まだそういう行為は要求されていないようだった。つまり、一方的に食料だけが供給されている状態だ。意図はよく分からない。
ともあれ、この日は運営が上をうろついているから、念のため「探検」も「狩り」もナシということになっていた。俺はトイレやシャワールームの掃除で一日を過ごした。他のメンバーも、なにかしら清掃活動にあたったらしい。
*
翌日、さっそく探検の再開。
メンバーは俺、青村放哉、そして足のよくなった円陣薫子の三名。オペレーターは小田桐花子が務める。この日は、白坂太一が試作したメッセージ・キャンセラーがきちんと稼動するか、テストを兼ねての作戦だ。
目指すは四十七階。未調査の「47-N」から順に片付けてゆく予定だ。
今日も防護服がズシリと重たい。
階段をのぼりながら、青村放哉は手にしたキャンセラーをしげしげと眺めていた。
「ホントに動くのかコレ? いざというとき動かなくてパッパラパーになるのごめんだぜ」
「その心配はないでしょ。もうパッパラパーなんだから」
円陣薫子が真顔でジョークを飛ばした。
俺も思ったけど言わなかったのに。
ただし、他人事ではない。俺たちにとってもこれがシールドとなる。人格感染とやらで頭がどうにかなるのは、俺だって遠慮したい。
青村放哉はふっと笑った。
「円陣ちゃん。あんた、俺のこと誤解してるぜ」
「そう?」
「こんな言葉を知ってるか? この世界には二種類のギタリストしかいない。青村放哉か、それ以外か、ってな。俺は歴史に名を残すギタリストになる男だ。手遅れになる前に、俺の魅力に気づいたほうがいいぜ」
「もう手遅れみたいだけど」
「そう言うなよ」
言ってる内容は最悪だが、空気はギスギスしていない。ふたりにとってはただの挨拶みたいなものだろう。
このキャンセラーは、オリジナルと同じようにレベル調整機能がついている。ただ人格感染をシャットアウトするだけでなく、会話可能なレベルにまで出力をさげることができるのだ。
もちろん自動的に故障する機能は搭載されていないが、それでもバッテリーが切れたら稼働しなくなる。試験では、フルパワーで連続二時間ほど。普通に使えば三時間は動くだろうということだ。
フルスクラッチで作られたわけではなく、あくまで改造品であるが、それだけにコア部の品質は保証されている。
ふと、青村放哉がこちらを見た。
「でよ、宮川。おめー、各務ちゃんのことどうする気だよ」
「えっ?」
「あのままずっと閉じ込めとくのか?」
疑問ももっともだ。直接は言ってこないが、俺が彼女をどうするつもりなのか、仲間たちは遠巻きに眺めていた。
だから俺は、素直に手持ちのプランをすべて開示することにした。
「決めてないよ、なにも」
「だと思ったぜ」
「なにかいいアイデアでも?」
「いや、ねーよ。人質として交渉に使うって手もあるが……。そもそもひとりでここに来させたくらいだし、たぶん使い捨てぐれーにしか思ってねーだろーな」
おそらくはそうだ。もし彼女が重要人物なのであれば、あんな雑な使い方はするまい。
だから水槽の少女との対話はハナから望んでおらず、あるいは大統領に対する精神的な嫌がらせ目的で送り込んできた可能性さえある。
俺たちがガイドを殺せば、それはちょっとした事件となったはずだ。秩序を乱したものは、命で償うことになる。もしそれが繰り返されれば、仲間内でも「緊張」が発生し、やがてストレスから疑心暗鬼になる可能性もある。
殺さなかったのは、やはり正解だった。問題は、その後のプランがないということだが。
すると、円陣薫子が不敵な笑みを浮かべた。
「ま、自由にしても大丈夫だと思うけどね」
「えっ?」
「あの子、私の命令ならなんでも聞くから。ずいぶん優しくしたもの」
妙な説得力があった。
各務珠璃の世話は、おもに俺と円陣薫子で担当していた。すると日に日に、目に見えて、各務珠璃の態度は従順になった。円陣薫子が言葉巧みに調教したのだ。手は出していないが、それ以外のものはなんでも出した。
少なくとも円陣薫子は、各務珠璃にとっての食糧問題の救世主だ。シャワーの世話だって、いまでは優しくしている。最初にセクハラ発言をしたのは、先に悪い印象を与えておいて、あとから善人に見せかけるための演出だったのかもしれない。
いいヤツだと思ってた人間の悪い部分を見るより、悪いヤツだと思ってた人間のいい部分を見たときのほうが、なぜか好感度があがるものだ。じつにクソな作戦だが。
笑えないジョークを飛ばし合っているうちに目的のフロアについた。
「こちらブルーヴィレッジ。いつもの頼む」
するとややあって、小田桐花子から返事があった。
『そのブルーヴィレッジってまだ言ってんの? なに? カッコいいの?』
「いいから教えろ。お前、俺が死んだら泣くだろ」
『ご飯が減ったら泣くかもね。誰もいないから入っていいよ』
「オーケー」
青村放哉は軽く叩きつけるようにボタンを押した。
顔は悪くないのだが、性格がアレ過ぎるせいで、女性たちからいつもフルボッコにされている。
