1・4「初めての殺し合い」
蒼い月はボクらを、この夜空の下にあるすべてのものを見下していた。
冷たい、とても偉ぶった感じ。腕に抱えた優見の身体が流す赤いぬくもりを感じながら、ボクは月に叫んだ。
「――どうして? どうしてみんなを傷つけるの、ご主人様。そんなことをしても誰も喜ばない、ご主人様は嫌われるだけ。なのに……」
天上から目を降ろすと、目の前の地面にご主人様が立っていた。
「――!?」
別れたときと同じ、女の子っぽさのある優しい顔立ち。甘い琥珀の瞳。髪が白く、見慣れない青い蓮の花が描かれた白い着物を着てる。おまけに目の前の姿は現実のものじゃなく、光の作る幻だった。
けど、その人はボクのよく知る‘ご主人様’だった。
「チヨ、久しぶりだね。ずっと会いたかったよ」
「ご主人様……!」
ご主人様の手がボクの頭に触れる。幻の手でも撫でられる感触があって、覚えず喉がごろごろと鳴りだした。
「‘ご主人様’、か。君は僕をそんなふうに呼んでいたんだ」
「うん……」
わけもなく嬉しくて、ボクはただご主人様が頭を撫でてくれるに任せていた。
「相変わらず可愛いよ。女の子の姿になっても、君の愛らしさに変わりはない。――本当は肉の身体で来たかったんだけどね、忙しいんだ。だから、焦らさずに君の問いに答えてあげる」
ずしり、と心に重いものを感じた。顔を上げてご主人様の顔を見ることができないで、ただボクは彼の話すのを聞いた。
「僕はね、みんなに教えてあげているんだよ。悲嘆や慟哭、憎悪や悔恨というものを。それはすべてかつて夢に住んでいた者達が味わったもの。こんどは現の者達に教えてあげる。そうして、悪夢によって世界を平らなものにしたいんだ。――僕が王になる為に」
木陰のような優しい声で、ご主人様は言った。
「王、さま……?」
「そう、僕は月の照らす千年王国の統治者となる。誰も傷つかない、眠るように安らかな国を築くんだ。この動乱は、そのための通過儀礼なんだ」
誇らしげに言うご主人様。ボクも、それに無条件で賛成したかった。でも、ボクの考えることのできる心が、それを必死に否定していた。
「そんなの……ダメだよ。ずるいし、間違ってる。ご主人様はみんなを恐がらせて言うことを聞かせるの? そんなの、変だよ!」
ボクはご主人様の目をしっかり仰ぎ見た。彼は、ボクの視線を受けて寂しそうに笑った。
「では、君ならどうする、チヨ? 君なら、平和な世界を創る為に何ができる?」
ボクは答えられなかった。
ご主人様はボクに背中を向け、肩越しにボクに言った。
「ボクの可愛い猫。今夜は君に、戦うことを、殺し合うことを教えてあげる。――答えを探し旅をする為に、戦うことは必要だから
これから、あの三人と戦うんだ。そこの女の子、乾・優見の命を賭けて。もし、君が彼らの命を奪ったら、その対価に彼女の命を助けてあげる」
そこで、ご主人様の姿がふっと消えた。
ボクの‘敵’――戦うべき三人は、ボクとご主人様が話している間、ずっとひざを折り頭をたれてご主人様に従順をあらわしていた。
やがて立ち上がった三人が口々に言う。
「なんと美しく、泰然としていらっしゃるのでしょう……」
「今宵の月もまた冴えわたっている。我らは、この蒼き月下にいられることを至福と思う」
一人がフードの中から、白く不気味に光る両目をこっちに向けた。その人は野太い声でボクに話しかける。
「聞いたな、〈月に愛されし四つ足の子〉よ。我らは今より命の奪い合いを始める。規則はない。あるとすれば、その無力な娘を傷つけてはならんということ。われらの戦いが始まれば、その娘は月光の盾で守護されるだろう。――何も心配はいらんよ」
にやり、と歪んだのは墨みたいに黒い口だった。
ボクは断じて殺し合いなんてしたくなかった。でも――
「構えよ……!」
――何とかしてみよう。
三人からは威圧するような恐怖を感じる。全身が粟立って、今にも逃げ出したい気分になる。この身体が人間のものじゃなかったら、優見という守るものがなかったら、ボクはきっとそうしていた。
けど、今は何とかするしかない。だれも殺さず、ボクが勝利するために。目の前の人たちはご主人様みたいな術を使うかもしれないけど、この身体の運動能力なら避けられるはず。隙を突いて、あの人たちを抑えつける……
「じゃあ、まずは私から……」
声からして女の人、そうさっき優見を撃った人だ。一番小柄なその人が、マントから抜き出した手をこっちに向けた。
「来たれ、星数の矢!」
――よけなくちゃ!
