記憶の偽装
ベースのある最下層へ帰還すると、青村放哉は「それ、大統領んとこ持ってってくれ」とひとりでどこかへ行ってしまった。
だからいま、俺と白坂太一は、大統領の部屋を再訪していた。
「お疲れさまでした。無事に帰還できてなによりです。話は聞いていますよ。パーツをセットで回収できたのだとか」
テオは無表情だが、喜んでくれているらしい。眉毛もまつげもないから、本当にマネキンのようだ。しかし呼吸をしている。ガラス玉のような瞳も、あまり動かないが、いちおうはこちらの動きを追っている。
俺は袋からパーツを出し、デスクへ置いた。
「これはなんなんです?」
ジェネレーターはただの黒い箱だが、ハーモナイザーの内部ではまだ少し紫の放電らしきものがうごめいていた。
テオは表情を変えない。
「フォールスフェイス・ジェネレーターと、センシビリティ・ハーモナイザーです。これらふたつをタンクに装着し、中に少女を入れれば、サイコ・フラッシャーの完成というわけです。オメガ・プロジェクトが、まだエランヴィタル・プロジェクトと呼ばれていたころの遺物ですよ」
「……」
いきなり専門用語を出してきたぞ。彼女には配慮というものがないのか。こっちが観てもいないアニメについて語りだしたときの、おたくの友人みたいな態度だ。彼はいまも元気にしているだろうか。
彼女も分かっているらしく、すぐに言葉を継いだ。
「あなたたちふたりが無事ということは、中の少女とお話ししなかったということになりますね」
「ええ、死んでましたからね」
俺はやや不快さを出し、そう応じた。本気で怒ってるわけじゃない。なにか試されている感じがしたので、それらしい態度で応じてやっただけだ。
彼女はにこりともしない。
「しかし映像は見たはずです」
「あれはなんなんです?」
「ただの映像作品ですよ。実在しない幸福な光景。タンクの中の少女はその記憶を注入され、まるで自分の人生であるかのように錯覚する。ジェネレーターが映像を作り出し、ハーモナイザーが少女の精神と同調させる、という仕組みです」
人の精神に干渉するようなシステムということか。実際、あのとき見た光景は、俺の人生とは無関係なものだった。それが一瞬とはいえ、外部からいきなり入り込んで来た。
「あの少女は?」
「さあ」
「失礼ですが、大統領とも関係のある人物なのでは?」
テオは動じない。慌てているのは白坂太一だけだ。実際あまりお行儀のいい質問ではない。
テオはやはり表情を変えず、こう聞き返してきた。
「先にあなたの予想を聞きたいですね」
このままシラを切るかと思いきや、教えてくれるつもりらしい。
もちろん予想ならしている。
これだけ大規模な施設で、政治家、官僚、投資家を巻き込んでの大プロジェクトをやっているのだ。研究者の都合で、勝手な研究ができるわけはない。ひとつの結論へ向けて動いている。唯一の成功例がテオだということは分かっている。ということは、間違いなくテオに関連した人物。
俺はこう応じた。
「大統領、あなた自身だ」
彼女は本当に表情を変えない。片眉を動かしたり、ニヤリとしたり、声を震わせたり、そういった分かりやすい反応を見せてくれないのだ。しかし会話を切り上げないということは、少なくとも答えてくれる気があるということだ。
「ハズレです。しかし遠くない。彼女は、私の先祖です」
「先祖?」
「彼女は、進化の系統樹の分岐点にいる女性です。そこから代を重ねて私が生まれました」
石鹸のようになっていたから分からなかったが、経産婦だったとは。となると少女ではない。あるいは少女のまま出産した可能性もあるが。
彼女はこう続けた。
「オリジナルは死去しているため、いま存在している個体はクローンということになりますが。まだ生きているのもいますよ」
「なんのためにそんなことを……」
「進化した人類に出会うためです。テクノロジーは、すでに人類の手に負えなくなりつつあります。そこで、さらに高い知能を有した人類を生み出し、問題を解決してもらおうというわけです。そのため、知能の高い少女を母体とし、進化を促すことにしました」
「あの機械でそれを?」
「いえ、進化そのものは別工程でおこなわれました。サイコ・フラッシャーの役割は、進化した未来人が、現在の人類に対して親しみをおぼえるよう、刷り込みをおこなうことです」
「それらは成功した……と?」
おそるおそる尋ねると、彼女は考え込むように斜め上を見た。少しは人間じみたリアクションをするものだ。
