7・2「闇映す水面」
サキと千風、ササヤキとナゲキ、四者は二組に分かれ対峙する。
「何故あなた方は戦うのですか?」
静かに、サキが問う。
「それ以外にすることがないからよ。あなた達と一緒にツミと戦うわけにもいかないし、黙って事の終結を見ている気もない。――なら、かつての“家族”と死ぬまで戦ってみるのも一興じゃない」
そう、ナゲキは特に面白がるでもなく答える。
ササヤキは千風に視線を向ける。
「思い返せば、キズオト、あなたに私達は殺されている。――これから命を奪われるのは、命を奪うのはどっちかしらね」
千風は真顔だ。
「誰も殺されないよ。チヨが悲しむから。――あたしの風の刃は、ササヤキやナゲキが自分で心に作った戒めを断ち切るために振るわれる」
「誰も彼も」とナゲキ。「チヨの名を口にするのね。彼女なんて、ちょっと運が良かっただけじゃない」
「それを言うのなら、あなた方は運がなさすぎですわ。幸運は月の恩寵。――結局、どこまでもあなた方はツミさんの慰み物以上にはなれなかったのですわね」
しばしの間が空き、ふぅ……と誰かが溜め息。
「私達は疲れたわ。だから――最後くらい楽しませてね」
**
手を合わせても、人は一つになりはしない。
しかし元は一つの体に入っていた二人の女。互いに手を合わせることで、その末端から形を崩しゆるやかに混和し始める。
「憎しみの囁き悲しみの嘆き。水底に沈み氷に秘められたものは今ここにある。
私達は合わせ鏡。水面に映る双つの影。この世ならざるもの、実体なきもの、此処にある」
二人の形が崩れ、サキと千風の足元を水が浸す。その水はこれ以上なく青く、同時に黒く渦巻く。ザラリとした流動物の上に、二人分の着物が漂っていた。
「さて……青は悲しみで、黒は憎しみですか? その逆でもよさそうですわね。――千風ちゃんはどう思いますの?」
千風は浮遊し、空中で濡れた足をプルプルと振るっている。
「それどころじゃないよ! ――来るよ、サキ!」
床一面に広がった水。墨流しの水面が波打ち、無数の痛い水滴を発射する。
「あらあら。これは余裕のない戦いですわね」
水面に揺れる自分の影を踏み、サキは水の上を走る。
左手の銃をバレルを長くして水底につける。そのまま駆け回り、大きな方陣を床に描く。
「force field ! 」
烈光が走る。
凄まじい量のエネルギーが、光の形をとって発動する。物質・非物質を問わず破壊される、そんな光だ。
しかし、実際には先の術が顕した効果は薄かった。水は相変わらずそこにあり、絶え間なく攻撃を仕掛けてくる。
「駄目でしたね……」
「じゃあ今度はあたしが。……〈草薙乃剣〉!」
千風の右腕を光と風が包む。それらは集結して一振りの剣となる。
「叢雲は月を隠し雷を呼ぶ。――〈天叢雲剣〉モード!」
バシッ、と剣身が放電し、草薙乃剣は形を変える。
切っ先を二つに分け、剣の平にもスリットを開けた両刃の剣。陰鬱な空の色に、鈍く、光沢する。
「――落ちろ!」
剣の力で天井と床の間に大きな電圧差が生じる。
千風が剣を振り下ろすと屋内に何本もの雷柱が建った。
水を貫き、稲妻は轟音と水蒸気を発生させる。
意思ある水は苦悶の叫びをあげ、宙に飛び散った。
「――!」
宙に舞った水は千風に付着し、彼女を鉛直下方に引いた。大技の後で隙を作っていた彼女は、容易く水の中に落ちてしまう。
――殺してぇ。
水の中で、千風は聞き覚えのない声を聞く。
――あいつら汚ねえことしやがって、絶対復讐してやる。
――裏切られました。彼が裏切りました。裏切られています。裏切ろうかと思います。
人前で言えない憎悪を、闇に囁く幾多の声。
千風は恐怖した。水から抜け出そうとし、もがく。
浅い水だったはずなのに、どうして逃げられない? そんな焦りと困惑が、千風の心を重くする。
――死なないで!
――返して! 大切なものを奪わないで!
