6・5「彼女達の最先端」
ご主人様の呼ぶ月は、心ある者を狂わせる。蒼い月光で。
綺麗なのに、こんなにも透き通っているのに、心の奥にある暗い物を騒がせる。
「大地に聞いてみなよ、チヨ。――今ここで、失われた命があるかどうか」
千風のくもりのないスカイ・ブルーの瞳は、昂ぶっていたボクの心を落ち着かせる。
ボクは千風の言うとおり、半径三百メートル以内の状況を大地に尋ねた。
――誰も死んでいなかった。半径五百メートルで非常線が張られ、人々は避難させられていた。
サキ達は、少し離れた場所でボクらを見ている。
「アカも手の込んだことするよね。人を怒らせてそんなに楽しいの? ――この若作り」
「だ、誰が若作りよ! キズオト、あんただって老けたじゃない」
「老けたのはアカ。あたしは成長したの。――それにね、あたしはもう“キズオト”じゃない。あたしの名前は相川・千風。ちゃんと覚えてよね、おばさん」
「お、おば――!?」
アカの顔がこれ以上ないくらい朱くなる。
――かなわないなぁ。
アカと千風、それにツミ、サキにナゲキとササヤキ。消えてしまったネガイを合わせ、七人から見れば、ボクは外野みたいなものだ。だから、簡単にやりこめられてしまう。アカに負けそうになったり、蒼い月光に惑わされてしまったり。
でも、ボクはここにいる。ツミが好きなボクは、アカや千風達も好きだから。
「あ、笑ってる。――なんだか、ちゃんと元に戻れたみたいね」
ボクを振り返った千風が言う。
「うん、ありがとう、千風。ボクはいつもどおりだよ」
ボクは晴れ晴れとした気持ちで答える。
笑顔にあどけなさの残る千風。でも、その瞳の奥には怜悧なものを感じさせる。
「自分の痛みには耐えられても、他人の痛みには耐えられないんだよ、チヨは。あたしはそうじゃないし、だからチヨのことが凄いと思って、力になりたいと思った。
でも、忘れないで。他人の痛みを理由に報復をするのは、罪を理由に悪を為す事と同じだって。他人の痛みも罪も、その人が勝手に推し量って決めるもの。そうじゃなくて、人は自分の中にあるもっと純粋な気持ちで行動しなければいけない。――それを分かってくれるのなら、あたしはチヨの剣となるよ」
風によく響く、高く澄んだ声で彼女は言った。
ボクは肯く。力をこめて。
「わかったよ。約束する、ボクはもう報復のためではなく、ボク自身の護りたい気持ちでツミと戦うことを。――だから力を貸して、相川・千風」
黒いスカートを風にはためかせ、千風はボクの右側に立つ。
正面、十二メートルくらい向こうで、炎を身の回りで揺らめかせるアカがこちらを見ていた。
「私は〈天照大神〉アカ。――今一度、私は戦う者の名を知りたいわ」
アカの要求。
まずボクから、はっきりと名乗りをあげる。
「ボクは〈大地の代理人〉チヨ。すべての想いを知るために、土の上を歩く者だよ」
千風も名乗る。
「あたしは〈風神楽の巫女〉相川・千風。あたしの古い名前が示すとおり、あたしの風は刃にしかならないけど、この刃をあたしはみんなの平和を守るために使う!」
ボクらに先んじて、アカが〈高御産巣日〉を振り上げた。
「喰らいなさい!」
全力の一撃。
赫い炎の波が、猛烈な勢いでこっちに迫る。
「チヨ、あたしを守って! 時間を稼いで!」
「わかった。ボクは千風の盾になるよ。――焼結の盾! 固い六角を成してボクらを炎から守って!」
ボクは千風の前に立ち、大地に呼びかける。
今度の盾は、亀の甲羅を思わせる白く小さな六角の集まりだ。この一つ一つは、一般的なセラミックスに似たもので出来ている。珪素、タングステン、神秘霊力を貯めやすいルビーなどの宝石を寄せ集め、術力と少しの熱を加えて固めてある。この盾はアカの炎の熱を吸収してさらに固くなる。
「面白いじゃない。なら、これはどう!?」
アカが接近してくる。直接、神剣を叩き込むつもりだ。
ボクは白い盾を前に出す。
打ち込みが入る。盾にひびは入るけど、今は防御だけを考え、力を出し惜しみせず注ぎ込むと、盾は壊れず耐久した。
「風よ! 抗うための力を求めるあたしに剣をちょうだい!」
背後で、千風の術が始まった。
「幾つもの名を持つ剣。天と地、森羅万象を駆ける風。
今、形無き風はこの手に集いて形を為せ。
あたしは大切なものを守るために刃を求める者。
古い物語に謳われた、道を開くための刃よ、今ここに……!」
それはちょっと前にボクがやったものと同じ、〈神器召喚〉の術。
「風よ、あたしの刃となれ! 『草薙乃剣』!」
風が集う。
