人格感染
拳銃を奪い取るのはイージーだった。ちょっと横へひねったら、彼女はすぐに手を離したのだ。
「待って! 殺さないで! なんでもしますからぁ!」
ガイドは尻もちをついてしまい、へたり込んでぶるぶると震えた。
もちろん撃ったりしない。彼女を射殺するために銃を奪ったわけじゃない。俺が銃口を向けたのは水槽だ。
「ひとりだけ特等席から見物ってのはフェアじゃないな。たぶん聞こえてるよな? 俺は二宮渋壱。あんたの名前は?」
水槽の中の少女は、マネキンのような顔面に愉悦を浮かべている。
口は開かない。
しかしなにか聞こえた気がした。こちらへなにかを語りかけている。なのだが、その言葉はいまいち明瞭ではなかった。
機材の調子がよくないのだろうか。
「悪いが、聞き取れない。こちらの声は聞こえるか?」
脳内へ、なにかもごもごと歪んだものが来るのだが、どうしても言語にならない。
会話が通じない。
なのに彼女は猫のように目を細め、じつにご満悦な表情だ。もしかすると、言葉を知らないのかもしれない。少なくとも学校に通ってるようには見えない。
すると、ガイドが俺と水槽を交互に見て、それから自分のふところをまさぐりだした。武器を出すわけではないと思うが、俺は銃口を向けた。
「ち、違うんです! これ! メッセージ・キャンセラー! これがあるから、きっと会話できないんだと思います!」
センシビリティ・ハーモナイザーとよく似ている。箱の中に球体があり、その中をなにかが激しく波打っている。中央は紫色だが、上下にぶれると虹のようにきらめく。
「これは?」
「あの、水槽からの干渉を防ぐパーツで……これがあると、人格感染を受けないからって……」
なるほど。水槽内から映像を送る機能があるなら、それを打ち消す機械だって作れる、というわけだ。理屈は分からないでもない。逆位相で騒音を消すノイズ・キャンセラーのようなものだろう。
それにしても、運営どもはこの現象を「人格感染」なんて呼んでやがるのか。
俺は銃をおろした。
「スイッチは切らなくていいよ。干渉されたくない」
「はい。私もそう思うんですが……」
顔色がよくない。
すぐにでも鐘捲雛子を医務室へ運びたいし、あまり長話をしている時間はないのだが。
「なにか問題が?」
「この機械、時間が来たら自動的に機能停止すると説明されました」
「はっ? なんで?」
「もし私が失敗したときに、皆さんがこれを回収しても使えないようにするためです」
ずいぶん周到だな。
俺は鐘捲雛子の様子をチラ見しつつ、ガイドに尋ねた。
「あとどのくらいもつ?」
「分かりません」
手がかりナシ、か。
実際、キャンセラーがどんな理屈で駆動するかは不明だが、球体の中の波の激しさを見れば、いまこの場に大量の映像が撒き散らされていることが分かる。水槽の中の女もまだ生きているのだ。もしキャンセラーが機能停止すれば、桁違いの感染があるだろう。直撃を食らったときになにが起こるかは、推測さえできない。
あまり時間がない。
選択肢は大きくふたつ。
ガイドを殺す。
あるいは殺さない。
殺す場合は簡単だ。ただトリガーを引き、すみやかに撤収すればいい。
しかし殺さない場合、なにか理屈が必要となる。
俺はガイドへ銃口を向けた。
「分かった。じゃあ各務さん、あんたを逮捕することに決めた」
「えっ? 逮捕?」
「大統領がいるってことは、ここは共和国かなにかなんだろ。つまりは治安があるってことだ。だから治安維持のため、部外者を取り押さえる」
「ひ、ひどいことしないでください。なんでもしますから、許して……」
小さくなって震えている。
もしやプロの暗殺者かとビビっていた自分が恥ずかしい。
「なるべく丁重に扱うよ。そのために逮捕なんて面倒な理屈を持ち出したんだ。できれば素直に従って欲しい」
「はい……」
下心がないとは言わない。しかしこれにかこつけて妙なことをすれば、今度は俺が自由同盟から追放される可能性がある。だからこれは、あくまで人道的な措置だ。
すると鐘捲雛子がつらそうに床を這い、回収した刀を鞘に納めて杖代わりとした。
「歩ける?」
「私は大丈夫。けど、ガイドさんはお願い」
「分かってる」
呼吸が苦しそうだ。ここから最下層までもつだろうか。
俺はマイクへ告げた。
「本部、念のため救援を」
『あーっ! やっとつながったーっ! なにやってたの、いままで? 心配したじゃん!』
