人治主義
大統領の去り際、俺はこう尋ねた。
「なぜ俺にこの話を?」
返答はこうだ。
「興味を持ちそうな相手なら、誰にでもします。ただし、聞いた相手が受け入れるかどうかは別の話ですが」
そして俺の返事も待たず、彼女は行ってしまった。
誰にも理解されぬまま、ひとりきりで思索を重ねていた、というわけか。かといって俺が受け入れて理解できたかは分からないが。
彼女は孤独を抱えて生きている。
俺たちは、もっとフレンドリーに接するべきかもしれない。たとえば一緒にメシを食うところから始めてもいい。異質に見えるからといって遠ざけていては、永遠に理解できない。彼女は歩み寄ってきた。俺たちも応じるべきだ。
*
それからの数日は、特に事件もなく過ぎた。
いや、青村放哉が各務珠璃に手を出しそうとして、ちょっとしたいさかいが起きたりはしたのだが。誰も青村放哉の味方をしなかったので、結論はすぐに出た。
各務珠璃の世話は、鐘捲雛子が手伝ってくれることになった。現場に居合わせた当事者だったこともあり、責任を感じていたらしい。おかげでシャワー問題は解決できた。
しかし厄介なのは「メシ」の問題だった。
ここで生活を続けるからには、レトルトだけを食べて過ごすことはできない。だからついに、各務珠璃にもオメガの肉を提供することになった。
調理したのは鐘捲雛子。
ここのところ、三人で食事をとっている。
俺の監視はただでさえ隙だらけなのに、今日のサイコロステーキにはフォークが必要となる。これは凶器にもなりえる。
いま皿の上には、サイコロステーキとキノコが盛られている。
例のメニューだ。
騙すのもなんなので、事前になんの肉であるか説明してある。ここには、それしか食い物がないことも説明済みだ。
拷問ではない。
実際、いまから俺たちも一緒に同じものを食う。
しかし部屋にワゴンを入れたときから、各務珠璃の表情は曇りきっていた。鐘捲雛子は構わず配膳する。三人でベッドに腰をおろしての食事だ。
「いただきます」
鐘捲雛子が手を合わせ、さっそく食事にとりかかった。
俺も続く。
が、各務珠璃はフォークを握りしめたまま、ずっと短く呼吸を繰り返している。
「あの、これ……本当に食べて平気なんですか?」
「しつこい。早く食べて。片付けるの私たちなんだから」
腹を撃たれたから厳しく接しているわけではない。鐘捲雛子はいつもこんなだ。
しかし北風には太陽がセットでなければバランスも悪かろう。
俺はこう提案した。
「まずはキノコから食べてみたら?」
「えっ? で、でも……これ、なんのキノコなんですか?」
「そう言われると、なんのキノコだか……」
「ひぐっ……」
しゃくりあげている。
この調子では、そのうち発作でも起こしそうだな。
大統領が栽培しているキノコという話だが、俺はその現場さえ見たことがない。きっとロクでもないものなんだろう。見ないほうがいい。
「大丈夫だって。少なくとも肉のほうは、魚の成長したようなもんだと思えばさ」
「二宮さん、助けてください……。私、なんでもしますから……」
「そうは言っても、俺だってもうレトルト切らしてるからさ」
こっちは連日のように小田桐花子に巻き上げられているのだ。当然、在庫は尽きている。
鐘捲雛子が鋭い目を向けてきた。
「イヤなら残せば? その代わり、食べるものなくなるから」
ここではみんなそうしている。受け入れるしかない。あるいは餓えて死ぬしかない。
各務珠璃は意を決したらしく、フォークを肉へ突き立て、ゆっくりとではあるが顔へと近づけた。じつに不快そうな顔をしている。何度も口へ運ぼうとするが、そのたびに遠ざけてしまう。
血抜きしてあることもあり、特ににおいはない。味もない。食感とイメージさえ乗り越えてしまえば、食えないことはない。俺もまだ抵抗はあるし、食ったあとずっと胃がムカムカするが。
鐘捲雛子が食事を終え、「ごちそうさま」と手を合わせた。無慈悲な女だ。
俺はあえてゆっくり食っている。これで俺まで食い終えてしまうと、各務珠璃は小学校でいつまでもひとりで給食を続けている女の子の構図になってしまう。