次いで聞こえたのは悲痛の嘆き。
千風は心を閉ざすように固く眼を閉じ、がむしゃらに逃げようとする。
「ちゃんと聞いてあげないとだめよ。キズオト、あなたは風を通してすべての者たちの声を聞く者でしょ? なのに、どうして拒絶するの? ――喜びも悲しみも等価よ。ほら、もっとお聞きなさい」
脳髄に浸みこむようなササヤキ (或いはナゲキ)の声。
嫌、と千風は水中で言う。口を開くとただ気泡が出て、代わりに辛く臭みのある水が流れ込んできた。
「心地よいものばかり聞いていられると思ったの? ――甘いわね、キズオト。そんなあなたが、刃を持って何かを守れると本気で思ってるの?」
千風は抗う。鳴り響く囁きと嘆きの声に、心を砕かれぬように。
息が苦しい。水の中の声は身体に巻きついているかのようで、ひどく手足が重く感じられた。
目の前が暗く、心に絶望が忍び寄るのを感じる――
「black erazer! 」
水が消え、深い闇が、そして細いサキの腕が千風を包んだ。
そして光。再び視界を取り戻したとき、千風は水の上に立つサキに抱きかかえられ、サキと対向してナゲキ (もしくはササヤキ)が立っていた。
「喜びと悲しみは等価ではありませんわ。何故なら、光あるところに闇は必ずありますが、闇あるところには闇しかないのですもの。――人は喜びを、光だけを求め続けてよいのです。闇は知ってさえいれば良いのです」
「あなたは悪夢を否定するの?」 とササヤキ。その声の調子は単なる問いかけ以上、逼迫した感情を感じさせる。
「誰がそのようなこと言いましたの? 否定とは、求めもせず知りもしないこと。けれど闇を知るということは、少なくとも闇の存在を認めているということです。悪夢は存在していてもよいのです。そして――」
サキは千風を腕から下ろす。千風は水に足が着く前に、風を操って浮遊を始める。
銃を構えるサキ。黒い銃は、かつて彼が半身とまで思っていた者が遺した“形”だ。
「私は闇を継ぐ者。――その闇の名は“願い”。――ですから私は宣言します。私は闇を孕む大地と共に生き、風には大地を照らす光を望むと。――空翔ける風には、光こそふさわしい」
彼のマントが翻る。黒いマントは常よりさらに暗く、深淵の色に染まっていた。
その横に千風が並ぶ。少し前まで怖気に顔をひきつらせていた彼女だが、今はもうその影もない。彼女の面持ちは毅然としている。
「サキは強いね」
「いいえ、それは正しくありません。私はチヨに支えてもらっていますから、チヨがともにあると言ってくれましたから、こうして立っていられるのです。――彼女は言ってました。誰にだっていつもそばにいて支えてくれる存在がいると」
「――そうだね」
風が巻き起こる。
猛烈で、雄渾な風。荒れ狂っているわけではなく、完全に統率され、見えない鋼の手のように一つの仕事を為さんとする。――すなわち、床一面に広がった水を一点にかき集め始めた。
当然、命ある水は風に抗う。だが断固たる風の手は、そんな水の抵抗を物ともしない。
「The sea is burned by the sunshine. The water is erased by the ray. (海は陽光に焼かれる。水は光によって消される)」
コッキング。黒の銃身に緑の光が文字を刻む。
狙うは風の檻に押し固められた水の一塊。ドラム缶一つ半はあろうかその量を、サキは跡形もなく消さんと力を溜める。
「――BLAZE ! 」
比較的低速で射出された光の球は、物静かに水の中に入る。
直後、炸裂。
太陽のような光の塊が解放され、閃光の洪水の中、水は分子から破壊されて嵩を減らしていく。
「――!」
水が震える。攻撃により与えられた衝撃と、苦痛により身を捩じらせる痙攣だ。
痛めつけられた水が、二つの氷塊に形を変え飛び出した。高速で、唸りを上げながらサキと千風に飛来する。
「!」
今は乾いた床の上で、二人は各々ステップして回避する。
氷塊は床に落ち、一つになって巨人の形をとる。
無骨で、威圧的な姿の巨人。のそり、と身を回すと拳を振り上げた。
「くだけろ!」
空気との摩擦で氷の表面が瞬時に解けるくらいの、高速の拳。
狙いはサキ。しかし千風が剣をもって間に割って入る。
「……!」
荷重は百キログラムを超える。千風の、少女の細腕では到底支えうるものではないが、風の力と、意志の力が彼女を支える。
身体が軋む。しかし想いは軋まず、不屈だった。
「I rule light and dark. Light is Heaven, and dark is Hell. (私は光と闇を支配する。光は天、闇は地なり)
