MIA
翌朝、よく晴れた。十七日目。
メシを食って支度をし、三人でホテルを出発。
金網で囲まれた緩衝地帯は泥でぬかるんでいたものの、すでに死体などは片付けられていた。あるいは片付けそこねた部位もあったかもしれないが、それは野生生物がなんとかしてくれたのだろう。
かすかに生臭い気もするが、血液も雨がどこかへ洗い流してくれたようだ。
装備を受け取ってダンジョン内部へ。
あれこれ話し合った結果、俺の提案した「とりあえずうろついてるヤツを全部殺る」というプランが採用された。昨日の騒動でだいぶ数を減らしただろうし、いちどの出動でじゅうぶん実行可能だという結論に達したのだ。
ダンジョン内部は排水機能が働いているらしく、床に水が溜まっているということもなかった。やや湿度が高い気はするが。
本日の右担当兼リーダーは俺、左が円陣薫子、控えが白坂太一となった。
銃を構え、慎重に前進。
もう何度も通った道だが、気は抜けない。
さて、ここで問題が起きた。
いまさら驚くことではないのかもしれないが。メイン通路からジオフロントにつながるシャッターがおりていたのだ。
もちろん俺たちは操作していない。
とすれば運営がなにかを企んでいるか、あるいはマネキンが偶発的にスイッチを押したか、ということになるだろう。
以前、ここから「変なの」が飛び出してきて二名が殺された。
同じミスをするわけにはいかない。
俺は足を止め、仲間たちに向き直った。
「このまま行ってもいいけど、迂回してもいい。ルートはみっつある。どれか好みのがあったら言って。それ使うから」
正面の「3-A」から行く道と、左か右のサブ通路から侵入する道とがある。どれでもいい。ただし右側には大量のマネキンが詰まってる。
すると白坂太一が肩をすくめた。
「任せるよ」
円陣薫子もうなずいている。
じゃあ遠慮なく好きにさせてもらおう。
俺は正面のシャッターへ近づき、スイッチに手をかけた。
「開けるよ」
モーター音がして、ガラガラとシャッターがあがり始めた。
なにか飛び出してくるかもしれない。
そう身構えていた俺たちの懸念は、しかし杞憂に終わった。
なにも出てこない。
それどころか、ジオフロントはいつにも増してガランとした空気になっていた。マネキンの数が少ないとかではない。スカスカだ。物陰を凝視しても、なにもうごめいていない。
まさか昨日ので全部死んだのだろうか。
気を抜くわけにもいかないので、俺は周囲を警戒した。
異変が見つかった。
床の血痕の上に、腕章がひとつ置かれていたのだ。
これはマネキンの仕業じゃない。あきらかに運営が介入している。なんのつもりかは分からないが。
「罠かも。気をつけて」
俺は仲間たちにそう告げた。
近づいた瞬間に、なにかが爆発する可能性もある。あるいはスナイパーが構えているかもしれない。
円陣薫子が小声でつぶやいた。
「発煙筒使う?」
「いいアイデアだと思う。けど、ちょっと待って」
もし狙撃するつもりなら、どこかに隠れていないといけない。が、このあたりに遮蔽物はない。あっても転落防止用の錆びた鉄柵だけだ。あとは暗がりを使うしかないわけだが、そうなると今度は近場以外のすべてが怪しくなる。
目視では分からない。
運営は監視カメラも使っている。だからわざわざスナイパーなど使わずに、遠隔操作でドカンとやる可能性もある。
「いいからとっとと拾えよ」
予想外の方向から声がして、俺たちはすくみあがった。
そいつは前ではなく、背後にいたのだ。いったいいつからそうしていたのかは分からない。
スパイキーな髪型の、スラリとした若い男だ。見たことのない顔。黒い防護服の上から、俺たちと同じ腕章をしていた。参加者だろうか。いや、こんな男はいなかった。
そいつの得物はトーラス・レイジングブル。威力はある。が、所詮は拳銃だ。犠牲をかえりみずに撃ち合えば勝てる。たぶん。
