逆流
朝食ののち、ダンジョンへ。
空気が湿ってきたから、雨でも降るのかもしれない。ともあれ俺たちの戦場は屋内だ。傘はいらない。
本日の配置は、右担当のリーダーが円陣薫子、左が白坂太一、そして控えが俺だ。ポジションの変更が二回起こらない限り、俺がリーダーになることはない。
地下に踏み込む瞬間は、いつでも緊張する。
打ちっ放しのコンクリートを染めるオレンジ色のライト。そして黒いシミと化した血痕。かすかに響く靴音。
「敵発見」
リーダーの言葉を待つまでもなく、俺にも見えた。マネキンが一体。前衛のふたりが射殺したので、俺は撃たなかった。
地下三階を抜け、ジオフロントとやらに到達。
圧倒されるような巨大な空洞だ。
遠方の暗がりにうごめいている人影があるのは分かるが、こちらから仕掛けるつもりはない。今回は発煙筒があるから、囲まれた場合、それを投げて逃げる。
円陣薫子はM4カービンにマウントしたフラッシュライトを床へ向けた。
血痕があった。前回も見たものだ。左と右に分かれている。左へ向かったときはクイーンに遭遇した。今回は右へ挑む。
とはいえ、結局は巣に行き着くはずだから、別のクイーンと遭遇することになるだろう。
さらに言えば、血痕があるからといって、必ずしも腕章が見つかるとは限らない。あいつらは死体をぶっちぎって山分けする。となると、腕章のあるパーツと、ないパーツが、それぞれ引きずられることになる。前回はアタリだったが、今回もそうとは限らない。
周囲のマネキンたちは、きっと俺たちの存在に気づいている。気づいていてなお遠巻きに眺めている。この辺の動きは森の動物たちに近いかもしれない。状態が切迫するまで反応しないのだ。
少し行くと、シャッターに遭遇した。表示は「4-L」とある。
ここも他のフロア同様、左、右、左、右と、交互にアルファベットが振られているのであろうか。もしそうなら前回クイーンと遭遇した巣は「4-M」と推測できる。
ともあれ、シャッターがおりているということは、この奥に死体はないということだ。
血痕らしきものがそちらへ伸びている気もするのだが……。黒くなってしまうと、ただの汚れなのか、血痕なのか、もう分からなくなってしまう。
「先へ進みましょう」
円陣薫子がそう判断したので、俺たちもうなずいた。
マネキンどもは距離を保ったまま近づいてこない。シルエットだけは人間そのものだから、なんだか観客の見世物になっているような気分になる。
さて、行けども行けどもシャッターがおりていた。
そしてついに穴を迂回して「3-A」の対面である「4-A」まで来てしまった。まだ地下があるらしい。まあ深い穴があるのだから、当然そうなるだろうけれど。
黒いシミはここにもある。
「シャッターおりてるね」
白坂太一が誰にともなくつぶやいた。
俺たちは返事をしない。見れば分かる、という冷たい反応をしたかったわけではない。なんだか嫌な予感がしたからだ。
その後、「4-C」を通り、「4-E」「4-G」「4-I」「4-K」と巡ったが、すべてシャッターがおりてきた。
それだけではない。
つい先日まで開いていたはずの「4-M」までもが、なぜかシャッターに閉ざされていたのだ。
このシャッターは、誰かがスイッチを入れなければ開閉しない。つまり、誰かがこれを操作したということだ。
クイーンの死体が見当たらないのはいい。きっとマネキンどもが山分けしたのだろう。派手な血痕もあるし、まだ匂いがする。だから俺たちが位置を勘違いしているわけではない。
沈黙しているリーダーに、俺は尋ねた。
「円陣さんの所見は?」
「さあ。運営が遠隔操作したのかも」
一理ある。
