食糧事情
「ハロハロ! みんないる? 期待の新人ちゃん見に来たよ! って男しかいねぇじゃん!」
いきなりドアが開き、女が身を乗り出してきた。
黒の防護服ではない。下着としか思えないキャミソールを着ただけの、ギャルみたいな女だ。あまり長くない髪を上の方でツインテールにしている。
すると鐘捲雛子がこちらへ告げた。
「彼女はメンバーの小田桐花子さん」
「ハナちゃんって呼んで? あたしかわいいでしょ? ご飯くれたらヤらせてあげるから、そのときは言ってね」
「……」
いまなんと?
立ち上がりかけた俺を、白坂太一が座らせた。
鐘捲雛子もうんざり顔だ。
「もうひとりの新人は医務室にいるけど、いま寝てるから邪魔しないでね」
「分かってるって! ヒナちゃんってばおカタいんだから、じゃ、あたし行くねーっ」
言うだけ言ってとっととどこかへ行ってしまった。
俺には分かる。間違いなくサークルクラッシャーの素質がある。誰とでも寝る。しかし俺とだけは寝ない。そういう気配を感じる。
「第四回のツアー客よ。さっきの言葉、真に受けないでね。避妊もしないんだから。赤ちゃんできたらどうするつもりなんだか」
それはよくないな。絶対に誰かが教育すべきだろう。そう。誰かがな。できれば大人が望ましい。
まあいい。
メンバーはあと二名いるという話だが、きっとそのうち会うだろう。
その後、鐘捲雛子から組織内でのルールについて聞かされた。
明確な上下関係はないが、先輩のことは尊重すること。掃除は当番制。水も電気も制限なく使っていい。ただしそれ以外のすべては節約すること。メシの時間は決まっていない。調理するなら自分でやる。他人のメシには合意なく手を出さないこと。出したらしばらく監禁される。
やがてふたりの男が入ってきた。
男というか……なんだ。ひとりは忍者だ。黒い防護服を着ているのは同じだが、顔まで黒の頭巾で覆っている。
「ほう、新入りでござるか」
野太いおっさん声だ。いい歳して忍者になりきっている。
一緒にいる男はだいぶ若い。まだ少年という年齢。目つきがやたら険しくて、誰も寄せ付けないような雰囲気を出している。
鐘捲雛子が向き直った。
「ふたりとも第五回のツアー客。忍者のほうがジョン・グッドマン……。たぶん本名。で、もうひとりが南正太くん」
忍者は「ニンニン」と満足げだが、南正太はこちらを見向きもしない。新入りなどどうでもいいといった様子だ。
「二宮渋壱です。どうぞよろしく」
「白坂太一です。よろしくお願いします」
俺たちがそう告げると、忍者は「オゥ」と寄ってきて、腰を九十度曲げて礼をした。しかし顔だけは完全にこちらを向いているから、煽られているようにしか見えない。
「拙者、ジョン・グッドマンでござる。れっきとした日本人でござるゆえ、よろしく頼むでござるよ。ニンニン」
国籍がどこだろうと構わないが、これはあきらかに忍者ではない。
あるいは高度なアメリカンジョークか。
「オゥ、紳士……。拙者が忍者であることに疑問を挟まなかったのは、諸君らが初めてでござる。立派の極み」
「はぁ、どうも」
言ってもムダだと思ったから言わなかっただけだ。あまりにポジティヴが過ぎる。生き延びているところを見ると、そこそこ強いのかもしれないが。
いちおうこれで全員か。
刀を持ち歩くおさげ少女と、自称ギタリストと、サセ子と、忍者と、中二の少年と、それに大統領のマネキンがここのフルメンバーだ。そこに俺たち三名が加わることにより……いや勝てそうにねーなこれは。
死ぬまでここに閉じ込められる。
すでに確定していた死が延期になっただけだ。
鐘捲雛子が立ち上がった。
「いちおう最後のメンバーも紹介するから、ついてきて」
「……」
いるのか。
*
案内されたのは彼女の私室だった。
