地下生活
メシは食い切ったし、特に吐きもしなかった。もちろん気分はよくなかったが。
使った食器も自分たちで洗った。
その後は自由に過ごしていいと言われたので、俺たちは鐘捲雛子と別れ、医務室へ向かった。円陣薫子はブチギレていた。
「やっと来た……」
苦しそうに顔をしかめつつ、血走った目でこちらを捉えている。
かと思うと、痛みを堪えながらもなんとか身を起こし、ベッドに腰をおろす格好になった。よほど言いたいことでもあるらしい。
「ちょっと二宮さん、なんで勝手に寝返ったんですか?」
「えっ?」
「えっ、じゃないでしょ。おかしいでしょ。私たち、ここのヤツら殺しに来たんですよ? なのに勝手に予定変えちゃって……」
頑固だなぁ。
すると俺が反論するより先に、白坂太一が前に出た。
「ちょっと待ってください。みんな殺されるところだったんですよ? 生き延びるには、これしか方法がなかったんです」
「白坂さんはちょっと黙っててもらえます?」
「……」
ピシャリとやられてしまった。
まあ彼としても火に油を注ぐのは本意ではないのだろう。おとなしく口を閉じ、俺にバトンタッチしてくれた。
「なにを怒ってんのか知らないけど、いま白坂さんから説明があった通りだよ。あのまま抵抗してたら、きっと全滅してた。円陣さんはそれでいいの?」
「死んだフリして逆転する手もあった」
「へえ。で、そのクソみたいな作戦に俺たちも従えと?」
「クソってなによ」
「成功するとは思えない。円陣さんがひとりで死ぬのは構わないけど、仲間を巻き込むべきじゃない」
「……」
すると彼女は黙り込んでしまった。
べつに言い負かしたつもりはない。分かりきっていることを再確認しただけだ。きっと彼女も分かっているから口を閉ざしたのであろう。分かっていてなお受け入れられないのだ。
俺は逆に聞き返した。
「なにかプランでも?」
「あるわけないでしょ。武器もないんだから」
「彼らは俺たちを受け入れてくれた。俺たちにはほかに選択肢がない。従うしかないよ」
「それじゃお金が手に入らない」
「借金でもあるの?」
もうプライバシーの侵害だろうがなんだろうが構わない。聞くしかない。ここで遠慮していると命にかかわる。
彼女はかすかに溜め息をつき、髪をかきあげた。
「ある。けど私じゃない。友達が」
「いくら?」
「一億……」
なるほど。それじゃあ七千万でも足りないわけだ。
「破産は?」
「そういうのが通じる相手じゃない」
「けど一億なんて金、そうそうは……」
「分かってる。アテにすべきじゃなかった。それも、人を殺してまで……。けど、どうしようもなかったの。お金の話になった途端、もうこれしかないって思って。冷静じゃなかった。謝るわ。ふたりともごめん」
「……」
俺の場合、完全に自業自得だが……。まあ白坂太一には謝るべきだな。そして白坂太一は表情を緩めている。ついに和解に至ったというわけだ。
俺はポンと手を叩いた。
「よし、じゃあこれで全部水に流そう。命も助かったし、万事解決かな」
「待った。さすがにそれはない」
「えっ?」
「なにも解決してないでしょ? 私たち、帰れないのよ?」
「それが?」
「ああ、ダメ。話にならない。さっきも言いました。私は友達を助けたいの。ずっとここにいるわけにはいかないんだから」
そうは言っても、俺たちは命を助けてもらった側だ。どう考えてもこの組織には逆らえない。
彼女はさらにこうぼやいた。
「そもそも、なんなのよこの地下組織。こんな穴の中に立てこもって、なにがしたいわけなの?」
そういえばまだ説明していなかった。
進化した人間をつくるプロジェクトがあり、唯一の成功例がここにおり、自由を求めて運営と戦っている。これを誤解なく説明するのは難しい。というより、百聞は一見にしかずだ。大統領に合わせないと問答が長くなる。
「えーと、それは面倒だからあとで説明する」
「はぁ?」
「とにかく、体を休めて。メシがいるなら言ってくれれば用意するから」
「料理できるの?」
「いや、レトルトのを……」
「そう。ありがと。じゃあそのときはお願い」
彼女は少しバツが悪そうな顔で目をそらした。
*
