2・3「the blightness in the dark」
その時サキは、心身の両面でネガイと合一していることを感じていた。それは性交の部分的な合一とは違う、文字通りの合一。サキとネガイは、物質的な形を曖昧にして一つに溶け合っていた。
『私はイザナミ。死して黄泉に封ぜられた神の名を持つ人ならぬ者――妖です』
初めて二人が会ったとき、彼女はそう言った。出会いは、天戸の宅を訪れたサキを、ネガイが迎える形だった。
彼女の言葉に、サキはこう答えた。
『ずいぶん重い名ですこと。そんな名はお捨てなさいな。替わりに……そう‘ネガイ’と名乗りなさいまし。私は‘未来’、あなたは‘願い’――良いですね?』
あれから百年に近いときが流れた。二人だけだった生活に、キズオトが加わりササヤキが加わり……。彼女たちは終にネガイが人ではないことを知らずに、姿を消していった。だが、それは間違ったことではなかったのだ。‘ネガイ’の名を持つ彼女は紛れもなく人間だったのだから。
――――人間を捨てる覚悟はできてますか? ―――
問いに、ネガイは‘Yse’と答え、その存在を消した。
もう‘ネガイ’という存在は宇宙のどこにもない。今、サキの傍らにあるのは昏き闇から湧き出る力だけだ。だが、サキは変わらぬネガイの‘想い’を感じていた。
「「今こそ未来に願いを――――希望を示す明星の光とならん!」」
サキの身体が、眩く白い光と螺旋を描く黒い闇に包まれる。
纏う衣服が再構築される。純白の長袖シャツに、漆黒のズボンとマント。
白い髪と天色の瞳は変わらない。だが、その額を縦に裂いて紫苑色の瞳が開いた。
そして彼の左手に一丁の散弾銃。磨き上げられた黒曜石のようなボディを基礎に、グリップはつやのない象牙質、トリガーは白金。虚のような銃口は十ミリメートルほど。バレルには祝詞が草書体で白く書き連ねられている。
砂利を踏むような音を立て、サキは銃を持ち上げ構える。その先はもちろん、エリダヌス以下三人の〈月の子〉だ。
「闇から生まれし光――これが私の生弓矢ですわ。……さぁ、最初にぶち込まれたい方はどちらですか?」
月の子の一人、エリダヌスと同じ背丈のものがせせら笑った。
「ほざけ! めくらのてめぇに何ができる」
やや低い男の声が言うや、サキは彼に向かって引き金を絞った。
射撃される無音の衝撃。それはレーザでなく、放電する光の粒子。散弾は、その名の通り拡散しながら敵へと飛来した。
月の子三人の手前で、光の散弾は不可視の壁と衝突した。
「防護、反射!」
やわらかな響きの女性の声が唱えた。
光の弾丸がまっすぐ跳ね返される。だが、サキはすでに位置を変えており、反射された光の弾丸は何にも当たらずに虚空を駆けていった。
彼は三人の側面に回り込んでいた。気負いのない動作で、第二の射撃をする。
「無駄よ! 反射!」
三人を囲む結界が光った。
しかし弾丸は真っ向から結界にぶつからなかった。四散し、八方へ飛び、あらゆる方位から三人を守る結界を叩き、砕いた。
「――うわぁ!」
結界を砕かれた衝撃が、フードをかぶった二人の顔を露わにした。顎の鋭い金髪の青年と、黒い髪の中年くらいの女性だった。
「くそ、よくもあのお方から授かった俺たちのマントを!」
金髪の青年がいきりたって喚いた。
「油断するな、カリス・ミノル。相手は腐っても、かつて月の御方の側に侍った者だ。どんな底力を秘めているかわからんぞ」
カリス・ミノルと呼ばれた青年は、空に手をやり何もない場所から長槍を引き抜いた。長槍の長さは二メートル超。馬蹄型の穂先を低く構え、彼は叫ぶ。
「いくぜニューハーフ。〈月の子〉の一人、このカリスがてめぇを穴だらけにしてやる」
