6・1「腹が減っては……」
ビルの谷間は昼よりも夜の方が明るい、とボクは思う。
あるいは、夜の方が命を吹き込まれたように華がある、とも言える。――とても太陽の下に生きるはずの人間が作った物とは思えない。
ここは東京。かつて江戸と呼ばれた、京都に次ぐもう一つの四神相応の街。
色とりどりの光が舞う往来を、ボクらは歩く。
ボクは猫耳と尻尾がついていて、サキはおでこに三つ目の瞳がある。さらにボクは普通のジーパンにシャツといった軽装だけど、サキは真っ黒なマントを羽織りその下から黒いスラックスを覗かせた、少々ものものしい格好。
目立ってるかな……と思いきや、周りを歩く人達も風変わりな格好をしている人は多い。穴の開いたジーパンとか、左右の色が違う靴とか (あれ? 普通かな?) 猫耳のカチューシャを付けた人も三人くらい見た。ボクらも意外と人波に溶け込んでいるようだった。
そして、時に銀のマントを羽織っている人もいた。ご主人様の家来、〈月の子〉の真似なんだろうその人達は、街頭で 『新しい世界はすぐそこ』 とか 『偽りの灯火を消して月光を仰げ』 とか叫んでいた。
勝手だなぁ、とか思うけど、それ以前に、あの人達は今の世界を好きじゃないんだなぁと悲しく思った。――巷には、小石のように絶望がゴロゴロしている。それに躓いた人は、もう世界の明るい部分を見ることはできないのかもしれない。
そんな街を歩み渡り、ボクらは指定されたビルまで来た。
四十階まである超がつく高層ビル。エントランスにある案内板を見ると、なんとかっていう電化製品の会社が多くの階を持っていることになっている。
「あれ……? 〈漆黒〉の事務所なんて無いよ?」
「チヨ、〈漆黒〉の人達の存在が一般に公開されていると思っているんですの?」
………そうだね。
サキが案内板をしげしげ見る。もちろん、額の眼で。周りを歩く人は、そんなことは露とも知らずに過ぎ去っていく。
「どうやら、上の階の方は高級レストランやスイート・ホテルになっているようですわね。――アカ達に会う前に、食事を取っていきませんこと?」
「うん、お腹空いたね」
そこでボクらはエレベーターに乗って、まずレストランのあるフロアーに向かった。
*
「う、……‘牛テールの赤ワイン煮’………牛テールって何?」
気がつくと、ボクはフレンチレストランにいた。
「わからないのなら私がオーダーしますから、チヨは黙っていていいんですのよ?」
サキはレシピに素早く目を通しながら言う。
その様子はとても楽しそうで、それはそれでいいんだけど……
「ねぇ、なんでフランス料理なの? ボクは普通に定食屋さんとか……」
「定食屋は今日の朝行きました」
「ほら、むこうに美味しそうなお寿司屋さんがあったけど……」
「そうですわね……」
気のない返事。サキはメニューを見るのに没頭している。
ボクはお寿司屋さんに思いを馳せる。高そうな店だった。けど、きっと頬も落ちるようなお寿司があるんだろうな……、と。
ボクらの旅費はサキの持つクレジットカードから払われている。そのカードはアカの名義であり、『税金ですわ』 とのことだった。――日本の皆さん、ごめんなさい。
「良いじゃありませんの。せっかくビルの高くまで昇ったのですから、食事も豪華な物を取りたいものですわ」
豪華な食事=フランス料理、らしい。
「お寿司は……?」
「私、なまものは好きじゃありませんの」
聞いたことのない理由で、ボクの要望は一蹴された。
しょうがないので、ボクはフランス語のメニューを見て暇を潰すことにした。――良くわからないアルファベットの羅列を見ていると、アルファベットが踊っているように見え始めて面白い。
しばらくして、サキが蝶ネクタイにチョッキのウェイターさんにオーダーをしていた。
そこそこ格好いい人でサキはその容姿を褒めていたけど、サキが男か女か判じかねたウェイターさんはただ困ったように笑いながらいなくなった。
数分後、前菜を持った別の人が来た。小柄で、背筋のしゃんとした人だった。
「レタスとゼラチンのテリーヌです。――ところで、あなた方はサキ様とチヨ様に相違ありませんね?」
「え……と……」
こういうとき、なんて答えれば良いんだろう?
