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your earth  作者: 白亜迩舞
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7・6「天の是非」

 深い水の底は闇の底だ。

 その闇はやわらかく重みがあり、人を寝かしつけるように包み込む。中で動けば、衣擦れよりも幽かで優しい深い音が聞こえる。その音は人の身体に耳を突けたときに聞こえる音にも似ている。――誰かの胎内に収まり守られているような、そんな安心感が闇という水の底にある。

 彼女もまた、そんな闇と水の中に沈み込んでいた。傷ついた身体と心はちくちくする外気から遮られ、有るか無いかの幽かな流れの中、彼女は閑かにたゆたっていた。

 自分は眠っているのか、彼女は自問し、否と答えを出す。これは眠りにしては重くなく、意識は穏やかに目覚めている。現実の出来事は遥か遠くに感じ、目覚めのときが迫るような感覚も無い。――自分には何一つ欠けたところのない、満ち足りた永遠だけが与えられているのだと、彼女は確信できた。

 そう――私は死の中にいるのだ。

 二つに割れて擦れ合っていた心も、水の中で一つになっている。こんな安らぎは何時振りだろうか。このまま、たゆたい続けたい。

 しかし、名を呼ぶ声が聞こえる。煩わしいけれど、彼女はあの声には応える責任があると思った。――今ここにある安らぎは何ものにも替えがたいが、それでもあの声には応えなければならないのだ。



 彼女は闇の中で眼を開いた。



 **


「――さな! さな!」


 空色の瞳の少女が、彼女の上半身を抱き上げ、名を呼び続ける。高くあどけないその声は、少し嗄れ始めている。

 眼を開けた彼女は思う。澄んだ瞳に、悲哀は似合わないと。


「ち、かぜ……」


 だから彼女は言う。目覚める前の身体を無理やり動かし、声を振り絞って。――安心して欲しい、私はここにいる。

「さな……! あぁ、よかった!」

 千風は彼女の身体をかき抱く。彼女の身体は千風の身体より少し大きいが、二本の腕に宿る力は強い。

 少女の体温を始めとして、彼女の感覚が少しずつ生き返り始める。

 適度に明るい室内、ほどよい気温。下半身は床についているが、浅いぬるい水に浸っている。


「まったく、ずいぶん長いこと待たされましたわ、さなさん」


 頭上から少年の声。天色の瞳を二つ、それに加え不可思議な紫苑色の瞳を持つ白い髪の彼は、

「――サキ」

 名を呼ばれた彼は大仰にうなずく。

 そして、と彼女は自らに意識を向ける。


 ―――私は誰?


「ナゲキ……ではない」

 それが私の主人格だけど、

「ササヤキ……でもない」

 彼女は彼女の中に、もう一人の自分を感じられないでいた。

 今の彼女は一つだった。それはもう半世紀近く前からなかったこと。

 “ナゲキ”も“ササヤキ”も、分たれた心に初めてつけられた名前であった。一つである、本当の自分の名は……


「私は……沙波さな


 ずっとずっと昔に失った名前――失った自分。

「取り戻してくれたのね、千風、私の名前を」

 少女は沙波に抱きついて泣いている。

 流れる涙の熱さを、沙波は首筋で感じる。


「うん……うん、だってあたし、もう失くしたくなかったから。大好きな人を殺したくなかったから……!」


 あぁ、と沙波は思う。さっきは何と酷いことを、この無垢な少女に言ってしまったのだろう。

 彼女は私を殺したのではない。私を彼女に殺させたのだ。

 守りたくて、けれど他に術がなく負わせてはならない罪を彼女に背負わせてしまった。そして私は、歪んだ運命の中で、彼女に罪を負わせたという罪を忘れ、彼女を傷つけようとしていた。


「……なのにあなたは私を殺さなかった。そうして当然だったというのに。――千の風の名をもつ強い子、あなたの風の刃は縺れた絆を断ち切るのね。

 もう泣かないで、千風。あなたが取り戻してくれたこのめいで、もう二度とあなたのそばを離れないから」


 着物の袖で千風の涙をぬぐい、顔を拭いてやる。

 二人は手と手を取り合って立ち上がる。沙波はサキと視線を交わした。


「よろしければ、早く行きましょう。もうこの宴の、最後の演目がはじまっていますわ」

「うん、行こ? 沙波、チヨが待ってる」


 力強い促し。

 沙波も負けじと力を込めて肯く。

「えぇ、行きましょう」


 ――もはや、過去このばしょに留まる理由もないから。



 *


 〈月神〉と戦い始めて早十分が過ぎた。

 初めの攻撃のチャンスを逃した今、ボクは防戦を強いられ続けていた。

 彼は錫杖と光の矢を交えて攻撃してくる。光の矢はともかく、神杖〈天乃御中あめのみなか〉の攻撃力は恐ろしい。土当たるたびにスパークして電光は飛び散るし、かすっただけで肌が焼かれる。