So, I am a master of Heaven and Hell. (私は天地を支配する者なり) And, my assult is…..」
サキの詠唱に応え、膨大な神秘霊力が集まり始める。
呼び寄せられる光と闇。それは白と黒の螺旋となり、人の目には映る。
彼は銃を持つ左腕を垂直に構える。どろどろとした煙のような光と闇が、彼の左腕に沿って床と天井の間を上下動していた。
「……千風ちゃん、好きな狙撃銃は?」
「え、えっと……L98A1 とか……?」
力が収縮し、凝結を始める。
雷鳴のような音をたて、光と闇の中から一丁の長銃が作り出される。
淡く灰色に光沢する、一・二メートルほどのライフル。本来のデザインに加え黒と白のストライブが引かれたそれを、サキは重々しく左肩に乗せる。
「〈乾坤一擲〉――My assult break through everything ! (私の一撃はすべてを打ち破る!)」
詠唱が完成した瞬間、千風は氷の巨人とサキの間から退避する。
トリガーが引かれる。長いバレルの先から放たれるのは、黒と白、二条の稲妻。
稲妻は巨人の胸、人であるならちょうど心臓のある位置を過たず貫通、そのまま背後の壁に穴をあけて消え去った。
『――――――!!』
声にならない絶叫。
氷が数えきれないほどの数で、目に見えないほどの小ささで破砕する。それは霧散。ダイヤモンド・ダストの如き微小な粒子になった氷が、煌めきながら宙に舞う。
粒子は下に落ちていく。だが、地に着くものはなかった。解けて水になることもなく、むなしく空中で消滅していく。
まるで雪のように。
かつての家族の散りざまは、あまりに美麗だった。断末魔を耳にしながら、サキと千風は哀悼と憐憫だけを胸に、舞い散る細氷を見ていた。
*
〈――――〉
声が聞こえて、ボクは駆け足していた進みを止める。
左前を走っていたアカが、ボクの停止に気づいて振り返る。
「何しているの? 置いて行くわよ」
別に心配はされてない。下手な理由を言えば、確実に置いてかれる、そう悟らされる口調。
「えっと……声が聞こえたような気がして」
ふうん、と胡乱な返事。自分に聞こえなかったものに興味はわかないみたいだった、アカは。
ボクも深く気にはせず、先に進もうとした。
だけど、アカが立ち止まったままだ。何か考え込んでいる。
ちょっとしてから、珊瑚色の瞳をボクにむけ、問いかけた。
「あんたの名前、“チヨ”はツミからもらったの?」
「う、うん、そうだよ……」
アカはまた黙る。沈思黙考。
でも、こうしてアカがボクに興味を示し何かを尋ねるなんて珍しいことだ。
「あんたは夢に行ったとき、自分の名を忘れなかった。でも、現でのツミ《あいつ》の名は忘れた。――違う?」
鋭く、心を抉るようなアカの視線。
ボクはかくかくと肯く。なんとなく、声が出なくて。
「それで、今は現に戻ってきたわけだけど……あんたはあいつの名前を思い出したの?」
ボクは否定する。
「ずっと頑張ってるんだけど……。………でも、なんとなく思い出してきたかな」
ボクの答えに、そう、と短く言って歩き始めた。
しばらく経って、
「私の昔の名前、稚菜といったわ。須藤・稚菜」 と出し抜けに言われた。
「へ、へぇ。そうなんだ……」
「須藤・稚菜には恋人がいたわ。月神を名乗るあいつに似てたその男は、蒼崎・充秀という名前だったわ。――彼は子孫も残さずに死んだけどね」
それ以上アカが話すことはなかった。
――名前、か。
名前はそれが持つ、力とか、運命とか、いろんなものを一言で表しているときがある。名前がないと、それは形があやふやになってしまうし、何より無いと呼びかけることもできない。
『千風の名において、森羅万象、時空を吹き抜ける遥かな風よ。水に愛された、この人の名前を教えて』
さっき聞こえた声。千風もそうやって名前を失くした誰か――そう、誰かの――名前を風に探していた。
ご主人様の名前は、ボクの中にあると思う。見つけ出して、呼んであげたいと思う。
ボクにとって、自分の名前よりも大切なものでもあるから。
あぁ、ササヤキ・ナゲキが……。
風は水に弱いですね。全然千風を活躍させてあげられない。――いつものことですが。
稚菜、は天照大神に関係の深い稚日女尊から由来してます。わかな、という名の人はいるようですが、こういう字の人はいますかね?
アカの名前はすぐ思いつきましたが、ツミの名は苦労しました。まだ秘密ですよ? まぁヒントは出しましたので、予想してみてください。