「そのとおりですわ。〈漆黒〉の方ですの?」
サキが落ち着いた受け答えをした。
ボクの出る幕はなさそうなので、葡萄のジュースを一口含んでから前菜に手を付けることにした。
「私は〈漆黒〉の諜報員、四村・姫鴇と申します。以後お見知りおきを。
一階の監視カメラであなた方の来訪を確認しました。今、鷲累、糸鶴、紅烏の三名は戦闘の準備をしています。好きなときにいらっしゃって下さいとの事ですが、あとどのくらいでおいでになりますか?」
「そうですわね……これから一時間、いえ二時間ここで食事をして、そのあと最高級のスイート・ルームにチェックインして、お風呂に入ってチヨと愛の抱擁をして――」
――むせた。
「――仮眠を取って、また抱き合って、それから身支度して…………九時間ほどですわ」
サキが突拍子もないことを話している間、姫鴇は眉一つ動かさずに立ち続けていた。
淡々とした口調で姫鴇は答える。
「そうですか。では、そのように伝えます。――あぁ、紅烏が申していたこととは、三十分以上待たせたら二千一年九月十一日の再現をしてやる、でした」
「な、ちょっ…………むぐっ」
の、のどに食べ物が。
横でサキはあらあらと呑気に言いながら、自分の分の前菜に手を伸ばしている。
「ちょっと待って――行く、行くから! 二十分で行くってアカに伝えて!」
「あら、チヨ。私達の愛のまぐわいは?」
「また今度!」
「それにチヨ、フレンチの食事というものはゆっくりと時間を掛けるものですわ。ラーメンや蕎麦のように、ずるずると吸い込んで早々に終わりというものではありませんのよ?」
「そ、そんなぁー!」
状況は絶望的。
姫鴇は何事もなかったかのように遠ざかっていく。
この場を放棄するわけにもいかず、ボクはアカの気が長くなってくれますようにと祈りながら食事をすることにした。
―――三十分 + 二十一分後。
最後のデザートを一瞬で呑み込み、渋るサキを引っ張りボクは店を出た。――ちゃんと会計は済ませた。けど、デザートがなんだったのかは全く思い出せない。
〈漆黒〉の事務所のある最上階まで行くには、エレベーターに隠された術式を発動させる必要がある。
ボクはそれを半ば脊髄反射で起動させ、目的地に移動する。
転送された先、白大理石に囲まれた四角い部屋で、姫鴇が直立不動でボクらを待っていた。
「ア、アカは……?」
まず口から出たのはそれだった。
「待っています。準備は万全です」
なんの準備か、考えたくないな。
姫鴇がボクらを案内する。
〈漆黒〉の事務所は思っていたよりずっと地味だった。床は飾り気の無いリノリウムで、壁もコンクリートに白い壁紙を貼っただけ。
灰色のペンキを塗った扉の向こうに、三人の待つ部屋があった。
淡い色のパンチカーペットに、三人は黒い椅子を置いてそこに身を沈めている。
鷲累は胸や関節に薄板が入った黒い装甲服を着ている。糸鶴は重そうな革のドレスを身にまとっている。
二人は〈漆黒〉の衣装だった。でも三人目は違う。
アカが着ているのは、熱ささえ感じられそうな唐紅の狩衣。折れ曲がってて良くわからないけど、絹の生地の上には金銀の糸で密に刺繍もされている。豪奢、との一言に尽きるその服はまるで――
「すっかり昔のようになりましたわね、アカ」
ボクの思っていたことを、サキが言った。
アカはそれに答えて笑みを浮かべた。とても自信に満ちた笑み。
彼女は腰を上げる。
「まぁね。喪服みたいな〈漆黒〉の格好にも飽きたから、久しぶりに着てみたのよ。――どう、この狩衣? 仕立て直すのに一千万以上かかったのよ?」
アカはくるりと身を回し、ボクらに自らの衣装を見せつける。
生地の赤は上から下にかけて少しずつ鮮やかさを増している。
模様は胸と前垂れにかけてが花と菱の幾何学、袖には鳥、そして背には五爪の龍と蝶とが舞い踊るもの。
