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your earth  作者: 白亜迩舞
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2・1「闇に沈む街」

これはボク、チヨとサキが再び会うまでの、二日前から一日前にかけて起きたこと。サキはこの話をまるで人ごとのように話した。ボクは、聞いたままにここに記す。



 蒼い月。

 月に従う銀の星々。

 満ちきった円かな月は、太陽の代わりをするかのように傲慢不遜な光で地上を照らしていた。

 小さく瞬く、星の光はそれに比ぶべくもない。しかし、青黒い空をびっしりと埋めつくした星々は、地上に立つものを威嚇する勢いがあった。


「雨は上がったようですわね、ネガイ」


 月光の漏れ入る廃ビルのエントランスに、二つの影があった。闇の中の影。一方は背丈が百五十センチメートルもない小柄な影で、もう一方の背丈はそれより頭一つ高く日本人であれば標準といえるものだった。

「はい、サキ様。雲一つ無い夜空で御座います」

 低い声――男性であれば標準であろうが、口調に男性的な要素はなかった。黒い空間に溶け入るような、上品なアルト・ボイスであった。

「……では、少し外を歩くことにいたしましょう」

 はじめの問いの声と同じ、中性的な声。推断するにはこの声の主が‘サキ’なのであろう。

 闇の中では小柄な影が動き始めた。エントランスの硬い床を歩く、叩くような澄んだ音が響く。その影は月光の密な入り口の方へ進んでいく。


「あぁ……綺麗な光ですわね」


 サキの声が言い、続けて吐息する。恍惚ともらされた溜息は、しかし自動ドアの立てた鈍い駆動音にかき消された。

 月下に現れた小柄な人間。蒼い光の中で、その者の髪と肌は蒼白く照らされる。おそらく本来は雪のような純白を持つのだろう。月を見上げる、円らな眼の憂いのこもった瞳は天色。顔立ちは、輪郭が丸めの曲線を描いており、鼻が小さめで慎ましやかで、全体的に雅やかな趣がある。黒いスーツに身を包んだ全身は痩躯で、一見すれば男性と見えるが立ち姿には女性的な雰囲気がある。


 ――ひょう、と音を鳴らす夜風。


 風に押され、白い髪の者がよろめく。すると、その者に続いてドアをくぐった者が、肩を背後から支えた。

「サキ様、お気をつけ下さい。天候が変われば風は動きまするゆえ」

 サキと呼ばれた白い髪の者。サキは、もう、と声を鳴らしては背後の者を顧みた。

「そういった過保護はもうおやめなさいと、これまでも言ってますわよね、ネガイ? わたくしは男性の身、そしてここは戦場いくさば、守られるだけでは駄目なのですから」

 自らを男性と主張したサキ。彼の言葉の最後は、ほんの僅かだけ自らに言い聞かせる調子があった。

「申し訳ありません、サキ様。以後、注意します」

 ネガイ、と呼ばれたもう一方の人間は、サキに謝罪して一歩退いた。

 ネガイは女性であるようだった。胸に豊かな脹らみがある。背の中程まで伸ばされた黒髪、黒い髪、そして褐色と呼べる濃い色の肌。加えて漆黒の留袖を纏っている。『闇』――彼女を形容するに、その一文字以外の言葉はすべて不相応だった。