イヤホンから急に小田桐花子のキンキン声が響いた。
「いやいや、『なにやってたの』はこっちのセリフだよ」
『は? なにそれ? いきなり消えたのそっちのほうじゃん。いっぱい話しかけたのに、全然返事してくれないし』
「えっ?」
また操作をミスって別のフロアにアクセスしたってオチじゃないのか。あるいは我らの大統領閣下が、またなにかをやらかしたか、だ。
俺はガイドに「歩いて」と促し、その背後へ銃を突きつけながら通信を続けた。
「こっちはずっと作戦を続けてたよ。応じなくなったのはそっちのほうだろう」
『なに? 逆ギレすんの? あたしのほうが先輩なんだけど?』
「そうは言うけど、こっちは命張ってんだからさ」
『だから心配してたって言ったじゃん!』
「大統領は?」
『なに? いないけど? いま大統領とか関係ある?』
「さっきまで通信してたんだ。オペレーター交代したんじゃないの?」
すると小田桐花子は、小声で「うわぁ」とつぶやいた。
『マジで? じゃあたぶんアレだわ。なんだっけ。他人のパソコン乗っ取るやつ』
「ハッキング?」
『それ! それ? 分かんないけど。前も一回あったんだ、こういうの。操作ミスとか言ってたけど、絶対わざとだよ』
わざとだろうな。大統領は、俺たちがどう判断するのかを試してた。あの水槽の中の少女のように。
フロアを出ると、鐘捲雛子は律儀に「13-A」のシャッターをおろした。俺たちはそれが終わるのを待ち、階段をくだり始めた。
「鐘捲さんが撃たれたんだ。念のため救援よこして」
『ウソ? 撃たれたってマジで? 大丈夫?』
これに鐘捲雛子は力なく「大丈夫だから」と応じた。しかし大丈夫な声じゃない。
小田桐花子はひとりでパニックになっている。
『え、でも救援? どうしよ? 担架いる? 誰がいい?』
「担架はいいよ。誰でもいいから、暇そうなヤツ送って」
『じゃあ白田さんに頼むね』
「了解」
正しくは白坂だ。青村放哉と同じミスをしてやがる。こういうのはいっぺん間違っておぼえるとなかなか直らない。
*
重労働のような階段移動の末、ようやくホームへたどり着いた。鐘捲雛子は白坂太一のサポートで医務室へ。そして俺は、ガイドの各務珠璃に銃を突きつけながら、大統領の部屋を訪問した。
テオは俺たちが来ると確信していたのだろう、すぐに招き入れてくれた。
「お疲れさまです、二宮さん。各務さんも、大変だったでしょう」
「は、はい……」
ガイドはやたら恐縮している。過去になにかあったのか。あるいは彼女にとって敵の総大将だから怯えているのか。
俺は構わず割って入った。
「大統領、この侵入者の処遇を決めて欲しいのですが」
その大統領は、相変わらずの無表情だ。水槽の少女とは顔の造形こそ似ているものの、受ける印象がまるで違った。
「あなたならどうします? この場で射殺しますか?」
各務珠璃がひっと息を呑んだ。
もう少し丁重に扱わないと、人権団体がうるさく言ってくるぞ。
「大統領に丸投げするつもりで連れてきたんです」
「では、射殺して欲しいと言えば、そうしますか?」
「気分が乗れば」
完全に試されている。なにを試されているのかは不明だが。気分はよくない。
大統領は、ふと斜め上を見た。視線を虚空へ向けている。いま白い頭でいろいろ考えているのだろう。
「たしか、彼女を逮捕したのでしたね」
「ええ」
「では勾留するといいでしょう」
「監禁に使える部屋でもあるんですか?」
「ありますよ。そこに閉じ込めておいてください。二宮さん、もちろんあなたが世話をするのですよ」
「えっ?」
俺に任せる? 世話を? どう考えても自分の権限を最大限に悪用して、よからぬことをするに決まっている。なにせ下半身のコントロールのマズさを考えると、俺は高潔な人間とは言い難いからな。
俺は咳払いをし、こうつくろった。
「いやいや、ちょっと待ってくださいよ。なにか具体的な提案はありませんか? 法律は? ルールは? ないんですか? 仮にも共和国でしょう?」
「いいえ」
即答だった。
「ない? 法律が? ルールが?」
「ええ、ここには各人の合意しかありません。もっと言えば、共和国でさえありませんよ。あくまで自由同盟です。私は大統領を名乗っていますが、あなたの大統領ではありませんから。だって、誰も投票さえしていないでしょう?」
「えーっ……」
ただのアダ名かよ。まあいいけど。