千風の願うとおり、世界中から風がこの場に集う。渦巻く風は炎を飲み込みながら、千風の手の上一点に集中する。
「――風に大地の祝福を」
ボクも風の中に大地の力を与える。
風が凝縮し、物質化する。
灰色で、大きな剣。両刃は三度波打ち切っ先で一つになっていた。“鉾”とも呼べる古風な形の剣だった。
「――!」
アカが〈高御産巣日〉を振るい、炎を放つ。
千風の〈草薙乃剣〉が完成したのを見届けて、ボクは後退する。
前に出た千風は、剣を腰だめに構えた。
「草薙の名において、炎よ、退け!」
草薙乃剣の一閃。
火炎は風に押され、アカへ逆流する。
「てぇぇやぁっ!」
飛び出した千風がアカと剣を打ち合わせる。
炎と風、力と力の激突。
灼熱と豪風が周囲の地面を抉り、土砂を巻き上げる。
轟音が鳴り響き、衝撃波が離れた場所のビルまで破壊した。
まるで隕石が落ちたような、すさまじい衝撃。これが神の名を持つ神剣と、神から与えられた神器との衝突なのかとボクは思った。
アカが炎の翼を作り、爆炎を撒き散らしながら飛び立った。
千風も風に乗って後を追う。
それを待ち受け、アカは攻撃する。
「紅帝爆撃弾!」
直径三百メートルの火の玉。
高速で飛ぶ千風は避けずに、草薙乃剣を振り上げて切り裂こうとする。
だけど、それは悪い判断だとボクは気付いた。今のアカの攻撃は剣によるものじゃないから、千風が剣を振るった瞬間にアカは剣を使うことができる。
「――対空援護砲撃!」
千風が右から左への払いで火の玉を相殺したと同時、ボクはアカに向かって岩の弾頭を砲撃した。
弾頭を落とすアカ。
そのすきを千風は逃さなかった。火の玉を斬った動作の続き、左から右への一閃。
「虎牙一刀流奥義、散葉!」
とっさのアカの防御を打ち破る一撃。
風が、炎を吹き飛ばした。
*
――声が聞こえた。
それはボクが人の姿を取るようになってから、初めて聞いた本当のあの人の声。ボクにとって、ううん、ボクらみんなにとって一番大切なあの人の声。
おいで、と言っていた。遠く遠く、月の裏側から響くような遙かな声で。
あの人――ボクにとってのご主人様が、ボクらを誘っていた。
*
戦いが終わると、後には得も言われぬぽっかりとした静寂だけが残される。まるで祭りの後のように。
周りには瓦礫も残されていなくて、ただ焼けた土だけが一面に広がっている。その中にいるのは、ボクと千風と、大の字に倒れているアカだけだ。
千風は〈草薙乃剣〉で身を支えながら肩で息をしている。ボクが横に立つと、彼女は下に向けていた顔を上げ、破顔一笑して見せた。――試合あとのスポーツ選手の笑みに似ていると、ボクは思った。
「全力を出すって、なんか良いよね。――この剣を持って空に飛び出した時、本当に風になった気分がしたよ」
その剣を持つ彼女の手に、ボクは自分の手を重ねる。
と、不意に〈草薙乃剣〉は姿を消した。――細かく表現すると、ボクが触れた瞬間に〈草薙乃剣〉は光の粒子に分解して、ボクの胸元の〈八尺瓊勾玉〉に吸い込まれたんだ。
支えを失った千風は、どぉと力なく地面に倒れてしまった。
「あた……、一体なにが………」
「多分、これから千風が草薙乃剣を使う時は、そのたびにボクが手渡しする必要があるってことだね。草薙乃剣を使うのは千風だけど、管理するのは八尺瓊勾玉を持つボクってことか……。ところで、大丈夫? 立てる?」
なんとか、と千風はもごもご言いつつ立ち上がろうとする。
ボクは手を貸そうとする。
その時、突然現れたアカが千風の襟を掴み 「ぎょえ」 強引に立ち上がらせた。――「ぎょえ」はちょっとかわいそうな千風の声だ。
「ひどいよ、アカ。あたしは猫の子じゃないんだから。……そういうことはチヨに」
「ボ、ボクも嫌だよ」
ふん、と荒い鼻息で応じるアカ。
「私を打ち負かした奴が、いつまでも寝てるんじゃないわよ。――というより、この勝負誰の勝ちなの?」
そう問うアカは、全身ぼろぼろの酷い有様だ。一千万以上かかったらしい狩衣も、もはや雑巾にしか使えなさそうな状態。
「あたしが勝ったから、チヨの勝ちってことで」
「そ、そういうことにして。……やっぱり、ボクだけなら万全な時でもアカに勝てそうにないし」
「………負けを認めるのか、勝ちを主張するのか、どっちかにしなさいよ……」
呆れの色の濃いアカの返事。
だけど、そこにさっきみたいな苛立った感じはない。彼女の口元には、親しみを感じることのできる微笑が浮かんでいた。
「それで、チヨ? あんたは私に何を望むの?」
