終幕
“大戦”から十六年が過ぎた。
かつて現と呼ばれ、戦乱と惰眠、貧困と飽和、矛盾した安定を持っていた世界は今やその安定を失い、日々変化し続けるようになっていた。
まず、“力”が活性化した。
古代には魔術や錬金術とされていた力。近代に入り科学によって駆逐された力だったが、夢の混和により再び人々の間にそれは広まった。
物質に頼らず、感情のままに使うことのできる意志の力。それはまず戦争に利用されようとしたが、すぐに止められた。
力には意思があった。
戦うこと、他者を傷つけることよりも、他者に恵みをもたらすことに力は強く働いた。田畑を焼くより、田畑を広げ実りを豊かにすることに、その力は反応したのだ。誰にでも使える力だったが、邪な思いには応えなかった。力は常に、善を為すように発現した。
次に、“人間”が変わり始めた。
大戦の後に生まれた子供達は、親の持つものを部分的に否定し始めた。
髪の色が違ったり、肌の色が違ったりした。ある子供は言葉を覚えなかった。ある子供は風俗慣習をまったく無視して育った。
そして子供達は“力”が強かった。大人たちが暴力を振るい無理強いをすれば、すぐさま反撃できた。
無秩序のようだが、次世代の人間は親から学ばずとも世界から学び始めていた。変わりゆく世界、古い人間は戸惑ったり絶望したりもしたが、次世代は世界と語らいながら、希望を持ち健やかに育っていた。
そして、戦後は終わった。混乱の中からも秩序は芽生え、平穏と呼べるものが見え始めていた。
◆
「では行ってきますね、千代。帰りはいつもどおりに」
「うん、行ってらっしゃい後介。お仕事がんばってね」
一軒家の並ぶ、平凡な住宅地。
守宮・千代とその夫後介。チヨ、サキ、君達はごく普通の夫婦として暮らしている。
容姿の違いは始めだけ異様に見られはしたものの、今では町内会一のおしどり夫婦として名を馳せている。
アスファルトの砕けた道の上を自転車で走り、後介ことサキは仕事に通う。
その背中を見送り、チヨ、君は一度家の中に入る。
少しして、また守宮家の扉は開かれる。今度は、君と四人の子供が出てくる。
「行ってまいります、お母様」
まず言葉を発するのは守宮家の長女、初音。十三歳の初音はとても落ち着いた雰囲気を持っている。
「いって……きます……」
次いで眠そうに言う長男、夕霧。初音とは二歳離れている夕霧は、君譲りの尻尾を地面に垂らしている。
「行って」「行って」「きます」「きます!」
ちょっと気の合わない声。次男と次女は双子で、それぞれと真木と若菜という。夕霧からさらに二歳離れている。父親似の同じ顔を同じように輝かせて、同じ猫の耳をぱたぱたしている二人。だけど、真木の髪は綿のように白く、若菜の髪は炎のように赫いのはなぜかな?
「行ってらっしゃい。遅くならないで帰ってくるのよ」
姉を先頭に、連なって登校する四人の子供たち。それを見送る君。
妻となり、母となったね、チヨ。――いや、今は“千代”か。
今、君は幸せだ。
それでいい。世界には確実に、希望と幸福が存在しているのだから。
君の子供達を追うことにしよう。
◆
子供達は一時間ほど歩く。この時代、もはや電車や自動車でセカセカ通う者は遅れている。
野を横切り、草木のなかを通る。木々に間には妖精たちが遊んでいる。少し抉れた地面には、古い機械達が朽ちる時を待っている。
やがて到着する、新成第一学園。日本に八つある新成学園は次世代の人間の教育を旨とする学園。帰化した夢の大人たちが教師や事務員を務めているのが特徴の一つだ。
学園長は――あぁ、そこにいるね。
「おはよう、初音ちゃん、夕君、若菜ちゃん、真木君」
玄関の前に立ち、そう声をかける君の名前、今は水瓶宮・沙波と名乗っているんだっけ。
戦後、各地に散らばっていた〈月の子〉を集めていた君は、その中で子供達にふさわしい教育が為されていないことに気がついた。そして日本政府や、超科学に対処する国際組織〈SEME〉と掛け合って、この学園をつくることを決めた。
守宮の二代目達は一通り君に挨拶する。その愛らしい様子に君は相好を崩す。
「ねぇ小母さん、歩は?」
そう問うのは小学部二年の真木。
歩とは君の息子。同い年の真木とは仲が良いんだよね。
「歩は教室にいるはずよ」
君がそう告げると、真木は他の兄弟に先んじて行ってしまった。
明確な登校時間はないので、それから一時間、まったく生徒が来なくなるまで君は玄関の前に立ち続けた。
