小人閑居
その後、俺たちは全員でホテルへ入った。またあのダンジョンに入る気にはなれなかったからだ。
ホテルと言っても簡易宿泊所のようなもので、一階ロビーに小さな談話スペースがあるほかは、ただ手狭な個室が用意されているだけだ。
しかし贅沢は言えない。格安ミステリーツアーだ。十数万で三十日も過ごせる。普通に暮らしてたってそのくらいかかるというのに。
はたしてこれで運営は儲かるのだろうか。モンスターの飼育もタダではあるまい。その上、ダンジョンの維持費もかかる。もしここが本土から遠い離島だとしたら、生活に必要な物資でさえ調達コストは跳ね上がる。
このツアーには謎が多い。
情報は知人から回ってきた。いわく「面白そうなツアーがあるぞ」「無職で暇なら気晴らしにどうだ?」と来た。
俺はそれまで勤めていた小さな会社を辞めたばかりだった。IT技術者として就職したはいいが、あらゆる雑用がすべてこちらへ回ってきたため、最終的に頭脳労働と両立できなくなってしまったのだ。システム開発と並行して、電話番、弁当の注文、タバコの買い出しなどのパシリ、ゴミ捨て、お茶出しなどをすべてこなさねばならなかった。もちろん残業代は出ない。
まあいい。
ともかく、それらいっさいをやめたおかげで、時間は手に入った。そこそこの金も。パンフレットには見知った顔もあった。それで応募したのだ。
もちろん、本気で英雄になりたかったわけじゃない。ちょっとバカげたことをしたかっただけだ。
*
メシの時間は決まっている。
頃合いを見計らって食堂へ行くと、他の参加者たちもぼちぼち集まってきた。
長テーブルに木の椅子が並べられている。俺たちは配給係から食事を受け取り、思い思いの席へ腰をおろした。まずはひとり分の席を空けて座り、あとから来た連中がその隙間に仕方なくおさまるという、どこでもよく見る光景となった。
献立は白米に味噌汁、卵焼き、鶏の唐揚げ、サラダなど。金額を考えれば悪くない。ドレッシングは使い放題。
食事中はほぼ無言。
まあ当然だろう。俺たちは、互いに誰とも親しくない。それに、言っちゃ悪いが誰も彼もあまりフレンドリーには見えなかった。もちろん俺もそう見られていただろう。
箸のぶつかる音、咀嚼音、あとはたまに起きる咳払いの音、あるいは鼻をすする音だけが聞こえた。栄養補給のためだけの行為。不気味な食事風景だ。
*
食事を終えた俺たちは、それぞれ無言で食堂を出た。
ロビーの談話スペースには誰も寄り付かず、みんなまっすぐ自室へ向かう。シャワールームもトイレもランドリーも共用だが、それを使わないならば、あとはずっとひとりでいることができる。
テレビはない。
スマホもつながらない。
俺は部屋でベッドに寝転び、天井を見つめた。
白い。
それだけだ。
海のすぐそばのはずだが、波の音は聞こえてこない。風もあまり強くない。ただ、少し蒸し暑い気がした。まだ春だというのに。
何度か寝返りを打ってみたが、あまりに暇すぎてどうしようもなくなってしまった。
あと二十九日もこれが続くのかと思うと、さっそく不安に襲われた。誰か友人を作ったほうがいいかもしれない。
特に社交的というわけではないが、俺はなにかを求めて部屋を出た。雑誌でも置いてあれば、それを読んで時間を潰そうと思ったのだ。
談話スペースにはすでに数人が集まっていた。あのメガネと中年もいた。
俺はセルフサービスの茶を自分でいれながら、なんとなしに彼らの話を聞いた。
「普通、ビールぐらい置いてあると思うじゃない? 最低限さぁ。そういうところがダメなんだよなぁ、この運営はさぁ」
例の中年男性は、何年もここに住んでいるような顔でそんなことを言った。聞かされているメガネは半笑いだ。他の連中はやや遠巻きに、参加するともしないともいった感じでただそこにいる。俺と同じように。
俺はセルフコーナーからも談話スペースからもやや距離をとり、壁際で茶を立ち飲みした。
若い女が、俺の代わりに茶をいれ始めた。化粧っ気のない地味な女だ。いや、地味なのは彼女だけじゃない。参加者はみんなそうだ。もちろん俺も。あのうだつのあがらなそうな中年男性がやたら目立っているのは、こういう事情による。
女がこちらへ近づいてきて、目も合わせずボソボソとなにかをつぶやいた。
「あの、昼間は……」
「えっ?」
「いえ、その……助かりました。なんか、みんなビックリしちゃってて……」
「ああ、昼間ね。いえ、まあ、誰かがやらないといけなかったんで」
俺だけがマネキンに応戦したことを、いちおう評価してくれているというわけだ。
もちろん銃を撃ったのは今日が初めてだ。ツアーガイドの各務から軽く指導を受けたのち、そのままダンジョンに乗り込んだ。
俺が二の句を継げずにいると、代わりに彼女が話題を提供してくれた。
「明日もまた行くんでしょうか?」
「うーん、どうでしょうね。行ってもいいし、行かなくてもいいしっていう、微妙なところだなぁ」
我ながら見事になにも言っていない。内容がペラペラだ。
彼女はそれでもふっと笑みを見せ、茶をすすった。
「今日のアレ、人間だと思います?」
「個人的にはそう思うけど、実際どうでしょうね。ガイドの人は違うって言い切ってるし」
すると彼女はテンションを変えず、ぼそりとこうつぶやいた。
「私、人間だと思います。それも、改造手術を受けた人間。過去のツアー参加者かも」
「まさか……」
震えそうになった。
仮になにかを改造した動物だとして、あれは確実にサルではない。というより、ヒト以外にありえない。あるいは改造さえしていないのかもしれない。毛が抜け落ちて、知性を失った人間だ。
そう考えると、過去のツアー参加者という説明はしっくり来る。
しかしいったいなんの目的で?