デスクに手作りの仏壇のようなものが据えられており、そこにひび割れたスマホが置かれていた。
「私の妹。一緒に逃げたんだけど、途中で殺されちゃった。死体はもってかれちゃって、あとで見つかったのはこれだけ」
彼女が六人目の行方不明者というわけだ。
「手を合わせても?」
「どうぞ」
俺たちは彼女の遺品に手を合わせた。
死体はとっくにマネキンどもの胃の中だろう。いや外に出されたか。ともあれ、あいつらにかかれば当然そうなる。俺たちも例外ではない。
*
せっかくなので三人で食事をとることにした。
もうどの脇道だか忘れたが、とにかく調理場へ来た。家庭用のキッチンではない。あきらかに業務用だ。デカい冷蔵庫も並んでいる。その中に、切断されたマネキンの手足と、よく分からないキノコが詰め込まれていた。
きっと血抜きされているのだろう。しかし形がまんま人間だ。これを食材と呼ぶのには抵抗がある。
白坂太一が、後ずさった拍子に調理台に腰を強打した。のみならず、メガネを直そうとして逆に落としてしまう始末だ。
まあ俺もチビりそうなのは否定しないが。
「驚いた? でも、ここではこれを食べるしかないから」
「そのキノコは?」
「大統領が培養してるの。でも大丈夫。いまのところみんな平気だから」
「本当に?」
「そう信じるしかないでしょ。これが共用の食材で、あとは個人ごとに割り当てがあるから。そっちは自分のぶんしか手を付けちゃダメ。人にあげるのはいいけど……。まあほどほどに」
割り当てとは。
すると彼女は名前の書かれた冷蔵庫を開いた。
「こっち。あとで三人のぶんも入れておくから。今回は私の裁量で、ふたりに一食ぶん割り当てるね。監視カメラがついてるから、ズルしたらすぐ分かるよ」
「はい」
個人ごとの冷蔵庫には、どこからどう見ても業務用とおぼしきレトルトパックなどが詰め込まれていた。
「ところで、これはどこから……」
俺が尋ねると、鐘捲雛子はやや不満そうにつぶやいた。
「言ったでしょ。協定があるの。食料は上から定期的に供給されることになってる。毒は入ってないから安心して。向こうだって、大統領に死なれたら困るしね」
「大統領もこれを?」
「うん。これとキノコだけ。さすがに仲間の肉を食べさせるわけにはいかないし……」
もしマネキンにマネキンを食わせれば共食いになる。いや、俺たちが食っても似たようなものだと思うのだが。
彼女は消沈した様子でこう続けた。
「けど、上から来る分だけじゃ足りないから、みんなは共用のも食べてね。肉に抵抗があるなら、キノコだけでも」
共用の冷蔵庫には、食いきれないほどの肉が突っ込まれていた。つまり食料は豊富なのだ。選り好みさえしなければ。
さっきの小田桐花子が欲しがっていたメシは、きっと共用でないほうのことだろう。彼女とヤるためには、レトルトを諦め、マネキンの肉を主食にする必要がある。
俺は腰を抜かしそうになっている相棒に声をかけた。
「白坂さん、大丈夫?」
「えっ? 僕? や、あのぅ……たとえば太陽光を取り入れて、野菜をですね……」
現実逃避し始めた。
鐘捲雛子も苦い笑みだ。
「野菜は育てようとしてるけど、またうまくいってないの。我慢して食べて。いまは割り当てのレトルトでもいいけど」
「そうします」
その選択は、問題を先送りにしているだけだと思うが。
「俺は肉にする。オススメの調理方法は?」
俺は共用冷蔵庫から腕を取り出した。ひんやりとした皮膚の感触が伝わってくる。
すると彼女は使い古したボトルをよこした。
「包丁は使える? 細かく切って油で炒めて」
「了解」
などとカッコつけて挑戦したまではよかったが、包丁を少し差し込んだ時点でもうイヤになった。だってどこからどう見ても人間の手なのだ。指まである。そこに包丁を入れ、骨と切り分けようとするが、手が震えてうまくいかなかった。