カリスとサキの距離は約五メートル。この距離なら、長槍を持つカリスは銃を持つサキと同程度の戦闘ができるはずである。
一閃。音速の突きを、サキは僅かに半身をずらしてかわす。
第二閃、これも微小の動きでかわす。
銃口はカリスに向けられ、しかし射撃されない。見下すようなサキの威嚇に、カリスは激昂した。
「――の野郎! これでもくらいやがれ!」
カリスが高速の連続突きを放つ。一秒間に八度繰り出される突きは、常人の目には花火のようにしか見えない。
しかしサキは余裕の表情でこれを防ぐ。彼の動きは特別速いわけではない。少し身体をずらしたり、銃のバレルで穂先の軌道を変えたり、それだけ。緩やかで、流れるような動きだった。
「氷刃!」
後方の女性が支援の攻撃術を放った。
幾つもの氷の刃が飛来する。光の散弾が、それを迎撃した。
「――隙あり!」
背丈の差を利用し、カリスは槍をサキの首筋に向かって突き下ろした。
だが次の瞬間、背後から流れてきた光の弾丸によってカリスの両腕と槍は粉砕され、攻撃は中断された。
「ぐぁあぁぁああああぁ!」
氷刃を跳ね返した光の散弾が、そのまま消えずに飛び続けていたのだ。光を操るのはサキの能力、そして――
「お忘れではないですわよね? 私が先視の使い手だということを。――あなたの動きが一瞬先にでもわかっていれば、こちらから攻撃を当てる事は可能なんですのよ。なぜなら、光は何よりも早く動くのですから」
彼自身はすばやく動けなくとも、光は速い。彼の反応に、時間差なく光は動く。加えて、彼の第三の眼。この眼が開いた事により彼の先視の能力は大幅に強化され、まさしく未来を‘見る’ことを可能とさせていた。
「見える、とは面白いことですわね。――あなたのその顔、ぞくぞくしましてよ?」
両腕を失い膝をつく自分を見下ろす、焦点の定まっている紫苑の瞳。カリスは恐怖に顔を歪ませてそれを見上げた。
「では、まずあなたから死んでください」
口の端を歪に引いて、サキは引き金を絞った。
水袋をたたき付けるような音。
横たわったカリス・ミノルの屍には、両腕と頭部、つまり上半身から生えている部位がすべてなくなっていた。その断面から流れ出す血液は、サキの黒い靴底を濡らした。
「――次は、そちらの女性の方ですわ」
黒の散弾銃を女に向かって構えなおす動きをつくると、それに伴い血に浸った足下で水音がした。
「させるか!」
銀の両刃剣を両手で構えたエリダヌスがサキに斬りかかる。
サキはその斬撃を先視して回避。銃を右手で持ちそれで彼を牽制しつつ、左手で空中に光の文字を書き始めた。
『The attack cannot hit me, because…..』(その攻撃は私には届かない、何故なら……)
流れるような美しい筆記体。さらに、文の横に呪術的な意味のある文様を描いていく。
「く、この……当たれ!」
エリダヌスの攻撃がサキに当たる様子はない。サキは顔を彼に向けていない、おまけに立ち位置もほとんど変えていなかった。
――――エリダヌス、離れて。
女がエリダヌスに念話で伝える。彼は、口惜しそうに渋々サキから離れた。
「、招来、烈火、朱雀!」
サキに向かって鳥の形をした炎が放たれる。炎は床のコンクリートを融かすほどの熱を持っている。
一直線にサキに向かって飛ぶ炎の鳥。
それは悠然と構えたサキの手前で、何の抵抗もなく進行方向を反転させた。
「な……反転術陣!?」
‘反転’は‘反射’とは違う。反転の術は反射の術よりも効果が高い。しかし反転の術は相手の術によって使い分ける必要がある。つまり、相手の攻撃を予測できなければ使うことはできないのだ。
