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メルティングポット

 それから二日を待った。

 大統領への説明は三人でするつもりだったのだが、しかし円陣薫子は立ち上がることさえキツそうだったため、俺と白坂太一でやることにした。

 報告内容はこうだ。現在地が愛知県か静岡県の周辺であり、フェリーに頼らずとも外部とコンタクトをとれる可能性があること。すなわち、いつまでもこの地下に潜んでいる必要がないこと。その二点を報告した。

 大統領は相変わらずの無表情だった。

「有益な情報の提供に感謝します。きっと組織の活動に役立てましょう」

 もっと感動してくれてもよさそうなものだが、このオメガという種は、感情表現が得意でないのかもしれない。


 *


 通路から広間へ出たところで、青村放哉に遭遇した。黒い防護服を着込み、緑の腕章をつけている。のみならず、腰のホルスターには拳銃まで突っ込んでいる。

「お、ちょうどいいところに来たじゃねーか。ちっとこっち来いよ」

 嫌な予感がした。

 というより、この男と関わっても面倒事しか起きそうにない。

 が、いちおうは先輩なので、俺たちは彼のほうへ近づいていった。

 青村放哉は満足げな笑みだ。

「いまから探検行くぞ。ロッカールームで着替えてこい。十秒以内にな」

「……」

 十秒ではロッカールームに到着することさえできない。仮にウサイン・ボルトでもムリだ。

 すると彼はおどけたように顔をしかめた。

「いや、十秒以上かかってもいいからよ、とにかく着替えて来いよ。俺ここで待ってっから。な? 武器も忘れんなよ?」

「はぁ」

 生返事をしたのは白坂太一だ。

 俺はもう返事さえしなかった。


 ともあれ、着替えてきた。

 十秒どころか十分はかかったので、青村放哉はおかんむりだ。

「おいおい、なんなんだよテメーらはよ。化粧に時間のかかる女じゃあるめーしよ」

 なんだか部活でイキがる中学校の先輩みたいなノリだ。

 こっちも不快になり、つい言い返した。

「困ってたお年寄りがいたから助けてたんですよ」

 すると舌打ちが返ってきた。

「年寄りだァ? あんなの弱いフリした狂犬だぞ。助ける必要ねーよ」

 想像してたのと違う反応だ。なにか年寄りにイヤな思い出でもあるのだろうか。まあ知りたくもないので俺は返事をしなかったが。

 代わりに白坂太一が尋ねた。

「探検というのは……」

「そのまんまだ。上に未調査のエリアがあっからよ、そこ調べんの。楽しいぞ」

「……」

 白坂太一も閉口。

 まあ世話になってるわけだし、協力するのにやぶさかではないが。この男の態度、暇だからその辺をフラつきたいだけにしか見えない。

「おーし、じゃー行くぞー。キビキビ歩けよ新兵」

「……」

 なんなんだこいつは。イエッサーとでも言って欲しいのか。


 長い階段をあがっている途中、青村放哉がニヤニヤしながら俺に近づいてきた。

「なあ、オメーよ、ハナとヤったんだって?」

「えっ?」

 小田桐花子のことだ。ご指摘の通り、ヤったことはヤった。しかしまさかこの男に知られていたとは。

「どうだった? よかっただろ?」

「ええ、まあ……」

「そうだよなぁ。いいよなぁ。どっかのチビと違って愛嬌もあるしよ。あれでメシさえもってかなきゃ最高なんだけどな」

「……」

 彼女はあくまでビジネスでやっているのだ。メシを持っていかないということはありえない。俺はすでに五食分を失った。

 すると青村放哉はなれなれしく肩を組んできた。

「おいおい、そんなツラすんなよ。俺ぁ嬉しいんだぜ。ようやく俺以外の客がついてくれてよ」

「どういう意味?」

「や、だってよ、俺以外、誰もあいつとヤらねーんだぜ? だからいっつも俺のメシばっかとってきやがってよ。俺、ここんとこレトルトのメシ食えてねーワケ。けど、お前が客になってくれたおかげで、俺の負担もようやく半減したってワケだ」

 別に押し売りじゃないんだから、イヤなら断ればいいだけの話なのだが……。まあ、断れるなら苦労はない。俺もこの男も、その手の交渉を拒むことができないタイプの人間なのだ。