結局、見かねて鐘捲雛子がほとんど切り分けてくれた。中華包丁で手首を切り落とし、腕を縦に割いて骨を取り出した。事前に血抜きしてあるから、あまり凄惨な感じにはならなかったが。
最終的には白っぽい肉片がそこに並べられた。吐きそうだ。
「そっか。ふたりとも成体しか見てないからそんなに抵抗あるんだ」
俺の代わりにフライパンで油を熱しながらそんなことを言った。
「成体って?」
「あのモンスターのこと。みんなオメガって呼んでるけど、それは成体のことなの。つまり育った状態。大人のことね。けど初期段階……アルファの状態だと、ほとんど魚なの」
「魚?」
「クイーンのお腹の中で泳いでるの。それが外に出るとだんだん爬虫類みたいになって、しっぽがなくなって、最後はヒトみたいになるの。それがオメガ」
あのクイーンの腹から流れ出た生臭い液体は、実際に魚のものだったのか。きちんと中までサバいて確認しておくべきだった。
それにしても、生まれてから進化するとは。もしこれが事実なら、確かに人間ではない。
「けど、それなら魚の状態で食いたいなぁ」
「なら巣を探してクイーンを殺さないと」
「じゃあ爬虫類は?」
「お腹から出て一週間くらいで捕まえないとムリ」
タイミングが難しいらしい。
彼女は手際よく肉を炒めてくれた。においはない。焼き上がりは鶏肉のようだ。塩も振ってくれた。それはいいんだが、どうやらここには油と塩以外に調味料がないらしい。
「手首は捨てるの?」
「骨が多いから、普通は食べない」
しかしまだ十代も半ばだろうに、ずいぶんしっかりしている。それに比べて、二十代も中盤なのに、マネキンの腕ひとつサバけない自分が情けない。
料理を持って食堂へ入った。客はナシ。ガランとした空間に椅子とテーブルだけが並んでいる。
「ずいぶん設備が揃ってるけど……」
俺が言いかけると、彼女もうなずいた。
「もともとオメガの研究所だったから。なんでこんな地下深くに作ったのかは分からないけど。たぶん、いつでも埋め立てることができるようにするためだと思う」
「そう」
彼女はサイコロステーキにフォークを突き刺し、品よく口へ運んだ。食べるのに抵抗がないようだ。
白坂太一は顔を背けている。
まあ気持ちは分かるが、ここではこのメシが生命線となっているのだ。慣れなければならない。
俺もためしにひとつ食ってみた。
食感はややぶよぶよしている。味は塩だけ。これといった臭みもない。噛んでいると、うっすらうまみが染み出してくるかどうかといったところ。たぶん出汁味のガムがあったらこんな感じなのだろう。吐くほどではないが、なかなか飲み込む気になれない。
しかし歯ごたえが不快に思えてきたので、俺はあきらめて飲み込むことにした。するとそいつはでろでろと抵抗するように喉奥にまとわりつきながら、ようやく胃まで落ちた。
あえて考えないようにしていたが、人間が食うべき肉ではないような気がする。こんな食生活を続けていたら、そのうち菜食主義者になれそうだ。
積極的に手をつける気にはなれないが、まだプレートには肉がたくさん残っている。
学生時代、教師にメシのことで注意された記憶がよみがえった。言ってることは正しいんだろうけれど、しかしどうしてもムリなときがあるのだ。
あのとき食えなかったピーマンは、いまなら普通に食える。ムリに食うよりも、うまいと思えるときに食うのが一番だ。
などと懐古していると、鐘捲雛子がジト目を向けてきた。
「残すのは禁止よ。食べ物を粗末にするのは、ここでは一番悪いことだから」
「分かってるよ」
そうはいっても、急にネコなんかが出てきて、こいつを食ってくれないかなー、などとは、ぼんやりと思ってしまうなぁ……。
「さめるともっと味が落ちるよ」
「うん」
なんだか母親にせっつかれている気分だ。
食べるしかない。
(続く)