考えるよりも早く、身体が左に動いた。
避けた直後には、ボクの立っていた場所はアスファルトが砕かれて滅茶苦茶になってた。優見の周囲だけは、円く守られて無傷だった。
小柄なマントの人は、片手から光の洪水を出し続け、それでボクを討とうとしていた。ボクはその人を中心に円に走って逃げ、隙を窺う。
「そろそろ……」
だん、と地面を鳴らして蹴り、進む方向を垂直に曲げる。距離は十五メートルくらい。できる限りの速さで彼らに走り寄る。
「阻め」
若い男の人の声が聞こえた。それと同時に、急に足が重くなった。
その人とは別の、大柄なマントの人が大きな槌を振り上げた。
「砕けろ――すべて!」
ボクに向かって槌は振り下ろされる。急ブレーキをかけ、ボクは慌ててバックステップする。
地面にめり込む槌。その瞬間、ボクの目の前が弾けた。
「うあぁぁぁぁぁぁぁ!」
受け身を取れずに、三十メートルくらい吹き飛ばされた。激しい痛みを全身に感じた。アスファルトを剥がされたむき出しの砂利の上で、ボクは身動きができなくなった。
「無謀だな、〈月に愛されし四つ足の子〉。力を使わず、その身のみで挑みかかるとは。――さぁ、選ぶがよい。そのまま伏して死を待つか、立って我らの喉笛に食らいつくか」
――ボクは優見を守らなきゃ。
ご主人様を止めなくちゃいけない。ボクは、死ぬわけにはいかない。
「――死にたくない!」
ズ……ン!
ボクの叫びに応え、地面が跳ねた。
「おい、すごい量の神秘霊力が動き始めたぞ!」若い男の人の声が、焦った感じで叫んだ。
ボクは感じる。身体中に傷があり、熱い血が流れてくことを。傷に入り込んで疼かせる土や砂が、ボクに力の使い方を教えてくれる。
「『黒き牙……母なる大地……』、食べられろ!」
せりあがった岩の角が、三人を包囲した。
「く……守れ!」
突き出された岩の角を、見えない壁が砕いて阻む。
けど、その時にはボクは動き出していた。右手に何十キログラムもの土砂を纏わせて、彼らに突っ込む。
「退け!」
「――潰れちゃえ!」
ボクの手の土砂と槌が激突する。衝突の刹那、ボクは土砂の重さを解き放つ。十キログラムほどの槌は大量の土砂に飲まれ、地面に落ちて埋もれた。
「ハァッ!」
左手を猫のものに変化させる。爪を振るいながら彼らの間を走り抜けると、人間の柔らかい肉を引き裂き骨を断ちきった感触がした。
「うぐあああぁぁぁ!」
絶叫したのは若い男の声の人。彼のマントの左側は大きく裂かれ、足下に左手が落ちている。バタバタと、血が地面を打った。
濃密な血のにおい。ボクの意識は高揚し、鋭くなった目が落ちた左手の断面を凝視していた。
食べたい。
愉しい。
戦い。
――ダメだ!
このまま頃し合いをしたら、ご主人様と同じになってしまう。ボクは、ご主人様に酷いことを止めて欲しくて戦ってるんだ。だから、彼と同じことをするわけにはいかない。
「お願い、大地よ。ボクらに道を教えて。みんなが幸せになれる道を……!」
ボクは心を鎮め、一心に祈った。
応えはすぐにあった。ボクを包んでいた、激しい火山のような力が消え、かわりに雨上がりの泥濘みたいなやわらかさがボクを包んだ。そして、それは癒しの波となって周りにも広がりはじめた。
「傷が……腕が!」
大地の慈しみの波動は、ボクの周りにあるすべてを癒しはじめる。折られた木、燃えた花、地面に横たわる優見からマントの三人まで、分け隔てなく。ほどなくして、みんな破れた服さえ治されていた。
「これで……これで、ボクらが殺し合う必要はないよ」
「――甘っちょろいことを!」
野太い声の人が猛り、槌を失くした手で拳を作って走ってくる。その拳にも砕きの力がこもっている。下手に受ければ危ない。
戦いを終わらせる方法、ボクは答えを求めて足下の大地に意識を向けた。目を閉じ、軽く開いた両脚の裏をしっかり地面につけ、心の耳を澄ます。
「『六(陸)式封印術。眠れ、大いなる地の腕に抱かれ!』」
ズン、と周囲の空気が重くなる。重力がここだけ強くなったんだ。そして――
「来たれ星数の矢――? しまった、術が発動しない」
地の気脈をボクが抑えたから、ボク以外誰も神秘霊力を使う術が使えなくなった。
ボクは三人に求める。
「ここはもうボクの勝ちだよ。あなた達はもう帰って。――できれば、もう二度とご主人様のお手伝いなんてしないで」
ふざけるな! ボクの求めははねつけられた。
「月の御方より離れろと言うのか! 御方の元で争いない世界を作るのは我らが悲願。我らがこれまで負ってきた苦しみ、知らぬお前がほざくな!」
「……ボクは、知ってるよ」なぜなら、大地が伝えてくれるから。
でも、それじゃダメなんだ。痛みを知ったから、他の人にも味わわせるなんて、絶対に間違ってる!