 すると青村放哉は、後ろへも振り向いた。

「そっちのメガネも、他人事みてーなツラしてねーでよ。協力してくれよな」

「いえ、僕はいいですよ」

「ンだよそれ。つまんねーな。溜め込んでもいいことねーぞ。あ、それともアレか? 女に興味ねータイプか?」

「違います。放っといてください」

「シケてんな。その点、こっちの宮川はちっとは見込みがあるぜ」

 どっちの宮川だよ。名前くらいおぼえろ。

 訂正しないが。

 俺は強引に話題を変えた。

「大統領はあの商売を認めてるんですか?」

「あ? 大統領? どうだろうな。たぶん、なんとも思ってねーんじゃねーか? 動物ならみんなやってるようなことだしよ」

「動物は対価を支払いませんよ」

「互いに合意してんだからいいだろ。強要してるわけでもねーし。大統領はうるさく言ってこねーよ。いや、でもこっちは強要されてる側なんだよな……」

 まあ分かるが、強要などされていない。断ろうと思えば断ることができる。実際、白坂太一は断っている。俺たちは意思が弱いから断れないだけだ。

 ともあれ、俺はまた話題を変えた。

「俺たちふたりから搾り取れば、あの子はまるまる三十日、レトルトで過ごせるってわけか……。その代わり、こっちはその三十日間、オメガの肉を食うハメになると」

「レトルトの割合、増やしてくれりゃいいんだけどよ。大統領のヤツ、どうも食わねーで溜め込んでるらしいんだよな」

「えっ?」

 食べてない?

 となると、あとは肉とキノコを食うしかなくなるわけだけど……。

 青村放哉も首をひねっている。

「ホントはあるんだぜ。全員が三十日、レトルトで過ごせるだけの量がよ。おめーらが来た分を考慮しても、だ。まあ将来のこと考えてそうしてんだろうけどよ。どうせ俺らに将来なんてねーんだし、パーッと食わしてくれりゃいいのに。オメーもそう思わねーか、宮川ちゃんよォ」

「うーん」

 将来がないという身も蓋もない結論はさておき、大統領が食料を溜め込んでいるというのは気になる。上との契約がこじれて食料の供給が途絶えた場合に備えているのだろうか。


「おう、ここだ」

 青村放哉は「47-A」と書かれたシャッターの前で足を止めた。

 自由同盟のホームからずいぶん近い。たった三フロア上がっただけだ。

 俺は思わずこう尋ねた。

「えーと、未調査エリア?」

「おう」

「てことは、なんですか。逆を言えば、調査が済んでるのは四十九階と四十八階だけってこと?」

「人手不足なんだからしょーがねーだろ。誰もやりたがらねーしな」

「やりたがらない?」

 すると口を滑らせたのか、青村放哉はキョロキョロと目を泳がせた。

「は? いや、まあ、アレだ。ちょっとした重労働っていうか……。こまけーこと気にすんじゃねーよ。入りゃ分かる」

「……」

 彼はごまかすようにインカムへ語りかけた。

「あー、本部、本部。こちらブルーヴィレッジ。現場の状況よこせ。どーぞー」

 するとやや間をおき、鐘捲雛子がやる気のなさそうな声で応じた。

『ついたの? シャッター付近にはなにもいないです。どうぞ』

「ンだよ、つめてーな。もっと優しく接してくれっていつも言ってんだろ」

『うるさい。こっちはくだらない話を聞かされてうんざりしてるの。作戦以外のことで話しかけてこないで』

「はいはい」

 青村放哉はしかめっ面でボタンを押した。

 ガラガラと音を立て、シャッターが開いた。


「おし、じゃー行くぞ。左からだ。手前のふたつは飛ばしていい。調査済みだからな」

 彼はホルスターから銃を引き抜いた。

 マネキンどもの気配はないが、血痕らしきシミがそこかしこにある。どこかに潜んでいるのだろう。

 歩きながら、青村放哉はこう続けた。

「俺たちが探してんのはジェネレーターとかハーモナイザーってやつだ。ツっても見りゃすぐ分かる。バカデカいタンクにくっついてっからな。問題は稼働品かどうかってことだが、まあ十中八九動かねーから期待はするな。動かね―ほうが精神衛生上はいいしな」

 ロクな代物ではなさそうだ。


 彼は「47-F」の前に立つと、ふたたびインカムに問い合わせた。

「本部、いつもの」

『危険ナシ』

 監視カメラはこういうときに便利だ。文明の利器のありがたみを感じる。もっとも、その文明の利器が遺伝子をこねくり回したおかげで、今回の騒動が起きているわけだが。

 青村放哉は躊躇なくボタンを押し、シャッターをあげた。


 薄暗い通路が奥へと続いている。

 通路の左右にはドア。

 それを片っ端から開けてゆく。


 どの部屋も、ありふれたオフィスであった。あるいは火災に見舞われたと思しき形跡もあった。観葉植物は例外なく枯れており、ファイルケースも散乱し、パソコンも横倒しになっていた。