「ネガイ。私、一つ思うことがありますの」



 サキが月を仰ぎ見ながら言った。だが、彼は月の円な形を見ているわけではない。視力のない彼は、蒼い月光のみを感じられる。

 ネガイは「何で御座いましょう?」と言おうとした。しかし、その時‘あること’が彼女の意識を惹きつけ、現実に彼女の口から言葉を出ることを遮った。

「――ネガイ?」

 相槌のないことを訝しんだサキがネガイを見た。

 ネガイは彼とは別の想いを込めた視線で空を仰ぎ見ている――否、彼女の視線は立ち並ぶビルの稜線をなぞっていた。

「サキ様。あなた様は先程、御自分は戦場にいると、そう仰いましたか?」

「はい、ネガイ。――何か起きまして?」

 サキの問いに、ネガイは肯定の意を示す。

 ビルの頂点に人影が現れた。一つ、二つ、三つ……両の手指では足りない、幾つもの影。

 サキはそれを見て、ふっと笑みを零した。

「よろしいでしょう。では、今の問いは彼らに答えて頂くとしましょう」



 *


 二人の周囲、五十メートル前後から着地音が聞こえた。

 音の数と、じっとこちらを窺う気配からサキは推測する。

「お客様の数は二十……二十三ですか? ちょっと手間がかかりそうですね」

 サキと背中合わせになったネガイが答える。

「そのとおりです。敵勢力は総数二十三、すべて異形であります」

「異形が二十三……」

 異形――人や動物、命あるものとはまったく異質の存在。破壊と殺戮のみを知る、宇宙の凶児。

 風が動いた。

 異形たちが走り出す。まずは五体。稲妻のような速さで二人へ肉薄する。

 戦いが動き始めたことに二人は動揺しない。サキは黒いスーツ、ネガイは喪服。おおよそ戦う者のなりではないが、二人は戦いを知っているようだった。

 サキが流れるような静かな動作で、左腕をまっすぐ上げた。重力に従い、左腕の袖が落ち、彼の白い肌が露になる。

「spread……shining impulse」

 露出された肌が光を放った。その光は衝撃となり、向かってきた五体の異形の出先をくじいた。


「ひとつ、お聞きしたいことがありますの」


 腕を下ろし、袖を直したサキが言った。戦いは終わったわけではなく、光の衝撃に打たれた五体の異形もすでに姿勢を取り直し終えている。だがサキはその流れを無視したように何の構えも取ることなく問いかけを始めた。


「あなた方は、この月がお好きですか?」


 五体の異形は答えない、もちろんのことだ。再び稲妻の速さを取り戻した彼らは、サキの十メートル手前で空へ躍り上がった。


「この月は美しいですわよね……わたくしは目が不自由なのですが、それでも感じられますわ、蒼く澄み切った眩いほどの光を」


 そう、サキは目が不自由なのだ。けれどもなぜ、彼はこんなにも余裕綽々なのだろうか。

 月光に異形の姿が露になる。その姿は――醜い。青黒い爛れてぬめった肌。紫の一つ目。赤い針のような爪。尻には長く黒い毛を生やし、その下の二本足は鳥のそれに似ている。

 跳躍した異形たちが落下を始める。落下点はサキだ。

 ――ネガイの姿がない。

 異形たちの姿が暗黒に飲まれた。唐突に彼らの姿は見えなくなり、一秒の後に同様の唐突さで彼らの姿が現れた。しかし、その身体に四肢と首はなかった。

 サキの足元に五体の屍が落ちた。出血は不自然に少ないが、落下の勢いでわずかな体液がサキの白い頬を汚した。

「……もう。ネガイ? できるのならもっときれいな方法で戦ってくださいな」

「申し訳ありません」

 月光が作るサキの影から、ネガイが湧き出るように現れた。彼女はそでから白い布を取り出し、サキの頬の穢れをふき取った。

 穢れのなくなった頬で、彼は少し笑った。そして、新たに動き出した八の気配を、その風の動きを肌で感じながら、彼は唱えた。

「come on, defensive light」

 サキの周囲に八つの光の球が出現する。

 そこへ異形が突撃した。

 光球が高速で動き出し、一つ一つが異形の頭部を貫く。すると、しわだらけの頭部は西瓜のように弾け、青紫の脳漿を撒き散らした。


「……でも、わたくし、あの月を好きになれませんわ。何故なら、あの月は――私の物ではありませんから」


 果たして、今度はサキに異形達の体液がかかることはなかった。

 敵はまだ十いる。

 新たな二体が姿勢を低く走り寄ってくる。また、彼らを闇が包んだ。

 一瞬。

 闇が晴れたあとも異形の姿に変化はなかった。しかし、よく見れば彼らの顔からは紫の一つ目が消えている。――もしその眼下を覗きこむ者がいたならば、その者は虚ろとなった頭部の内側を見ることになるだろう。


