7・3「月には裏表」
誰もいない、音のない城の中をボクとアカは黙々と進んだ。
罠はなく、邪魔する人も異形もいない。奇妙に奇麗な城の中、ボクらが歩く通路は、冗談抜きでボクらが初めて歩いているのだと、なんとなく悟らされる。
質感は妙だけど、この城も大地に属する土や岩、または木から作られているのは間違いなかった。けどそれらはまるで、首を絞められて塗り固められたような、そんな息苦しさでボクの気を沈ませた。
アカは何も感じていないみたいだった。少し先を歩く彼女の、赫いショートヘアの後ろ頭を見ている限り、何を考え思ってるのかも読み取れなかった。
単調な前進。
かれこれ三十分は歩き、十六回目くらいの階段を上ったとき、突然城内の様子が変わった。
階段を上ると、まず襖障子の戸があった。少し開くと、闇が、いや夜がのぞいている。踏み込むと、後ろで勝手に襖障子は閉まり、夜の暗さがすっぽりとボクらを包む。
部屋の広さが感じられない。まるで広い体育館にいるみたいだ。
すると、明かり。青白い炎が少し離れた、距離感の掴めないところで点る。
月光のような明かりで、畳くらいの大きさのアクリルのような黒いタイルが敷き詰められた床は見えるようになる。だけど、壁を見ることは、猫の瞳をもってしてもできない。
炎からは、微かに人の神と肉が燃えるにおいがした。
そして近寄ってくる人の気配。
「やっとここまで来てくれたね。アカ、それにチヨ」
ツミ――ボクのご主人様だ。
小ざっぱりとした着物姿。雲の浮かぶ夜空を思わせるように濃淡の付いた浅葱色の着物を身にまとい、その下には何も着てないみたいだった。朽葉色の帯の腰に、一振りの刀。まるで、江戸の町を歩く武士みたいだ。
足にはなにも履いていない。
ちょっと長めの髪は白く、瞳は琥珀色。童顔の彼は、前に見た幻影の時と少しも変わってないみたいだった。
ボクより少し背の低いご主人様に、抱きつくことを想像する。けど、実際に身体は動かない。どう振舞っていいのか、わからない。
となりのアカを見ると、彼女は厳しい表情で彼を凝視していた。瞳の色が金色になっていた。
そんなアカに、ツミはゆっくり歩み寄る。ツミの白い手が、アカの少し荒れた頬に触れる。
「――気安くするんじゃないわよ、偽物」
頬に触れた手をアカが掴むと、二人の手がまとめて火に包まれた。
「!」
火のついた腕を振り払い、二三歩後ずさるツミ。あっという間に片腕は焼き落とされてしまう。
一方、アカは呼び出した火の中から、細身の金の剣〈高御産巣日〉を取り出す。
二人は緊張感をみなぎらせ無言で対峙する。ボクも、あえて口を開くことを避けた。
「僕は偽物ではないよ」
しばらくして、彼が言った。
焼かれた服ごと腕を再生させ、刀の鯉口を切りいつでも抜けるようにする。
「でもあんたは、私の求めているあいつじゃない」
「なら、僕はだれだろう? ――チヨ、君なら何かわかるかい?」
――ボクが言いきれることは何一つない。
あるのはただ漠然とした違和感と戸惑いだけ。でも、聞かれたからには言葉にしてみようと思った。
「そこにいる人は…………ツミの、複製……? ううん、ツミであってツミじゃない、もう一人のツミ………」
「ねぇ、本当のツミって何かな? 答えてくれるかな、アカ?」
愉しむような彼。
アカの眉間に厳しくしわがよった。
「なぞなぞは嫌いよ。言いたいことがあるなら、はっきり言いなさい」
切って捨てるような口調。
その返答に、やれやれと彼は首を振る。
「君は相変わらずだね。でも、そんなぶっきらぼうなところも好きだよ、アカ」
とびきりの甘い声で、彼は言う。
アカの顔にちょっとだけ朱が差す。
「僕はツミだ。ツミはこの世界に一人しかいない。――ツミの名を持つ者はね。
神となり、世界を作りかえるためには莫大な、天文学的ほどの神秘霊力が要る。さらに単なる力以外にも、無限の知能や知識、つまり全知全能を得ることになる。
だけど神の力と能力の前で、人という存在はちっぽけだ。封じられた神の長子〈淡島〉に接触しその力を得てから、ツミという意識は急速に希釈され始めた。――まるで大海に落ちた水滴のようにね。
そのままではツミの意識は消滅していた。そうなれば世界を思い通りに変えることはできなくなる。だから、ツミは――僕は、解決策を講じた。
僕は己を二分することにした。片方には、神の力と根源的な意志を与え、もう一方には心の大部分と力のごく一部、それと“ツミ”の名を持たせた。つまり、後者が今ここにいる僕。だからこそ、僕がツミなんだよ」