しかしもちろん戦わない。なぜなら彼には仲間がいたからだ。
「言われた通りにして。妙な動きをしたら斬る」
抜き身の刀を手にした、おさげの少女。まだ若い。十代ではなかろうか。男と同じ黒の防護服を着て、腕章までしている。
俺はゆっくりと両手をあげ、こう尋ねた。
「あのー、ツアーのお客さんですか? 俺たちと同じ参加者? だったら協力し合ったほうがいいと思うなぁ、なんて……」
「……」
返事がない。
それどころか男は舌打ちまでして来やがった。
「いや、ちょっと待ってくださいよ。俺たちがなにしたって言うんですか? あ、先に自己紹介したほうがいい? 俺、二宮……」
「いいから拾えよ」
「はい……」
自己紹介さえさせないとは。しかも張り切って喋りすぎたせいで、なぜか俺が腕章を拾う流れになってしまった。
仮に爆発物が仕掛けられているとして、一発で死ねるならいい。しかし肘から先だけぶっ飛ばされるなんてのは勘弁していただきたい。
念のためゴム手袋は持ってきたが、あんなので手を保護できるとも思えない。
俺は仕方なく素手でやることにした。前へ出て、慎重に身をかがめ、そっと手を伸ばす。
結果、爆発はなかった。ただ腕章を回収できただけだ。
男はこちらへ銃口を向けながらこう続けた。
「あと何個いるんだ?」
「これで最後です」
「そうか。じゃあ用は済んだってことだな。もう帰っていいぞ」
「えっ?」
なんなんだこいつら?
まさか過去のツアー客が幽霊となって蘇り、俺たちの手助けをしてくれたってのか。いや、それにしてはあまりに存在感がありすぎる。過去のツアーで行方不明者が出たって話から推測するに、きっとそいつらなんだろうけども……。でも本当に? ここで暮らしてるのか? いったいどうやって?
「オラ、行けよ」
「はい……」
こうも乱暴に追い立てられては、楽しく談笑するどころではない。
俺たちは素直に引き上げざるをえなかった。
*
外に出て、陽の光を浴びてから、俺たちはようやくいまの状況について話し合うことができた。
「あのー、えーと、誰だろ?」
「知らないですよ」
白坂太一は当然の返事をした。
円陣薫子も肩をすくめている。
もちろん誰も知らないわけだ。
「いや、でもさ……。幽霊じゃないよね?」
「生きてたと思いますよ」
「だよね……」
俺の手にはたしかに腕章がある。この事実だけは疑いようがない。決して錯覚ではないのだ。
緩衝地帯で装備を返却し、金網の外へ出たところで、ツアーガイドの各務に遭遇した。
「お帰りなさいませ。少々ご相談したいことがございます。のちほどで構いませんので、お三方で事務所までいらしていただけませんでしょうか」
昨日ハイテンションではしゃいでいた女とは思えない態度だ。
それはそれとして、頑張って笑顔を浮かべているのはいいが、今日はどことなく作り物のように見えた。
さっきの連中は、よほどの危険人物ってことか。運営はダンジョンを監視しているわけだから、彼らのことも把握しているのだろう。
俺たちは了承し、いったんホテルへ戻った。
なにはともあれ、腕章が揃ったのだ。あとはくつろいでいればツアーも終わる。フェリーに乗って平和な日常に戻ることもできる。そしてもっともポイントを稼いだ俺が英雄と認定され、豪華賞品を受け取ることになるだろう。
すべてがクリアされた。
言い換えれば、しばらく暇ができたことになる。暇つぶしに事務所に顔を出すくらいの余裕はある。
かくして三名揃って事務所へ行き、ツアーガイドに案内されるまま応接室へ入った。テーブルとソファと観葉植物のあるシンプルな部屋だ。
俺たちは並んでソファに腰をおろした。
ガイドは対面。
「率直に申しあげます。皆さまには、わたくしどもにご協力いただきたいのです」
「協力? いったいどんな?」
応じたのは白坂太一だ。
この場の交渉は、物腰の柔らかい彼に任せるとしよう。