ま、品行方正に生きていても、特に誰とも仲良くなれない俺のような男もいるが。
エリア内部は、やはりしんと静まり返っていた。このフロアにもマネキンどもはいるはずなのだが。
シャッター「47-N」の前で、青村放哉はふたたびマイクへ話しかけた。
「本部、ブルーヴィレッジだ。中の様子は?」
『問題なーし』
気の抜けるような返事だ。
「ちゃんとぜんぶの部屋見たのかよ?」
『えー? なんか暗いけど、たぶん大丈夫だよ』
「水槽は?」
『割れてるっぽい』
青村放哉はふっと鼻で笑うと、メッセージ・キャンセラーをレベル中に設定してレッグバッグへ放り込んだ。水槽が割れているなら人格感染もなさそうだが、せっかくキャンセラーの稼働試験も兼ねているので、いちおう使うことにしたのだろう。
のみならず、彼は腰のホルスターからトーラス・レイジングブルを抜いた。
「たぶんいる。戦闘準備しとけよ」
そんなことを言ってシャッターを開けた。
オペレーターはなにもいないと言ったのに。
いちおう俺もCz75を構え、円陣薫子もベレッタ92コンパクトを手にした。
青村放哉は口を開けばいい加減なことしか言わないが、こういう野生の勘だけは信用できた。
キャンセラーのスイッチが入ってからというもの、脳が薄い膜で覆われたような感覚があった。
この機械は、人格感染を感知してから初めて反応するのではなく、稼働中ずっとフラットな波を発し続けるらしい。
長い通路が伸びている。
左右にはナンバーのペイントされたドア。
とはいえ、本丸は突き当りのドアだ。
「ハナ、念のため確認しとくぞ。中にはなんもねーんだな?」
『えっ? たぶん……。なにも動いてないっぽいけど』
「お前の言葉、信じるからな」
『なに言ってんの?』
青村放哉にはなんらかの確証があるのだろう。
軽くノブを回し、一気に引ききった。
ほぼ闇だ。
しかし廊下から光が差し込んでいることもあり、うっすらとではあるが内部を確認できた。
情報通り、水槽は割れ、なにかがこぼれだしていた。
かすかに臭気がある。湿度は高くない。
青村放哉が歩を進めたので、俺たちもドアを開け放って室内へ踏み込んだ。
波がゆらいだ。
映像というほど明確ではないが、なにかが脳の膜に触れる感覚があったのだ。人格感染をキャンセラーが無効化したらしい。
「ほら見ろ。生きてんじゃねーか」
青村放哉が半身になって内部へ光を入れた。
彼の言葉通り、そこには餅のように伸びた平べったい肉塊が、水槽から床へと広がっていた。あるいは丘へ上がったタコのようだ。色は白い。苦しそうに呼吸をし、眼球をこちらへ向けている。
小田桐花子が慌てた声を出した。
『え、生きてる? どこ?』
「床だ、床」
『見えないよ』
「ま、こいつは仕方ねーか。ほとんど風景に溶け込んでやがるからな。大統領、見てんだろ? こいつはなんなんだ?」
大統領からの返事はすぐに来た。
『おそらくは進化に失敗した個体でしょう』
「殺していいのか?」
『判断はお任せします』
「そうかよ」
青村放哉がそう返事をしたときには、すでに銃弾が発射されていた。内部はほぼ液体なのか、皮膚が裂けた瞬間、血液が勢いよく飛散した。二発、三発と発砲が続き、すぐに床一面に血が広がった。呼吸は停止。虚ろな目だけがこちらを見つめていた。
その死体を踏み越え、青村放哉は水槽の脇へ回り込んだ。
「ジェネレーターはまだ動いてるっぽいな。ふたりとも、ボサっとしてねーでハーモナイザーだ」
俺たちも慌てて水槽を確認した。ハーモナイザーも稼働しているようだ。しかし内部の紫がほぼ消えかかっている。
パーツを外すと、青村放哉はふっと笑った。
「こいつ見てたら、餅食いたくなってきたぜ。海苔まいて醤油かけてよ……。やべ、腹が減ってきた」
これを見て食欲が湧くとは。たくましいというかなんというか。
円陣薫子も顔をしかめている。
「そんな話しないで」
「なんだ? 気でも悪くしたかよ」
「当たり前でしょ。こっちだってシャレオツにパスタ茹でまくりたいの我慢しながら生きてるんだから。食べられもしない餅の話なんて聞きたくない」
「テメーこそ、パスタとか言ってんじゃねーぞ。婆さんの作ったナポリタン思い出したじゃねーか。クソ、なんで運営はケチャップよこさねーんだ。ぶっ殺すぞ」
「はぁ、濃厚なカルボナーラが恋しい」
「やめろやめろ! この話はナシだ。チクショウ。いろいろ食いたくなってきちまった……」
まるでムショにぶち込まれた囚人みたいだ。
事実、俺たちの食生活は豊かとは言いがたい。一種類しかないレトルトのシチューに、マネキンの肉、そして謎のキノコ。以上がここの食事のすべてだ。
あのマネキンにしても、魚の状態なら味も違うのだろうか。もし魚なら、塩を振って皮がパリパリになるまで焼いて食べてみたいものだ。さいわい塩と油だけはある。いちど考え始めると、あれもこれも食べたくなってくる。
一刻も早くここを出たい。
できれば心が死ぬ前に。
(続く)




