2・2「疑惑する孤独人形」
白いベッドの中、少女のような少年と、彼に抱かれる人形のような少女が眠っていた。
ここはある廃デパートの第六フロアー。電気の明かりはないが、漏れ入る月の明かりはある。
眠れる二人を微かな月明かりが照らしている。
ベッドの脇には黒い女性。ネガイという彼女は、ただ静かに立って眠れる二人を見下ろしている。しかし、その姿にを照らし出す光はない。闇に身を包み二人を見守るネガイ。その顔はいかなる感情も表にしていなかったが、彼女の雰囲気には別れを告げるような不可解な含みがあった。
ともあれ、それから二時間ほど経過してから二人は目を覚ますことになる。
「誰……?」
少女の第一声。
少女は起きてすぐに、自分が見知らぬ人間に添い寝されていることに気付いた。さらに、自分がパンツ一枚のみしか身にしていないことに気付き、まだ起き上がっていないサキからシーツを奪い、それに隠れるようにくるまった。
「あら……恐がらないで下さい。私はあなたに悪いことをするつもりはありませんわ。あなたが熱を出されて眠っていらしたので、私とネガイで看病さし上げていましたのよ」
彼の言葉を聞き、少女は自らの身を顧みた。なるほど確かに記憶の最後にある身体の熱っぽさが無くなっている。完全ではないにしろ、大分身体の調子も良くなっている。
――少女の身体に巣くっていた病魔を退けたのはネガイだった。‘闇’、その中に内包される‘災い’の概念を使い、ネガイは少女の病魔を打ち消したのだ。
少女の様子を見て、サキは満足に思った。彼はベッドの縁に腰掛け、少女に無用のおびえを与えぬ為に腕一本分の長さを取った。さらに、立ちつくしていたネガイにも座るように促した。
「私の顔が見えますか……見えませんわよね。――明かりを点けてよろしいですか?」
どうやって、と少女は疑問に思いつつ、とりあえず首を縦に振った。
「では……lighting」
三者のちょうど中心となる位置に、光の球が現れた。少女はすごいと思ったが、同時に驚くことではないとも思った。――少女は不可思議な力に対して見知りがあった。
明かりの中で少女はサキとネガイを観察した。サキは白い無地のTシャツに黒いスラックスという姿だった。ネガイは漆黒の留袖姿。サキは現の人間らしい姿をしているが、ネガイの格好は異質だと、少女は思った。
「眩しくありませんか?」
少女はかぶりを振った。
「では、まず服を着ませんか? その前に、体をお拭きしないといけませんが」
見知らぬ人間に身体を触られることを警戒したが、二人に害意はないと言うことを信じ、その提案を受け入れた。
少女が自ら身にまとっていたシーツを脱いだ。その時、少女は小さく震えた。
「寒いのですね。少し我慢してください。――ネガイ、頼みますわ」
ネガイは頷き、用意していたお湯の張った桶と薄紅のタオルを取り出した。
彼女が少女に近づくと、少女は怯えたようにびくりと身をすくませた。
「安心してください。ネガイは私の言いつけ以上のことはしませんから」
サキの言葉に、少女はぎこちなく頷いた。
少女の肌は垢に汚れていた。しかしネガイが身体を拭き終わると、その全身は真珠のような輝きを持っていることが明らかになった。自分の主人のそれに勝るとも劣らない物だ、とネガイは秘かに思った。
次に着衣。自身が治したものだが、少女がまだ病み上がりだということを考慮し、ネガイは少女の下着を厚めのものにした。その上から白と青のフリルが見事なドレスを着せつけた。
「済みました、サキ様」
ネガイは少女から一歩退き、上品に頭を下げた。
「どうですの? かわいらしくできました?」
「はい……良い仕事をさせて頂けたと思います」
ドレスの色は、少女のサマーグリーンの髪とフロスティブルーの瞳に合わせて選ばれたものだった。思惑通り、シアンのスカートと瞳の色は共に引き立てあい、白い背中にはサマーグリーンの髪がさらりと流れ、少女の愛らしさを一つの人形の如き完成度に持ち上げていた。
少女の表情にも微かながら喜びの色がある。可愛らしい装いをすることができたという、女性らしい喜びだった。サキはその表情を見ることはできなかったが、気配は逃さず感じていた。
「喜んでいただけたようですね」
サキの問いに、少女は顔を赤く染めしかし答える。
「はい……ありがとうございます」
ぱっとサキは破顔した。
「ふふ、それはなによりですわ。――少し、お腹が空きましたわね。ネガイ、用意はできてますか?」
ガスコンロで薬缶の水を湧かし、それでカップ焼きそばを作る。サキは味の濃い焼きそばが好きだった。
少女は前掛けをつけ焼きそばを食べている。ネガイも伴食していた。