それから自分の仕事場である、学園長室に入る。
「学園長、電話で伝言があります」
水晶のような青い瞳が美しい君の秘書。彼女も夢から帰化した人間だ。
「何かしら、アケルナル」
「えっと相川様からで、明日会いにいらっしゃるとのことです」
相川・千風。今は〈SEME〉の特殊エージェントとして各地を回っている。
「そう……久しぶりに日本に帰ってきたのね、あの子は」
椅子にすわり、窓の外を見やる。
そうして君は、三十過ぎても未だ少女みたいな彼女のことを思う。
◆
「相川・千風。職場で、私用での電話は控えろ」
「――久しぶりに会ったら、いきなり小言? 名塚・鷲累」
旧漆黒委員会、今は〈SEME〉B部署、日本支部のオフィスに緊張が走る。
千風、君は名塚氏とライバルのような関係になっている。顔を合わせれば言葉を戦わせ、剣を合わせれば火花を散らさではいられない。
「小言ではない。組織の規範を示すのは必要なことだ」
「あ、そうなの? でも今のは新成学園の学園長との連絡だから、あながち悪いってこともないよね」
「おやおや何ですか? 朝から騒がしいですね」
守宮・後介の登場。普通の会社員の如く通勤する君は、実際はこんなところで働いている。
後介と千風は互いを認め合い、笑みを交わす。まさしく旧友といった様子だ。
「久しぶり、後介。子供達は元気?」
「えぇ、千風さんがいない間に、下の双子も学校に入ったのですよ。――そういえば、あなたまだ独り身なんですか?」
千風、君は恋人も作らず旅を続けている。……その理由は、ここで探る必要もないけど。
それを言及されると君は気まずい顔をする。後ろめたい訳ではないが、とにかく苦手なのだ。
と、そこに一人の女性がお茶を持って入ってくる。
「あ、でも千風さんは最近若い人をアシスタントに雇ったんですよ」
「――っ! 優見、余計なこと言わない!」
それを聞いた後介はにやりとする。
「若い人って乾さん、その方は男の人ですか?」
「もちろん。感じのいい人ですよ」
千風の顔に朱が昇る。
騒がしくなる、力をもって世界を見守る者達の集い所。――なかなか、面白そうだね。
◆
「充秀! いままでどこに行ってたのよ」
赫い髪の君が、眉を立てて待ち受けている。
――ちょっとあちこちを見て回ってたんだ、稚菜。……あぁ、一日経ってしまったんだね。
朝、チヨを見てから、今はすっかり黄昏になってしまった。
もう太陽の沈みかけた西からの光は、君の影法師を作らない。君の姿は誰にも見えない。
――神となるというのは、思えばやっかいなことばかりだね。時間感覚がすっかりおかしくなってしまったよ。
「それで言い訳しているつもり? ……で? どうだったのよ、久しぶりの地球は」
――なかなか良かったよ。しばらくは安心して彼女たちに任せておけそうだよ。
「そう。じゃあ帰るわよ」
君は光を放ち始める月を見る。
――君はあまりここが好きじゃないみたいだね。
「当たり前よ。まだここは私達のいるべき場所じゃない。だから、私は“稚菜”としてしか存在できないし、あんたも“充秀”としか存在できない」
――そうだね。帰ろうか。
君とともに歩く。見えない階を上り、やがて淡い色の月虹に足がかかる。
――ねぇ、君たち。
これは地上に生きる人達への呼びかけ。
――君たちは、君たちの大地に生きているんだよ。矜持をもって、責任をもって、君たちの大地を歩きつづけて欲しい。そう、僕は願うよ。
――地に足をつける者と、夢と月は共にある。
そして夢は現に還り、現実となる。
願わくば、人々が希望をもって夢を見んことを。
最終話は結構手間がかかりました。あまりだらだらしないように、文字数をできるだけ少なくしようとしたのです。
守宮の二代目の名前は、『源氏物語』のサブタイトルから来てます。“真木”は“真木柱”ですが。
あぁ……終わりましたね。一年もかけてませんが、長い時間がかかった気がします。その長い間に私というものは微妙に変化し、はじめ思っていたテーマと全然違うことを小説に入れてしまいました。
この物語は私のエゴイズムだけで書かれているみたいなものです。
それでも読んでくださった皆さん、ありがとうございました。つまらない、不完全なものですが、皆さんの心に欠片でも残るなら私は仕合せ者でしょう。
感想批評待ってます。
では、さようならです。―――夢が現実になることを願って。
白亜・迩舞、2008.10.16