しかし俺の裁量でやるとなると、これはもう連日のように非人道的な私刑が加えられることになるぞ。クソ野郎のやることなんて、タカが決まってるだろう。
すると大統領は、話はおしまいとばかりに一方的に会話を打ち切った。
「あとはあなたにお任せします。お疲れさまでした」
*
俺は指定された部屋へ、各務珠璃を閉じ込めることにした。
「食料はレトルトと……あとは肉があるけど……忘れずに出すようにするよ」
ドアには小さな格子がついており、通路側から鍵をかけるタイプの部屋だった。本当に、ただの監禁用の施設だ。
内部にトイレはある。しかしほかにはベッドがあるのみ。
「あのっ! シャワーは……」
「希望があれば応じるけど」
「いつ出られるんですか?」
「それは分からない」
「お願いです! 自由にしてください! 私、二宮さんの望むことならなんでも応じますから!」
いちばん聞きたかった言葉が出た。
だが、ここで乗ってしまったら、俺は今度こそクソ以下のクソ野郎になる。
「悪いけど、しばらくそこでおとなしくしててよ。問題を起こすようだと、表に出せないからさ」
「そんな……。私、信じてますから。二宮さんが、私のこと救い出してくれるって」
「……」
なにか言い返そうと思ったが、ロクな言葉が出てきそうになかったので、そのまま飲み込んだ。手を振ってその場を離れる。
さて、このあとは、大統領を問い詰めてもいい。パーツを集めてなにに使うのか。あるいは十三階にいた水槽の女は何者なのか。なぜハッキングしたのか。
疑惑だらけだ。
しかし妙に気が高ぶってしまったので、まずは自分で処理しようと思い、俺はトイレを探して通路を歩いていた。そこへ白坂太一が来た。
「ああ、よかった。二宮さん、少し話しませんか?」
「えっ? いまから?」
男に用はない。いや、女にも用はない。いまはひとりでいたい気分なのだ。
彼は不思議そうに目をしばたたかせた。
「なにか用事でも?」
「いや、ないけど……」
俺たちは通路のベンチに、並んで腰をおろした。
私服の白坂太一と違い、俺はまだ防護服のままだ。
「聞きましたよ。大変だったみたいですね」
「大変だったよ。階段を移動するだけでキツいんだから。この服も重いし。あー、で、鐘捲さんはどうだった?」
「内出血してるみたいです。ただ、骨折まではしてないみたいで」
「診察したの?」
この問いに、彼はやや不快そうにメガネを押し上げた。
「僕じゃありません。円陣さんが」
「ああ、そういうこと。円陣さん、足はどうなの?」
「少しだけなら歩けるみたいです。あ、それよりも、さっき三人で話したんですけど、やっぱり大統領にパーツの使い道を聞いたほうがいいんじゃないかってことになって……」
俺はこのとき、白坂太一という男に対し、素直に感心した。
少なくとも鐘捲雛子は、大統領の内情を探るのに消極的なように見えた。だから彼女に計画を話せば、きっと議論にさえならず却下されるだろうと決めつけていた。彼は決めつけなかった。そして合意を得た。
話がうまかったのか、あるいは人柄によるのかは分からないが。やはり人にはそれぞれ長所があるものだ。
「大統領を警戒させないかな」
「そうならないよう、もう少し作戦を練るつもりです。次回は二宮さんも参加してください」
「分かった」
「あと、例のなんとかキャンセラーですけど……」
俺はレッグバッグからメッセージ・キャンセラーを取り出した。
「これ? もう動いてないっぽいけど」
球体の内部には紫の放電さえなかった。電池が切れたわけじゃない。時間が来て壊れたのだ。内部機構もオシャカになっていることだろう。
「中が見たいんで、僕があずかってもいいですか?」
「いいよ」
ちょっと前なら、俺はまず大統領の許可を取ろうとしただろう。しかしあの大統領、どうせこちらへ丸投げしてくる。彼女の言う通り、誰の大統領でもないのだ。もう好きにやらせてもらう。
白坂太一は故障した箱を眺めながら、こうつぶやいた。
「そうそう。二宮さん、知ってました? 鐘捲さんって、もう成人してるみたいですよ」
「えっ?」
「僕らとそう変わらない歳だそうです」
「マジで? 大人なの?」
一回りは歳が違うと信じて疑わなかったが、そうでもなかったということか。女子高生にしては、やたらとしっかりしていると思ったが。
印象だけで勝手に決めつけていると、事実を見誤るハメになるようだ。それをちゃんと確認しようとする白坂太一は、少なくとも俺よりクレバーなのかもしれない。
(続く)