サキにとってその予測は何よりも得意とするところだった。敵対した女が使う術が炎に関するものだと先視したサキは、このようなことを空に書いていた。
『Fire is born the south. So,it should return the south』(火は南で生まれる。なので、南に還るべきである)
これは陰陽道の術形態に則った呪文。
蒼い月を背にした女が自ら放った炎の鳥に襲われた。
「エリダヌス……アルちゃんを大切に…………」
女の声はそこで途絶え、炎が晴れたときにはそこに塵もなかった。
「あらあら……どうしますの、お兄様? まだ私と戦いますの?」
軽い口調でサキは問う。エリダヌスは、憤怒に声を濁らせて答える。
「当たり前だ! この〈月の子〉のエリダヌス。同士の無念を晴らさずに、退くことはない!」
雄叫び一つ、エリダヌスは己の足下に剣を突き立てた。
彼を中心に半径十メートルの床が一瞬で破砕した。砕けたコンクリートは粉体となり、煙幕のようにサキの周囲を覆った。
「――くだらない」
その煙幕の中ではもちろん視界が利かない。それに加え、バラバラとコンクリート片が落ちる音が聴覚を奪い、肌を叩く欠片が触覚も奪う。
エリダヌスの勝算はこうだ――いくらサキがこちらの攻撃を先視しようと、剣士である自分の方が彼が動くより早く攻撃できる。加えて、いま彼は感覚を奪われている。
サキの背後から斬りかかった。
が、彼の予測に反してサキは動いた。しかも、それは回避ではなく攻撃。上段に振りかぶったエリダヌスの胴を、サキは渾身の力で薙ぎ払った。
仰向けに倒れたところで、剣を握った右腕を足で押さえられた。右の肩口に、ひやりとする銃口が押し当てられた。
「この右腕、要りませんわよね?」
感情のないサキの声。引き金にかかって指に、くっと力が込められるのをエリダヌスは見た。
「あがぁあああああぁぁっぁぁ!」
銃声はなく、響いたのは肉の弾ける音。
エリダヌスの右腕が、主を離れて飛んでいく。右腕は根こそぎ無くなった。傷口は肺にまで達し、そこから覗くのは骨だけではなく、パイブのような大きな血管も断面を見せていた。
大量の出血。エリダヌスはほとんど即座に意識を失い、身体はぶるぶると震えはじめていた。
「あら……これでは死んでしまいますわ。――その前に、お話ししましょう」
サキは痙攣するエリダヌスの頭の上に膝をつき、彼の額に手を置いて脳に直接呼びかけた。
『選んで下さい。Die or Live ?』
返事はない。彼は、死を望もうとしていた。
サキは重ねて呼びかける。
『では、妹様はどうしましょう? そろそろ目が覚めて私がいないことに気付いている頃だと思いますが。――そうですね、あなたが死ぬのなら、あの子も後を追わせてあげましょう。それなら、誰も寂しがることもないですわね』
脳に直接する会話に、嘘は吐けない。サキは本気だった。
エリダヌスの意識が震えた。
『あなたにとって、何が一番大切なのですか?』
彼の意識は迷わず答えた。アル、と。
『ならば、誓いなさい。金輪際ツミさんと袂を分かち、妹様の傍でのみ生きると。少なくとも、妹様があなたを必要としている間は、共にいて上げるべきではありませんこと?』
彼は恥じ入り、謝罪をはじめた。すまない、その言葉は彼の関わったあらゆるものに向けられていた。
サキは立ち上がる。両手を組み合わせ集中し、眩い癒しの光を創りだした。
「さぁ、あなたの願いを未来へと繋げましょう」
*
アケルナルは暗闇の中、一人目を覚ました。
誰もいないデパートの寝具売り場、サキはどこへ行ってしまったのだろう。