 ボクは全身を石の鎧で固めて防御力を上げている。錫杖を直接受けとめることはせず、籠手で受け流しながら隙があれば攻撃する。


「鬼ごっこは楽しいかい? ――でもあんまり楽しんでいると、うつつが砕けてしまうよ」


 彼の言葉に乗せられるまま、ボクは焦り始めている。

 今や、天と地が新しい時に臨んで唸り、鳴動していた。

 頭上の月は大きさを増し、うるさいくらいの光を投げおろしてくる。月面には、美しいくらいに複雑で緻密な文様が浮かび上がっている。あれは、あれこそが宇宙を塗り替えてしまう狂った奇跡のための術陣なのだ。


「――この!」


 ボクは回し蹴りを放つ。

 思い切った攻撃は、〈月神〉の身体にクリーンヒットする。

「はは、――いいね、そういうの」

 カウンターで錫杖の大振り。それに伴って、全方向に空気の壁が押し出される。

 迫る壁を掌底で砕く。

 〈月神〉は錫杖を一つ鳴らす。それに応えて、天上から月光が瀑布の如く落ちてきた。


「黒曜の鏡!」


 闇色の鉱物で月光を弾き返す。

 袈裟掛けに錫杖が振り下ろされる。それも今の黒曜石の塊で受け止めた。

「へぇ……」

 力と力が激突し、空気を裂く音が走る。

 彼の攻勢に尻込みせず、大地の力をありったけ汲み上げて前に押し出した。

 ばん、と音を立て、黒曜石の破裂と一緒に錫杖が弾かれる。〈月神〉も体勢を崩す。

 ボクは渾身の力を肩にこめ、〈月神〉に体当たりした。


「――!」


 反射的に張られた薄い防壁がボクを阻もうとする。だけど、身にまとっていた防御の力をすべて破裂させ、突き破る。

「!」

 〈月神〉が弾け飛ぶ。受け身も取らず、土埃をあげて吹っ飛んだ。

 一瞬の間。

 倒れ伏した彼に、ボクは追撃をかけようと思ったけど、できなかった。――恐怖だったのか、憐れみだったのか、理由は分からない。けどしなかったことだけが事実だった。

 〈月神〉は何事もなかったように立ち上がる。どこにも怪我はなく、白い直衣が土で茶色くなっているだけ。



 時間が止まった。



 止まったのは現の夢の両方――この城を除く全宇宙の時間。絶えず動いている大地が鎮まって、ボクはそのことを知った。

「“愛し合う者達の一瞬は永遠”――ねぇ、神である僕はこんなこともできるんだよ」

 彼はいたくご満悦。だけど、


「ボクは認めない……! こんなこと、あなたが力を誇示しているだけじゃないか。

 あなたは確かに宇宙を支配している。だけど、力を誇示しているあなたはやっぱり人間だ。だってあなたは“罪”に捕らわれている。罪に捕らわれるものが、神なはずがない。――あなたはアカにとってのツミで、ボクにとって光樹みつきなんだ!」