「あなた方はどうお思いですの? あの月はあなた方の内、誰か一人だけの物ではありません。それでも、あなた方はあの月を好きでいられますの?――三十秒の制限時間を設けさせていただきます。過ぎれば……死んでいただきますわ」


 サキが両手を天に掲げる。手と手の間に赤い光の球が生まれ、それはゆるやかにサキの頭上十メートル程まで上昇した。

「microwave oven……Count down, start!」

 残り八体。彼らは身の危険を本能で感じ取り、しゃにむにサキとネガイを目指して駆けだした。


 サキの頭上にある赤い光。そこから発せられているのはマイクロウェイブ電子レンジ(オーブン)の中で発せられる電磁波の一つだ。電磁波は光、光を操ることのできるサキは、可視光だけではなく赤より波長の長い光も操ることができるのだ。

 一帯を強力なマイクロ波が照らしている。サキとネガイはもちろん照射の外にいるわけだが、中にいるものは避けようのない過熱状態にある。生体なら、体液が沸騰して破裂死する可能性が高い。


 異形の爪牙がサキの姿を通過した。しかし、それは幻。聴覚と触覚、そして先視の能力を最大限に活かし、彼は異形達の攻撃をかわす。

 彼は自らの軌道に残像を残し、異形を惑わす。その光景は、まさしく光との輪舞だ。

「鬼さんこちら。ふふふ♪」

 サキに習ってネガイも異形達を攻撃しない。わざと姿を現したまま、質量を伴った闇の流れで敵を吹き飛ばしてはまた引き寄せていた。


「あと十秒ですわ。はやくお答え下さいな」


 異形達の動きが少しずつ緩慢になってきた。マイクロ波を浴びていることで、体温が異常に上がり続けているからだ。

「五・四・三・二・一 ――はい、では、boil! 」

 サキの言葉を合図に、異形達の体液が沸騰をはじめた。頭部を始め、首、胸、足、血液の多い場所がほぼ一斉に弾けた。

 水風船を割るようだった。飛び散らされた体液、内臓の欠片からは、温かなしかし不快なにおいのする湯気が立ち上っていた。


「残念ですわ……色々な意味で」


 足についてしまった体液をハンカチで拭いながら、心底残念そうに彼は言った。


 *


「もう一つ、質問はありますのよ」

 光のないスーパーマーケットの中で、ネガイを伴い歩くサキは言った。二人が歩くのは食品売り場。冷却能力を失った保存機の前を過ぎ去り、二人は缶詰やレトルト食品といった保存食の類を集めている。目の不自由なサキに闇を属性とするネガイ、二人とも光がなくとも何不自由ない様子だ。

「ネガイ、先ほどあなたは‘夜空’という表現を使いましたわよね? 昼の刻を奪われたこの町で、‘夜’という概念は存在しうるものなのですの?」

 自分ならどうするのか、そんなことは一切棚に上げたような一方的な質問。


 問いかけながらもサキは食料を拾う。それは気のおもむくままといった様子で、自分が拾った量を鑑みる様子はない。そして持つのは一切がネガイの役目。どれだけかごの中身が重くなろうと、サキにつき従う彼女。だが、彼女のほうにこのことを不満にする様子もない。――ネガイは下僕で、主人がサキなのだ。


「はい、確かにこの街にはもはや‘昼’という概念はありません。サキ様と私がこの街に滞在している七日の間、一度も日の光がこの街を照らすことはありませんでした。しかし、私達は昼を忘れたわけではありませんし、この街の住民となったわけでもありません。ですから、昼の概念が失われたというこの街の則に、私達が従う必要もないかと判断します」


