ようこそ、祝祭の島へ!
これが人殺しでなければいいのだが……。
俺は床に転がった死体を見つめ、荒くなった呼吸を繰り返しながら、P226のグリップを握りしめた。
そいつは人の形をしていた。
おそらくロボットではない。血液を流している。それも必要以上に。おかげで床が血だらけだ。
第一印象は「歩くマネキン」。体毛はなく、服も着ていない。つるつるした人型の生物。そいつが単身、おぼつかない足取りでのたのた近づいてきたのだ。俺は銃を構えて射殺した。
頼むから人間以外のなにかであって欲しかった。特殊メイクでこんな格好をしているだけなのだと。
ただし、そいつは二本の足で歩き、言葉のようなものを発しようとしていた。
たとえば鳥だって二足歩行だし、モノによっては言葉さえ喋るが……。とてもじゃないが、この死体は鳥類には見えなかった。サルでもない。ヒトにしか見えない。
俺はちらと振り返り、たぶん仲間であろうそいつらを見た。
誰も彼もが死んだような目をしていた。このツアーの参加者だ。俺を含めて九名。例外なく武器を所有しているのに、誰ひとりとして戦おうとしなかった。それどころか、逃げ出したものまでいる。
これはミステリーツアーだ。「あなたも英雄になりませんか?」という宣伝文句の。
ツアーガイドによれば、放し飼いにされたモンスターを好きなだけぶっ殺し、思う存分ストレスを発散してくれということだった。
それで「ダンジョン」なる地下道へ案内され、このマネキンに遭遇した。
異様な目つきでこちらへ近づいてきたし、会話も通じなかったから、思わず勢いで殺してしまった。
が、本当に殺してよかったのか、まだ判断がつかない。
参加者は腕章をつけており、その相手だけは絶対に攻撃するなと言われたが、全裸のマネキンについてはなんらの説明もなかった。
だからきっと殺しても平気なはずだが……。
不健康そうなメガネの男が、ボソボソとつぶやいた。
「これ……人間じゃないですよね?」
すると誰かが応じるより先に、サラリーマンふうの中年男性が舌打ちした。
人間のはずがない。
いま誰もがそう思い込もうとしているところだ。
もしこれが人間なのだとしたら、俺は殺人犯ということになる。さすがにそんな非合法なツアーではなかろう。なぜか実銃を貸し出しているという点に目をつむれば、だが。
ダンジョンは、コンクリートで固められただけの打ちっ放しのトンネルだ。
周囲を照らしているのは、眠たくなるようなオレンジ色のライト。おかげで床の血液が赤黒く見える。
「いったん戻りません?」
メガネが、こちらを見ながらそう提案してきた。
なぜ俺に言うのか。理由はシンプルだ。銃を握りしめて緊張しているのは俺だけで、他の連中はもう戻ろうとしていたからだ。きっと危ないヤツに見えているのだろう。
俺は銃をホルスターへしまい、まぶたをもみほぐした。
「そうしましょう」
すると背後は任せたとばかりに、誰からともなく早足になって引き返し始めた。
俺のいる場所は最前線であり、最後尾でもある。なにかあったとき最初に死ぬのは俺ということだ。
しかし問題に遭遇することなく、すぐさま脱出できた。
なにせダンジョンに入ってすぐに起きた出来事だった。
外へ出ると、春の陽気が優しく俺たちを包み込んでくれた。まだ昼を少し過ぎたばかり。青々とした木々が生い茂っており、呼吸をするたび清浄な空気が肺に満ちた。
ダンジョンの出入口だけは地下鉄を思わせる造りだが、それ以外はほぼ手付かずの大自然だった。まるで打ち捨てられた廃線か、あるいは使われなくなった炭鉱のようだ。実際、そういうものを再利用したアトラクションなのであろう。
しばらく進むと、金網で仕切られた「ゲート」へ到着した。
高所に据えられているのは、台座に銃のつけられた無人兵器。タレットというらしい。二台ある。俺たちを攻撃するためのものではなく、モンスターが来たときに掃射するためのものだ。
ゲートを開くためには、全員が専用ボックスへ武器を返却する必要がある。
参加者たちはボックス前へ殺到し、次々と武器を投げ込んだ。俺もそうした。
『武器の返却および周囲の安全を確認いたしました。これよりゲートを解放いたします』
アナウンスがあり、金網ゲートが自動で開いた。
俺たちが飛び出すと、すぐさまゲートも閉じた。モンスターが出てこないよう、厳重に管理されている。
少し行ったところに管理エリアがある。三階建ての「事務所」と、参加者用の「ホテル」があるだけの場所だ。
俺たちが目指したのは、もちろん事務所。
無人の受付でボタンを押すと、インターホンから『少々お待ちください』と応答があった。
やってきたのはツアーガイドの各務だ。パステルカラーのベストにスカートという、いかにもガイドといった格好をしている。
「お帰りなさいませ。なにかございましたか?」
ほわほわした雰囲気の、春の似合う美人だ。
きょうび容姿やスカート丈について言及すれば即座に怒られそうな気もするが、誰も俺の内心の自由までは責められまい。
サラリーマンふうの中年男性が、険しい表情で前へ出た。
「ちょっと聞きたいんですけどね、あの奥にいたヤツはなんなの? あれがあんたらの言うモンスターなの?」
これでも遠回しに聞いたつもりなんだろう。
ヒトかどうかまでは言わなかった。
ガイドは笑みを浮かべ「はい」とうなずいた。
「腕章をつけていないものは、すべてモンスターという扱いになっております」
この無邪気な返事に、すると中年男性はなぜか怒りを覚えたらしい。