いや、俺たちの理解が及ぶような目的ではないのかもしれない。なにせパンフレットに顔写真を載せていたのは、某省庁の官僚だ。うちの職場にも何度か来ていた。もちろん俺なんかは同席することなく、社長たちが相手をしていたが。
政府が裏でなにかやっているのかもしれない。妙なものに参加してしまった。
会話が途切れてしばらく経つと、女はすっとどこかへ行ってしまった。
談話スペースでは、中年男性がまだビールについての不満をぶちまけていた。俺は巻き込まれる前に自室へ戻ることにした。
*
早く寝たせいで、早く目がさめた。
おかげで、山々の合間から太陽が出てくる様子をずっと見届けるという、贅沢な時間の使い方をしてしまった。あまりに暇すぎる。朝食が始まるまで、頭がどうにかなりそうだった。
海が近いから、その気になれば泳ぐこともできるのかもしれないが、しかし水着を用意していなかった。なにせミステリーツアーだ。事前の情報はほとんどなかった。服を着たまま泳ぐのは危ないし、かといって全裸ではしゃぐほどの気力もない。
食事を終え、談話スペースの脇で茶を飲んでから、俺はひとりでホテルを出た。
行くアテがあるわけではない。
どうせ島には波止場とダンジョンしかない。鬱蒼とした森を探索してもいいが、戻って来られなくなったら悲惨だ。
だから俺はホテル前で、ただぼうっと突っ立って景色を眺める以外にすることがなかった。
部屋にいても暇、外に出ても暇、となると、もう本当にやることがない。
背後から足音が近づいてきたので、俺はなんとはなしに振り向いた。パーカーの男がまっすぐこちらへ駆けてきた。まさか襲撃されるのかと思い、俺は思わず身をすくませた。やけに目つきが鋭かった。
が、彼は減速すると、ややうんざりしたような顔で息を吐いた。
「行くんですか?」
「えっ?」
「ダンジョン」
「いや……」
「え、行かないの? ンだよ、紛らわしい……」
いきなり叱責されてしまった。
もう少し優しく対応してくれてもいいと思うのだが。
だがそいつはホテルに帰る様子もなく、じろじろとこちらを眺めてきた。
「あ、でも、行くでしょ? 行きますよね?」
「いまから?」
「いやいつでもいいけどさ。あんた、撃ってたじゃん? ああいうの、抵抗ないんでしょ? せっかく金払ったんだし、行かねーともったいないっしょ」
「ええ、まぁ……」
二十代中盤といったところか。俺と同じか少し若いくらいだ。しかしマナーのレベルは十四歳くらいであろう。あくまで推測だが。
彼はちょっと距離を詰めてきた。
「いつ行きます? 俺、いつでも行けるんで。もし行くなら言ってください。ひとりで行くのとかナシなんで」
イクイクうるさい男だ。
俺は苦笑いを殺しきれず、それでもなんとか応じた。
「じゃあ、そのときになったら」
「いやでもマジで行くでしょ? 暇すぎるし。スマホつながんねーのとかありえなくないですか?」
「暇すぎるよね」
「行くしかないって」
じゃあなんで昨日撃たなかったんだ。
すると、事務所からツアーガイドの各務が出てきた。ベストにスカートという勤務時の格好をしている。彼女は俺たちを見つけと、やわらかな笑顔で「おはようございます」と声をかけてきた。俺たちもボソボソと「おはようございます」を返した。
「昨晩はどうでした? よく眠れました?」
「いやー、暇すぎてマジムリっすわ。テレビとかないんですか?」
パーカー男はいきなり苦情を口にした。社交辞令のひとつも言えたほうがいいと思うのだが。
それでもガイドは笑顔のままだ。
「申し訳ありません。テレビを設置してしまうと、ツアーの価格に影響してしまうので……」
「せめてスマホつながるようにするとかさ。WiFiとか飛ばせないんですか?」
「そちらも設備が……」
「マジかよ。なんもできねーじゃん。なんかないの? 暇すぎて死にそうなんだけど」
こんな客ばかりかと思うと、ガイドが気の毒になってくる。
それでも彼女は表情を変えない。
「でしたら、アトラクションに参加されてはいかがでしょう? 二十四時間、いつでも挑戦を受け付けてますよ」
「やっぱそれかぁ。でもひとりじゃ危ないじゃん? ほかのヤツら、なんかやる気ないみたいだし」
「おふたりで行かれないんですか?」
「いやぁ、この人もあんまやる気ないっぽいんで」
美人の前だからって、露骨にこっちをこき下ろしやがる。いや、あるいはそんなつもりもなく、ただ単に一緒に行く仲間が欲しいだけなのかもしれないが。
俺は思わず口を挟んだ。
「分かった。分かりましたよ。行きますから」
「ウソ? マジで? いま? 行く?」
「どうせ暇だしね」
「っしゃあ!」
ツアーがツアーだ。こんな戦闘狂みたいなのも混じってるんだろう。なぜ昨日撃たなかったのかは謎だが。
するとガイドは「ふふふ」と品よく笑った。
「決まりですね。ご参加の際には、腕章のご着用もお忘れなく」
まんまと乗せられた気もするが、まあよかろう。時間だけはいくらでもある。
(続く)