「みんな少し休も? 疲れて、ちゃんと考えられなくなってる。だから――『石化!』」
想いをふりしぼって、ボクは彼らが足を留め休むことを願った。
*
三人が真っ黒い石像になったのを確認して、ボクは優見の方を見た。傷の癒えた優見は、既に立ち上がって服の埃をはたいてた。
「――チヨ、髪が黒くなってる」ボクを見た優見が言った。
「うん……大地の力を使えるようになったからだよ」
髪だけじゃない、全身の毛が黒く、豊壌な土の色になった。瞳の色もやわらかな木の葉色になってることを力で鏡を作って確認した。
「優見、どこか痛いところはない?」
ボクがそう尋ねると、優見はほほえみと一緒にゆるゆると首を横に振った。
「大丈夫、チヨが治してくれたから。――感じたよ、チヨがみんなを大切にする‘想い’を」
そして優見は月を見上げた。月は優しい鬱金色だった。
冷たい夜風が、スッと駆け抜ける。
「私ね、ずっと寂しかった。大切な人がみんないなくなって、どうしたらいいかわからなくなってた。あの変な奴らに囲まれて、もう死んでもいいかなって考えたとき、チヨに会ったの」
優見が、月の下で告白していた。
「真っ暗だった私の日々に、チヨは差し込んだ一筋の光のようだった。その光を憎く思った瞬間もあった。でも……たった一日のつきあいだったのに、どうしてだろう? チヨのことを、こんなにも身近に感じるなんて」
優見と目があった。くもりのない黒瑪瑙の瞳から、光が一粒落ちた。
「行くのね、チヨ。私を置いて」
「――うん」
ボクの返事は涙声だった。次々と溢れ出した涙で目の前が歪んで、優見が近づいてくるのも見えなかった。
細い指がボクの目の下をなぞって涙をすくった。
「チヨ、約束して。――全部終わったら、また会いに来てくれるって。それまで、私待ってるから。また、学校に行って、新しい友達作って一人じゃなくなるから」
優見は泣いているのかな? 自分の涙で、ボクは何も見ることができない。
ボクの目にハンカチが当てられた。
「ほら、涙を拭いて。泣きっぱなしじゃ、話もできないわ」
ようやく晴れた視界の中、優見は笑ってた。赤い目をしていたけど、満面の笑みで、ボクを見上げてた。
「そのハンカチはあげる。……あと、お金もあげるね。あんまりないから無駄遣いしないように、でもけちけちして浮浪者みたいになってもダメだからね」
ボクは受け取ることしかできない。それは、優見に会った瞬間からそうだった。彼女の身を守ることはできても、ボクはそれ以上何もできない。
だから、ボクは約束する。
「わかったよ。全部終わったら、絶対に会いに来るから」
そう言うと、優見は笑って頷いてくれた。その笑顔はまるで、春に咲く桜草のようだった。
そしてボクは歩き出す。優見から離れ、サキに会い戦いをはじめる為に。
大地が、地球が回る。運命も同じ。でもボクは独りじゃない。――だから、迷わずに歩き出せる。
プリムローズの花言葉は『私を信じて』です。決して『はじまり』とかではありません。しかし、‘プリ (プリム)’は‘一番’を表す前置詞なのですから始まりでも悪くないと思います。
今回はそこそこ泣いてくれましたね。どうやら、私の小説の登場人物は死別よりも生別を悲しむ傾向がありそうです。みなさまはどうですか?
これで第一幕はお終いです。第二幕はサキとネガイをメインにした話です。ちなみに、第三幕はアカがメインです。
感想をお待ちしております。