「お口に合いますか?」
少女は焼きそばを頬張りながら無言で頷いた。
「お腹が空いていらしたのですね。でも、まだ病み上がりですから、あまり詰め込んではいけませんわよ」
とサキは言うが、少女の持っている容器の内容は既に減らされている。減らされた分は彼が食べているのだ。
程なくして三者はほぼ同時に食べ終えた。全員の容器をネガイが回収し、離れた場所にあるゴミ箱まで捨てに行った。
「現には便利な食べ物がある、そう思いませんこと? 数多くある現の保存食の中では、私はこのカップ焼きそばが一番気に入りましたわ。そう言えば、私は生の焼きそばを食べたことはありませんけど。――あなたの好きな食べ物は何ですか?」
質問されたことに、少女は少し目を見開いて反応した。他愛のない事柄だが、自分のことを話すことに少女は少し戸惑い、しかし邪気の無いサキの表情にある程度の警戒は解くことにした。
「――キドニーパイ」
それは腎臓を中身にしたパイ。イギリスの郷土料理だが、サキは全く知らなかった。けれどもその事を顔には出さず、曖昧に微笑して返答とした。
そして、問う。
「お名前をお聞きしてもよろしいですか? 私の名はサキ、そこの彼女はネガイと申します」
少女は顔を伏せ、上目遣いにサキを窺った。じっと、最大限の観察で彼を見る。そうして、少女はあることに気が付いた。
「お姉様、御目が見えてないのですか……?」
え? とサキは頓狂な声を出した。‘お姉様’。サキは始め堪えたが、しかし無理だった。その中性的な声で、彼は大笑いしはじめた。
「えぇ、えぇ、お兄様は目が不自由なんですの」
彼の哄笑に、少女は表情を凍らせてしまっていた。そこでようやく、サキは自制して笑いを収めることができた。
「……驚かせて申し訳ありません。そうですわね……現に来て大分声も低くなりましたし、そろそろ口調もふさわしいものにしないとほかの人に誤解ばかり与えてしまうかもしれませんわ……」
しゅん、と考え込む表情になったサキに、少女は恐る恐る尋ねた。
「その……サキさんは、男の方なんですか……?」
サキはほんの少し、さびしそうに微笑した。
「男性が怖いのですか?」
少女はさらに表情をこわばらせ、しかし重ねて問う。
「それで……」 「はい、目は見えません。ほとんど、視力がないのです」
少女の顔から感情が消えた。今、少女は心中で、自分が男性である事と盲目であること、その二つを秤にかけているのだろうとサキは推測した。そして彼はそれが差別的なものの考えだと思い、しかし少女もその事を多少なりとも感じていて、それ故に迷っているのだろうとも思った。
彼は問う。
「お名前を、教えてくださいまし」
ぎこちなく、少女の口が音を作った。
「私……アケルナル。今は、そう言います」
では、とサキは真剣な表情を作り少女アケルナルに告げた。
「アケルナル、私を信じるのはお止めなさい。私とネガイは近いうちにこの街を去ります。そう――今すぐにでも」
「――いや!」
アケルナルが高く叫んだ。そして、ためらいもなくサキの腕に抱きついて言う。
「行かないで……ください。…………私、寂しいんです。私、兄さんを待っていて……兄さんはなかなか帰ってこなくて…………私、病気して、誰かとご飯食べたのなんか久しぶりで、……その……」
断片的にたたみかけ、涙ぐみ始めるアケルナル。まだ下がりきってない病の熱を片腕に感じながら、サキはあいている手を彼女の頭に置いた。
「そう、寂しかったのですね。――人を信じるということは難しいことです。私たちを疑った事は人として当然の事ですから、お気にやむことはありませんよ。謝罪の言葉は、どうか胸の中にしまっておいてください」
サキはアケルナルのサマーグリーンの髪を撫でる。彼女は一瞬身をすくめたが、じっと彼に身をゆだねた。
「お兄様がいらっしゃるんですの?」
アケルナルが肯んじた。
「はい、兄さんは私にとってたった一人の家族で、私のそばにいてくれる唯一の人です。私たちの夢が、月の御方様に降着させられて見知っている人が現に散らばってしまっても、兄さんだけが私と一緒にいてくれたんです」
「今は、どちらにおられるのですか?」
一瞬、アケルナルは言葉に詰まった。それは現の人間にならとても聞かせられないような秘密だったからだ。サキは夢の人間のようだが、自分達とは立場が違う。しかし、彼の人格を信じ話してしまおうと、彼女は決心した。
「兄さんは……御方様の直属の部下〈月の子〉の一人として各地を廻っているんです。私は戦うことができないので、ここで兄さんの帰りを待って居るんです。兄さんは、一週間に一度帰ってきてくれます……」