虚空を見つめることにより、視界から入る情報量を減らし、脳に処理を集中させることができる。音に集中するときに、目を細める行為と似ている。野生の動物も同じことをする。
「運営は成功したと言っていますね。その成果物がこの私であるとも。しかし正直なところを言えば、当初予定していた姿とは異なっていたのではないでしょうか」
「姿……」
「ええ。より人間らしい、人間が交配可能な存在を目指していたはずです」
事実かジョークかは分からない。しかし俺はこのとき、人間の業の深さにうんざりした。人体実験までして未来人を作っておいて、その先進的な存在と交わることで自分の遺伝子を残したいと考える人間がいるとは。せっかく進化させたものを、いくらか退化させることになろう。
気持ちは分かるが、愚かとしか言いようがない。
ふと、白坂太一が、申し訳無さそうに切り出した。
「あの、みんなはこのことを……」
「きっと知らないでしょう。青村さんだけが、かすかに気づいているようですが。彼はあえて踏み込まないようにしているようです」
「言わないほうがいいでしょうか?」
「私は皆さんの行動を制限したくありません。あなたが言いたいと思うのならば、言っても構わないのではないでしょうか」
「いえ、言いません……」
口止めされたわけでもないのに、こうなってしまう。
たしかに繊細な問題ではある。少女を実験材料にして未来人が作られ、その彼女が俺たちを守ってくれている。
しかしそもそもすべての原因が「それ」なのだから、共有しておいてもいいのではと思うが。
俺は言った。
「悪いけど、この件、俺は相談させてもらいますよ。少なくとも円陣さんにはね」
するとテオもうなずいた。
「悪くないと思います。彼女もこの話を理解できる人間でしょうから」
気になる口ぶりだ。まるで相手を選んで、話を聞かせたり聞かせなかったりしているような。もっとも、サセ子も忍者も中二も、理解できるかどうか以前に、この話に興味を示すとは思えない。ほかに乗ってきそうなのは鐘捲雛子くらいか。
*
部屋を出ると、俺たちはまっすぐ医務室へ向かった。
「脱出プランは完成したの?」
彼女の第一声はそれだった。まあジョークだと思うので愛想笑いでもしておくが。
まだ足を曲げるのさえキツいらしく、ベッドに横になっている。
俺は手近な椅子へ腰をおろした。
「その話はまたあとで。今日は上のフロアを探検してきたよ」
「男って探検ごっことか好きだよね」
「強制的に連れていかれたんですよ、あの青村って人に」
「ああ、あのチンカス野郎ね……」
「そう。そのチンカス野郎に。それで謎のパーツを回収して、さっき大統領に渡してきたとこ」
これに円陣薫子は苦い笑みを浮かべた。
「ご報告ありがとう。二宮さんって、学校から帰ったらママにいろいろ報告するタイプ?」
「邪魔なら帰るよ」
せっかく話を持ってきたのにこれだ。
俺が立ち上がろうとすると、円陣薫子は血相を変えて身を乗り出し、足の激痛にのたうった。
「あいたっ。ちょっと待ってよ。ただのジョークでしょ」
「もし俺に母親がいなかったら、ちょっとしたハラスメントだぜ」
「ごめんなさい。それは気づかなかった」
「まあいるけどね。ジョークなら笑えるヤツがいいな」
「とにかく座ってよ。暇すぎて頭がどうにかなりそうなんだから。いまのもそういう感じで、脳が錆びついてたせいだし」
脳が錆びつくのは分かる。ここにはテレビもネットもない。人が生きるには、対話の相手が必要だ。
白坂太一はずっと座ったままだ。
俺もまた腰をおろした。
「大統領からいろいろ聞いたよ。円陣さんにも情報を共有しておく」
この施設では、少女を強制的に進化させ、洗脳まがいの行為をしていたこと。その成果物がテオという大統領であること。政治家や官僚が絡んでいることなどを説明した。
円陣薫子もさすがに顔をしかめた。
「分かってはいたけど、ホントにクソだね。責任者つかまえてぶん殴ってやりたい」
こうしてたまに好戦的になる。
しかしただのアマゾネスではない。彼女は状況を見て考察するタイプだ。俺たちはその意見が聞きたくてここへ来た。
「円陣さん、なにか気づいたことない?」
「なにかって?」
「いや、いろいろ分析するタイプだからさ。ここに来たばかりのとき、けっこう鋭い指摘してくれたじゃない」
すると彼女はふんと鼻で笑った。
「口のうまい男は好きじゃないんだけど」
「ないならいいよ。帰るから」
「あるよ。あります。だから座って。ひとりにしないで」
会話を続けたいなら、もっと優しいジョークにして欲しいな。