マネキンどもが壁に手をつくなどしてスイッチを入れた可能性もあるが、運営が手を加えた可能性もじゅうぶん考えられる。なにせ彼らはずっとダンジョンを監視しているのだ。
白坂太一が肩をすくめた。
「じゃあもう一周まわって、シャッター開けて回ります?」
「そうしましょう。あとリーダーの交代お願いします。少し疲れちゃった」
だいぶ緊張したのだろう。彼女の提案でポジションとなり、右担当のリーダーが白坂太一、左が俺、控えは円陣薫子となった。
装備を統一しているおかげで、こういうときに作戦を変えなくて済む。
また反時計回りに調査を開始。
俺たちは「4-L」の前に立った。
「また変なの出てくるかもしれないから、じゅうぶん注意してくださいね」
スイッチは右側にあるから、右担当の白坂太一がドアへ近づいていった。俺と円陣薫子はアサルトライフルを構える。
モーター音がして、ガラガラとシャッターがあがりはじめた。その瞬間、隙間からマネキンが這い出してきた。四つん這いで駆けるタイプだ。
トリガーを引くと、タタタッと三連続で反動が来た。円陣薫子も撃った。マネキンは不格好に転がってこちらへ。苦しそうにうめいていたので、俺はさらに射撃を加えて仕留めた。
まだ終わりじゃない。
通路の奥にかなりいる。
のみならず、遠巻きに眺めていた連中も、いまの騒動に興味を示し始めた。
これは前回の二の舞になるかもしれない……。
俺はタクティカルベストから発煙筒を取り出し、白坂太一へ伝えた。
「作戦中止しよう。そこ閉めて。後ろから来てる。囲まれる前に撤収しよう」
「わ、分かりました!」
リーダーの了解を得たので、俺は発煙筒を着火してぶん投げた。火を噴いた筒が回転しながら弧を描き、マネキンの注意をひきつけた。本当はこれでモクモクにして視界を奪う作戦だったのだが、思ったより発火が明るくて花火みたいになってしまった。
だが俺たちから目をそらせるならいい。
円陣薫子も投げた。しかし投げるのに慣れていないのか、あまり遠くへは飛ばなかった。まあそれでも用は足す。
シャッターがおり、通路のマネキンたちも発煙筒に気を取られていたので、俺たちは脇目も振らず逃げた。余裕のあるうちに退避するのが正解だ。臆病でなければ死ぬ。
さいわい、あいつらは早足にはなるが、走ってまで追いかけてこない。
こちらも全力ダッシュする必要はない。ジョギング感覚でいい。装備が重いからそれでも消耗は激しいが。
行く手に立ちふさがった二体を射殺し、俺たちはダンジョンを抜け出した。
おそらく外まで逃げる必要はないと思われるが、止まるタイミングを逸してしまったのだから仕方がない。とにかく呼吸を繰り返し、やや湿気った空気を吸い込んだ。
空がうっすらと曇っている。一雨来るかもしれない。
俺は壁に背を預け、前傾姿勢で呼吸をしている白坂太一に尋ねた。
「どうする? また装備を補給してリトライするって手もあるけど」
すると彼は力なく笑った。
「いえ、今日はもう撤収しましょう」
まあそうなるか。
消耗した状態で挑んでも、もっと悪い結果を生むだけだ。
しかし作戦を変えないと突破は難しそうだ。シャッターを開けば、かなりの確率で戦闘に突入する。そうなると今度は、音と光でまわりのマネキンも集まってくる。囲まれる。
ひとまずすべてのシャッターを遮断して、うろついてるのを皆殺しにしないとダメかもしれない。
*
降り出した雨が、ひっきりなしにコンクリートを叩いている。
娯楽のない生活を送っていると、こんな音でさえ心地よい。
夕飯を終えた俺たちは、談話スペースで作戦を練り直していた。
俺が提案したプランは、とにかく手当たり次第に殺しまくり、それから探索を開始するという内容だ。
白坂太一は「なるほど」とうなずいた。
「弾数はどうでしょう?」