一週間。しかし昼夜のないこの街で、その時はより長く感じられるだろう。幼い少女にとっては尚更のこと。サキは、そう心から同情した。
「いけないお方ですわ、こんな可愛らしい妹さんを一人にするなんて……」
サキの言葉に、アケルナルは激しくかぶりを振った。
「いいえ、兄さんは悪くありません! 私が戦うことを恐がったから、兄さんは一人で戦わなくちゃいけなくなったんです。寂しいのは、兄さんも同じです」
「……お優しいのですね。アケルナルちゃんは」
サキはそっと彼女を抱き寄せた。平たい胸に、アケルナルの小さな頭がもたれかかる。
「わかりました。こんな私達でよろしければ、お兄様が帰ってくるまでの間あなたの側にいましょう。――よろしいですね、ネガイ」
ネガイは黙って頷いた。
「……ごめんなさい。サキさんとネガイさんは行くところがありますのに」
「お構いなく。可愛い女の子と独りにするのは、滅すべき悪徳ですから」
サキの最後の言葉に、アケルナルは兄を思って反駁しようとした。しかし、サキが晴れやかに微笑すると、つられてアケルナルも笑い言葉を呑み込んでしまった。
*
アケルナルを腕に抱き再び就いた眠りの中で、サキは先視をした。
目を覚ました彼は、アケルナルを起こさないようネガイに睡眠術をかけさせ、そしてネガイを同伴してデパートの屋上へ行った。
屋上階は硝子に囲まれた部屋があり、その外にコンクリートの床と空があった。硝子の扉の向こうには、銀のマントに身を包んだ三人がいて、彼らはしきりに何かを話し合っているようだった。サキとネガイが近くに寄ると、ぎょっとして二人へ振り向いた。
唐突にサキは言う。
「アケルナルちゃんのお兄様はどちら様でしょうか?」
その問いに、三人はそれぞれ異なった反応を示した。呆れる者と同情する者、三人の内二人がそれで、その感情は最後の一人に向けられていた。そう、その者が――
「俺だ。アケルナルは俺の妹だ」
挑みかかるような口調と共に、声の主はフードをめくった。高校生くらいの、まだ少年と呼べる者。しかしその露わにされた顔は、妹と同様の造形美を持っていた。顔を包む、眺めの黒い艶やかな髪に、妹と同じフロスティブルーの瞳。鼻は高く美しい三角形をなしている。
サキはその顔を見ることはできない。だが、やはり似通った雰囲気を持っていることを感じていた。
「妹様を大切に思っていらっしゃるのでしたら、今すぐにそのマントを捨て戦うことをおやめなさい。――さもないと、痛い目にあってもらいますわ」
いつになく強い口調のサキ。虚ろな双眸は閉じられ、眉間にしわを寄せている。
対するアケルナルの兄もまた表情を硬くしていた。譲れない物を心に秘めた両者。彼らのにらみ合いはしばらく続いた。
「俺は、月の御方の下で世界を創り替える。この歪んだ世界を正し、争いのない安らかな世界にするんだ。――そうだ、俺は選ばれたんだ。全宇宙にたった八十八人しかいない月の子の一人に。その為に‘エリダヌス’という名も授かった。俺はエリダヌスだ! 誉れある〈月の子〉の一人として、戦いを止めるわけにはいかない!」
「妹様を孤独にしてもですか!? あの子は、この位街で一人きり、孤独から目を反らせないままあなたの帰りを待っている。ごはんを食べるときも一人。病気をしても、誰にも診て貰えない。……それが、どれだけのことかわかりますの? 私、怒っているのですよ!」
サキは叱責する。しかし、アケルナルの兄、エリダヌスもまた、沸々とした激情を胸に秘めていた。
「黙れ! 月の御方の寵愛を受けながら御方に背き、ついには男の身におとされた売女め。俺は妹を……アルを一時だって忘れたことはない。だが、今は為すべきことがある。いずれ、麗しき月の王国ができた黄昏には、この孤独も過去の記憶となり忘れられるだろう……。〈先視の娘〉よ、大局を見よ!」
「芝居がかった口調で、己の本音を隠そうとしているのですか………!?」
憤りを堪え噛みしめていたサキの唇から、血が一筋流れた。
「そうですか、よくわかりました。――その盲目さ、己が身で償いなさい」
サキはエリダヌスに背を向け、ネガイに向き直った。
焦点の定まらない天色の双眸で、サキはネガイを見る。まるで――そんなことは不可能なのだが――目を合わせようとするように。そしてネガイもまた、虚ろなサキの瞳をじっと覗き込んだ。
「ネガイ、人間を捨てる覚悟はできてますか?」
第二幕はあと一話です。ちょっと詰め込む感じになりそうです。(なら止めろよ……)
今回はサキが怒りましたね。今まで怒るのはアカぐらいでしたが。二人は少し似ているかもしれません。
あんまり日本神話の要素を出せません。楽しみにしている方、申し訳ありません。