 特にこれといった発見はなさそうだ。

 青村放哉も分かっているのか、ほとんどの部屋を覗き込んだだけで素通りした。

 しかし通路の突き当りの部屋の前で、彼はいったん足を止めた。

「本部、タンクは?」

『ある』

「オーケー」

 それだけやり取りし、ドアを開いた。


 円柱型の水槽が、壁際に据えられていた。

 部屋が薄暗いこともあり、汚れきった水槽の中身はよく見えなかったが。なにかを培養していたらしい。

 周囲には各種機材が取り付けられており、たくさんのケーブルが伸びていた。機材はどれもダウンしているように見える。

 青村放哉は眉をひそめ、ズカズカと部屋の中へ踏み込んだ。蚊でも飛んでいるのか、なにかを避けるようにしながら。やがて水槽の側面に回り込み、盛大に溜め息をついた。

「よかった。死んでやがる。ふたりとも、ちっと来い。こいつがジェネレーターだ」

 呼ばれたので、俺たちは仕方なくそちらへ向かった。

 すると一瞬、なぜかは分からないが、意識が遠のいくような錯覚に襲われた。眠りに落ちる直前のような、半透明な感覚。しかしほんの一瞬だ。貧血かと思った。

 青村放哉が笑った。

「ハハ、まだ飛んでるみてーだな。ま、すぐ慣れるぜ。それにこいつは死んでるから、妙なことにはならねーしな」

 感覚がおかしくなったのはこの水槽のせいか。

 事前に説明してくれればよかったのに。

 俺はやや怒りを込めて尋ねた。

「いったいなんなの?」

「これか? さあな。いちおう正体不明ってことになってる」

「えっ?」

「俺の口から説明してやってもいいが、この会話を盗聴してるヤツがキーキー騒ぐからな。ま、帰ってから大統領にでも聞いてくれや。意味不明な仮説を聞かせてくれるからよ。オラ、こいつがジェネレーターだ。見た目通りのブラックボックスってわけだ」

 ケーブルにつながった黒いケースだ。アクセスランプのようなものがついているし、外付けHDDのようにしか見えない。

 彼はジェネレーターを取り外すと、俺に突き出した。

「安心しろ、俺たちにはたいした影響ねーから。落とすなよ。貴重品だからな」

「……」

 片手で持てる大きさだ。ズッシリしていて、辞書ほどの重さ。ちょっとした鈍器になりそうだ。

 青村放哉は溜め息をつき、水槽の反対側へ回り込んだ。

「で、こいつがハーモナイザーだ。中身もねーのにまだ稼働してやがる。ま、こんだけスカスカってことはよ、死んだ人間に魂なんてのはなくて、ただ空っぽなんだってことがよく分かるよな」

 死んだ人間?

 さっきから意味不明なことを言っている。

 白坂太一がつんつんと指でつついてきた。

「あの、二宮さん、これって……」

「えっ?」

 彼の指差す先、濁った水槽の底のほうに、なにかが堆積しているのが見えた。泥の中に誰かがうずくまっている。

 青村放哉がふっと冷たい笑みを浮かべた。

「気づいたか? オメガだよ。ま、そういうことになってる。こまけーことに目をつむりゃあな」

 ふやけてしまい、ほとんど石鹸のようになっているが、その小柄な死体には長い黒髪が生えていた。生えているというか、周囲に浮いているだけだが。

 オメガには体毛がない。

 にもかかわらず、この遺体には毛髪がある。


 青村放哉はキューブ状の箱を取り外し、こちらへ突き出した。

「こいつがハーモナイザーだ。なにに使うかは聞くなよ。知らねーからな」

 透明な箱の中に球体が収められており、その球体の内部では、かすかに放電が起きているように見えた。本当に電気かどうかは不明だが。紫色のなにかが直線的に走っているのは間違いない。

 ジェネレーターとともに袋へ収め、肩に担いだ。

「あとは?」

「終わりだ、終わり。ちっと出かけて、パーツを回収して帰る。そんだけ。簡単だろ?」

 簡単なのは分かった。しかしその簡単な作業が、ほとんど進んでいないのはなぜだ。

 これがグロテスクな人体実験の痕跡であることは分かる。俺だってなるべく見たくないと思う。しかし見なければ済む話だ。パーツを回収するのに、なにか支障があるのだろうか。

 彼は誰もやりたがらないと言っていた。さっきの妙な感覚と関係があるのだろうか。

「本部。セットで回収した。これより帰還する」

『ご苦労さま。ルート上には危険ナシ』

「了解」

 モンスターとの戦闘はなかったが、それ以上の疲労感に襲われていた。

 この研究所、ただ遺伝子操作をしていただけではあるまい。マネキンを作り出す以上の、おぞましい行為がおこなわれていたはずだ。腐敗した溶液に満ちた水槽を眺めていると、そう推察せざるをえない。


 それに、さきほど奇妙な感覚に襲われたとき、かすかに映像ヴィジョンが見えた。陰惨な暴力の光景ではない。満ち足りた幸福な感覚。穏やかな日差し。涼しく吹き抜ける風。揺れるレースのカーテン。テレビから流れる音と映像。ガラスコップについた水滴。なんらの不安もない日常の風景。

 それらがあまりに平和であるだけに、いま目の前にある「事後」との落差に愕然とする。

 きっと、なにかがあった。

 当たり前の生活を強引に引きちぎり、前後関係が分からなくなるほど強烈な力が加わったに違いない。水槽にうずくまる少女は、平和な記憶のまま、次の瞬間にはタンクに封じられていたのだ。


(続く)

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