ほかにすることもなかったので、俺は私室に入った。白坂太一もなぜか一緒に入ってきた。自分の部屋があるだろうに。
俺は向き直った。
「あれ? 俺、部屋間違えた?」
「いえ、ここで合ってます」
「じゃあ白坂さんは向こうじゃない?」
「そうなんですが、少し話がしたくて……」
密室。男がふたり。なにも起きないはずがなく……。
デスクとベッドがあるだけの部屋だ。できることは限られている。
「話? なにか重要なこと?」
「じつは僕、ラジオ作ってまして」
「えっ?」
「ラジオですよ、ラジオ。金属にコイルを巻くだけで受信できるんです。あのホテル、暇だったじゃないですか。それでラジオでも聴こうと思って……」
ああ、これはアレだ。友達と一緒に、昨日観たテレビの話をするという。しかし残念ながら、こっちは肝心のラジオ放送を聴いていない。
彼はこう続けた。
「それでラジオを受信してて分かったのは、たぶん、ここが愛知県か静岡県だってことです」
「なにそれ? つまりここ、本州ってこと?」
「たぶん。それか、少し離れた小島か……。でもそんなに離れてないと思いますよ」
「スマホつながらなかったけど」
「それは中継する基地局がないせいでしょう。で、思い出したんですが、じつは圏外でもGPS機能だけは使えるんです。知ってました?」
「ホントに? じゃあやっぱり……」
「いえ、試す前にここに来ちゃったんで」
有益な情報をありがとう。
いや、バカにしているわけではない。俺にはそれさえ分からなかったのだから。
勝手に絶海の孤島イメージしていたが、じつはたいして移動していなかったようだ。
森を抜ければ、平和な生活圏に出るかもしれない。フェリーなんか待つ必要はなかったのだ。まんまと騙された。
彼はぐっと親指を立てた。
「ともかく、この事実をみんなに伝えれば、きっと有効に活かしてくれるはずです」
「そ、そうかな……」
もし自力で脱出可能ということであれば、こちらが強気に出られるのは間違いない。ここまで追い詰められる前に知りたかったところだが。
「あとで報告に行きましょう。できれば三人で」
彼はそのまま満足顔で出ていってしまった。
ひとりになった俺は、ベッドに仰向けになった。
ここには紫外線を浴びるための部屋があるらしい。ビタミン不足を解消するために使われるようだが、布団もそこで干すのだとか。効果があるかは不明だが。
ともあれ今日はなにもしたくない。いろいろありすぎた。人殺しに来たはずが逆に仲間を撃たれ、その彼女を担架で運び、マネキンの肉を調理して食い……。まだちょっと胃がムカムカする。素直にレトルトにしておけばよかった。
どっと疲れが襲ってきた。
*
「ご飯ちょうだい」
頬をつんつんされて目を覚ました。
まだ寝入ったばかりだというのに。
安眠妨害は重罪だ。俺は罪人のツラを拝んでやろうと思い、目を開いた。そこには例のキャミソール女が満面の笑みで立っていた。小田桐花子と言ったか。
部屋に鍵はない。だからといって、こんなに気軽に入り込んでくるとは。ここにはプライヴェートというものが存在しないのか。
「なんだって?」
「ご飯。割り当てられたんでしょ? ちょうだい。三食くれたら一回ヤらせてあげる」
バカにしやがって。
薄着でニコニコしてれば男がなんでも言うことを聞くとでも思ってんのか。短いツインテールを左右に揺すりやがって。
俺は言ってやった。
「いや、まだどれくらいもらえたか分からないし……」
「大丈夫。月に三十食くれるから」
つまり約十日分だ。
仮に一日二食で節約したとしても十五日しかもたない。残りは、必ずマネキンの肉か謎のキノコを食うハメになる。
だというのに、この女にくれてしまえば、その苦痛がより長引く。
「いや、三食ってちょっと……」
「えー、値切るの? 一食なら手だけ、二食なら口だけでしてるけど。三食のほうがお得だよ? まとめて全部やるし」
「そう? いやー、でもなぁ、俺もあの肉ちょっとキツいしなぁ……」
すると小田桐花子はぐっと顔を近づけてきた。健康状態がいいのか、肌がつやつやしている。
「は? こんなかわいい子とヤれるんだよ? 肉くらい我慢して食べなよ! あ、分かった。じゃあ初めてだから、二食で全部サービスしてあげる! どう?」