「ボクは、アカと一緒に戦いたい。ツミと戦う時も、アカとボクどちらかだけじゃなくて、二人一緒に戦いたいんだ」
アカは肩をすくめ、眼を閉じてリアクションした。
「それだけ? ……ま、言葉にするとこんなものなのかしら。いいわ、考えとく。そう……あと一週間後までに」
最後の言葉は、天上の月を見ながら言われる。
月は、欠けていた。下弦の手前、臥し待ち月と呼ばれる形。
『朔の夜に現れる僕の城までおいで』
それがさっき聞いたツミの声だった。たった一言、だけどその一言がボクらの心をどれだけ揺さぶったか、とても言い表すことはできない。
いよいよかぁ、と思う。ここまで長くもあり、短くもあった。今すぐご主人様に会いたいと思うし、まだ早いとも思う。
いずれにしても、月はカウントダウンを始めた。この月が欠けきった時、ボクらにとって、そして世界にとっての答えが出る。――撒き散らし、そして積み重ね続けた想いの、その先にあるものが見えるはず。
新しい月は、新しい世界の空にかかる。
*
「――この世界の行く末は、あの者達が決めるんじゃな」
黒いドレスに身を包む女が言った。
「そうですわ。彼女たちの思いこそが、この世界にとっての最先端となるのです」
黒いマントを羽織る少年が答えた。
「そりゃ楽しみだな。――で、良いのか? 後に続く者が言う言葉は」
黒いスーツを着る男がぼやいた。
蒼の月下、降り注ぐ夜の光を拒むように黒い服を着た三人。彼らは倒壊していないビルの屋上に月を背にして立ち、少し離れたところの三人の娘を見ながら、思い思いのことを口にしていた。
「何故、あの者達が世界を変える? 答えておくりゃ、サキ」
糸鶴の問い。
サキは薄笑いを口元に浮かべて答える。
「それは、彼女たちが力を持っているからに他なりませんわ。乱暴なまでに強大な力、すなわち“暴力”を」
「暴力?」 鷲累が復唱する。 「世界は暴力で変えられるのか?」
「さぁ、それはどうでしょう? ――暴力は人と世界を支配しますが、世界を革新たらしめることはありません。暴力は世界を変えるための原動力であり、世界の形を決めるのは、想いです」
サキはそこまで言うと、踊るようにステップを踏んで鷲累と糸鶴から距離を取った。
彼が振り返った時、三つ目には刃のような底光りが宿っていた。
「さて……この世界の命運は、月と私達の間にのみ有ることが理解していただけましたか? そこで私のお願いなのですが、来る決戦の時の露払いをあなた方〈漆黒の守護者〉が行っていただけないでしょうか? 我が儘を申しますと、これ以上雑多な人達に邪魔をされたくないのです」
そう、悪びれもせず、むしろ傲慢にサキは言い放った。
「断ると言ったら?」
「どうしようもありませんわ。腹いせに鷲累さんと糸鶴さんを殺してみますか」
くすくすとサキは笑う。
不意に、月光が途絶え闇が周囲を支配した。
闇はサキの影から、渾々と湧き出していた。
「それは、交渉にも脅しにもなっておらぬぞ」
「えぇ、だから『お願い』だと言いましたわ」
声の主、サキの姿は闇に溶け込んで見ることができない。
しばしの間を置いて、鷲累が溜息を伴った返答を出した。
「ま、他にすることもないしな。――承知した、と言っておく。何人集まるかは知らんが」
その時、ふっと闇が消えた。
鷲累と糸鶴の前方、月の光が落ちるコンクリートの床にサキの影は落ちていない。
サキは二人の後ろにいた。
「では、未来をつくりに行きましょうか。彼女たちの願い《ねがい》が導く、新しい世界へ」
サキの声はこれまで以上に少年らしく、男性的だった。
いま発した自身の声に――いつの間にかまた変化していた自分に――サキは密かに戸惑った。だが時は、戻ることなく前に進んでいる。
--解説--
〈草薙乃剣〉――普通は〈草薙の剣〉ですが、まぁ有名な剣ですよね。四、五の名を持つらしいです。ヤマトタケルの物語を御存知の方なら、草薙が炎に強い理由も解るかと思います。
こんな感じで千風を華々しく活躍させよう……というのも難しいですね。もう残された場面が少ないです。
さて……申し上げづらいのですが、これから一月余り更新を止めることになります。お仕事で京都に行ったり、帰ってきて試験があったり、忙しくなりそうなのです。
いずれ帰りますので、どうかこの白亜と『your earth』を見捨てないで下さい。後は最終幕なので、どうかお付き合い下さい。
お休みの間、もしかしたら短編でも書くかもしれません。『はてしない物語』のアナザーストーリーとか良いなぁ、と企んでいます。