「気づいたことっていうか、シンプルに疑問なんだけどさ。大統領はそのパーツを集めてなにがしたいワケ? 洗脳に使う道具なんでしょ? なんか危なくない?」
「……」
相談して正解だった。
そうなのだ。そもそも、そこなのだ。悲惨な歴史を聞かされたせいで、もっとも大事なことを忘れていた。
彼女はこう続けた。
「誰かを水槽にぶっ込んで、洗脳するつもりなのかも」
「まさか」
すると彼女は暗い目になり、ふっと笑った。
「『まさか』なんて言ってると足元すくわれるよ。実際、私たちありえない状況に巻き込まれてるワケでしょ? ありえないなんて思わないほうがいいよ。ちょっとお金を借りただけのつもりが、一億になってたりするんだから」
経験者は語る、ってヤツだ。
実際、ご指摘の通りだ。あらゆる可能性を想定しておいたほうがいい。大統領を信用していないわけじゃない。しかし「ありえる」のだ。過剰に疑心暗鬼になる必要はないが、心の準備をしておくくらいはいいだろう。
*
このまま解散になるかと思いきや、白坂太一は「ちょっといいですか?」と部屋までついてきた。まさか、またラジオの話でも聞かされるのだろうか。
俺はベッドに腰をおろし、彼には椅子をすすめた。
「話って?」
浮かない顔をしている。
「あの水槽のことです」
「なにか気づいたことでも?」
彼はしきりに指を動かしていたが、顔をあげ、こう切り出した。
「二宮さん、どこまで見ました?」
「死体のこと?」
「いえ、その前の……」
「なに? 青村さんがパーツを取り外すところ?」
「その前です。部屋に入った瞬間、妙な映像が頭をよぎって……。はじめはデジャヴかと思ったんですけど、みんな同じ映像を観てるって分かって……。でも本当に同じなのかなって」
俺が観たのは、春の日の、たぶんマンションの一室かなにかだったと思う。少女の視点だった。自分の姿が見えていないのに、なぜ少女だと直感できたのかは不明だが。アレがただの映像ではなく、人の記憶だからであろう。
白坂太一はやや青ざめていた。
「声、聞こえませんでした?」
「声?」
「『助けて』って……」
「いや、なにも……」
俺が見た限りは、平和で幸福な記憶だった。学校から帰ってきたばかりか、あるいは休日かは分からなかったが。とにかく安心感しかなかった。
だがもし、その裏で助けを求めていたのだとしたら……。
白坂太一は身を乗り出してきた。
「いまからでも、大統領に確認しませんか?」
「えっ?」
「あの道具を使ってなにをするつもりなのか。人の心を操る道具なんて、きっとロクなことになりませんよ。現に、あの子は助けを求めてたわけですし」
「いや、まあ……そうだけど……」
正義感が強いのは分かる。
しかしこんな剣幕で質問攻めにして、はたして大統領は答えてくれるだろうか。あるいは答えてくれるかもしれないが、事実を述べてくれるだろうか。
おそらく彼女を警戒させることになる。
俺はひとまず話題を変えようと思い、ぽんと膝を打った。
「あ、そうだ。その前にメシにしない? ちょっと腹減ったでしょ? 食ったほうが頭も回るしさ」
これに白坂太一は眉をひそめた。
「食べる? なにをです? 二宮さん、もう気づいてますよね? 冷蔵庫の中のモノ、あの子の死体なんですよ?」
「えっ? いやまあそうなるかな……」
人が人を食っているようなものだ。しかしいちおうは別種ということになっている。受け入れるしかない。もちろんまだ慣れないが。そもそも、ルーツがどうのと言い出したら、ウシだってオケラだってアメンボだって同じようなものだろう。
彼は納得しなかった。
「理解してます? 人の道を外れた行為ですよ?」
「じゃあいまからクイーンを探して、中から魚でも取ってくる?」
「そういう話じゃないです。二宮さん、なんで平気なの? 信じられない」
「……」
いや平気ではない。しかしここではそれ以外に食料がないのだ。仕方がないのだ。レトルトの大半は小田桐花子に奪われる予定だし。仮になんの肉であろうが、食わなきゃ死ぬ。
しばらく黙っていると、彼は目を泳がせながらメガネを押しあげた。
「すみません、少し言い過ぎました」
「いや、いいよ。白坂さんの言うことも一理あるし。俺も配慮が足りなかった」
「いえ、すみません、ホントに……」
そんな彼に対し、俺は「こいつめんどくせーな」とは思わない。多様な価値観があっていい。のちのち彼の視点が役立つこともあるだろう。実際、ずっと寝転がってた円陣薫子の指摘は、俺たちの思考を補完してくれた。多様であることは強い。大事なのは「排除しない」ことだ。もし排除し続ければ、最後は自分だけになる。
(続く)