――夢だったのかもしれない。
「兄さん……」
孤独感に抗うように、アケルナルは呟いた。
ベットから出る。自分がドレスを、それもなかなか可愛らしいものを身に着けていることに気付いた。
迷い子のお姫様、と彼女は自分を形容する。滑稽だと。
ふと、窓の外に目をやると空が白んでいた。昼の刻を奪われた終わるはずのない夜の街に、おとずれる優しい夜明け。硝子越しではなく直で見る為に、アケルナルは屋上へと向かった。
気がはやり、息を切らせて階段を登る。
屋上に出ると、やはり夜明けの薄桜の光が彼女を迎える。
太陽はまだ見えない。東から西にかけて、紅、珊瑚、白群、紺碧、藍、そして黒、美しいグラデーションの空。月が輝きを失い、星が一つ一つ消えていく様を、少女は息を詰めて見つめた。
じゃり、と砂の噛む音。振り向くと、そこにアケルナルの待ち焦がれた人物がいた。
「兄さん……!」 「アル!」
アケルナルは兄に駆け寄り、腰の少し上に抱きつく。兄は抱き返してこない、否、自分の身体に巻き付くのは左腕だけで、右腕はと言うと――
「兄さん、腕が……!」
エリダヌスは身体の右側に黒いボロ布を巻き付けているが、そこにあるべき厚みがなかった。それに気付いたアケルナルの顔に衝撃が走る。彼女の兄は、腰を屈め笑いかけ、頭を撫でた。
「心配は要らないよ、アル。俺は何ともない。お前のことは、左腕一本でも守っていけるから」
そう言って彼は妹を左腕で抱え上げ、東の空と向かい合った。日の出は進行していない、だがそこにあった。
曙光に照らされた兄の風貌は、すりきれた黒いズボンに裸の上半身といったものだった。その身体からは血のにおいがする。だが、それは戦の名残と言うべき痛みのにおいではなく、力強く脈動する命のにおいだと、アケルナルは思った。
「俺は一番大切なものに気付くまでにたくさんの時間を使ってしまった。たくさんの命を失わせてしまった。それらは取り戻せるものではないし、かといって俺が償いきれるものでもない。
でも、アル。お前が許してくれるのなら、これからはずっとお前の側にいたいと思う。これまでにあったすべての過去を捨てて、一からこの世界でお前と生きたい」
兄の横顔には、一切の悔恨がなかった。過去とのしがらみを斬り捨て、その上で過去と向き合う、そんな潔さが彼の顔で光っていた。
アケルナルに兄を罰する気持ちは欠片もなかった。それどころか、兄がそこまで自分に献身してくれることに後ろめたさを感じてさえいた。
だが、彼女はそんな気持ちを表現できるほど大人ではなかった。
「……ずっと一緒にいてね、兄さん」
幼い笑みの言葉。夜明けに照らされて、二つの顔が笑っていた。
**
輝く地平線を左手にサキは歩く。
「まもなくこの夜明けは終わり、また夜に戻ることでしょう。違いますか、ネガイ?」
だが、彼の傍らにその女性はいない。黒い散弾銃の銃床で、彼は頭を掻いた。
「寂しいものですわね、独りは。――ツミさん、あなたはどうなんですの?」
白い骨色の月に向かって独り言。そして彼はたゆまず歩き続けた。
〈月の子〉というのはそのまま星のことです。エリダヌスは、太陽神アポロンの子供が落ちた川の星座、アケルナルはエリダヌス座の中で一番明るい星らしいです。見たことはありません。
彼らの名前はツミから与えられたもので、前は別の名前でした。これからは、どんな名を名乗っていくのでしょうね。
……そう、実はツミ君の本名を考えていません。最終話に向かう為には必要な鍵だと思うんですが……。
次回からは予定を変えて、バトル全開で行こうと思います。アカはでますし、水と氷の二人も登場です。




