オメガ
エリアを突っ切って、階段の対面にある通路へ入った。
ここも奥まで長い。
無言のまま歩を進め、ようやく突き当りの「50-NN」まで行きつくと、少女はドアをノックした。
「鐘捲です。例のツアー客を連れてきました」
「どうぞ」
女の声がした。
どことなく感情のこもらない、硬質な印象を受けた。
執務室のように見えた。誰かがデスクについている。
見知った顔だ。
たぶん。
いや、違う。
自信が持てない。
大統領は機械のようにすっと立ち上がり、まっすぐにこちらを見つめてきた。
「はじめまして。歓迎します。私の名はテオ。この自由同盟の代表を務めています。大統領などと、やや大仰な役職を名乗ってはいますが……」
ジョークを言ったつもりだろうか。
例のマネキンがビジネススーツを着ているようにしか見えなかった。
いや、しかし本当なのか……。
「驚くのもムリはありませんね。上で私の姉妹に会ったのでしょう? 似たような顔をしているはずです。同じ親から生まれましたから」
髪がない。まつげもない。体毛というものが存在しないようだった。しかしそれ以外は俺たちとほぼ変わらない。
俺はつい興奮してしまい、こう尋ねた。
「あなたは……ヒトではないと?」
「さあ、どうでしょうね。人類に分類されるとは思いますが。なにせ遺伝子操作でつくられたようですから。生物学者がどう分類するのか、私には判断できません」
地底人ではなかったというわけだ。
口を滑らせなくてよかった。
さらに質問を続けようとすると、少女がジト目を向けてきた。
「まずは自己紹介したら?」
「これは失礼。二宮渋壱と申します。えーと、以上です……」
自己紹介と言われても、ロクな自己を有していないことに気づいてしまった。ほとんどなんらの取り柄もない無職の男だ。そんなしょうもない事実に直面し、愕然とした。
「あ、ええと、白坂太一です。はい」
類は友を呼ぶ。
テオには表情がないのか、ずっと真顔で聞いていた。
「同盟に参加するとのことですので、今後はここのルールに従ってもらいます。詳しくは鐘捲さんから説明があるでしょう。では鐘捲さん、あとはよろしくお願いします」
「分かりました」
少女はこちらへ向き直った。
「私は鐘捲雛子。ここの守備隊長。歳は若いけど、先輩なんだから敬意を払ってね」
「はい」
俺たちは同時に返事をした。
きっと高校生くらいなのだろう。年齢も俺たちとひと回りは違う。しかし先輩とあっては従わないわけにはいかない。
*
部屋を出た俺たちは、鐘捲雛子に案内されてエリアへ戻った。すると、ちょうど戻ってきた例の男と遭遇した。
「おいふざけんなよ。クソ重てーじゃねーかよ。背骨折れるかと思ったぞ」
バッグに武器を詰め込み、それをひきずるようにして運んでいた。
鐘捲雛子が顔をしかめる。
「丁寧に扱って。暴発したら危ないから」
「分かってるよ、いちいちうるせぇな。あれ? なんかひとり足りなくね? もしかして死んだ?」
「医務室」
「そうかよ。大統領には会わせたのか?」
「もう済んだ。これから部屋を割り当てるところ」
「へえ、まあ頑張れ」
「……」
あまり仲がよさそうには見えない。
男は荷物を引きずり、どこかへ移動を開始した。鐘捲雛子も歩き出したので、俺たちはその背を追った。
景色が似ているから、すぐに現在地が分からなくなる。
ドアの番号を記憶するしかないのだろう。
割り当てられた部屋番号は、俺が「55-IG」、白坂太一が「55-IH」だった。とはいえ記憶できる自信がない。忘れたら誰かに聞くしかない。
しかし部屋で休憩する時間は与えられなかった。
また通路から通路への大移動だ。
シャワールームやトイレ、ランドリーのある共同スペース、実験室、保管庫、スポーツジム、その他もろもろを案内された。
人が生活するための設備が一通り揃っているらしいことは分かった。場所はすぐに忘れたが。
休憩室に入り、俺たちは腰をおろした。自動販売機もあるのだが、電源が抜かれていた。きっと中身は空っぽなんだろう。飲むものといったら水しかない。
「で、ここはなにをする組織なの? 運営と戦ってるみたいだけど」
俺の問いかけに、鐘捲雛子は眉をひそめた。
「いま言おうと思ってたところなのに。ここは自由同盟。阿毘須の運営と戦ってる。理由は分かるでしょ? 私たち、みんなあいつらに騙されたんだから」
「まあたしかにクソだけど。あの大統領はどういうポジションなの?」
「運営は『人質』って言い張ってるけど、事実は違う。この組織を作ったのは大統領だし。あの人は、行き場のない私たちをかくまってくれた」
ん?