 停止した静寂に、ボクの叫びは響く。

 すぐに答えはない。ゆっくりと、静かな空気が、憤るように震え始め――


「僕を否定するな」


 ――裂けた。

 一瞬のことだった。裂けた空間に巻き込まれ、ボクの足が千切れた。

 為す術なく、痛みと血にまみれてボクは土の上に転がる。

 〈月神〉は少し浮遊してボクを見下ろしていた。埃の付いていた直衣は、いつの間にか純白に清められていた。


「ほら……所詮、君は足がなければ立つこともできない。自分の血で出来た泥にまみれながら、まだ君はぼくを否定するのかい?」


「――泥がなんだ。人であることが、地に立つことが悪いことなの!?」


 うつ伏せになり、地を叩いて五十の人形を作る。

 人形はそれぞれ斧や槍を持ち、一斉に〈月神〉に飛びかかる。

 〈月神〉は動かない。だけど、当たらない。

「鏡花水月――地を這いずる者達が天にある月の神に触れること能わず」

 月光が一条降りてきて、ボクを背中から圧迫する。

 背骨が軋み、肋骨が折れて肺に刺さった。

 ボクは痛みを訴えることもできない。肺が血で満たされ、口から溢れた。


「人であった僕が飼っていた猫だろうと、情けはかけないよ。神に逆らう者には神罰を。――――〈死ね〉」


 八尺瓊勾玉がボクの下で砕けた。言霊を封じていた術が壊されたからだ。

 もう一度言われれば、ボクは死ぬ。抵抗はできず、あっけなく。どうにかしなくちゃと思いつつも、身体は指一本動かない。


「シ…………」



 彼の声を最後まで聞くことはなかった。



 **


 人を黙らせるには口を殴りつけるのが一番、と私は思う。

 炎を纏った右ストレートを一発。直撃の瞬間に爆発もつけてやる。

「ぐ……!」

 あいつは顔を仰け反らせて、浮遊したまま後ずさりする。


「しばらく会わないうちに、ずいぶんと好い気になっていたみたいね。――その傲慢ごと焼きつくしてあげるわ」

「無駄だ。神でないお前が我を攻撃することなど――――っ!」


 鳩尾にまず一発。身を屈めたところで頬を横殴りし、顎をかちあげる。あいた喉に正拳突き、仕上げに両肩を掴んで膝蹴りを密着して入れる。

 効果は十分。彼は苦悶に顔を歪ませている。


「――口の利き方を忘れたみたいね。私は“お前”でも“君”でも“あなた”でもない。アカ、よ。何度言ったら覚えるのかしら、ツミ」

「我はツミではな――ぐわッ!」


 蹴り飛ばす。それでも浮遊しているあいつを、私は踵落としで土に叩きつけた。

「な、何故――」

 打撃に身体を軋ませるあいつが言う。神である自分に何故“人間”の攻撃が利くのか、それに私は答えてやる。


「地を見ることね、ツミ。見下ろすんじゃなくて、しっかり向き合って見なさい。

 すごいと思わない、この術陣。詳しいことは分からないけど、こんな複雑で入り組んだ模様を四層にも重ねているのよ。それぞれの模様に一つとして同じ部分はなく、でも干渉しあうこともなく、一つの効果だけを発揮させている。――つまり、神の存在の禁止を。

 完全ではないにしろ、あんたは神として不完全になっているのよ、ツミ。これをチヨが組み立てたなんて、あんたは信じられる?」


 ――と、チヨは一体どうしたんだろうか。

 見ると、寝ている――――ではなく気絶している。

 放っておいても回復するだろうけど、気が向いたので再生の火を分けてやる。

 それにしても、彼女は本当に大したことをしていると思う。発動している術陣は力に溢れ、確実にあいつを弱らせている。しかも、力の供給源を大地だけではなく私にも指定しているところが面白い。――これは、チヨが練りに練った術なのだろう。


「僕は………神ではないのか」


 背中に土をつけて、あいつは立ち上がる。その足は、地についている。


「……知らないわよ。ただ私は、あんたが偉そうにしているのが気に入らないだけ。あんたがツミであることを否定するのがむかつくだけ」


 あいつは何も言わない。

 私も何も言わない。


 あいつは何も言わない。

 私も何も言わない。


 あいつが言う 「僕は“ツミ”。君は――“アカ”」


「もしかして、あんたは罪を――穢れを恐れているの?

 まぁ、なんだっていいのよ。ただこの胸にある想いが、そこにいるあんたを示すから。――――あんたを私の物にしたい」


 目と目が合う。

 彼色かれいろの瞳が、たまらなく――――


「僕には君の想いがわからない。だから、教えてくれるかな」

「いいわよ。それが……告白ってものでしょ」


 私と彼は拳と拳を、力と力を、身体と身体をぶつけ合う。

 これは戦い。――いや、これは遊戯。

 心と心をぶつけ合う。想いを伝えるために。

 私達は天へと昇る。月と太陽の狭間で、すべてを解放する。




 喜びに世界は満たされ、終結カンケツする。

 

 



今回は視点が三度切り替わりました。特に、なんで最後にアカの主観が入るのかなぁというのは、書いている私にも解りかねます。

沙波が生き返りました。このまま死んでしまったらどうしようかと本気で心配しました。


あと二回くらいで終幕まで持ち込もうかなと思います。

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