長々と、つっかえもせず滑らかに彼は話しきった。
ボクは話の大きさに、唖然として何も言うことができなかった。
一方アカは、いつにない程けわしい顔でツミを睨みつけていた。彼女はどれだけツミの話を聞いていたのだろう? 彼女を見ている限り、話の内容よりも目の前の人間をどう扱うかだけ考えているようにも見える。
「ひどい顔だね。そんなでは、凛々しい顔にしわができてしまうよ」 とツミ。
「あんたの後ろにいる」 アカは無視した 「もう一人のあんたは、今何をしているの?」
「もう一人の僕は――僕は〈月神〉と呼んでいるけど――この古い世界を壊すための奇蹟を実行し続けているよ。
〈月神〉はね、まぁ機械みたいなものだ。ツミが、つまり今ここにいる僕がプログラムを組み、〈月神〉に打ち込む。すると〈月神〉に持たせた衝動的なモチベーションに沿って、〈月神〉は奇跡をおこしていく。――二人の僕はそれぞれ物理的にも隔絶していてね、この方法は少し手間がかかるんだけど、他に思い通りに世界を変える術を見つけられなくてね」
「思い通り?」 とボクが言う 「こんなやり方が、ご主人様の思い通りなの?」
彼はにっこりと笑う。まるで、ほしいものを手に入れた子供のように、無邪気に。
「前にも言ったよね? 僕は悪夢によって世界を平らなものにしたいと。そのために僕は罪を負い、世界に等しく痛みを与える。――でもね、こういうことは加減が難しくてね。少しでも神の力に引きずられてしまったら、全部を壊してしまうんだよ。その分、ここまでよくやってきたと思うんだ。――――どうかな?」
「そんなの変だよ!」 ボクは大声で言った。
「流された血は土が吸い込んでしまう。痛みの後にできた世界は、結局誰かの痛みを土台にしないと続いていけなくなっちゃうよ!」
彼は何も言わない。物のわからない子どもを相手にする父親のような微笑を顔に張り付かせたまま、刀を抜いた。
その刀――〈天乃常立〉の刃は、白く、雪のような光を放つ。冷たくて、命の持つべき温かみを全く感じさせない、そんな光。
アカも剣を構える。ボクも……戦うために力を練り始めた。
「あんたを消すと、すべては終結するの?」
「いいや、〈月神〉をどうにかしないとだめだね」
なら、とアカは横目でボクを見る。闘志のみなぎった、熱い視線。
「チヨ、あんたは先に行ったらどう? この調子だと、放っておけばあと一時間くらいで現は壊されると思うんだけど」
「たしかに、君が現を守りたいのだったら、一刻も早く〈月神〉に会うべきだろうね。でも……僕たちはもう話すことはないのかな? 今後、僕たちが話し合う機会はないと思うけど」
けどボクの心はもう決まっていた。
夜闇の向こうにある、次の場所に向かうためのポイントを感じ取り、そっちにつま先を向ける。
「ご主人様は…………壊れてるよ。人間は、命や心は粘土みたいに分けたりできるものじゃない。神とか何とかはわからないけど、今のご主人様にボクの言葉は届かない。――だからその前に、まずご主人様のしていることを止めるよ」
そう言い残して、ボクはその場を後にした。
*
「行かせてよかったのかい?」
チヨがいなくなってからツミは言った。
「アカ、君にとって僕は偽物なんだろう? それなのに、“本物”を他人に渡していいのかい?」
二人がいる場所は、床と天井という名の強固な剛体板に囲まれた、高さ三メートル、水平方向には無限に広がる亜空間だった。――アカとツミだけの二人だけの世界。
ツミの問いを、アカは鼻でせせら笑った。
「ツミは二人も三人もいらない。あんたは目障りだからこの手で消す。――それに、チヨができるのは時間稼ぎくらいよ」
彼女は〈月神〉をチヨが倒せるとは思っていなかった。
「君なりにチヨを利用したってことか。――アカも人が悪いね」
アカは返事をしない。
やおら剣を両手持ちし、一息でツミに打ちかかった。
神の力を持つ刃と刃がぶつかり合う。
凄まじい衝撃波が生じ、無限の彼方へと消えていった。当然その衝撃は二人にも当たるが、攻撃と同時に防御の術も展開している二人には、強い風が吹いたくらいにしか感じられない。
まず七合ほど剣戟を交わし、少し離れてツミは言った。
「その狩衣、なかなか良いね。やっぱりアカには炎色の狩衣が似合うよ」
「ありがとう。――あんたの浪人侍みたいな恰好もなかなか似合っているわよ」
「浪人……。ほめられているのかけなされているのか、よく判らないな」
邪悪に笑うアカと、苦笑するツミ。
そしてまた打ち合い。
剣が触れ合うたびに耳を聾する轟音が、否、頭蓋を割るような、というより音と呼ぶにはあまりに強すぎる空気の波が二人の耳を掠める。