腰や袖に通された飾り紐は黒繻子で、その先端に白く煌めく蛋白石の玉がさがっている。
さらに服に香が焚きつけられていて、彼女が身動きするたびに茴香の挑発的な香りがした。
――そして、足に履くのは真っ白なスニーカー。そんなところまで、サキが語った昔と同じだった。
「まったく……〈漆黒〉を利用するだけになった奴に、税金とはいえ一千万も。だったら俺にうまい酒でも飲ませろっつぅに」
鷲累が砕けた口調で独りごちていた。
「そういえば……アカって公務員なんだ」
「あぁ? まぁ、そうかのう。妾達は日本政府と関わりはないが、一応この国にいる間の経費は日本政府持ちになっているからのう」
「会計はどうやってつけているのでしょうね? 存在すらも知らない物事に税金を使われる、日本のみなさんがお気の毒ですわ」
場がちょっとずつ和みはじめていた。
と、そこで姫鴇が発言した。
「さて……ここで茶菓でもお出しすれば話も弾むでしょうが、そろそろ本題と参ることにしませんか、皆様?」
それに対し、真っ先に鷲累が咳払いで反応した。
「わ、私は馴れ合ってなどいないぞ」
「鷲累、お主のことなど何も言っておらんぞ」
鷲累の相好が仏頂面のまま石になった。
それを尻目にアカが言う。
「じゃあ、説明をしなさい、姫鴇」
「はい、紅烏さん。
本日の決闘とは、一対一での戦闘です。勝利条件とは、特に定められたものでなく、見極め役無し、対戦者同士で決着を付けること。
戦闘場所とは、ここより上から、第一フロアー、第二フロアー、そして屋上。
対戦者組み合わせとは、こちらの希望から、第一フロアーで鷲累さん・サキ様、第二フロアーで糸鶴様、チヨ様。人数の関係上、チヨ様にはそのまま続闘をお願いして、屋上で紅烏さん・チヨ様とさせて頂きます。
そちらの希望があれば変更は可能ですが、何か御座いますでしょうか?」
サキが横目でボクを見て、回答を促す。
ボクは宣言するように、はっきり答えた。
「いいよ。それで戦おう、みんな」
〈漆黒〉の三者がそれぞれ肯く。
「では、フロアーの準備は整っていますので早速始めましょう」
*
糸鶴の用意する戦場は、何の置物もないだだっ広い空間だった。
天上も床も壁も、四方がむき出しのコンクリート。まばらに柱があるだけ。黙って立っていれば、僅かな音さえよく反響して聞こえる。
けど、それは見かけの話。
本当は、あるものがこの空間に油断無く配置されている。
それは糸。
テグスかグラスファイバーか、とにかく透明度の高い見えづらい糸があちこちに張り巡らされている。考えるまでもなく、それはトラップ。糸鶴の指先一つで、あれらはボクを四方から襲う。
そしてもう一つ、このボクにとって困ったことがこの場所にある。
大地の力を使うボクにとって、この地上高くある戦場は力を弱めさせられる場所だ。おまけに、神秘霊力の活性を抑える十(凍)式封印術が緩く施されている。
冷たい汗が、背筋を流れた。
「どうやら、ここがどういう場所かは気付いてくれたようじゃな。――じゃが、よもやお主、この程度の覚悟もなく来たわけではあるまいな」
糸鶴の声が重々しく響く。
「もちろん……。どんな状況でも、ボクは負けないよ」
「よくぞ言うた。ならばその覚悟、身体でも示してみよ!」
両者、構える。
このコンクリートに塞がれた空間は、物理的に冷えていた。それは確実に、ボクの心を威圧する。
だけど――
「ボクは、絶対負けない!」
これを開始の合図とした。
フレンチ料理は美味しかったのでしょうか?
私はフレンチを食べたことはありません。ついでに言うと、二十階以上の建物に入ったことがありません(多分)。
……田舎者ですよ。いや、田舎万歳ですよ。私の世界は狭いですが。
ちゃんと一人前になって、世界を広げていきたいですね。英語、頑張って旅行とかしたいなぁ……。