「先ほど、ダンジョン内で他のお客さまに会われたと思います。カメラの映像を観る限りですと、男性のほうが第二回の参加者で、女性のほうが第三回の参加者と推測されます。いずれもダンジョン内で行方不明となり、そのまま帰還しなかったお客さまです」
「行方不明……」
そういえば、ふたりにとっては初耳か。
ツアーガイドはさすがに苦い笑みを見せた。
「おそらくはダンジョン内部で生活しているものかと」
「じゃあ、あの人たちがしてた腕章はホンモノなんですか?」
「はい」
幽霊じゃないってのは朗報だが……。
まだ本題に入っていない。
ガイドはこう続けた。
「皆さまにお願いというのはほかでもありません。彼らを始末していただきたいのです。もし承諾していただけるのならば、特別にレベル10までの装備を解放いたします」
「えっ……」
「成功報酬もお出しします。ひとり始末するごとに一億。日本円でお支払いします。いかがでしょう?」
白坂太一が閉口してしまったので、代わりに俺がつっこんだ。
「勘弁してくださいよ。それは俺たちの仕事じゃない。だいいち、人殺しならおたくらのほうが得意でしょう? 腕のいいスナイパーもいるんだし」
日没後にもかかわらず、三白眼をヘッドショットで仕留めた腕利きだ。そういうプロフェッショナルがいるのだから、俺たちのような素人に出番はない。
この疑問はしかし想定内だったらしく、彼女はにこやかな笑みでこう応じた。
「少しだけ内情を開示させていただきますね。彼らは文字通り地下組織を作っており、現在、弊社とは休戦状態にあります。そして協定により、こちらの社員はジオフロントより先へは立ち入れない状態となってしまいまして……」
「協定?」
「はい。休戦する際、いろいろと取り決めを交わしまして」
「え、なんで? そんなに強いの?」
「こちらは要人を人質に取られていることもあり、強硬な態度に出られないのです」
「人質? 拉致監禁ってこと? それこそ警察呼んだほうがいいんじゃ……」
「協定により、弊社の社員と、警察、消防、自衛隊などの立ち入りが禁じられています。協定の違反が発覚した場合、彼らは即座に人質を殺害すると宣言しています。そこで、私人であれば問題ないと……」
「それで客をぶっ込ませてるの?」
「そうなります」
あきれた。自分たちのヘマの尻拭いを、ツアー客にやらせているというわけだ。
俺は深い溜め息をついた。
「あのマネキンみたいなモンスターも、地下組織が放ったものだと?」
「その件に関しましては、機密事項となっておりますため、詳細はお答えいたしかねます」
「言えないならいいよ。ただ、状況もよく分からないまま人殺しに加担するわけにはいかない。そもそも俺らはたいして強いわけじゃないしね」
これはきっと三人の総意だろう、とは、言えなかった。
一億という額が提示されてから、円陣薫子の様子がおかしかった。もしかすると莫大な借金を背負ってここへ逃げてきたのかもしれない。いや考えすぎか。ともかく金で心が揺らいでいる。
もちろん俺だって金は欲しい。ひとり一億なら、あのふたりを殺せば二億が手に入る。三人で割っても七千万超。仲間が死ねばもっとだ。
しかしせっかく拾った命だろう。ここで捨てる気にはなれない。しかも殺害対象である彼らには、ついさっき助けられたばかりだ。恩を仇で返すわけにはいかない。
俺は一方的に席を立った。
「とにかく、この話はナシでお願いします。俺には帰る場所があるんだ。こんなところで死にたくない」
いや、ウソだ。帰る場所なんてありはしない。誰も待っていない。帰ったところで、ただ交換可能な部品のように酷使され、消耗し、毎日くたくたになって、生きる意味も忘れ、やがて「どこかでパーッとはしゃぎてぇなぁ」と思うだけだ。
そう、どこかで……。
そのどこかを求めて、俺はここへ来たのだ。だが懲りた。懲りたはずだ。
(続く)