無尽蔵に近い二人は、剣戟によって力を周囲にまき散らす。それらは渦となって二人を囲み、夜を基調とした空間に光と熱を絶やさず放ち続けていた。
「……少し、冷やしてみようか」
アカの斬り下げを弾いたあと、ツミはそう言って少しさがった。
「夜は静けさと眠りなり。月は氷華を白く輝かせん……」
一瞬にして二人の周囲が白く凍りつく。輝く力の渦も消えた。
アカの身近だけが凍っていなかった。――いや、赫い狩衣の長い袖の端が凍りついている。わずかに動かすと、そこは硝子のように砕けた。
「…………緋王陣!」
腕力任せに、アカは〈高御産巣日〉を床に突き刺す。
これも一瞬。半径二百メートルの床に八卦図のような円陣が浮かび上がり、一刹那後に炎上した。
真紅の炎の中、ツミは光の球に包まれ立っている。恋人の炎を、めでるように恍惚とした表情を浮かべて。
「!」
炎の向こうから、アカに向かって光の波。
すかさずかわすと、波は波濤となって砕け、幾多の矢となりて再び襲いくる。
「この――!」
剣を振るい、矢を落とす。だが矢は素早く、また何本とある。その上、火炎の光から次々と新しく生まれていた。
「光を使うってわけ? 光を使えるのはあんただけじゃないのよ。――蓮華光烈!」
光が破裂した。周囲に満ち満ちていた光の一切が破裂し、時空をも震撼させるエネルギーが発生する。
一通りの激震の後、また夜が再生しはじめる。
闇の中で、アカは倒れ伏していた。攻撃に偏る彼女は、自らが発動させた術を防ぎきれなかったのだ。
「――ま、それでも君は治癒できるから良いんだろうね」
うつ伏せになったアカの後頭部を見下ろしてツミが言った。
さすがの彼も無傷ではない。着物は焼け、左腕は力なく下がっている。彼の力を受けて燃える青白い篝火も、やや頼りなく揺らめいている。
俄かにアカの全身が炎に包まれた。治癒が始まったのだ。
「火の中で命を再生させる存在。まるで不死鳥だね」
アカが身体を裏返し、仰向けになってツミを見上げる。
見開かれた瞳は、爛と金色に輝いていた。
「ずいぶんボロボロね。――どうやら、月の属性には私が持つほどの治癒力はないみたいね」
「そうだね、防御は強いはずだけど。――でも、なら僕はどうやって君を倒せばいいのだろう」
のそりと彼女は立ちあがる。狩衣も無残な状態だが、それが彼女にある種の迫力を持たせている。
「――約束を、忘れてないよね?」
静かに、彼が問うた。
「負けたほうが勝ったほうの奴隷になるってやつ? ――くだらない。私はあんたを抹殺するためにここにいるのよ」
アカは吐き捨てるように言う。
ツミは残念そうに、寂しげに微笑んだ。
「アカ……君は今も僕のことを愛してくれているかい?」
彼女の答えは刃を振り下ろすことだった。
ツミも応戦し、鍔迫り合いとなる。
ぎりり、と刃のこすれあう音。半目になった金眼の彼女が、低い声で言う。
「私のことを愛せないといったあんたが、そんなこと言わないことね。――気づいている? あんたはいかれているのよ。だから――――――その名ごと焼きつくしてあげるわ」
その時、〈高御産巣日〉が閃いた。
〈天乃常立〉が折られ、そのままアカの斬撃はツミの半身を削りながら下に落ちる。
しかし、肉体の損傷と痛みにツミが顔を歪めることはなかった。
「――ガッ!?」
それはアカの声。
アカが倒れる。彼女の後頭部があったそのちょうどの位置に、ツミが手のひらを当てている。
彼女の赫い後ろ髪を、さらに赤い液体が染めていた。
「――あんた、何を埋め込んだの?」
延髄の上を探ると、固い突起があり、その内側に突起物の本体があるのを彼女は感じる。
アカは立ち上がろうとする。しかし、その足に力が入らない。
「何ってこともないさ。君を奴隷にするための術を結晶化させたようなものだよ」
頭痛。後頭部の柔らかい部分をかき回され抉じ開けられるような、筆舌に尽くしがたき痛み。彼女は声も出せずに床に手をつく。
「声を出せないのは僕が禁じているからだよ。――手も使えなくしようか」
途端にアカの手から力が抜け、彼女は顔面を床にぶつける。
「苦しいよね? 何か言ってよ」
苦痛に喘ぐアカの口が開かれる。
彼女はそこに、ありったけの憎しみをこめて言った。
「この――――きちがい」
ツミの話が予想以上に長くなりました。
そもそも当初の予定ではたんに偽物ってはずだったのですよ。しかしそれもあれかなぁ、とか思って変えてみました。
今回、字数は多めでした。またノートが変わったので。