 サキはその答えに何も言わなかった。声も立てずに、にこりと一人笑い、足を進めスーパーマーケットを後にした。


 二人の姿はいったん月下を歩き、次に衣料品店へと入った。

 洗濯能力のない――その気もない――二人は、下着を拾っては捨て拾っては捨てとその繰り返しをしていた。今度も、まったくそのためにやってきた。

「そういえばもう一週間になりますのね、この街に来てから。いいかげん、キズオトちゃんに会うために動き出す頃合ですわね」


 天戸の宅(あまとのやね)を去りうつつに来た二人は、すぐにこの街にたどり着きそれから動いていなかった。それはひとえにチヨを待つためだったが……

「思ったより遅いのですもの、チヨは。――本当に、先の見えない未来を待つというのは、こんなにも焦がれるものでしたのね」

 嘆息。

 かつてサキの性別が女であったときは、その先視の力は的確に近い未来を予見し、時には断片的ではあれ十年先まで見通すほどであった。しかしツミによって男性の身体に変えられて以来、どれだけ意識をトバそうとも、半日先を見るのがやっとだった。

「まぁ、なくしたものを悔やんでも仕方ありませんわ。代わりに、健康を得られましたもの」


 ――ツミさんの仰ったとおりでしたわ。


 彼は声に出さずにそう胸の中で言った。まるで、大切なものを箱に入れたままそっと覗くかのように。

 そして気がつけば、物思いに耽ったせいか足も手も止まっていた。背後のネガイも、彼の影法師のように動きを止めていた。


「私ったら……――あら? 生きた人のにおいがしますわね」


 ‘生きた人’というのは、‘異形ではない’という意味である。

 サキは猫並みの嗅覚を持っているわけではない。しかし視覚の代わりに強化された嗅覚は、何らかの原因で人間が強い体臭を放ち始めたときには、離れていようともそれを嗅ぎ取ることはできる。そして今は――

「これは……病気の方? ネガイ、誰かいますか?」

 闇の中では特殊な知覚能力を発揮できるネガイに、サキは問う。

「――はい、発見しました。幼い少女が一人、ここより南十メートルの位置にある試着室の中で眠っています。体温の過剰上昇を感じます」

 気配のするほうへサキは進む。ネガイはその後に従う。

 試着室のカーテンを開くと、そこにまず布の山があり、内部に少女が丸くなって眠っていた。悪寒に身を震わせている。

 サキは少女を覆う衣類をどけた。そして彼は少女の顔に手を伸ばし、遠慮する様子もなく、その造形を確かめるために撫で回した。

「まぁ、なんてかわいらしい女の子」

 触覚で感じた少女の面立ちは、日本人のものとは異なっていた。すらりとした鼻梁、全体に彫りが深い。しかし輪郭は愛らしい曲線を持っており、まるで人形のような可憐な顔だった。

 顔をなでられた感覚が少女の意識を覚醒させた。開かれた眼は、半開きながらもすばらしい大きさを持っていた。


「――誰?」 小鳥のような声が、眠そうに小さく問う。


「お邪魔してしまいましたか? わたくしはサキと申します。故あってこの街にしばらくとどまり、しかし明日ぐらいには出立しようと考えていた者です。あなたに危害を加える意思はありません」

 そう、サキはあやしつけるように囁いた。その甘い声音に、熱に浮かされた少女の意識はずるずると眠りの中へと帰って行った。

「どうやら、あまりよくない感じですわね。ここは一つ、この街を去る前に私たちで看病さしあげることにしましょう。良いですわね、ネガイ?」

 彼の下僕は反論しなかった。

 では、とサキは少女を両腕に抱き上げ言った。

「私とこの子は、きれいなダブルベットを探してそこで一眠りします。ネガイはこの子の服を探してきてください。なるべく、かわいらしいものにしてくださいね」

 楽しげなサキ。彼は腕の中の少女の頬に唇を当てた。

 ぷるん、と少女の頬はやわらかい弾性を持って彼の唇を押し返した。



『my moon』の時も第二幕はサキとネガイがテーマでした。

いきなり活躍してますね、サキは。彼は英語を話せます。ですが、スペリングがあっているかどうか不安です。

皆さん、電子レンジの原理は御存知でしょうか?

マイクロ波も光も、波長が違うだけでみんな同じ電磁波です。つまりサキは光ではなく電磁波を使うのです。その気になればラジオ放送もするかも知れません。


久しぶりに三人称で書きました。言葉遣いが変だったらご指摘お願いします。

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