「ホントに?」
「ホントホント! だからしよ?」
「じゃあ一回だけ……」
分かってる。ツアーガイドにハメられたばかりなのに、その反省がまるで活きていない。
しかしこの地上に、彼女の高度な交渉術をしのげる男がいるだろうか? いるならいますぐ連れてきて欲しい。いや連れてこなくていい。これ以上の問題はたくさんだ。
*
俺はもろもろ消耗し、気絶したように眠っていた。
初回ということもあり、かなりサービスされてしまった。体内になにも残っていない。補給しなければ。
水道はそこらにある。どこをどう通ってきた水かは分からないが、とにかく蛇口をひねれば透き通った水が出る。俺は洗面所で水分を補給し、調理場へ向かった。今回はレトルトにしたい。
調理場では忍者がクッキングしていた。名前はたしかジョン・グッドマン。黒の防護服ではないのだが、黒い服を着て、黒いエプロンをし、黒い頭巾でフライパンを動かしている。
「お晩でござる!」
「こ、こんばんは……」
威勢のいい挨拶が飛んできた。
フライパンをガシガシ動かし、強い火力で肉とキノコをソテーしている。男の料理という感じだ。
しかしいかに手際よく調理しようとも、あの肉だけは食う気になれない。いや、味は悪くないのだ。というより、ほぼ無味。それだけに、いつまでもぶよぶよとした食感だけが口内に残った。そして食感こそが問題なのだから、逆を言えば、味つけや風味ではごまかせない。
俺は冷蔵庫からレトルトを取り出し、鍋で湯を沸かし始めた。ストックの数は確認していないが、おそらく小田桐花子がふたつ抜いたはずである。監視カメラには映るが、合意があれば問題ない。
つまるところ、彼女がカメラに映るたび、ヤったということが監視者にバレるわけだ。いったい誰が監視しているのだろうか。大統領か。全員で共有する情報でなければいいが。
食堂でも忍者とふたりきりになった。
さすがに頭巾は外している。日本人とはいうが、アジア人という印象ではない。瞳も青い。きょうびこんなことを指摘すると怒られそうな気もするが。俺の育った旧態然とした田舎とは違い、日本もすでに多様化しているということだ。地元には忍者だっていなかった。
「グッドマンさん、俺たち、普段はここでなにをするんです? 戦闘とかするの?」
カップにぶちまけたシチューをスプーンで味わいながら、俺はそう尋ねた。小麦粉でとろみをつけてあるから、炭水化物が不足するということはなさそうだ。しかしこれだけで生きるのは厳しいだろう。
彼はフォークを止めた。
「ファッ? 聞いてないの? 狩りでござるよ!」
「狩り?」
「オメガを狩って食料にするでござる! その肉は、ホレ、ご覧の通り!」
満面の笑みだ。
フォークに刺さったサイコロ状の肉が掲げられている。
もうじゅうぶんストックがあるだろうに。
彼はその肉をパクリとやり、こう続けた。
「あとは、未調査のエリアから使えそうな機材をとってくるのでござる。なにせこの研究所はいちど壊滅したまま放置されているので、宝の山なのでござる。現在、いくつかのフロアは調査済みでござるが、残りはほぼ手付かずでござる」
やってることはツアーの内容とほぼ変わりがなさそうだ。
「機材って、たとえばなにが?」
「それはもちろん、使えそうなものならなんでも! あとは、拙者もよく分からんのでござるが、なんとかジェネレーターだとか、なんとかハーモナイザーなるものを集めると、大統領が喜んでくれるのでござる。ニンニン」
喜んでくれるのか? 自分の姉妹を食ってるようなヤツ相手に。
もし逆の立場ならと仮定してみる……。
俺はここの大統領。そして自分の兄弟を調理して食うような異種族を、仲間として迎え入れている。
とんでもない状況だ。そう考えると、テオはかなりの大物なのかもしれない。もしくは俺たちより高い知性を有しているのだとすれば、怒っていないフリして、裏でデカい計画を練っている可能性もある。
あの女の顔色からはなにも読み取れなかった。そもそも表情というものがあるのだろうか。
感謝はする。しかし油断すべきじゃない。
(続く)