各務珠璃は唇を半開きにし、そこへ肉を押し込んだ。焦げた肉が、唇をぬるりと押し分けて奥へと進む。その後、各務珠璃はピタリと動きを止めたかと思うと、左右をキョロキョロし、フォークの刺さったままの肉を口から出した。のみならず、備え付けのトイレへ猛ダッシュし、げろげろと胃液を吐き散らかした。
食事を終えた鐘捲雛子も眉をひそめているが、食事中の俺はもっとつらい。
「やだぁ……もうやだぁ……」
さすがに演技ではないだろう。各務珠璃はトイレにしがみつき、何度も小さく吐いた。吐瀉物は床へも散っている。
さすがに見ていられない。俺は自分の皿の肉を平らげ、ついでに各務珠璃のも片付けた。
「ちょっと大統領に掛け合って、レトルトもらえないか聞いてくるよ」
これに鐘捲雛子が猛抗議した。
「なに勝手なことしてるの? そんなこと許可できない」
「けど、アレじゃ体がもたないよ」
「いつかは食べないといけないの。もし助けたいなら、あなたのを分けたらいいじゃない!」
「俺のはもうない……」
「バカじゃないの? まだ半月も経ってないのに。二宮さん、あなた、自分の食料を分け与えるならまだしも、みんなの食料に手を付けようとしてること分かってる?」
「分かってるけど……」
しかし地面に崩れ落ちて胃液まみれの人間がすぐそこにいるのに、なにもしないというわけにはいかない。
「このままじゃ健康にもよくない」
「自業自得でしょ」
「俺たちは、彼女を殺すために連れてきたわけじゃない」
「私は殺してもよかった」
「その決断をしなかった人間に、いまさら言われたくない」
「だからって勝手に連れくるのもどうなの? 二宮さん、彼女にアマすぎる」
「……」
実際、アマいんだろう。
俺は各務珠璃に対して、正常な判断ができていない。それは分からないでもない。まだバカみたいに期待みたいなものを抱いている。それでも、どうしても見捨ててはおけないのだ。
俺は自分でもどうしていいか分からず、その場に土下座した。
「鐘捲さん、お願いだから、ひとつ譲ってくれないか。代償は支払うから」
「やめて」
「頼むよ。ひとつだけでいいから。あんな状態で放っておいたら、きっとよくないことになる」
「やめてって言ってるでしょ。私だって本当は殺してやりたいのに、ずっと我慢してるんだから。こいつは妹を殺したヤツの仲間なの。絶対に許せない。でも、そういうことしたらみんなに悪影響が出るから、私も気持ちを殺して対応してるの。あなたの気持ちだけを押し付けないで」
「……」
返す言葉がなかった。
鐘捲雛子は、このツアーに家族を殺されたのだ。主催しているのは運営だが、現場で煽って誘導したのはガイドの各務珠璃だ。他人の命を売り払って金を稼いでいる。殺したくなる気持ちも分かる。
俺は頭をあげた。
「ごめん。配慮に欠けてた。撤回するよ」
「悪いけど、私、帰るから。ひとりになりたい」
「うん……」
俺が血迷ったことしたせいで、ふたりの人物を傷つけてしまった。行動を起こす前に、もっと考えないとダメだ。
俺は立ち上がり、各務珠璃へ告げた。
「一旦撤収するよ。食事の件はどうにかならないか大統領に聞いてみる。また掃除に来るから、それまで我慢してて」
「……」
声はなかったが、彼女は申し訳無さそうに頭をさげてくれた。ゲロまみれだった。
*
調理場で食器を洗ってから、俺は清掃用具を手に留置所へ戻った。
各務珠璃は、部屋の隅で膝を抱えてうずくまっていた。俺は声もかけず、掃除だけして部屋を出た。次はシャワーの世話をしてくれる女性を見つけないといけない。
医務室へ向かう途中、白坂太一と出くわした。
「あ、いたいた。二宮さん、聞いてくださいよ。例のメッセージ・キャンセラー、直せそうですよ」
「えっ?」
なんだこいつ。天才科学者だったのか。
俺が唖然としていると、彼は興奮気味にこう続けた。
「もちろん中身は複雑でしたし、コア部は壊れてたんですけど。大統領にお願いして、ハーモナイザーのジャンクを譲ってもらったんです。こっちも壊れて使い物にならない状態でしたけど。中を開けたら、構造がほぼ同じだったんです。だからケーブルさえ差し替えれば、ハーモナイザーをキャンセラーに改造できそうだなって」