「は? それマジで言ってんの? あれどう見てもモンスターっていうか……だろ? なあ? ちゃんと説明しろよ? いくらミステリーツアーって言っても限度があるだろ?」
「そうおっしゃられましても……。わたくしどもは、あれをモンスターとして用意しておりますので……」
「なんかヤバいヤツじゃないのかよ?」
「ええ。事前にご説明しました通り、法的な問題はすべてクリアしております。もちろんダンジョンへの参加は強制ではありませんので、もしご気分が優れないようでしたら、フェリーが来るまでホテルでくつろいでいただいても構いませんので……」
クレーマーに困惑するガイド、といった印象だ。
男はバツが悪くなったらしく、トーンをさげた。
「いや、俺はね、金払ってまで犯罪者になりたくないわけ。だからもしそういうリスクがあるなら、前もって言っておいて欲しいわけよ」
「ええ。お客さまのおっしゃる通りです。もしご入用でしたらQ&Aを記載したパンフレットを再度ご用意いたしますし、ご不明な点につきましても、そのつど質問していただければ、わたくしのほうで可能な限り対応させていただきますので」
パンフレットとやらはすでに受け取っているし、何度も読んだ。クソみたいに簡略化されたQ&Aには、結局のところ「ご安心ください」としか書かれていなかった。
男は言いづらそうに、何度か目を泳がせてからガイドを見た。
「アレ、人間じゃないよね?」
「もちろんです。当ツアーは、あらゆる法令を遵守しております。人様を傷つける行為は推奨しておりません。お客さま同士での危険行為も禁止とさせていただいております。ただ、ダンジョン内部での負傷などにつきましては、事前に署名いただきました通り、自己責任という形にはなってしまいますが……」
「いいよ。分かったから」
知りたいのは「アレが人間かどうか」だけ、ということだ。他の話は不要とばかりに男は顔を背けてしまった。
すると続いて、メガネが遠慮がちに手を挙げた。
「あの、僕からもいいでしょうか? ここ、日本ですよね? レンタルしてた武器、あきらかに銃刀法に違反してると思うんですが……」
するとガイドは、にこりと柔和な笑みで応じた。
「ご安心ください。当ツアーは、自治体から正式な許可を得ております。よって敷地内での発砲が問題となることはございません。もちろん故意に他のお客さまを傷つけた場合には、傷害の罪に問われる可能性もございますが……。銃器を使用するしないにかかわらず、そのような行為はいっさい禁止とさせていただいております。この点だけはお守りいただけますよう、お願い申しあげます」
私有地なら発砲してもいいんだっけ?
ダメだったような気がするが。
しかし運営側がこう説明しているのだから、きちんと法令を遵守したツアーなのであろう。いや、あるいはアウトかもしれないが、バレるまではこの商売を続けるつもりなのかもしれない。
*
俺たちがこの島へ到着したのは、ほんの数時間前のことだ。
移動に使ったのはフェリー。ちょっとした遊覧船ほどのサイズだろうか。
夜が明けたばかりの早朝に港を出て、だいぶ陸を離れた。
海は春の日差しを乱反射し、キラキラと輝いていた。
島が見えたのは、日が高くなってきたころだった。
湾は小高い山に囲まれているから、大海原の波を寄せ付けないようになっていた。おかげで俺たちを載せたフェリーは、ゆったりと余裕をもって岸へ近づけた。
「あなたも英雄になりませんか?」
それが宣伝文句の、格安ミステリーツアーだった。
貸与され武器を使い、ダンジョンにいるモンスターを好きに殺していいのだという。
言い換えれば動物の虐待だ。そんなものを英雄と呼んでいいのか分からないが。
それでも俺は参加した。
俺は、というよりは、俺たちは、だ。参加者は全九名。
「えー、みなさま。このたびは、アドベンチャーツアー『阿毘須』へご参加いただき、まことにありがとうございます。わたくし、ツアーガイドを務めさせていただきます各務と申します。どうぞよろしくお願いいたします」
ツアーガイドがメガホン片手にそうアナウンスした。
彼女は白い手袋をした手を湾内へ向け、こう続けた。
「あちらに見えますのが、本ツアーの舞台となりますアドベンチャーパーク『阿毘須』でございます。こちらからは森しか見えませんが、奥にはモンスターのひしめくダンジョンをご用意してございます。皆さまには、そちらへ自由に参加していただき、日頃のストレスを思う存分発散していただければと思います」
うららかな天気も手伝って、のどかな港にしか見えなかった。モンスターどころか人の気配さえなく、ぽつんと建っている倉庫以外には人工物を確認できなかった。
この時点では、モンスター退治という名の害獣駆除を手伝わされるか、あるいは着ぐるみのロボットをボコ殴りにするか、そのどちらかだと思っていた。
ツアー期間は三十日。
だから、たぶん、参加者の中には、まともな職についてるヤツはひとりもいない。海外ならともかく、ここは日本だ。一ヶ月も休暇をとったら、おそらく職場にいられなくなる。
フェリーは俺たちをおろしたら、緊急事態でも起きない限りは戻ってこないことになっている。
いまどきスマホもつながらないような島だった。本当に国内かどうかさえ怪しい。どこかの無人島を、業者が勝手に使ってる可能性もある。
港の錆びついたアーチにはこうあった。
「ようこそ、祝祭の島へ!」
この字面を見る限り、国内であるようにも思えるが……。
(続く)