ツアーガイドの発言内容とは相違点がある。
「聞いた話じゃ、君たちが人質を殺すかもしれないって……」
「私たちが殺すわけない。大統領は自分で死ぬって言ってるけど」
「なんで?」
「半分はただの脅し。大統領は、運営がつくった実験体で、唯一の成功例なの。だから死なれたら困るんだって。かなりの費用がかかったみたいだし」
「なるほど」
つまり大統領は自分の命に莫大な価値があることを知っていて、あえて交渉の材料に使っているわけか。運営は死なれたら困るから協定を破れない。で、協定の抜け道としてツアー客を投入するという愚策に出た。
鐘捲雛子はこう続けた。
「上にいっぱいいたのは、全部失敗作。それが勝手に増えたの。本当はこの穴ごと埋める予定だったらしいんだけど、投資家たちが反対して話がこじれたんだって」
「投資家がいるのか……」
「オメガ・プロジェクトっていうの。遺伝子操作で次世代の人間をつくるんだって。もう人間が人間のままで扱える情報量には限界があるから。このままだとAIにも追い越されちゃうし。それでいろんな人がお金を出して、実験を始めたみたい」
なるほど。どうりで官僚が顔を出していたわけだ。つまり政府も噛んでるってことだ。とはいえ、こんな危ない実験をしてるなんてことがバレたらスキャンダルだ。素知らぬ顔をしたいだろう。積極的には絡んでこないはずだ。
ひとつハッキリしたのは、私企業が勝手に始めた事業ではないということだ。
「大統領は、ツアー客が利用されてるのを哀しんでる。だから協定を見直したいって言ってるんだけど、運営は応じてくれないみたい。いまの方法で押し切れると思ってるのね」
このまま民間人を投入し続ければ、いずれ大統領が根負けすると考えているのか。相手の善意につけこんだ卑劣な手段だ。
「勝算はあるの?」
俺の問いかけに、彼女は肩をすくめた。
「ないよ、そんなの。ただ、続けるしかないから続けてるだけ」
勝ち目のない消耗戦というわけだ。こんなことなら、あの男に言われた通り、素直に帰っていればよかった。欲に目がくらんだばかりに、みずからを死へ追い込んでしまった。まあ俺は自業自得だが。
するとその男が入ってきた。
「あの女、意外と元気じゃねーか」
円陣薫子の様子を見てきたらしい。余計なことをしていなければいいが。
彼はやや離れた席に腰をおろし、誰にともなく言った。
「地味なナリしてるけど、かなりの美人だったぜ。けど、あの女はヤらせてくれなそうだな。チンカス野郎って言われちった」
足を撃たれて苦しんでいるときに、その撃った本人にナンパされれば、悪態のひとつも出ようというものだ。むしろその程度で済んでよかった。
俺もこの話に乗ってやった。
「大丈夫。俺も言われたから。みんな言われるんですよ」
すると白坂太一から「僕は言われてませんよ」とつっこみが入ったが、俺は気づかないフリをした。
男はふっと歯を見せて笑った。
「俺ァ、青村だ。青村放哉。おっと、お前らは自己紹介しなくていいぞ。知ってるからな。宮川なんとかと、白田なんとかだろ? 分かってる。任せとけ」
ほぼほぼ分かってねーな。
こちらが返事せずにいると、青村放哉はのけぞって見おろすような格好になったり、斜め下からこちらを見上げるようになったり、いろんな角度から観察してきた。いや観察というより、なかば挑発だな。ガンを飛ばされている。
「おい、なんだそのリアクションはよ? あのブルーヴィレッジのヴォーカリスト兼ギタリスト、青村放哉だぞ? まさか知らねーのか?」
「えっ?」
こいつ有名人なのか?
まあ顔立ちはそこそこだとしても。
彼はわざとらしく溜め息をつき、肩をすくめた。
「俺もヤキが回ったもんだな。地元じゃ知らねーヤツがいねーってほどの大スターだってのによ」
すると鐘捲雛子がうんざりと応じた。
「いい加減にして。それって、あなたの住んでた村の話でしょ? 人類のほとんどはそんな話知らないの。二度と話題に出さないで」
「ンだとテメー。俺がギター弾けるようになったら、ライブの特等席に招待してやろうと思ってたのによ。ぜってー呼ばねーからな!」
さっき自分でギタリストって言ってたよな。まだ弾けてないのか。じゃあなんなんだこいつ。いちおう歌はうまいのだろうか。
「クソ、来るんじゃなかったぜ。いじめられたぞ。大統領に言いつけてやる。いいか。ここじゃ俺が一番の古株なんだからな。つまりはリーダーだ。そこんとこ理解しとけ。例外なくな。じゃあなクソッタレ!」
そして休憩室を出ていった。
きっと荷物運びで疲れて、それで談笑しに来たのだろう。なのに無名であることをバラされて追い出されてしまった。やや気の毒ではある。ウザかったのでこっちは助かったが。
鐘捲雛子は深い溜め息だ。
「あの人のことは気にしなくていいから。銃を撃つ以外、なんの取り柄もないし」
本当はバンドをやりたいらしいのにそっちの才能には恵まれず、むしろ銃のほうが得意なのか。かさねて気の毒だな。
「あと三人いるから、あとで紹介する」
ツアーガイドの情報によれば、行方不明者は計六名。鐘捲雛子と青村放哉のほかに三名しかいないとなると、数が合わない。テオは行方不明者に含まれていないはずだから、一名足りない。その人物はいまもこのダンジョンをさまよっているか、あるいは人知れず死んでいるのかもしれない。
もろもろ不安しかない。
欲に目がくらんでダンジョンに乗り込み、そして窮地におちいった。そこまでは自業自得としても、助かるために、怪しいサークル活動に参加するハメになった。
こっちは人類の進化やオメガ・プロジェクトなんてどうでもいいのだ。まったく興味がない。ただ生きたいだけ。それでも、もう引き返せないだろう。
俺はカップの水を飲み、ふと、問題の大きさに気づいた。
「え、三人? それだけ?」
ひとりかふたりの帳尻が合わないのはいい。真の問題は、この地下組織には両手で数え切れる程度の人材しかいないということだ。
「あとひとりいたけど……。とにかく三人よ。これまでは五人しかいなかった。大統領も入れると六人だけど。そこにあなたたちも入れると九人になる」
「そう……」
ずいぶんとクソショボい地下組織だ。こんなので上の連中とやり合ってたとは。つまり、それだけテオの存在が大きいということだろう。ツアー客が入り込んでくるまでは、彼女ひとりで戦っていたはずだから。
(続く)