そうか。やはり音の逆位相みたいなものだったんだな。
「本当に尊敬するよ。いますぐここを出てノーベル賞に推薦したいくらいだ」
「いやー、そうですか? それほどでも……」
キャンセラーがあれば探検だってはかどるし、例の十三階の少女と対話もできるかもしれない。オメガ・プロジェクトの真の目的も分かる。
すると彼は、ようやく冷静になったのか、不審そうにメガネを押し上げた。
「それにしても二宮さん、なんだか元気がありませんね。なにかあったんですか?」
「いやー、それがさ、各務さんに例の肉食わせようとしたんだけど、途中で吐いちゃってさ。シャワー手伝ってくれる人いないかなって」
「あら、それは大変でしたね。鐘捲さんは?」
「なんか怒らせちゃったから、円陣さんにでも頼もうと思って」
「だったら部屋にいると思いますよ。足の調子もいいみたいですし」
「ありがとう。行ってみるよ」
やはり適材適所だな。互いに得意なことで補い合うに限る。
事実、キャンセラーさえ使えれば、すべてが格段にやりやすくなるはずだ。
*
ドアをノックすると、円陣薫子はすぐに出てきた。
「あれ、二宮さん? なにかご用?」
私服もあるはずなのだが、患者着のような浴衣姿だ。これが楽でいいのだろう。
俺は用件から切り出した。
「悪いんだけど、また各務さんのシャワー頼めないかなって」
「は? 鐘捲さんは?」
「いまちょっと頼めなくて……」
すると彼女は、面倒くさそうに口をへの字にした。
「えー。べつにいいんだけど、私、各務ちゃんに嫌われてるからなぁ」
嫌われるようなことをするからだ。
「お願い。ほかに頼れる人いなくてさ」
「あーもー、分かった。分かりました。困ったときはお互いさまだしね」
足が治るまでの間、彼女のシャワーをサポートしていたのは、じつは鐘捲雛子だった。こうして助け合っているのだ、ここでは。
だが、人選を誤ったかもしれない。
円陣薫子は、留置所で膝を抱える各務珠璃を見て、また獣のような凶悪な笑みを浮かべた。
「かわいそうに。各務ちゃん、ゲロまみれじゃん」
どこからどう見ても笑いものにしているようにしか見えない。各務珠璃も怯えて体をすくませている。
「あー、そう怖がらないで。私、各務ちゃんの味方だから。あの肉、受け付けないんでしょ? 分かるよ。私も最初は吐きそうだったし。けど、慣れるとまあまあ食べられるよ」
「私にはムリです……」
「ムリ? あー、分かる。そうだよね。ムリだよね。でも私、まだレトルトあまってんだよね。まあずっと肉でもイケるかなって思って。なんならレトルトなんていらないくらいだね」
タフすぎて怖い。
こんなこと言うヤツ、彼女か忍者くらいのものだろう。青村放哉でさえレトルトがいいと言っているくらいなのに。
すると円陣薫子は、とんでもないことを言い出した。
「あんたに譲ってあげてもいいよ」
「えっ?」
「その代わり、分かってるよね? 私の命令、なんでも聞くこと」
「えっ?」
「なにその反応。各務ちゃん、誰にでも股開くようなガバガバ女でしょ? 棒ついてないとムリ? 私、そこらの男より全然ウマいけど? 天国見たくない?」
「……」
各務珠璃は絶望的な目になっている。
本当なら止めに入りたいところだが、俺も似たようなことをしているので言えるわけがない。
「あの、円陣さん、いま各務さんだいぶ弱ってるから」
「は? 弱ってるときがチャンスじゃない。なに? まさか二宮さん、優しいフリして各務ちゃんに好かれようとしてる?」
「べつにそういうわけじゃ……」
ありまぁす!
あるけど、露骨に言わないでいただきたい。恥ずかしさで死にそうになる。
円陣薫子はふっと不敵に笑った。
「ま、答えはいますぐじゃなくていいよ。できればその乳がやせ細る前にお願い。あなたの取り柄、そこしかないんだから」
まさに暴力の支配する不毛の大地。
しかし当事者にとっては、とんでもない問題だなこれは……。もし逆の立場だったらのたうつぞ俺は。
(続く)