「足りなかったら、また戻って補給するんだ」
すると茶をすすっていた円陣薫子が眉をひそめた。
「もしその間にまたシャッターが開けられてたら」
「まあそれは……そうならないことを祈るしかないね。なにか代案があると嬉しいけど」
「レベルをあげるのは?」
これに反論したのは白坂太一だ。
「次に貸し出されるのはドローンだけど、戦闘に使えるとは思えないな。レベル8になれば火炎放射器が使えるけど、そこまで行くのに時間が足りるかどうか」
今日が十六日目。現在の撃破ポイントはそれぞれ100を少し超えた程度。レベル7まであと約100。その次がさらに150。あまり現実的じゃない。
それに、もしレベルをあげるにしても、マネキンを殺す必要があるのだ。俺のプランとも矛盾しない。
などと考え込んでいると、雨音に混じってウーとサイレンの鳴るのが聞こえてきた。
いったいなんであろうか。
ホテルにアナウンスはない。
「もしかしてフェリーが来た、とか?」
白坂太一の夢見がちな希望はできれば尊重したいが、しかし違うだろう。
このサイレンは前にも聞いた。タレットが腕章のない熱源をぶち殺す前の雄叫びだ。ダンジョンからマネキンでも出てきたのだろうか。
俺は紙コップを置いた。
「きっと緩衝地帯のアレだよ」
俺が立ち上がると、円陣薫子も腰を上げた。
「見に行くの? 私も行く」
*
すでに日は暮れているが、ポールライトが足元を照らしているので道に迷うことはなかった。
俺たち三人は傘もささずに外へ。というより傘がなかった。運営には生活環境の改善を求めたいところだ。
現地につくと、無人のタレットがけたたましい音を立てながら、マネキンの群れを撃ち殺しているところだった。AIが操作しているのか遠隔操作なのかは不明だが、とにかく片っ端から丁寧にミンチにしていた。
金網付近では、傘を差したガイドの各務が小さく跳ねていた。
「あ、皆さん! こっちこっち! 一緒に見ましょう! 凄いですよ! すぐ死んじゃいます! わぁ、怖いなぁ……」
しかし怖がっている態度ではない。恍惚の表情だ。やはり彼女はどこかおかしいらしい。
マネキンは弾丸に触れた瞬間、その部位を失い、人の形でなくなっていた。
ただ殺されるためだけに進出しているように見える。こうまでして、いったいどこを目指しているのだろうか。音と光に引きつけられているだけか。
昼間、俺たちが刺激したせいで、こちらまで出てきてしまったのかもしれない。それにしてはだいぶ時間が経っている気もするが。
ともあれ、こちらとしては大歓迎だ。連中の数が減れば減るほど探索が容易になる。じつに結構。
円陣薫子と白坂太一が同時に溜め息をついた。
「私、帰ります」
「あ、僕も」
ふたりとも露骨に興ざめしていた。
もちろん俺も帰りたかったが、ガイドが寂しそうにしていたので、俺は隣に立った。
「これ滅多に見られない光景なんですよ。あーもー、凄い。きっと眠れなくなっちゃう」
「ガイドさん、こういうの好きなの?」
すると彼女は、恥ずかしそうに手を振った。
「いえいえ、そういうんじゃありません! ただ、珍しいことが起きたから、ついはしゃいじゃって」
「彼ら、なにしに出てきたんですかね?」
「彼ら? 女性ですよ、あのヒトたち。あ、ヒトって言っちゃった。でも違うんです。ヒトじゃありませんから。よく似てますけど。あ、傘入ります?」
「いえ、結構です。もう帰りますから」
「そうですか。くれぐれも体調にはお気をつけて」
すると彼女はふたたび金網にしがみつき、タレットがマネキンを掃射する光景に夢中になった。
雨と混じり合った血液は、サーチライトを乱反射し、美しいマーブル模様を描いているように見えた。
(続く)




